領主代理の休日2:天才ボロネロ、苦難の日々。
『私は竜か人か』――竜人として生を受けてから、29年と38日。それを解き明かすことを人生最大の目的とし、今日も自身の謎に挑む私であったが。
「ロードンっっっ! アタシの香水は制汗剤じゃないって言ってるでしょ!」
「だっ、だってよぉ、オレ見分けつかねぇし」
4年と8日前に妻となった従姉弟のゲルダ、そして同じ日に彼女の夫となった従兄弟のロードン。今朝も彼らは、洗面所で飽きずに騒ぎ立てている。
愚かで愛らしい家族たちに特別不満はないが、牙磨き中の貴重な思考時間を邪魔するのだけは勘弁してほしい。
「ボロネロ! 今日のアタシの美しさはどれくらいかしら?」
そんことは鏡に尋ねてほしい――とは言わない。とりあえず「たぶん、シオンいち」と微笑めば、ゲルダは「世界一とお言いなさい!」と胸を張った。そうしてこちらに背を向けた後。こっそり胸を撫でおろす彼女の姿に、今日も言葉にできない愛らしさを感じる。
生まれた時から「未来の領主の妻」となるべく育てられた彼女は、美しくあることが己のアイデンティティとなっている。可哀想で、可愛らしい彼女が安心できるのならば、毎朝でもその美しさを讃えてやりたいところだが――。
「おいボロ公! な〜んで毎回オレばっか怒られんだよ、お前もたまには何かやらかせよ」
ひとつ年下のコイツに対してだけは、「愛らしい」よりも「愚かさ」が勝つ。いつもの通り無視し、朝の支度を完了させることにした。
「まーた無視かよ。まったくお前はつかみどころがねぇな」
ノーム族につけられた傷が癒えはじめた頃から、ロードンはいつも通りギャアギャアと吼えたてている。大事に至らなくて安堵したが、もう少し安静にしていた方が平和だったかもしれない。
「アンタたち! 支度が終わったなら、とっととリビングまで来なさい! いつものアレ、やるわよ」
いつものアレ――ゲルダの経営するキャバレーの売り上げ計算。そして雑費の計上。
ゲルダは、「こういうことに関して戦力外」と思っているオレには何の期待もしていない。
「アンタは家にいるだけで目の保養になるからいいの!」――そう宣言し、彼女がオレよりまだマシだと思っているロードンを働かせている。おかげでリビングの端に身を寄せ、今日も思考に耽ることができるのだ。
「なぁゲルダよぉ。この伝票の束と日計表、計算合わねぇんだけど?」
「はぁ? 貸してみなさいよ」
2人が身を寄せて計算に勤しむ間に、日毎にまとめられた伝票の山を一瞥した。ロードンが「計算が合わない」という日から前後数日分の伝票をパラパラとめくり、売上金の合計を脳内ではじき出すと。
「あぁ……3日前の伝票と間違えているのか」
甲斐甲斐しく再計算する2人の背後に伝票の束を置き、寝たフリをすることにした。
「ちょっとボロネロ! 勝手に触らないで……あら? これってもしかして」
「な〜んだよ。ゲルダがのぼってたんじゃねぇか」
まったく世話の焼ける2人だ。
小さなキャバレーを、己の身ひとつで人気店にしたゲルダの手腕は見事だが、こういうところは抜けている。
いつもの通り騒ぎ立てながら、1週間分の売り上げ計上を終えると。ゲルダは外出用の真っ赤なコートを羽織り、お気に入りの極光石の首飾りを身につけた。
「さぁ、次は店舗の視察よ! 来なさいボロネロ」
「オレはまだダメなのかよ〜」
「また小人さんたちと鉢合わせたらどうするのよ! アンタはしばらく大人しくしてなさい」
本気のロードンがノーム族の傭兵たちに負けるとは、ゲルダもオレも思ってはいない。だがコイツを本気にさせる方が、コイツ自身が傷つくよりもずっと危ない――そういうわけで、ゲルダは最近オレだけを連れ歩いている。面倒なことに。
「はぁ。このアタシがこっそり歩く日が来るなんて……あの小娘、次会ったら容赦しないわ」
牙を剥き出しながら、ゲルダは胸元の首飾りに手を添えている――領主家グロウサリアの奥方が、存命の頃につけていた首飾り。彼女が今も、「領主の妻」である証を身につけるのはなぜなのか。
彼女からの信頼はともかく、愛情は日々感じている。ただそれは夫婦としてではなく、同族の絆と言った方が的確だろう。
おそらく、彼女の心にいるのは今も――。
「……ゲルダ。今もドラグ、好き?」
つい口を出た言葉に、ゲルダは真っ赤なピンヒールを止めた。ため息とともに振り返った彼女の目には、炎が燃え盛っている。
「次、あの男の名を出したら……いくらアンタと言えど容赦しない」
黄金の瞳に炎を散らすと、ゲルダは正面に向き直った。
『アタシ、シオンでいちばん偉い人のお嫁さんになるのよ!』――純粋な輝きをもっていた、あの頃の面影はない。あれから20年もの月日を経て、彼女の目標は「いちばん偉い人のお嫁さん」から「いちばん偉い人」になった――そういうことだろうか。
だがオレは忘れられない。あのドラグが変わる前、ゲルダはたしかにドラグへ好意を寄せていたことを。
「今も好き、なのか……?」
5年前に、ドラグと離縁した理由は聞いた。「アタシが領主の座を奪う」――そう宣言した彼女の瞳に曇りはなかった。が、彼女をよく知る幼なじみとして、夫として、どうしても気になってしまう――あの首飾りをつけるのはなぜなのか。
ゲルダの経営するキャバレーに到着すると。さっそくコートを脱いだゲルダは、シオンの圧倒的カリスマモデルとして、No.1歌姫メルメイドの指導をはじめた。
「もっと艶めかしく! アナタの歌声ですべての種族を魅了するのよ。そしてあの小金持ち吸血鬼から、金をたんまり搾り取りなさい!」
金、金、金――ゲルダの声と大音量の音楽に疲れ、少し外の空気を吸いに出ることにした。どうせここでは、オレがすることは何もない。
ノーム族の可愛らしいカフェへ行ってみようか――ゲルダにバレたら殺されそうだが、新しいギルドも実は気になる。
様々な種で賑わうギルドの玄関口に到着すると、見覚えのある黒い翼が見えた。彼は中へ入ろうとせず、扉の前で何かを呟いている。
「……ドラグ?」
「ボロネロ……?」
こちらを捉えた彼の瞳は、迷いに揺れていた。中に入れない事情があるのか。
「少し、話す?」
2人きりで顔を合わせるのは5年ぶりだ。向こうの話を聞きがてら、5年前にゲルダと何があったのか聞いてみるか――。
店の裏に広がるノーム族の森に誘導すると、ドラグは大人しく後に続いた。彼はロードンやゲルダに対し異常なほど萎縮しているが、オレに対しては昔のまま――とまでは言わなくとも、呼び出しに応じてくれたのだ。
「……ええと、なに? 僕忙しいんだけど」
「そうは見えなかった。何か、あった?」
ギルドの前で入りにくそうにしていたのは、おそらくあの小さな後妻と関係があるのだろう。彼が表に出るようになったのも、彼女の影響なのだから。
「……なに?」
「いや。ここには誰もいないし、ふつうに話せばいいのにって……そのために、人気のないところに来たのかと思った」
相変わらず目が合わないドラグの言葉に、思わず笑いがこぼれた。もう久しく話さないせいで忘れていたが、彼の前ではバカを演じる必要はないのだった。
「あぁ、そうだな! 久しぶりだ従兄弟よ。ずっと話がしたかったのだが、お前引きこもっていたからな」
「……僕は話したくなかったけど」
「つれないことを言うなよ。番の雌に振り回される同士、仲良くしようじゃないか」
ドラグの表情が一瞬張り詰めたのを見逃さなかった。やはり後妻と何かあったのだろう。
「せっかくの機会だ、愚痴でも何でも聞いてやる。昔のようにな」
「いや……というか、いつまでボロネロはとぼけたフリをしてるわけ? あの2人は……まだ知らないんでしょ、本当の君を」
従兄弟たちの中で1番年下の彼は、何かあるとすぐにオレのところへ来た。ロードンにいじめられた時も、ゲルダに無視された時も――そうして彼の兄代わりをする時だけ、オレも元の自分に戻ることができたのだ。
「バカを演じれば、余計な仕事を増やされなくて済む。我が人生の崇高なる目的のために割く時間が増えるというものだ」
「……じゃあ、なんでゲルダと結婚したの」
正直意外だった――そうこぼし、黒竜は深く俯いた。
「なぜ……か。『美しさ』と『強さ』に縛られた、ゲルダの可哀想なところを愛しているから、だろうな」
そう断言すると、彼はようやく金の瞳にこちらを捉えた――以前より、幾分か顔色が明るい。これもあの後妻のおかげなのか。
「……やっぱり変わってるよ、君」
「褒め言葉だ。ところで5年前、なぜお前はゲルダと離縁した?」
たったひと月の結婚生活で何があったのか――そう問いかけると、ドラグの表情が再び曇ってしまった。あの事故以来、彼の周りに現れるようになったドス黒いオーラが、今も全身に滲んでいる。
「知ってるだろ……ゲルダはうちの資産を食い潰して、それが済んだら離縁状を叩きつけてきたんだ! グロウサリア家の特権を奪おうとしてただけなんだよ……」
それは離縁した後、ゲルダが話したことと変わりない内容だった。
はたして本当なのだろうか。あの遺跡での事故が彼を変え、そしてゲルダをも変えてしまったのではないだろうか――。
「僕には君のような賢さも、ロードンのような強さもない……だから、もし今彼女に見放されたら……何にもなくなっちゃうんだよ」
最後の悲痛な囁きに、冷静を保っていたはずの胸が締め付けられた。彼が生まれながらに持っていた地位、輝き、強さ――それらはもう、失われてしまったのだろうか。
「……もう行くよ。エメルレッテさんを追いかけないと」
「そうか。またな、弟分よ」
また、がいつになるかは分からない。ただゲルダとの間に何があったのか聞くつもりが、逆に謎を増やしてしまっただけだった。
それでも彼が今幸せならば、それで良い。
ひとり残された暗い森を抜け、ゲルダのいるキャバレーへ戻ることにした。
そろそろ演出指導も終わった頃だろう――やっと巣へ帰れる、と思ったのだが。
「ボロネロ! ロードンを呼んできなさい! まったく……何でここまで売り上げの採算が狂ってんのよ!」
まったく――度胸と美貌だけは一人前の妻に、エメルレッテの商才を分けてやってほしいくらいだ。影のフォローが増えたことに、ため息を禁じ得ないが。
「……ゲルダ、今日も可愛い」
「あーもう今はそれどころじゃないのよ! せめて『美しい』とお言いなさい!」
『美しさ』と『強さ』に縛られた、可哀想で可愛らしい彼女を、これからも影ながら支えていくとしよう。『私は竜か人か』――生涯をかけて問うべき謎を追いかけながら。
次回:この世界でエメルが最初に出会った人間イオ。エメルに求婚する彼の真意は…?
次回より3章「迷探偵エメルと名助手、ときどき竜人夫」スタートです!




