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29話 竜のくしゃみ

 エメルレッテの身体が、かすかに震えている。おそらく彼女も、そして匡花(わたし)も、この感触を知らない。息を吸う間もなく、硬いものが唇に当たる――牙、だろうか。


「って……ちょ、ちょっと待って! いやですこんな意味分からない流れで」


 身体に覆い被さる熱の塊に、思わず蹴りを入れたところ。その程度では揺らぐはずもない頑丈な夫が、素早く身を引いた。

 表情は分からないが、少し目が慣れてきたおかげで、輪郭くらいは何とか見える。


「ええと……ドラグ、様?」


 正気に戻ったのか、己の行動を悔いているのか、シーツにくるまったまま動かない。


「……別に怒っていませんから。なぜこのようなことをなさったのか、教えていただけないかと」


「怒ってない」というワードの力か、ようやくドラグはシーツを捨てた。サイドテーブルのランプに火を灯すと、今にも泣きそうな顔がこちらを見上げている。


「怒っていいよ! むしろ君は怒ったほうがいい! 僕は君の気持ちを考えずに、子どもさえできれば離れられなくなると思ったんだから」

「えっ……?」


 今、耳を疑う言葉が飛び出たような――。


「こ、子ども……?」


 夫は金色の瞳に涙を溜め、深々と頭を下げた。


「本当にごめん、怖かったよね。もう一生手の届く距離に近づかないから、どうか捨てるのだけは……」

「いやいやいや、待ってください。『最終手段』って、まさかこれのことですか?」


 夫の濡れた頬を両手で挟み、こちらを向かせると。怯えるような視線が、ベッドの端へ逃げていった。

 まさか彼にこんな――ある意味度胸のある行動がとれたなんて、いまだに信じられない。


「暗い竜より明るい人間の方がいいって気持ちは分かる……だから最初は君のこと、応援しようと思ったんだ。でもダメだった。君が他の人と結ばれるのだけは、どうしても!」


 子どものように涙を流す彼を見ていると、こちらまで目の奥が熱くなる。最初は政略結婚だったはずが、いつの間にここまでエメルレッテのことを想うようになっていたのか――。


「あの、ドラグ様……」


 そう、あれは誤解。イオに得体の知れない安心感を覚えてしまったのは事実だが、恋愛的な感情はないというのに――イオの名を出す前に、ドラグはそっとベッドから降り立った。


「ごめん、情けなくて……(イオ)が町で言ったこと、本当にその通りだと思う」


『彼女は盗難事件を一刻も早く解決しようと動いています。それに比べ貴方は何です?』――あれのことだろうか。


「でも、ドラグ様は……」


 隣にいてくれるだけで良いのに――そう言いかけて、とっさに口をつぐんだ。こんな慰めが、はたして彼のためになるのだろうか。

 言葉を選ぶ間にも、ドラグは扉を開けて出て行こうとしていた。


「ドラグ様、どこへ……?」

「身体、震えてるよ。もう、ずっと……」


 初めて気づいた。ドラグの言う通り、指先までかすかに揺れている。


「そんなに怯えるくらい、()()嫌だったってことだろ……大丈夫、もう消えるよ」

「ち、ちが――」


 否定の言葉は、ドアの音にかき消された。

 ひとり残されたベッドを見下ろすと、思い出してしまう。抗えない力、緊張のこもった息、熱い唇――顔から火が出そうだ。


「でも怖かった、っていうより……」


 初めてのことに身体がこわばっていた、というのが正しい。こうして誰かに触れられるのは、彼が初めてだったのだから――前世も含めて。


「寝たら忘れ……ないな。これは」


 そうして夜通し冷めやらぬ熱に悩むうちに、不眠のまま朝を迎えてしまった。


「…………眠い」


 しかしイオとの約束がある。再びギルドで待ち合わせ、今日も事件の調査に行かなければ――フラフラとした足取りで正面階段を降りていくと、玄関ホールの隅に誰かの影があった。


「……おはよう、エメルレッテさん」

「ドラグ様!? どうして……」


 あちらも寝ていないのか、顔色がいつも以上に悪い。そして顔を合わせようとしない――顔をまっすぐ見られないのは、こちらも同じだが。


「一晩、考えてみたんだ……僕が今、君のために何をすべきなのかってこと」


 とにかく冷静になって、領主代理を支えるスタンスに立ち返ってみようと思う。イオに関係なく――ドラグは牙を見せながら、そう静かに言った。


「『妻と夫、それぞれ対外的な役割のみを果たす』……君と新婚初日に交わしたのは、そういう契約だっただろ?」

「ええ。仰るとおり……ですわ」


 せっかくドラグがまた部屋から出てきてくれたというのに、以前より遠く感じる。

 自分でした契約が、望んだ形で機能しているはずなのに――自分勝手にも、「寂しい」と思ってしまう。


「行こう。(イオ)も待ってるんでしょ……?」

 

 ドラグの言う通りだ。夫婦の問題も重要だが、まずは何より事件の解決を急がなければ――せっかく見えてきたものが、逃げてしまうかもしれない。

 頼りになる反面、夫婦をかき乱す名助手イオを迎えに行くため、ギルドへ向かうと。


「えっ! まだ戻っていないのですか?」

「そうなのよ〜。鬼水雲(おにもずく)大量発生で、セイレーン族の港は大混乱ですって」


 シンシアの娘たち含め、ギルドの冒険者たちは朝から総出で駆除に出ているという。


「エメルに『申し訳ありません』って伝言を預かったの」


 犯人探しに彼がいないのは不安だが、災害級の大量発生には対処しなければならない。セイレーンの港が機能しなくなると、毎朝ドラグが焼いてくれる魚が食べられなくなってしまう。


「シオンで出回っている貴重なタンパク源は魚ですし……仕方ありませんわね」


 シンシアの特製キノコーヒーを2杯注文し、カフェのテラス席に出た。朝のコーヒーを飲んで、徹夜明けの頭を回さなければ。

 状況の整理がてら、ドラグにこれまでの経緯を説明しよう。


「ふたつの盗難事件……1件目がクリスタル族の結晶石。2件目がゴーレム族の魔性ツリー……どっちもシオン特産の資材だね」


 資材を集めたがっていた偽ブラックが、ふたつの事件に関わっていることは間違いない――そうドラグも断言する。


「ゴーレム族の倉庫の中から、獣族のものと思われる赤茶色の毛が見つかったのですが……太古の遺跡に棲みついた、ララミィという子狼の体毛と同じ色だったのです」


 また毛に関して、シカクが明らかに何かを隠している様子だとも付け加える。

 思考の時間を待ちたいところだが、話はまだ終わっていない。そのララミィがもつ【スキル:擬態】、そして子狼たちを養うレヴィン――。


「ですが、ララミィの持つスキルはひとつでした。むしろ素性を偽るレヴィンの方が、魔法に加えふたつ目のスキルを隠し持っているようなのです」

「そうか……偽ブラックは【擬態】の他にもうひとつ、隠された力を持ってたんだよね」


 ドラグはカップの中に視線を落としたまま、口を閉じてしまった。

 繋がりそうで、繋がらない――噛み合わない感覚の謎について、彼はどう思うだろうか。


「人間を自称するレヴィン。幽霊の仕業だっていう狼たち。エメルレッテさんの友達のシカク……全員秘密を抱えているけれど」


 人に目を向けて行き詰まっているのならば、人ではなく資材の行方に目を向けてみたらどうか――ドラグの言葉に、思わず目を見開いた。


「でも、どうすれば?」


 盗まれた資材がどこにあるのか、今は見当もつかない。

 

「とにかく、倉庫に行ってみない? やってみないと分からないけど……」


 何か策がある様子のドラグと一緒に、ゴーレム族の森へ向かうと。今日も倉庫の前で仁王立ちしているシカクが迎えてくれた。


『エメル、竜の夫と仲直り、良かった』

「ま、まぁ当然ですわ! それよりシカクの方は、犯人について何か分かりました?」

 

 シカクは青い膝を地面にめり込ませ、ため息混じりに座り込んだ。どうやら進展はないらしい。

 

「ここで見つかったものは、赤茶色の毛とキノコが生えた木片だけ、ですわね」


 犯人の痕跡はもう出尽くした気がする――そう呟くと、背後のドラグがそっと肩に触れた。


「痕跡が目に見えるものとは限らないよ。盗まれた資材が魔性ツリーなら、アレが残るはず……」


 これまでと違い、積極的に意見を発する彼を、「アレ?」と見上げたところ。シカクがずしんと手を叩いた。


『そうだ。魔性ツリーが動くと、アレ残る』

「アレって……?」


 その時だった。ドラグが肩を震わせたのだ。


「はっ、クシュ!」

「あっ……そのくしゃみ、あの時の!」


 あれはパープル博士の研究所を初めて訪れた時――魔性ツリーの特性は、魔力を帯びた黄金の粒子を放つことだと博士が説明してくれた。あの時ドラグは、そのせいでくしゃみを連発していたのだ。


「目に見えない痕跡って……! ドラグ様、追えるのですか?」


 魔法に敏感なドラゴンの鼻は、魔性ツリーの黄金粒子に過敏に反応する。これほどの量の資材が動いたのならば、その跡を追えるかもしれない――ドラグの考えに、かすかな希望が湧いてきた。


「……ックシュ! ゔん……づらいげど、いけるかも」


 たしかに鼻が壊れてしまわないか心配だが、他に思いつく方法はない。


「ドラグ様、ファイト!」

『ボク、ここ離れられない。竜の夫、がんば』

 

 ドラグは頷きつつ、あえて鼻がムズムズする方へ向かっていく。その後を追って、森の中に踏み入ると。


「うわっ……金色の粉が舞ってるのを見るだけで、鼻がかゆくなるよ。前は森の中に入らなかったから見えなかっただけで、こんなにあったんだ」

「私には何も見えませんが……」


 試しに右目へ意識を集中させると、キラキラと舞う何かが陽の光に照らされている光景が見えた。くしゃみを連発するドラグと一緒に辿っていくと――小さなくぼみに足を引っ掛け、転びそうになった。それも一度ではなく、何度もだ。


「もう! 何なんですのこの森! 足場が悪いったら……」


 先ほどから歩く道が、妙に凸凹(でこぼこ)している。しかし前を歩くドラグは、くしゃみと闘いながらも粒子の濃い方向へ進んでいる。はぐれるわけにはいかない――。


「あら? ここは……」


 深い森の奥から、爽やかな風を感じる。この先はたしか、他領との境界である湖が広がっているはずだ。


「……ここで途切れたよ」

 

 細かい白砂の浜には、海の上に立つ壁のない小屋がいくつも見渡せる。ここはセイレーン族が漁をして暮らす港なのだが――今は何人もの冒険者たちで賑わっていた。


「大量発生した鬼水雲(もずく)の駆除が終わった……みたいだね」

「でも、魔性ツリーは見当たりません」


 ここは見晴らしがよく、洞窟などはない。

 仕事終わりのセイレーンたちに一声かけようと、山ほど水雲の入った網を手にする彼らへ近づいたところ。


「これはエメルレッテ様! なぜこのようなところへ?」

「イオさん、お疲れ様ですわ」


 チラッと背後を確認すると。ドラグはイオから視線を逸らし、私の背後で小さくなっていた。


「これは旦那様、ごきげんよう」

「……別に機嫌は良くないけど」

 

 やはり、こういうところは変わらない。

 とにかくイオに取り持ってもらい、資材の行方について知るセイレーンがいないか、確認しようとすると。


「これは何とタイミングの良い! 依頼を受けた時は思いもしませんでしたが、鬼水雲も資材の行方に関係があったのです」

「え……?」


 額の汗をハンカチでぬぐったイオは、いつもの涼し気な視線を海へ向けた。そもそもギルドが鬼水雲駆除の依頼を受けたのは、資材が盗まれたのと同じ3日前。


「鬼水雲は魔力に反応して増殖するらしいのです。もしかすると、盗まれた魔性ツリーが船で運ばれたのでは?」


 その際に海へ落ちた黄金粒子が、鬼水雲を増殖させたのでは――イオの推理に、思わず「おおっ」と声を上げてしまった。確かにそれなら、つじつまが合う。


「でも……(ここ)まで、犯人は資材を一晩で運んだってこと?」


 そんなことができる種族は限られてくる――やはり最初の疑問へ立ち返ることになるのか。


「それも分かっておりますよ。どなたかは分かりませんが、どの種族がここまで資材を運んだのか」

「えっ、どの種族なのですか!?」

「それはゴ――」


 イオが口を閉じた瞬間、地鳴りのような音が聞こえてきた。振り返ると、森の中から青い巨体が飛び出してくる。

 

『おーい、エメル、いた』

「シカク! なぜここに?」


 見張りを交代してもらい、竜人と人間の並ぶ足跡を追ってきた――そう言いながら近づいてくるシカクに向けて、イオは迷いなく指をさし向けた。


「彼らの仲間ですよ、エメルレッテ様」

次回:犯人確保…? 少しずつ変化する夫竜の意識も必見!

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