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44話 『匡花』のありか

「元の世界の身体」、「心を許すな」――時渡人(わたしもり)の言葉が頭を巡る。

 何度も、何度も。


「あれ? 確か前に……」


『昨晩泥酔した其方は、車道に身を乗り出し――』


 そんな会話を、グロウサリア家で目覚めた最初の頃にしたはずだ。

 白い闇の中に浮かぶ花嫁に向けて、そう指摘すると。


『私は「死んだ」などと断言していません。「其方が愛したゲームに似た世界へ命を繋いだ」――としか』


 そんな――まさか、前の世界の自分が生きているというのか。


「でも魂はここにあるってことは……昏睡状態ってこと?」


 時渡人は、黒いダリアのブーケを胸の前で握りしめるだけだ。


「もし戻ろうとしたら、いつか戻れるの……?」

『道はありますから――可能性はゼロではありません』


 せっかく、エメルとして生きることを覚悟したばかりなのに。

 エメルとして夫を――エメルの中の匡花(わたし)を見つけてくれたドラグを受け入れようって、決めたのに。

 帰る可能性が示されてしまったら、私はこれから彼とどう接すれば良いのだろう。


『良いですか? 帰るつもりがあるのならば、好意を伝えてはなりません』

「あっ! ちょっと待って――」


 真っ白な闇が散り、顔のない花嫁も同時に姿を消した。

 まだ、何も心の整理がついていないのに――辺りは星の瞬く夜に戻っている。


「エメル……!」


 濃紺の中に浮かぶ、ふたつの黄金。

 気がつくと、夫竜の顔が迫っていた。


「ひゃっ! き、急に近いっ!」


 突然、ゼロ距離に国宝級の顔面を寄せないでほしい――とっさに胸板を押したが、より強い力に引き寄せられた。


「ドラグ様、どうしたのですか……?」

「どうしたって、君、今まで気絶してたんだよ……!?」


 心配するのは当然――そう言われて、彼が妙に焦っている理由がようやく分かった。

 以前、アレスターの前で時渡人が現れた時も、こうやって心配された覚えがある。


「良かった……ずっと徹夜で『オーク農園』の計画を練ってたみたいだから。絶対に無理、しないで……?」


 約束、と抱きしめられた瞬間。

 ほんのり甘く柔らかい匂いに包まれた全身から、血の気が引く感じがした。


「エメル……身体、冷たいね。まだ具合悪い?」

「……いえ」


 時渡人の言葉が事実なら、この熱を受け入れれば、元の世界には帰れなくなる。

 最初こそ「推しモドキ」なんて呼んでいたが、いつの間に私は、こんなにも彼を好きになっていたのだろう――拒もうとすれば、心臓が潰れそうなほどに痛む。


「ドラグ様……」

 

『好きになってはいけない』なんて、そんなの、アリなのか――。


「い、いえ……少し過労が祟ったみたいで。今夜は部屋に帰ります」


 このままでは、本当に涙がこぼれそうになる。

 ドラグの優しい手と熱を押し返し、彼の寝室を足早に出た。


「……奥方殿」


 もはや当たり前のように部屋の外で待っていた執事に、背を向ける。

 今夜はアレスターでも話したくない。それに泣き顔を見られたくない――そのまま自室まで足を駆り、ベッドに飛び込んだ。

 すっかり自分の匂いが染み付いている枕――でも、これは匡花の匂いではない。

 私は、元の世界に戻りたいのだろうか。

 両親や友人、ブラックだがやりがいのある仕事があった、あの世界へ。


「でも……」

 

 きっと、もうドラグとは会えなくなる。

 そう考えるだけで、身体がバラバラに裂かれる心地がした。


「奥方殿。お節介と分かっておるのじゃが」

「…………『奥方殿』は、留守にしております」


 震える声を絞り出すと、靴の音が遠ざかっていった。

 行ったか――重い息を吐き出し、顔を上げた瞬間。


「ほぅ、留守とな?」

「あっ……」


 身体中にコウモリを散らしているこの吸血鬼、今度はどこから入って来たのか。暗闇の中に浮かぶ赤い瞳が、こちらを見下ろしていた。

 しかし、その姿はいつもより幼い。いつか見た、10歳前後の少年の姿をしている。


「ワシ、最近夢見が悪くて眠れんのじゃ。お主、一緒に寝てくれんかの?」

「えっ、それって……」


 この姿でも浮気になるのでは――そう恐れたが。

 こちらに微笑む幼い笑顔を目の当たりにした途端、熱い滴が頬を伝っていった。


「……ワシは先に寝るぞ。抱き枕にしても構わんからな」

「あ……」


 何も聞かずに、小さな身体はベッドへ横たわった。

 

「……っ」


 背中に触れる、小さな熱に安心する。

 あのまま独りでいたら、朝まで泣いていたかもしれない。


「おやすみ、エメルレッテ」

「……うん」




 快晴の翌朝。

 開墾地選びには大変良いお日柄だというのに、悶々とする頭を捻らざるを得ない。


「こっちだ、領主代理。この私に案内役をさせるなど、贅沢な奴め」

「あー、はいはい。ナノ様には感謝しておりますから、とっとと先へお進みくださいませ」


 ムッとしながら森を進むナノに、これ以上構う余裕はない。

 結局、昨晩はアレスターのおかげで熟睡できた。しかし頭を悩ませる例の件について、何ひとつ解決したわけではない。


「何だ、そのやる気のない態度は! いつものバカみたいに突っ走るお前はどうした?」

「はぁ……顔面偏差値だけは100越えの2.5次元俳優が、私の何をご存知だというのでしょうかね~」

「2……? お前、本当にどうしたんだ?」


 ナノの扱いはこれで良い。でも私の態度がこのままだと、他のオークやエルフたちの士気に関わる。

 いつもの自分に戻らなければ――できることなら何でもやってみる、他人の才能についてズケズケ突っ込む「匡花(エメル)」に、戻らないと。


「……エメル。ここらの土壌、なかなかだ」


 オークたちの野太い声の中でもよく通る、可愛らしい声。

 カナメロの言葉に、固まった表情筋を強引に動かした。


「では、『オーク農園』の施工場所はここでよろしいでしょうか?」


 エルフとゴーレムが縄張りにする森の境界。小さな池を含むこの土地の土壌はぬかるんでいて、栄養状態は良いと、カナメロが言う。

 適度に町から離れ、そして意外にもグロウサリア家の丘からは近いこの場所は、立地としても良さそうだ。


「んだば、いよいよ畑の開墾だべ!」


 朝からやる気に満ち溢れたディズロムと、彼率いるオークたちは、先日ノームたちの伝手で用意した(くわ)を構えている。


「おっ、連中やる気十分だな!」


 斜め下からの声に、足元を見ると。

 彼らと同じく、鍬やスコップを背負った傭兵ノーム5姉妹が並んでいた。


「サツキさんたち! 来てくださったのですね」

「よっ、エメル様。お袋が、オレたちも力を貸せってさ。畑仕事はご無沙汰だが、肥料を発酵させる穴掘りくらいやってやるよ」


 鼻の下をこするサツキたちは、さっそくオーク族と一緒に辺りの土をほぐし始めた。


「おい領主代理、良いのか?」

「えっ?」

「奴ら、所かまわず土を掘り返しているぞ」

「あっ……!」


 それはマズい。オークたちの居住地および倉庫など、建物を建てる予定のスペースは手を付けないでおいてもらわなければ。


「ちょっと待って! 先に施工計画図をご覧になってからはじめてくださいませ~!」


 危ないところだった。

 ナノに注意されなければ、貸してもらった土地すべてが畑になるところだった。


「ふぅ……テントも建てて、やっとひと息つけますわ」


 いつの間にか、草原に立派な畑が出来上がっている。

 さすがは体力オバケのオークたち。土を耕す段階では大活躍だ。またサポートのエルフたちは、魔法を使わなくても、鍬一本で柔らかい土を掘り起こしている。オークたちが耕した畑に、立派な畝を作りあげていた。


「私も仕事をしないと……」


 みんなが働くのを眺めていると、余計なことを考えてしまう。

 テントで休むのもほどほどに、私も現場を見回らなければ――切り株のイスから腰を上げ、日傘をさしたところで、椅子が飛び跳ねるような地響きが近づいて来た。


『エメル、資材、もって来た』

「シカク! もう設計図ができたのですか?」


 畑ができる様子に感動する間もなく、資材を担いだゴーレムたちの列が到着した。


『うん。施設棟、あと倉庫の施工、下見に』

「さすが、仕事が早いですわね」


 土地の状態を査定するというゴーレムたちを見送り、畑へ近づいていくと――ギルド経由で仕事を依頼していたノーム族が合流し、本格的にオークへの農業指導がはじまっていた。

 しかし、やはりと言うべきか。

 ノーム族とオーク族は良いとして、問題はエルフ族だ。


「はっ! この程度のこともできないのか? まったく、野蛮な貴様らは文明の道具を使いこなすこともできないらしいな」


 まったく、プライドが高いのもほどほどにして欲しい。


「なにをー!? オメェらこそ――」

「はいはいお通しください! 通訳が参りましてよ!」


 エルフ族の若者たちの前に割り入り、鍬を振り上げる寸前のオーク族を見上げた。


「『できないなら教えて差し上げます。力の強いあなたたちには、こちらの道具があっているのではないですか?』……と、エルフの方々は申しておりますわ」

 

 そう、私の仕事は「緩衝材」だ。

 ここまで露骨ではないにしても、元の世界のチームでも、同僚同士の衝突は度々起こっていた。

 元企画リーダーとしてのフォロー力を、ここでも遺憾なく発揮させてもらおうか。


「ホントだべか?」

「ええ、本当ですわ。ね……?」


 圧を込めて微笑めば、エルフの若者たちは仕方なく頷いた。

 彼らはまだ、ナノに比べればチョロいものだ。

 ただ人間と違って、実力行使に出やすいところが厄介なだけ――こうして現場の隅々まで目を光らせ、争いの火種を鎮火していけば、作業はスムーズに進むだろう。


「ふぅ……火種、多すぎる!」


 テントの下で腰を下ろす頃には、エメルレッテの繊細な喉が枯れかけていた。今更だが、箱入りのお嬢様だった彼女には、一日中声を張り上げた経験などないのだろう。

 それにしても、1番大きな火種(ナノ)は何をやっているのだろうか――やけに静かだと思い、目立つ珊瑚色の髪が揺れている木陰へ視線をやると。


「あれは……カナメロ?」


 彼らのいる場所は遠く、声までは聞こえない。それでも、ナノと向き合うカナメロが、彼の言葉に目を丸くしていることは分かった。

 かたや彼女を見上げるナノは、視線を逸らしながら頬を染めている。やがて彼が口を閉じると、カナメロの頬が綻んだ。


「もしかして、この間のこと謝ったのかな」


 現場サポートチームのリーダーとしてナノを、そして経営チームリーダーとしてカナメロを指名したあの日。まさかナノが、カナメロを男性と勘違いしていたことには驚いたが――2人の間に和やかな雰囲気が漂っていることが、遠目からでも分かる。


「恋……か」


 この間までは、あんなにカナメロを応援したい気持ちだったのに――『帰るつもりがあるのならば、好意を伝えてはなりません』――時渡人の言葉がこだまし、心が沈んでしまう。


「エメル、お疲れ様……」


 背後からの暗い低音に、ふと顔を上げると。


「ドラグ様?」


 うっすら額に汗をかいた夫は、大量の箱を抱えていた。彼の視界を覆うほどに積み上がった箱からは、美味しそうな匂いが漂っている。


「お昼ご飯、持って来たんだ……みんなで食べようよ」

「……ありがとうございます」


 いつも通りに振る舞おうと思えば思うほど、挙動が怪しくなってしまう。

 気を取り直し、作業の手を止めたみんなとお弁当を囲んだが――夫竜の姿が目に入ると、時渡人の言葉を思い出してしまう。

 こちらをさり気なく見ている夫から視線を逸らし、ひとりテントの隅に移動した。

 農園全体の施設や規模、建設、その他諸々の費用について――詰めることは山ほどある。


「……『腕が鳴りますわ』って、いつもなら言ってたんだろうなぁ」

「エメル」

「ひっ!」


 突然首筋を襲った冷たい感触に、思わず飛び上がりそうになった。

 慌てて振り返ると。冷えたグラスを手にしたドラグが、遠慮がちに微笑んでいる。


「お、驚かせてごめん。デザートのゼリー、食べない? エメル、頑張って働きすぎな気がしたから……ひとりだけ、特別」


 特別――そう口にしたイタズラな笑顔に、笑い返そうとした瞬間。目の奥がじゅっと音を立てた気がした。

 堪える間も与えられないまま、熱い雫が頬を伝う。


「あれ? 私、どうして……」

「……エメル」

 

 みんないるのに――そう言いかけた口が塞がれ、心地よい熱に全身が包まれた。

 力強い腕が、そっと抱きしめてくれている。


「ごめん……僕には、こうすることしかできなくて」

「ドラグ……さま」


 心を許せば、辛くなると分かっているのに。

 これが欲しかった――口から本音が滑り出そうになった。

 周囲の音が聞こえなくなるほど、彼のとてもゆっくりな鼓動に耳を傾ける。

 ずっとこのままでいられたら――。

 あるべき場所に帰らなければ――。

 ふたつに割れた心が、それぞれ囁く。


「なんだこりゃあ!?」


 耳を裂くような声に、意識が引き戻された瞬間。

 何かが爆発したような轟音が、周囲に響き渡った。


「なっ、何事ですの!?」


 顔を見合わせたドラグと、ほぼ同時に振り返ると。


「なっ……!」


 畑の奥に、巨大な水柱が噴き上げていた。てっぺんへかかる虹に見惚れる間にも、滝の近くにいるかのような水飛沫に襲われる。

 全身ずぶ濡れのまま、水柱に駆け寄ったところ――。


「あったけぇなこの水! エメル様、こりゃなんだ?」


 穴を掘っていたサツキたちが、湯気立つ水を浴びて笑い合っている。

 まさか、掘り当ててしまったというのか――。


「これは温泉……ですわ!」


 ここを農園に留めておくにはもったいない金脈を、彼女たちは掘り当ててしまったのだ。

次回:温泉を掘りあてたら、アレをやるしかないですよね? そう、「異種族ぎゅうぎゅう混浴イベント」です。

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