25話 領主代理のマニフェスト
必死の思いで助けてくれた、助手の背中に手を回す。暖かい温度に懐かしさを感じつつも、ガサガサと動く茂みを振り返ると――黒い巨体が、木の葉を纏いながら這い出てきた。
「い、いつの間にそんな仲良くなったの……?」
黒い鱗が頬を覆い、背中の翼がいつもより大きくなっている――半分竜の姿になりかけている夫の黄金眼に見つめられ、落ち着いていた心臓がドッと音を立てた。
「ドラグ……様?」
推しの「ドラグ様」を彷彿とさせる姿を前にすると、やはり目が奪われてしまう。
「……ヤバい、推せる」
「エメルレッテ様?」
真下からのイオの声に、ふと我に帰った。
そうだった――出会って数日の男に床ドン、もとい土ドンを決めている妻、それを目撃してしまった夫――今はその絶望的な構図の真っ只中だ。
蒼白のドラグは、地面に膝をついたまま固まっている。
「ご立派なツノをお持ちのあちらは、旦那様ではないですか?」
「イオさんは黙っていてください……ややこしくなるので」
イオはドラグの登場にも動じず、いつもの笑みを浮かべている。
それにしても、なぜドラグがここにいるのか――ギルドでの一件から、そのままお屋敷へ帰ったものだと思っていた。
「き、君が何をしてるのか気になって、戻ってみたら……ゴーレム族の倉庫に行ったってシンシアから聞いて」
「ドラグ様、その……」
誤解を解くなら早いうちに、と思ったのだが。イオの上から退きたくても動けない。
「ちょっと! いい加減離してくださいませ」
「おや、なぜです?」
このエセ紳士――裏表のない純真無垢な笑顔に騙されていたが、実はとんでもない男のようだ。一瞬で犯人の手がかりを見つけたあの洞察力で、この空気が凍りそうな状況を察せないわけがない。
「そっか。こんな暗い夫より、明るい人間の方が……」
「待ってください誤解です!」
やがてドラグはため息と共に、ゆっくり膝を立てた。苦しそうな笑みを隠すように、あさっての方向を向いている。
「と、とにかく君が無事で良かった。魔法に巻き込まれた時は、心臓が止まるかと思ったけど……僕が助ける必要もなかったみたい、だし」
澄んだ低音がかすかに震えている。最近ようやく合うことが多くなった視線も、今は地面に向けられていた。
「ずっとご覧になっていたのならば分るでしょう!? これは魔法による事故で」
「でもその後、自分から彼に抱きついたじゃないか……!」
「あ……」
まずい。それに関しては言い逃れできない。
怖い目に遭った直後で、つい人の熱に安心してしまった――そう伝えたところで、今のドラグは納得しないだろう。
「いや、いいんだ……最初の『契約』って、こういう時のため……だったんだろ」
「契約?」
とっさに訊き返すも、夫は黒い翼を翻した。
「……待ってて。ちょっと頑張ってみる……から」
「あっ、ドラグ様!」
影を落とした瞳で一瞥すると、ドラグはこちらの声に応えることなく走り去ってしまった。
「そんな……」
イオに拘束されていた状況とは関係なく、彼の突き放すような言葉の衝撃で身体が動かない。
「ひとりで絶望して、行ってしまわれましたね」
「誰のせいだと……はぁ」
ようやく解放してくれたイオの笑顔が、今は心の底から苛立たしい。何度も私を「運命の相手」と称していたが、夫婦の仲をかき乱して離縁させようとしているのか――まったく悪びれた様子のない笑顔を、渾身の眼力で睨みつけていると。
『取り込み中、ゴメン。エメル無事、良かった』
空洞に響くような、この声は――。
「シカク……?」
『ミス・グラニー、暴走したのにショック受けて、エルフの森に帰った』
竜巻に飛ばされる私を追っていたシカクは、一連の流れを見ていたのだろう。気を遣っている様子の青い正方形に向けて、何とか笑みを取り繕った。
『迷惑をかけたな、領主代理』
「ランド社長……」
シカクの後ろに立つ社長は、長方形の巨大な頭を下げている。反省は十分に伝わってくるが、なぜミス・グラニーとの間に争いが起こってしまったのか。
「『私に任せてください』、と申し上げたはずですよ」
『……面目ない。風女が事件のことを聞きつけ、この森にやってきたのだが。いつもの調子で言い合いがヒートアップしてしまってな』
まったく、タイミングが悪い――今は責める気力もなく、ひとまず「平穏にお願いします」とランド社長に頭を上げてもらった。
『ところで息子よ。お前、あの風女と知り合いだったのか? 触れていたように見えたが』
『え、そ、それは』
肩をガタつかせるシカクは、助け舟を期待するようにこちらを向いた。そういえば、後で弁解を手伝うと約束していたのだった。
「ランド社長! そういえば先ほど、倉庫内で犯人の痕跡らしき証拠品が見つかりまして。ぜひ確認を――」
『ち、ちがう! トーさん、話の続き、あっちで』
何だろうか。せっかく別の話題で気を逸らそうとしたのに、シカクは父親の背中を強引に押して行ってしまった。
「さて、これからどうなさいますか?」
突然の明るい声に、思わず肩を揺らした。ずっと背後のイオを放置していたことを忘れていたのだ。
「旦那様の誤解を解きに戻られるか、事件に関係していそうな人物への聞き込みを行うか」
「誤解を解くって……」
その誤解はイオが生み出したのではないか、と責めたいところだが。今は私情で怒りをぶつけるより先に、領内の事件を解決しなければ――悔しいが、彼の協力がなければ犯人までたどり着ける気がしない。
「……はぁ。では、町の方へ聞き込みに参りましょう。事件が立て続けに起こって、不安に思う方もいらっしゃるかもしれませんし」
頭をよぎる、沈んだ金の瞳と震える身体――それらをかき消すように、町へと続く道を振り返った。
イオを引き連れてゴーレム族の森を抜け、夕陽色に染まる石畳の道に入ると。
「あら? あちらの方々は……」
隊列を組んで辺りに目を光らせているのは、ナイフを背負った5人のノーム族――シンシアの娘の傭兵ノームたちだ。
「よっ、エメル様」
「シンシアの娘さん方……貴女はサツキさんでしたわね」
実は長女以外他の4人の名前を覚えていない、とは言えず、「町で何を?」とすかさず尋ねた。
「アンタが護衛の任務をくれないから、町のパトロールってとこさ」
「まぁ! それはありがたいですわ」
サツキたちにしか対処できない、乱暴者のロードンといえば。彼女たちにつけられた傷がまだ癒えず、分家の屋敷で大人しくしているはずだ。
「でもなぁ……アタシらの目が甘かったせいで、盗難事件が多発してるんだろ?」
「そんな、決してサツキさんたちのせいでは!」
「見ろよ」、とサツキたちに促され、住宅街へ向かったところ。以前よりも明らかに、民家の数が増えていた。しかし魔性ツリーが盗まれたせいか、建築が途中になったままの家が多い。
「ふむ。ギルド新設効果で、シオンへ引っ越してきた種族たちの家が増えているのですね!」
イオの弾むような分析の声に、喜びと憂いが半々ずつやってきた。せっかく移住者が増えたというのに――現場作業が停滞して困っているゴーレムたちは、住宅の注文者から詰め寄られている。
ひとまずパトロールを続けるというサツキたちと別れ、揉め事の現場へと近づいていった。
「盗難事件で資材不足だって? アタシたちの家はいつ建つの?」
「森の資源が盗まれているそうだな! ゴーレム族の管理がなっとらんのではないか?」
羽の生えた、赤い肌の魔族夫婦だ。彼らの非難は、私に向けられるべきものだというのに――拳を強く握り締め、新たに越してきた彼らとゴーレムたちの間に割り入った。
「失礼いたしますわ」
突然の横入りに戸惑う悪魔の夫婦に向けて、「ゴーレムたちに責任はない」とはっきり告げた。
「これは事件を防げなかった領主家の責任です。現在事件解決に尽力している最中ですので、どうかお待ちください」
すると彼らは首を傾げて見合いつつ、再びこちらに向き直った。
「この領の領主は、5年ほど引きこもっていたと聞いたのだが?」
信用できるのか――彼らが向ける疑念の目に、ピリッとした緊張が走る。
「領主家に問題があって、監査官が入っているとも聞いたぞ」
「えっ! なのにアンタ、ここを引っ越し先に選んじゃったの!?」
「新しいギルドに興味があったんだ……まさかそんなことになっているとは思わなかった」
もし隣にドラグがいてくれれば。
これまではそれだけで、胸を張って領民たちに向き合うことができた。しかし今は、事件解決への焦りやら、ドラグの誤解やらが引っかかり、頭がうまく回らない。
彼らが安心できる言葉とは――冷や汗をかく背中に触れたのは、温かい手だった。
「エメルレッテ様、しっかり。領主代理たるもの、この程度で言葉に詰まってはいけませんよ」
厳しい言葉に反し、イオはいつも通りに微笑んでいる。
「イオさん……?」
「ほら、彼らが安心できるように、具体的な取り組みを提示なさっては?」
そうだ。今までだって、そうしてきたではないか――イオの澄んだ瞳に励まされ、深呼吸とともに顔を上げた。そして背後に整列するサツキたちを振り返る。
「これまでは、彼女たちギルドの精鋭が領内のパトロールをしてくださっていましたが……シオンは広く、それだけでは足りないとようやく思い至ったのです」
これからは、自警団のような数に頼った監視の目を増やすべき――それが今後取り組むべき、領主代理の課題。まずは現在起きている事件の解決が最優先だが、「治安問題」にはいずれ向き合わなければならない。
「盗難事件の犯人は必ず見つけます。安全な町に素敵なマイホームを建てていただくため、必ず」
疑いの色をもった彼らの赤眼を、瞬きもせず見つめていると。
「……ふん。そこまで言うのならば待ってやろう」
顔を見合わせた魔族夫婦は、渋々頷いてくれた――今は言葉で安心させることしかできないが、犯人が見つかった暁には、具体的に自警団を組織しなければ。
しかし誰がそんな役割を負ってくれるだろうか。シオンに住む他の種族たちは、みんなすでに仕事をもっている。
「エメルレッテ様、まずは犯人探しの続きに参りましょう」
「……イオさん」
そうだ。今はとにかく、犯人の情報を集めなければ。
『領主代理たるもの』――まさか出会ってすぐのイオに、あんなふうに励まされるとは思ってもいなかったが。
魔族夫婦たちから離れた後。夕焼けに染まる大通りで、不審人物の目撃情報を募っていると――一瞬で目を奪われるほどの美貌の竜族が、黒い鱗を光らせ近づいてきた。
「……ドラグ、様?」
いや、そんなはずがない。
漆黒の髪と2本のツノ、金色の瞳といった特徴は一致しているが――猫背ではない。それに人混みが嫌いだというのに、こちらを直視したまま堂々と歩いてくる。そして何より、絶望を具現化したような黒いオーラを纏っていないのだ。
そう、まるで「推し」が目の前にいるかのように錯覚してしまう。
「あ、あの……貴方は」
目の前で歩みを止めた彼を、おそるおそる見上げると――黒く大きな手が伸びてきて、強引に腕を引かれた。
「帰るぞ、我が妻よ。もう日も暮れるというのに、いつまでよその男と出歩いているつもりだ?」
『山麓の田舎町シオンの領主で、少々強引な勇ましいドラゴン』――紛うことなき推しが目の前に――いや、そんなはずはない。ここは『シビュラ』ではなく、現実の世界なのだから。
限りなく推しに近い彼は、いったい何者なのだろうか――考える間もなく、強引に腕を引かれた。
次回:頑張った竜人夫。でも、「これじゃない」感がすごいのは、どうしてでしょうか?




