26話 推しモドキ、再来。
エメルレッテの細腕を、強引に引いた竜人――黒く大きな手の持ち主は、まるで「推し」のような堂々たる振る舞いでこちらを見下ろしていた。
「帰るぞ、我が妻よ。もう日も暮れるというのに、いつまでよその男と出歩いているつもりだ?」
黄金に輝く瞳、漆黒の髪、威厳を感じさせる長身――いや、冷静に考えよう。元の世界の推しは、画面越しでしか会うことの叶わなかった完全なる竜だ。どう見ても半竜半人、この腕に触れている彼は、この世界のドラグに違いない。しかし人が変わったかのような態度と陽オーラは何なのか。
「どうした? まさかぼ……俺に見惚れているのか? やはり堂々とした男が好みなのだな」
明らかに無理しているが、これは指摘して良いのだろうか。
「失礼、ドラグ様……ですよね?」
擬人化したドラグ様が現実にいたら、こんな感じなのかもしれない。「元の世界の推し」と「この世界の推し」の完全融合体――完璧なはず、なのだが。「これじゃない」感がすごいのは、なぜなのだろう。
きっとグロウサリア家に転生したばかりの私だったら、彼の姿を見て尊死したに違いない。しかし今は――。
何かを期待するドラグから視線を逸らすと、傍らでイオが興味深げに彼を見つめていた。
「ほう、これは面白いですね。旦那様は、エメルレッテ様の好みに寄せようと努力なさったのですか?」
「イオさん……!」
火に油を注がないでほしい――しかしイオの挑発に対し、ドラグは表情を変えず口を開いた。
「妻が敬愛する『オシ』とやらについて、執事から聞いた。俺は……この姿のほうが、彼女の望む夫に近いのではないか?」
「ドラグ様、それは……」
たしかにアレスターと「推し談義」をした覚えはあるが、「推しに寄せてほしい」とドラグへ望んだ覚えはない。それにどう見ても、無理をしているようにしか見えなかった。
「別に、こんなことを望んだわけじゃ……」
思わずこぼれた小声に、隣のイオが口元に指を当てて笑った。
「なるほど。では旦那様は、奥方のことをどれくらいご存じなのです?」
「……何?」
「例えば、彼女が愛用する化粧品は『トウキョウト製』だとか、朝起きて最初にするのは『猫のポーズで伸びをすること』だとか。そういった細かい部分ですよ」
イオの言葉に、ドラグの表情がかすかにこわばった。
いや、そもそもイオがなぜ私のモーニングルーティンを知っているのだろうか。
「イオさん、その辺でもう……」
「では、奥方が現在考えていることは?」
いつも細められている碧眼が、一瞬だけ鋭く開いた。一方のドラグは言葉に詰まっている。
「エメルレッテさんが……何を考えてるか?」
首をひねったまま固まるドラグを、イオは強い眼力で見上げた。いつもとは違う雰囲気に、鳥肌が立つ。
「領主代理として働く彼女は、盗難事件を一刻も早く解決しようと動いています。それに比べ領主の貴方は何です? 奥方の周りをコソコソ着いてまわるだけ、あまつさえ彼女の気を引こうとこのような――」
「イオさんストップ!」
イオの指摘はもっともだが、彼はドラグの事情を知らないからそこまで言えるのだろう。
私の後をついて外を回れるようになっただけでも、大した変化だと感じていたのだが――甘やかしすぎだろうか。
「私の方が、今は彼女を支えているように見えますが? ねぇ、エメルレッテ様」
「え……そう、かも?」
時々イラつくが、助手として役立ってくれていることは事実だ。しかしドラグがいてくれたからこそ、ここまで来られたというのに――そう口を開く前に、ドラグの周囲の温度が急速に落ちていった。
「……そうか。暗い欠陥品より、明るくて頼りになる男が、君の隣にいた方が……」
不穏な呟きを残し、ドラグは黒い影を纏った翼を翻した。
「ドラグ様!」
呼び声は届かず、彼は人混みの中へと消えていく。
「どうして、こんな……」
何が彼をここまで不安にさせてしまったのだろうか。
『抱きしめた時も、き、キス……したいって言った時も、君はなんか後ろめたそうな感じがしてて』――ギルドでイオと出会った時、ドラグはそう言っていた。
私が「エメルレッテ」ではなく「匡花」であることが引っかかって、ドラグに遠慮していたから――?
それとも、私がイオを助手として認めたからか――。
「エメルレッテ様」
落ち着いた声に弾かれ、顔を上げると。「今日はもう帰りましょうか」、とイオはいつもの調子で微笑んだ。
そうだ。帰ってドラグと向き合わなければ――しかし胸の奥がズキリと痛み、声が出ない。
「エメルレッテ様……?」
「ま、まだ日は落ちていませんし、もう少しだけ街の様子を見ましょう! せめて何か、手がかりを見つけませんと……」
イオに背を向け、深く息を吸った。
今の私は、ただの無力な人間ではない――この右目を全力で使えば、何か分かることがあるかもしれない。
「……今は、事件解決が最優先」
自分に言い聞かせるように呟き、じんわり熱くなる右目を手で覆った。温度を増す瞳が、溶けそうなくらいに熱くなってもまだ止められない。
もっと、もっと、もっと――町全体を透過するほどの力でなければ、いつまでも犯人は見つからない。
「エメルレッテ様、おやめになった方が……」
イオの手を払いのけ、大通りを一通り見回した。スキル情報の載ったダイアログが現れては消え、次々と枠を塗りつぶしていく。
「っ……!」
突如、頭に鋭い痛みが走った。
「もうおやめください!」
強い声に集中が弾け、目の前が揺れた。ふらついた拍子に、鼻の下と唇を生暖かいものが流れていく。
「えっ……血?」
「エメルレッテ様!」
鼻血が石畳に広がる中、イオの手が肩を強く掴んだその時――。
「……っ、このスキル……!」
目に映る膨大な情報を少しずつ閉じ、ひとつだけ際立つ強スキルを残した。
【緑の大地EX・レベル11】――対象がフィールドにいるだけで、森林エリアの自然回復効果を生み出す強スキルだ。ゲームではかなり重宝した能力の持ち主が、長い珊瑚色の髪をなびかせ振り返った。
「オマエは――」
「ナノ……? えっ、ええ!?」
レベルはかなり低いが、これは使える――目を見開いているナノに駆け寄ろうとすると、イオの腕に阻まれた。
「落ち着いて、まずは止血しますから」
「おい領主の妻!」
相変わらず2.5次元俳優並みのルックス――ナノは半透明の羽をはばたかせ、恐ろしい形相で向かってくる。
「やっと見つけた! いつまで私との約束を放置するつもりだ!?」
「約束?」
「ふた月前の」、と高圧的にこちらを見下ろすナノを見つめながら、思考を巡らせると――そういえば転生直後、彼がグロウサリア家の屋敷を訪ねてきたことを思い出した。『ゴーレムの森林開発を止めろ』――そう談判にきた彼を、「不幸イベント」だと追い返してから、もうそんなに経っていたのか。
「あ……え、ええと、その……」
思わず目を泳がせると、ナノは組んでいる腕に力を込めた。
「『森を育てることのできるノームを、公費で雇う』――そう約束したな?」
確かにした。忘れていた、と言える雰囲気ではない。しかしこちらも忙しかったのは事実だ。正直、ゴーレム族とエルフ族の問題は急務ではなかった。それよりも、乱暴者のロードンに対処したり、資材を盗んだ犯人を探したりする方を優先しただけで――流れる血をレースのハンカチで押さえつつ、「もう少し待って」と告げると。
「まったく……」
ナノは大袈裟なため息とともに、沈みゆく夕陽へ視線を向けた。
「オマエの方が、あの引きこもり竜より多少はマシだ。姉さんから盗難事件のことも聞いている……だが、これが終わったらすぐに話し合うぞ!」
意外だ。最初はあんなにしつこかったナノが、すんなり妥協してくれた。
「……姉さんがオマエに感謝していた。暴走を止めてくれたと」
「ミス・グラニーが?」
なるほど。ナノがおとなしく引いたのは、そういうわけか――シスコン弟の姉へ、心の中で感謝した。とりあえず当分、ナノが騒ぐことはなさそうだ。
「……はぁ。こちらも新しい問題が発生して大変だという時に、盗難事件とはな」
「新しい問題?」
盗難事件3件目は勘弁してほしい――そう願いつつ、ナノの言葉を待つと。彼は「狼だ」と吐き捨てるように呟いた。
「最近、我らの神聖な遺跡に狼どもが住み着いたんだ。エルフの森と遺跡は繋がっている……獣族なんかに棲みつかれたら、厄介だと思わないか?」
狼、獣族――つい最近、そのワードを聞いたような気がする。ふとオレンジ色の地面に視線を落とし、沈黙を貫いていたイオを振り返ると。
「覚えていますか? 赤茶色の毛……その遺跡に棲みついた狼の毛は、いったい何色なのでしょうね」
「あっ……!」
そうだ。ゴーレム族の倉庫でイオが見つけた、獣族のものらしき毛――繋がっている気がする。これは無視できない情報だ。
「明日、さっそく遺跡を調べに行きましょう」
「……我らの森に入るのは構わんが、神聖な遺跡を荒らすなよ」
終始無愛想だったナノと別れ、ひとまず今日は屋敷へ帰ることにした。ギルドの宿泊施設に滞在するイオは、わざわざギルドを通り過ぎ、丘の上に立つ屋敷の門前まで送ってくれた。
「ではまた明日……ギルドで待ち合わせですわね」
「ええ、おやすみなさい。旦那様と和解できると良いですね」
まったく、どの口が言うのか。
ただ今回の件は、イオだけのせいにはできない。ドラグの妻として、きちんと向き合わなければ。
「おおっ、奥方殿! 身体は平気かの?」
溺れたことを気にかけているのか、人を驚かせることが大好きなショタじじ吸血鬼は、いつものように上から降ってくることはしなかった。
玄関先に出迎えてくれたのは、アレスターだけ――。
「……ドラグ様のご様子は?」
アレスターは笑顔を保ったまま、正面階段を振り返った。
「あやつなぁ。帰ってから部屋にこもりきりじゃ……昼頃に、あんな堂々と屋敷を出発したのじゃが」
以前アレスターに話した、「推しのドラグ様」の情報を聞き出したドラグは、アレスターの演技指導を受けて屋敷を出たという。
「『強引』で『勇ましい』ドラゴン、あやつはお主の推しに近づけていたか?」
「まぁ……そうですわね」
きっと推しが擬人化したら、ああいう風になるのかもしれない。しかし――。
「ドラグ様は、あのままで良い気がしたのです」
他人と話すときは視線が合わず、黒いオーラをどんよりと纏った、竜人らしからぬ彼。それでも私は知っている。意外と人のことを見ていて、ホットミルクを差し出してくれた彼の優しさ。自分も怖いのに、ロードンから私を守ろうと奮い立つ勇気。そして何より、ここまで隣にいて支えてくれたのは、「推し」ではなく彼なのだ――。
「うむ。それを直接言ってやれ」
「でも……」
小さくも力強い手に押され、ドラグの部屋の前に立たされてしまった。しかも「奥方殿がお越しじゃ」、と扉を叩いたのだ。
「ちょっと、アレスター!」
「……エメルレッテさん?」
中から響く、少し枯れた声に胸が小さく鳴った。
怖い。でも、言わなければ――。
「あ、あの、ドラグ様……」
「……いいんだ。もう、ここまで来たら……最後の手段に出るしかないかなって」
最後の手段――物騒な言葉に、頭が締め付けられた。
「……心の準備が必要なんだ」
気がかりな言葉を残したまま、それ以上ドラグの声は聞こえなくなった。
「最後の手段……心の準備って?」
嫌な予感がする。まさかシオンを出ていく気なのでは――扉を叩いても、声をかけてもドラグの反応はない。頭と胸を不安が占めたまま、扉の前で立ち尽くすしかなかった。
このまま夜を明かして、本当に良いのだろうか――。
次回:追い詰められた夫竜の、最後の手段とは…?




