35話 ちぐはぐメイド
遠くから聞こえる鳥の声に、ふと瞼を開けると。
目の前には、朝日に照らされる神々しい竜人の顔があった。
「なっ……!」
つい身を引いてしまったが、そういえば――昨晩はただベッドに横たわり、お喋りしていたのだった。いつの間に寝落ちしたのだろう。
『せっかく落ち着いたと思ったのに、賑やかになっちゃったから……』
2人きりの時間が減るから、とドラグに誘われたのだ。それに彼は、『妻のことをどれくらい知っているのか?』、というイオの言葉がずっと引っかかっていたらしい。それを機に、質問大会をしようと私から提案した。
「……楽しかったな」
少し幼く見える寝顔を見つめていると、昨晩の会話を思い出す。
ドラゴンの血が流れているというのに、実は肉より魚派。食の好みは似ている。それから驚いたのは、彼は図書館の本の場所をすべて把握していること。
彼の内面について聞けば聞くほど、まだ知らない顔を知りたくなる。
これまでは、ドラグと深く関わることを避けていたが――友人のように語り合えるのなら、この関係も悪くない。
「……好き、だけど」
これは恋ではない。そう言い聞かせなければ、自分が辛くなる。私は「エメル」ではなく、「匡花」なのだから――。
余韻に浸る間もなく、ドラグを起こさないようにベッドから降りた。
「……レヴィンに会わないと」
資材は無事戻り、すべて解決――とはいかない。
『お前が匡花……なの?』
遺跡からの逃亡前に、彼女が放った言葉。
エメルレッテの中に、「匡花」がいると知っているのか。
彼女と、一度ふたりで話さなければ。
「でも、どう言えば……わっ!」
突然、背後から伸びてきた腕が腰に巻きついた。とっさに振り返ると――。
「ドラグ様……?」
寝ている。いや、これは寝たふりに違いない。焦るこちらを見て、笑いを堪えている。
「ドラグ様!」
「ごめん……さっき、『好き』って聞こえた気がして」
期待の目で見上げるドラグに対し、視線を逸らすと。いきなりベッドの中に引きずり込まれた。
「ちょっ、ドラグ様なにを……!」
シーツの中で影を帯びた瞳が、深い黄金の光を放っている。その真剣な眼差しに、誤魔化そうとした口が動かなくなった。
「もう一回。ちゃんと目を見て、言ってほしい」
「えっ……?」
このダウナー系ドラゴン、どんどん押しが強くなっている。
覚醒したばかりの身体が密着して、熱い――私の心がまだ、彼に向き合えていないというのに。
「やっぱり嫌い……なの?」
真っ直ぐ見つめられ、顔に熱が集まっていく。心臓が痛いほどに鳴っている。
ここで選択肢を誤って、以前のように彼を傷つけたくないが、本心を明かすわけには――。
「おはようございますご主人様ぁぁぁ!!」
寝室を揺らすほどの咆哮に、身体中の熱が一瞬で冷めた。
「なっ、何事ですか!?」
慌てて薄暗いシーツの中から飛び出すと。扉を突き破る勢いで入ってきたのは、浅黒い肌に小さなツノが特徴的なオーク族の大男――ではなく。フリルエプロンから、隆起した筋肉がこぼれるメイドオークだった。
「なっ……え、エメル、あれ、なに」
未知との遭遇を果たしたドラグは、黒スカートから伸びる生足へ釘付けになっていた。
「脳が拒否したい気持ち、お察ししますが……あれは一部の界隈で人気の『筋肉メイド』ですわ」
『シビュラ』で実装されていた、キャラクターの着せ替え機能。筋骨隆々の漢たちに、あえてメイド服を着せる遊びが流行った時期があったが――朝イチで見るには刺激が強すぎる。
「む。これがグロウサリア家に奉仕するものの制服と、執事から聞いたのだが。着こなしに問題でもあるのか?」
「それ以前の問題だよ、オッサン」
筋肉メイドの背後から、ゆらりと現れたのは。
「レヴィン……!」
彼女のメイド服姿は、ゴシックロリータの時と同じで、申し分なく病みかわいい。
「ご挨拶しろ」、とジュードに背中を叩かれそうになるも、彼女は透けることで彼の手を回避した。
「うおっと危ない」
「こら! 透明化するな!」
ドラグが憂慮した通り、3人だけのお屋敷が急に賑やかになった。
バタバタと追いかけっこをするジュードとレヴィンを眺めながら、ドラグと顔を見合わせていると。さらにやってきたのは、笑いを堪えたアレスターだった。
「ククッ、おはよう……あははは! もうダメじゃ」
間違いない。このちぐはぐメイド、ショタじじ吸血鬼の企みだ。
「アレスター……神官で遊ばないで」
ドラグの忠告に、アレスターは笑い混じりに「別によかろう?」と答えた。
「こっちは被害者ぞ?」
「被害者だからって、何やってもいいわけではありません!」
アレスターとのやり取りに、レヴィンが声を上げて笑い出した。彼女はすうっと宙に浮き、天井を漂いはじめている。
「ボクは何着てもかわいいけど、オッサンのそれはケッサクだよなぁ!」
ジュードは宙をさまよう幽霊メイドを睨み上げていたが、やがてため息とともにこちらを振り返った。
「ところで領主代理!」
「は、はい!」
筋肉メイドの威勢に釣られ、大声で返事をしてしまった。差し出されたのは、1通の手紙――文字は見当たらないが、魔法の音声が吹き込まれているようだ。
「昨日は渡せなかったが、青色のゴーレム親子から預かったものだ」
「えっ……ランド社長とシカクから?」
手紙の封を開けた瞬間。
『エメル、久しぶり、元気?』
『我が息子よ! 用があるのは父なのだからな、挨拶はほどほどに!』
久々に聞くやりとりに、思わずクスッと笑ってしまった。
『貴様のおかげで、我が社は貴重な資材を取り戻すことができた。感謝する』
「……社長」
『よって我が社は総力を挙げ、エメルレッテ・グロウサリアの領地開発に協力しよう』
社長の「用」とは、盗難事件の解決を引き受けた時に交わした約束の件だったのか――。
「エメル、やったね……!」
「ドラグ様……ええ、ありがとうございます!」
これで今後の領地経営では、建築関係で悩む心配はなさそうだ。シオン唯一の建築会社が味方についたのだから。
手紙を伏せ、天井を漂うレヴィンを見上げると。こちらが何か話す前に、彼女は不機嫌そうに顔を背けた。
「……なに?」
「いえ。お会いしたのかなぁ、と」
ゴーレムの会社へ資材を返しに行ったのならば、そこに住み込みで働いているウェアウルフたちと再会できたのだろうか。
『待って、お姉ちゃん!』
ララミィをはじめ、彼女たちはレヴィンとの別れを受け入れられていないようだった。そのことについて、静かに話すと。
「……ボクはもう、アイツらなんかと会いたくない」
本当にそうなのか。
『匡花……そいつらは悪くないから』
あの時のレヴィンの言葉は、ウェアウルフたちを庇うもののように聞こえた。
「あーあ。アンタがつまんないこと喋るから、ボクやる気なくなったなぁ……さぁて、どこで暇を潰そうか」
「レヴィン! その口の聞き方はなんだ!」
今はこれ以上踏み込まない方がいい――あとは2人きりになった時だ。
それにレヴィンの知る「匡花」について、今度こそ尋ねなければ。
「エメル……こんなところに、どうしたの?」
厨房を見回したが、レヴィンの姿はない。いつも通り、エプロン姿の夫がランチの準備をしてくれているだけだ。
「いえ、その……ら、ランチの献立が気になりまして!」
レヴィンを探していると言えば、「なぜ」と問われることは目に見えている。
言い訳が苦しすぎるが、ドラグは首を傾げつつも微笑んだ。
「……もし気になるなら、ちょっと味見、する?」
「え、ええ! では」
ドラグが素手で砕いていたのは、クルミのような形の木の実。それがふんだんに振りかけられたミルクとコーンのスープの、香ばしい匂いだけでよだれが出てくる。
匙を受け取ろうと手を出したのだが。スープの乗った匙の先が、軽く唇をつついた。
これは、まさか――。
「あ、あの、自分で食べられますから」
「ん……」
真っ直ぐな瞳に見つめられると、嫌とは言えなくなる。引く様子のないドラグに折れると。スープのほんのり甘い香りが、口内に広がった。
「お、美味しいですわ。いつも通り」
まさかバカップルの所業を、異世界で自分が経験することになるなんて。
「あっ、唇についてる……」
「えっ」、と声を上げるとほぼ同時に、黒い指が頬に触れた。何かを訴える瞳が、少しずつ近づいてくる。
互いの吐息を感じるこの距離を、私はもう何度も経験してきた。
唇を重ねた記憶があるのは、一度だけ。あの時の熱を思い出すと、身体が震えてしまう。
「あ……あのっ」
こんな時に限って、頼みの綱であるアレスターが来る気配はない。身体が、動かない――ぎゅっと目を瞑った瞬間。
「……やっぱり」
低い声と同時に、熱が離れていった。
おそるおそる目を開けると。夫は黒いまつ毛を静かに伏せ、微笑んでいる。
「僕とこういうことするの、嫌なんだ」
「あ、あの……」
「ごめんね、分かった……触れられなくても、君は僕を信頼してくれてるんだ」
離れないなら、それで良い――震える声が響く。
彼は「食堂の準備してくるね」と言い残し、厨房を出ていった。
「あ……」
手を伸ばしても、もう遅い。
「あーあ」
「……っ!」
背後からの声に、全身がビクッと跳ねた。
食器室から出てきたのは、布巾と皿を手にしたレヴィンだ。アレスターに言い付けられた仕事の最中だったのだろう。
「今の、全部見て……」
「言っとくけど、出ていく前におっぱじめたのはアンタらだから」
ドラグも、彼女がいることに気づいていなかったのか――肩を落としていると、レヴィンは不思議そうに首を傾げた。
「どうして夫婦なのに拒むの? 潔癖なの? それとも、種族あるある?」
種族が違うと、性的関心が相手に向かないことがある――そんなことを言い出したレヴィンに、思わず頭を抱えた。
そうでないからこそ、悩んでいるというのに。
「種族が違うとままならないこともあるよねぇ。ボクもオッサンといるから、キョーカの気持ち分かるよ」
また――。
この悩みは誰にも言えないと思っていた。それでも、なぜか自分を元の世界の名前で呼ぶレヴィンには、少し話してみても良いかもしれない――。
「……貴女がおっしゃる通り、私は『匡花』です」
自分は「匡花」であり、「エメル」ではない。これ以上ドラグに惹かれれば、一生嘘の自分を演じ続けることになる――震える声を抑え、そう告白すると。
「ああ、そういうことか」
半透明の彼女は、淡々と発した。
「アンタ、『匡花』が死んだことを受け入れられてないんだ」
「え……?」
そんなこと、思いもしなかった。
「だから、転生先の『エメル』と、元の世界の『匡花』を切り離して考えてる。そうすれば、いつか元の世界に帰れるとか……思ってないよね?」
いつか帰れる――その言葉に、息ができないほど胸が締めつけられた。
自分自身でも気づいていなかった、心の奥の願い。それを覗かれた気がする。
息が、うまくできない――。
「エメル、いちだいじ……!」
聞き覚えのある声と同時に、玄関から激しい音がした。
「あ……行かないと」
玄関ホールにいたのは、息を切らしたニシカだった。
「エメル! 東にあるエルフの森に……」
オーク族が攻めてきた。
震えるニシカの声に、揺れていた思考が引き締まった。
「どういうこと……ですの? まさか、シオンに攻め込もうとしているのですか?」
「わからない。でも、武器もったオークたちが森にいるのは、ほんと」
オーク族は元々戦闘民族で、荒くれ者も多い。いったい、彼らがシオンにやって来た理由は――ゲームと同じで、オークは領に攻め入るゲリラエネミー的立ち位置なのか。
さっきの会話の衝撃で、頭がうまく回らない――乱れる息を、必死に整えていると。肩に黒い手がそっと触れた。
「エメル……」
振り返ると。少し目を腫らしている夫が、意を決したように頷いた。
「行こう。ギルドの傭兵たちに声をかけて……すぐに対処しないと、領民が危険になるかも」
以前はロードンの前に出るだけでも、拒否して怖がっていたのに――積極的になった夫の変わりように焦っていたが、こういう時は本当に頼もしい。
「是非同行させてくれ!」
慌ててスーツに着替えてきたのだろうか、ジュードは深刻な表情で玄関ホールに入ってきた。一方、レヴィンは「むさくるしーのはパス」とどこかへ飛んで行ってしまう。
「同胞とはいえ、俺が説得しきれるとは限らん。戦いになるかもしれんからな、覚悟しておけ!」
戦い――それでも今は、1人じゃない。
一度だけ深呼吸し、拳を強く握る。
「……行きますわよ!」
頼もしい夫と神官。彼らを引き連れ、玄関ホールを飛び出した。
次回:オーク族が攻めてきた目的とは…?




