39話 カブ・ラブ
「ドラグ様ではなく、私の問題なのです」
彼が弱いからではない。今の自分がエメルレッテであることを、私自身が受け入れられていないから――そのせいで、彼の愛情表現を避けてしまっている。
ベッドから降り、ソファに深く腰掛けたドラグへ近づくと。やっと目線の高さが合った彼は、「君の問題?」と小さく繰り返した。
「もしかして、その……『オシ』って奴が好きなのか?」
「推しに恋愛感情はありません」
「じゃあ、やっぱり僕が弱いから気を遣って……」
「そもそも人間は強さで伴侶を選びません!」
そう断言すると、不安定に揺れていた黄金眼が丸くなった。
魅力にまつわる価値観が、竜人と人間で違うことが意外だったのだろうか――固まっているドラグに、半分本当、半分嘘の話をする。
「私、まだここへ来たことが受け入れられていないのです」
これは本当。
「ドラグ様のことは信頼しています。でも……貴方の見ている『私』と『本当の私』は違くて……」
これも本当。
「本当の自分を見せられないまま、貴方とこれから夫婦になっていくのが……怖くて……」
あれ――結局、ぜんぶ本当のことを話してしまっている。
歪む視界で目の前の夫を見つめると、遠慮がちな手が頬に触れた。
「……抱きしめてもいい?」
ためらいつつも頷けば、優しい腕に引き寄せられた。
触れた胸が暖かい。
ほんのり甘く、落ち着く匂いがする。
「……僕とこうするのは、嫌じゃない?」
無言で頷くと、ドラグは柔らかい声色で「良かった」と囁いた。
「どんな君でも、僕はこうしたい……かな」
「……ドラグ様」
この世界で目覚めて、もう3ヶ月あまり。まだ心のどこかで、「ここはゲームに近いファンタジー世界」と思っていた。それでもこの熱は本物で、彼が愛してくれることも現実で――。
「……そっか」
私は「匡花」であることを決して忘れず、エメルである自分を少しずつ受け入れなければならない。
私よりもずっと、私のことを見てくれている彼のために――ドラグの背中に手を回そうとしたが、届かない。代わりにシャツをぎゅっと握ると、少しだけ胸が離れた。
「ごめん、グイグイ押して……君を怖がらせてたんじゃないかって、やっと気づいたんだ」
「それは……」
怖くはなかったが、毎回心臓が破裂しそうだった――そう白状すると、彼の瞳にかすかな熱が灯った。
「それって……『好き』ってこと? 君も……」
「ええと……」
好きな服、好きな色、好きなお菓子。これまで簡単に口にしていたひと言が、なぜか喉を通らない。
期待に染まるドラグの瞳が、少しずつ曇っていく。
「あ……」
このままではダメだ。「恋愛経験の薄い喪女だから」と逃げるのではなく、向き合わなければ――震える息を呑み、瞬きもしない黄金の瞳に向き直った。
「……エメル?」
視線を斜め下へやったまま、硬い胸に手を添える。そして少し開いていた唇に、自分の唇を押し付けた――。
「え、エメルっ……?」
真っ白になった頭に、上擦った声が響く。しかし口を塞いでいるはずなのに、なぜ声が聞こえるのか。
唇を離し、そっと目を開けると。
「……あっ」
なんということか――必死に唇を当てていた部分は、かすかに色づいた頬だった。
「……もしかして、本当は口にしようとしてくれてた?」
「えっ! その……」
「その通り」なんて、言えるわけがない――バクバクと煩い胸を押さえつけ、とっさに離れようとした途端。身体が宙に浮く感覚がした。
「ドラグ様!? どこへ……」
「うん。ベッド、かな」
熱のたぎる瞳と視線がぶつかり、本能的に悟った――食べられる、と。
いくら手足をバタつかせても、ドラグの身体はびくともしない。
こうなったら――「ごめん」と胸の内で唱えつつ、ツノを半ば本気の力で握ると。ビクッと身体を震わせたドラグは、「なに?」と顔を覗き込んできた。
「なに? じゃない! それはこっちのセリフです! 急に何ですかっ!?」
「なにって……いいんじゃないの?」
今まで我慢させられた分を取り返そうとした――キョトンとしているドラグに、もはやため息を吐くしかない。とりあえず夫がいつもの調子に戻ったことにホッとしつつ、足を床へ下ろしてもらった。
「私たち、3か月前に夫婦になったばかりなんです! もっとゆっくり、やってくださらないと……」
それこそプロフィール帳を交換して、お互いについて知るところから初めなければ――休日の遊び相手はもっぱら女友達、そうして勉強と仕事づくめの青春を送ってきた元社畜OLを舐めてもらっては困る。
「……表面上の妻ではなくて、ふつうに愛してくださるのでしょう?」
いつかの洞窟で彼が放った、あの言葉を繰り返すと。
「あれ? 待って、それって……そういうこと?」
期待の目を向けるドラグに、油断していた顔が熱くなった。それでも、きちんと言わなければ――これ以上辛い思いをさせるのは、さすがに酷だ。
「今日限りで、契約婚を解消しようと思います。明日から私たちは、『ふつうの夫婦』ということで――」
言い終える前に、再び身体を持ち上げられた。
「じ、じゃあ、今日から一緒に寝よう」
「ダメです! ゆっくりと申し上げたでしょう!?」
全力で腕を突っ張ったところ、今度は簡単に解放してくれた。
あからさまにしょんぼりするドラゴンに背を向け、「おやすみなさい」と逃げるように扉を閉める。
「はぁ……何なの、あの静かに押してくるドラゴン……」
扉に背を預け、かすかに震えていた膝の力を緩めた。
今は愛より蕪のことを考えなければいけないのに――夫竜の本気の力と色気に、頭がどうにかなりそうだ。早く部屋へ戻りたいと思いつつも、へたり込んだ足が動かない。
この鳴り止まない鼓動を、誰か止めてくれないだろうか――。
「そんな様子でしなだれていては、悪い吸血鬼に血を吸われてしまうぞ?」
「……っ!」
間髪入れずに天井から降ってきた黒い影。妙にニヒルな笑みを浮かべた燕尾服の少年に、本気で心臓を止められるところだった。
いつもならばここで、すかさず「アレスター!」、と叫んでいるが。
「おや、どうかしたかの?」
「……どうせ今のやり取り、ぜんぶ聞いていらしたのでしょう?」
無邪気な微笑みを、気怠げに睨みつけると。アレスターは「少し夜風を浴びんか?」と提案してきた。
確かに、このままでは眠れそうにない。部屋に戻ったところで、ドラグの触れた熱を忘れるため、プロフィール帳の雛形作成に勤しむだけだろう。
毛布を肩にかけてくれたアレスターに連れられ、やって来たのは、月明かりの注ぐ畑だった。
「どうじゃ? お主らの蒔いた種子が、少しずつ芽を出しておるぞ」
「ええ……いつの間にか、成長していたのですね」
ここ3日、毎日様子を見ていたはずなのに。ドラグのことが気になって、きちんと観察できていなかったらしい。
「オーク族」、「エルフ族」、「領主夫妻」と書かれた立て札の下から、それぞれ同じような双葉が土を持ち上げている。
「丘の上は町や森より涼しいからのう。コヤツらが育つにはちょうど良い気候じゃろう」
「アレスターは、野菜作りの心得が?」
「なに、昔放浪していた時に農家を手伝ったこともあった……というだけじゃ」
「長く生きておるからの」、と笑うアレスターの赤眼が、静かにカブの芽を映している。
『シビュラ』では、シオンの隣領ブルームーン・トロイカの領主をしていた彼。それがなぜ、この世界ではグロウサリア家の執事をしているのか――ずっと疑問に思っていたことを口にするならば、今だろうか。
意を決して口を開いた瞬間。
「お主が元気になってよかった」
「……え?」
芽を見下ろしたまま、アレスターは続ける。ここ最近の私は、初めてここに来た時より元気がなくて心配だった、と。
「そう見えていたのですね……」
心配をかけてしまった。きっと、ドラグのことや自分自身のことで気を揉んでいたせいだろう。
明日からは、いつもの自分に戻らないと――そう胸の中で唱えると。
「そうじゃ」
ポンと手を打ったアレスターが、いつもの調子でこちらを振り返った。
「このカブ、魔力を注げば大きくなると言ったじゃろ? ここはひとつ、ワシを肥料がわりに使わんか?」
「肥料がわりって、アレスターが魔力を注いでくださるのですか?」
含みのある笑みとともに、アレスターは頷いた。そしてなぜか、「ただし」と言いつつ自分の首筋に指先を当てている。
「お主の血をもらえれば、じゃがのう」
思わず両手で首筋を隠した。このショタじじ吸血鬼が突然かましてきた、飛び上がるほどに痛い「印付け」はまだ記憶に新しい。
「ははは! 心配せんでも首は噛まん」
指先に、牙の先端で小さな傷をつけるだけ――赤い瞳を妖しく光らせる吸血鬼を、怪訝な顔で見つめると。
「嫌ならば結構。魔力のない者同士知恵を絞って、他の方法を探すのじゃな」
「それは……」
オーク族には作物育成に有利なスキル持ちのカナメロがいて、エルフ族には高い魔力がある。何も方法が見つけられていないのは、私たちだけだ。
「なに、ほんの少しで良い」
でも、なぜ私の血を欲しがるのか。アレスターはその状態でも、十分魔力がみなぎっているはずだ。
こちらをじっと見つめる吸血鬼を見つめ返すと、彼は一瞬だけ視線を逸らした。
「……味が忘れられなくてな」
「え?」
なんの、と訊ねるより早く手を取られた。
私よりずっと小さな手だが、力では敵いそうにない。
「良いか?」
「え、ええ……分かりまし――」
言い終えるより早く、鋭い切先が指に触れた。痛みよりも、異物が皮を貫いた時の、小さな衝撃の方が大きい。
「……っ」
小さな舌が指を這う感覚に、つい身体が動いてしまう。
そして約束通り、彼は少し舐めとるだけで手を離してくれた。すると何を思ったのか、今度はアレスターが自身の指に牙を刺そうとしている。
「まぁ見ておれ」
指先から滴るのは、血――ではなく、半透明の雫。かすかに光を放つそれが双葉に垂れると、雫はすっと消えてしまった。
「美味しそうに飲んでおるのう」
「……見た目に変化はないようですが。今、カブが魔力を吸ったのですよね?」
「左様! これで勝利に一歩近づけたのう」
いつもの微笑みにつられ、目を細めると。アレスターは「そろそろ部屋へ送ろう」と手を差し出してくれた。
せっかく彼のおかげで、『作物祭り』を勝ち抜く希望が見えてきたのだ。明日は早速ドラグと打ち合わせ、さらにカブを大きく育てる方法を考えなければ――これからの計画を練るうちにも、いつの間にか部屋の前へ着いていた。
「おやすみ、奥方殿」
「おやすみなさい」
挨拶を交わしたものの。アレスターの手が離れない。
「アレスター……?」
まさかこの吸血鬼、まだ飲み足りないとか言い出すのでは――さり気なく首筋を隠そうとすると、彼は「おやすみ」ともう一度口にした。今度は妙にキレイな笑顔とともに。
「どうかしましたか?」
「……いや。早く部屋に入れ」
最後に見た顔は、どこか残惜しそうに見えた。
首を傾げつつも自室に入り、すっかり自分の匂いがついた毛布をかぶる。
さっきの何だったのだろうか――この時は、そんな些細なことを気にして眠りについた。
まさか翌日、アレスターの魔力を注いだカブが、あんな事になるとは知らずに。
「……これは」
今度こそ「領主夫妻チーム」のカブの育成方針を決めようと、朝イチで畑へやって来たのだが――。
「なんか葉の色、禍々しいね……」
昨夜より明らかに大きくなった葉っぱが、赤い。それはもう血のように。
「……見たことない色だぁ」
横でオークたちが「魔力なしでも育てる方法」を模索する中、カナメロがこちらのカブに注目している。
「いったい何が……エメル、赤い水でもあげた?」
「いえ……」
思い当たることは確かにある。が、それを口にはできなかった。昨晩のアレスターとのやり取りを、なぜか後ろめたく思ってしまったのだ。
「ともかく、このままでは大きさより味に不安が出そうですわね……」
アレスターの魔力のおかげで、カブが大きく育つ予感はする。
あとは、味をよくする方法を調べなければ――。
次回:吸血鬼の魔力を受けたカブは、どんな子に成長するのか…?




