領主代理の休日:吸血鬼ラバー
温かい春風がお屋敷の門前を吹き抜け、せっかく集めた枯葉がさらさらと散っていく。もうどれくらいの時間、箒を手に格闘していることだろうか――。
「あーっ、もうやめ! 慣れないことなんてするもんじゃないわ」
家を守ってくれている夫が、普段どれほど掃除上手かを実感する。「たまには家事をお休みになって」、と掃除を引き受けたは良いが、これでは永遠に終わらない。
麓のカフェで、少し休憩してこようか――と、丘を見下ろしたところ。中腹の東屋に集う、ノームの子どもたちが見えた。何かを囲んで、きゃあきゃあと声を上げている。
「ニシカもいる。なんだろ?」
あそこはグロウサリア家の敷地内だが、ドラグの好意でノームたちもお茶会に利用している場所だ。箒を手にしたまま近づいていくと。
「どうしよう。エメルに届ける?」
「私にご用ですか?」
「エメル!」
慌てて振り返ったニシカが手に持っているのは、古い革表紙のノートだ。誰かの落とし物を、子どもたちが発見したらしい。
「これ、エメルにはまだ早い」
「え? でも表紙には何も書いてありませんから、中を確認しないと」
妙に顔を赤くしたニシカの手から、ノートを受け取ると。ふんわりと紅茶の匂いがした。
「あれ? このちょっとお高そうな紅茶の匂い、どこかで」
ニシカの家で出しているのはコーヒーのみだ。別の誰かが匂いを付けていたのだろうか――ひとまず表紙を開くと、そこには細かい文字と日付がびっしり並んでいた。それはもう、白地が真っ黒になるほどに。
「ええと? 『今夜の彼も最高だった。特にあの高音の伸び、そして汗の滴る首筋が白く光り』……」
とっさに口角を上げ、使い古されたノートを全速力で閉じた。誰の物かは分からなかったが、子どもに見せて良いものではない。
「ね? これ、エメルには早い」
「貴女たちにも早いです! と、いうわけで。これは私がお預かりしますわ」
照れつつも「もう一度見せて!」、とまとわりつく子どもたちの手を逃れ、何とかお屋敷の門に入ったところ。ドラゴンを恐れるノームの子どもたちは、さすがにここまでは追ってこなかった。
周囲を見回し、もう一度ノートを開くと。
「……あれ? これって、もしかして」
最初は、大人向けの読み物の下書きかと思ったのだが。よく見ると日記の形式だ。そして官能的な表現で書かれているこれらは、どうやら「歌と踊りの感想」らしい。
「『今夜の彼も最高には違いなかった。しかし艶めかしい声色が、昨夜よりも固いような』――」
「失礼、レディ」
「ふわっ!?」
突然背後から歌うような声が聞こえ、ついノートを投げ捨てそうになった。振り返ると――銀色の長髪をなびかせた女性、いや、男性が立っている。空の色を映したような青い瞳に、うっかり吸い込まれそうだ。
「セイレーン?」
あまりの美しさに見落としていたが。肌の質感が透けるように青白く、人間の耳がある位置には半透明のヒレがついている。
「驚かせて申し訳ない。これを、お屋敷の執事殿へ届けていただきたいのだが」
男性が差し出したのは、彼の瞳と同じ色の封筒だった。
「アレスター宛の手紙、ですか?」
「あぁ、直接渡せない事情があって。どうかよろしく頼む」
礼儀正しく一礼した男性は、また歌うように「失礼」と去っていった。その後ろ姿を見送りながら、手紙を裏返すと。
「『メルメイド』……誰なんだろ」
落とし物ノートより、宛先の確かな手紙が優先だ――と、手紙を持って屋敷内を歩き回ったのだが。肝心のアレスターが見当たらない。
ついに参って、ドラグの寝室を訪ねることにした。
「お休み中すみません。アレスターがどこへ行ったかご存知ですか?」
すると返事の代わりに、部屋のドアがそっと開いた。
「たぶん町へ買い出しに行ってると思うけど……どうしたの?」
ドラグは部屋へ通してくれただけでなく、ホットミルクを作ってきてくれた。それぞれソファとベッドに腰を落ち着けた後、アレスター宛の手紙と超絶美形のセイレーンについて話すと。
「手紙をやりとりするほど親しい相手がいるとか、聞いたことがないよ」
「そういえばアレスターは、いつからグロウサリア家の執事に?」
『シビュラ』では、吸血鬼の故郷はシオン領ではない。『アレスター』は隣のブルームーントロイカの領主だったはずだ。
「実は、僕も正確には知らないんだ。祖母が当主だった頃から執事をしているらしいから……500年以上前かな」
「500年!?」
吸血鬼もドラゴンも、長生きな種族だと分かってはいたが、500年も前からとは。なぜ彼がそんなにも長くシオン領に滞在しているのか気になるが――今はそれより。
「この手紙、どんな内容か気になりますわね」
「うん……アレスターとは長い付き合いになるけど、私生活はほとんど知らないんだ。さすがに中身は見なくても、透かしてみるくらいなら……」
「いけませんわ! プライバシーの侵害です!」
手紙をドラグから取り上げつつも、手が好奇心を抑えられず、封筒を光にかざしたくなる。十分過ぎるほどの陽の光が、全面窓から差し込んでいるのだ。
「おっとっと。掃除の疲れで足がふらつきますわぁ〜」
「そ……それは大変だ! 手を貸すよ」
2人で茶番をはじめた、その時――廊下から足音が響いた。この屋敷には3人しかいないのだから、あれは間違いなくアレスターだ。
「ど、どうしようエメルレッテさん!」
「待って――」
こちらに手を差し伸べるフリをしていたドラグが、陽の光に当てようとしていた手紙を握りしめた。
「うわっ、まずい……」
「ドラグ様落ち着いて!」
慌てて手を開いたせいで、今度は封筒の端を鋭い爪が裂いてしまった――すると。どこからともなく、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「歌? どこから聞こえてくるのでしょう……」
「文の中からじゃな」
真後ろからの声に、思わず飛び上がってしまった。いつの間にか、この手紙の宛先である彼が部屋の中にいる。
「アレスター!?」
「しっ、静かに」
買い物袋を両手に抱えた彼は、赤い瞳を細め、歌声に耳を澄ましている。それに倣い、甘く艶やかな歌声に耳を傾けていると。
「ほぅ……いつ聴いても良いのう」
音が止んだ後、アレスターは満足げに息を吐き出した。
「で、今のはなんだったの?」
ドラグが頭を低くして、アレスターへ手紙を差し出すと。彼はいつものように微笑みつつも、素早く手紙を奪い取った。
「歌声を込める魔法がかけられておったのじゃな。まったく、勝手に開けおって」
「ごめんなさい! でも、どんな手紙なのか気になりまして」
私生活が謎に包まれているアレスターが、絶世の美人セイレーンから手紙をもらうなんて、気にならないほうがおかしい――そう弁解すると、彼は深いため息とともにドアの方へ向かった。
「あ、アレスター……怒った?」
「話が長くなるやもしれん、茶を淹れてくるとしよう」
小さな背中がドアの向こうへ消えたところで、嬉しそうなドラグと目が合った。
「何だかんだ甘いんだよね……」
「ええ、そのようですね」
いつもの香り高い紅茶がテーブルに並んだところで、アレスターは静かに語り始めた。ドラグが一緒にテーブルを囲むように進めたが、結局彼はドア付近に立っている。
「これはキャバレーで人気ナンバー1の歌姫からの手紙じゃ。まさかワシの手紙に返事をくれるとは思わなんだ」
つい喋り出しそうになった口を押さえ、ドラグの方を向くと。彼も口を挟みたいのを、必死に抑えているようだった。その「ワシの手紙」というのは、もしかしなくともラブレターなのでは――きっとドラグもそう言いたいはずだ。先ほどの歌、言葉は聴き取れなかったが、深い愛情が込められているように感じた。
「それで、さっきの歌はどういう意味なの?」
ついにドラグが尋ねると。アレスターは笑みを浮かべたまま、手元の封筒に視線を落とした。
「セイレーンが手紙に歌を込めるのは、挨拶のようなものじゃ。ただ……かように素晴らしい歌が込められていたとは」
ゲームでは見ることができなかった、アレスターの照れ顔――彼のファンが見たら、卒倒するほどの威力だ。そんな彼に、ドラグも珍しく目を輝かせている。
「なんか安心した」
「安心、とな?」
「うん。アレスターは僕にとってお祖父様みたいな存在だから……良い人ができて、良かったなって」
2人の温かい雰囲気を見守っていたのだが。突然アレスターの顔がこわばり、「良い人?」と震える声で呟いた。
「無礼なことを申すでない! ステージ上で輝くメルメイド殿を遠くから見守り、応援することが何よりの幸せというもの。今回もなぜファンレターに返事が来てしまったのか、不思議でしょうがないのじゃ」
「え……?」
身バレしないよう注意していたのに、なぜ分かったのか――頭を抱えるアレスターの手を、思わず硬く握ってしまった。
「『推し』に対する解釈一致……ありがとうございます!」
アレスターの好きは、あくまで「推しへの愛」ということ。遠くで見守りお金だけを落としたい、認知されたくないという彼の想いは、『シビュラ』のドラグ様を推す私の想いと重なっている。
「そうか、お主も何某かを推しているのじゃな」
「ええ! それはもう! 私も決して認知されたくない派ですが」
推しのいる次元が違うとはいえ、これは最早同志なのでは。
「え……オシ? 好きなのに相手に認識されたくないって、どういうこと?」
「分からんのなら良い。お主もいつか、『推し』に出会えば分かるじゃろう」
完全に置いてきぼりのドラグには、後で補足を加えるとして。アレスターの推し活には非常に興味がある。歌姫メルメイドをどのように推しているのか、尋ねると。
「大したことはしておらんよ。毎夜キャバレーに赴き、その日のステージを見て感ずることを、徒然なるままに書き記しておるだけじゃ」
「なるほど、想いをしたためるタイプの活動を……あれ?」
そういえば最近、そんな物を目にした気がする。もしやと思い、古い革張りのノートをそっと取り出すと。
「それをどこで!」
今度は、ドラグの手から封筒をひったくった時の比ではない。目視できない早さでノートを掠め取られた。
そういえば、革表紙から香っていた紅茶の匂い――アレスターがいつも淹れてくれるものだ。
「見た、のか?」
答えの代わりに、邪心を取り去った笑みで応えると。アレスターの輪郭が少しずつぼやけ、身体が小さなコウモリに分裂しはじめた。
「お待ちください! 大丈夫、見たものはすべて墓まで持っていきますから!」
「……誠か?」
「誠です!」
私もできることなら、元の世界の自宅にあるパソコンのデータを消去したいくらいだ。真剣な面持ちのアレスターに手を差し出し、固く握手を交わした。
メルメイド手紙事件の後も、結局アレスターの私生活は謎めいたままだ――と、ドラグは言う。しかし禁断の推し活ノートを覗いてしまった私にとって、好きを突き詰める彼の姿は輝いて見えた。
「生きる糧があるというのは、本当に素晴らしいことですね!」
いつもの紅茶を嗜みつつ呟くと、ポッドを手に寄り添うアレスターはふっと微笑んだ。
「推しとはの、『人生の灯火』なのじゃよ」
「うんうん」と頷いている傍らで、ドラグは首を傾げている。
「……結局、オシってなに?」
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
ここまでが「1章:ギルド創設への道」でした。
次回より、「2章:クリスタル族の研究問題」がはじまります。ドラグとの関係も新たな局面を迎えますので、どうぞお楽しみに!
次回:領を査定する「監査官」とは……?




