101話 【異形の翼EX】
シトの身体は、もはや呪いの泥と同化していた。
いや――泥が彼女を動かしているみたいだ。
『どうしてあそこまで……あんな、おぞましい身体には戻りたくない……っ』
「シト……」
いったい、彼女の身体に溜め込まれた“呪い”とはなんなのか。
訊ねても、彼女の霊体の視線は“呪い”に釘付けだった。
『“呪詛体”……ああなってしまっては、私の身体は……』
「え……?」
シトは怨念を溜め込んだ身体を、“呪詛体”と呼んだ。
ドラグの身体から出ていたものと同じ、黒い泥。近づくだけでゾッとするそれが、棺から起き上がったシトの身体から湧き出ている。
「数人! もうやめて……!」
呪詛体を起こしている張本人に向けて叫べば、「やめるもんか」と鋭い声が返ってきた。
「目を覚ましてよ匡花! ここは現実じゃない、俺たちの世界じゃないんだ!」
「そんな……!」
呪いの侵食をもろともしない数人は、棺から手を離そうとしなかった。
泥の触手がシトの霊体を包み――“呪詛体”の元へ、引き込もうとしている。
「シト……!」
『匡花……其方だけでも、逃げ、て』
己の魂を見つけた身体が、その魂と重なった瞬間。
キンッ――と、金属音が響いた。
「え……?」
黒い光の輪が、棺を中心に祭壇へ広がっていく。
泥は波のように炎柱を打ち消し、あたりの温度が一瞬にして下がった。
『エメル……!』
上空からの呼び声に、ふと顔を上げると。
「ドラグ様……!?」
炎が消えたおかげか。竜化した夫が、こちらに滑空しようとしていた。
「お待ちください! いま、呪いが暴走していて……!」
「行かせるかよ!」
数人の声に弾かれ、棺を振り返ると。
魂と再会した呪詛体が、ゆらりと立ち上がっていた。
双子であるはずの私とは、まるで違う姿で。
「ひっ……」
自立した呪詛体は、半透明の泥を纏っている。蜘蛛の足のようにうごめき、周囲を探っていた。
『エメル、今行くから動かないで……!』
「待って! 何かおかしい……」
忠告が届く間もなく、翼を立てたドラグが滑空する。私の足元まで迫る泥から、私を救いだそうと――でも。
泥の触手は、それぞれ狙いを定めるようにうごめいている。
近寄ろうとするドラグへ、そして呪詛体の側にいる数人へ。
「……っ!」
ついに泥の触手が、数人の口を塞いだ瞬間――彼は棺に突っ伏した。
「数人……!?」
気絶してしまったのか。
確認したくても、泥が迫って近づけない。
それにまだ、ぬちりと音を立ててうごめく泥は止まっていない。
「危ないドラグ……!」
『……え?』
“呪詛体”が、紐付きの弓のように飛ばした泥――それがドラグの翼を射抜くように命中した。
「ああっ……!」
粘つく泥が張り付いた翼を、ドラグは必死に羽ばたかせているが――少しずつ、彼の身体が落ちていく。
腕を広げて待ち受ける、呪詛体の元へ。
「シト……どうして」
いつまで経っても、私のところへ泥は来ない。
きっとシトの身体を蝕む呪いの狙いは、最初からドラグだったのだ。
それを証明するように、泥の触手がドラグを操ろうと、身体中へ根を張っている。
「あれは……熱っ!?」
突然、溶けるように熱くなった右目に映ったのは――【異形の翼EX】のダイアログ。
そして、その表示レベルは。
「56……」
格段に上がっている。
かつて『エメル村』を半壊させた時の、倍以上に。
呪いを受けたドラグを操って、扉を破壊させる気なんだ――!
「これもぜんぶ、あなたたちの計画なの!?」
呪詛体に取り込まれたシトは答えない。
彼女は、「自分の身体が予想以上に呪いを溜め込んでいる」と驚いていた。きっと、すべてが思い通りになったわけではなかったのだろう。
「……えっ!」
いつの間にか背後に迫っていた泥の波に、全身を呑み込まれた。
冷たい、暗い、息ができない――。
それでも、不思議と命の危険は感じない。
『この闇は……』
たぶん泥の中。
彼女の、呪いの中――。
『ああ、其方も取り込まれてしまいましたか』
『……シト?』
暗闇から浮かび上がったのは、エメルと同じ顔。
『呪詛体……じゃないの?』
すると彼女は、人間の温度を感じられる表情で、私に向かって頭を垂れた。
『この泥はなに……?』
「謝っても足りない」こととは、きっとドラグの呪いに関することなのだろう。
彼の妻である私には当然、聞く権利があるはずだ。
『……そう、ですね』
まつ毛を伏せた彼女が、指先を暗闇に這わせると――漆黒のカーテンが揺らぐように、空間が歪んだ。
『私の記憶を、其方へ――』
『……っ!』
闇を裂くように射す光に、目をつむった。
時渡人が現れる時、いつも現れるものだ。
ただ、おかしい――鳥のさえずりが聞こえてくる。
『……え?』
おそるおそる、目を開けると。
空を隠すようにそびえる、大樹の真下に立っていた。
木漏れ日の道の先に見えるのは、ついさっき見たばかりの遺跡。しかしどこか褪せて、すべてがオレンジ色に見える。
『ここ、もしかしてシオン?』
『はい。もう時を戻すほどの力は残っていませんが、20年前の光景を見せるくらいならば……』
ここは“確定した過去”のシオン――そう言って、シトが私の隣に並び立った。
『待って! じゃあ私がロードンに刺された時、本当に時を巻き戻したの?』
『ええ』
あれきり、時渡人は出てくるのを渋っていた。
死にかけた私を助けてくれたから、力を失ってしまったのか――。
『そんなことより、参りましょう』
早くしなければ、“彼ら”が先に行ってしまう。
そう言いながら、シトは足を早めた。
『彼って?』
シトが指さす先に見えたのは。
遺跡への道を歩く子どもたち――まだ小さなツノと尻尾を生やした彼らは、おそらく。
『子どもの頃の、ドラグたち……?』
“人生の推し”の子ども時代を拝めたことに、感動を禁じ得ないが――今はそれどころではない。
子どもでも足の速い彼らに置いていかれないよう、せっせと足を動かさなければ。
『遺跡には、「とんでもねぇ怪物」が眠ってんだと! お前んとこの執事が言ってたぜ!』
『……それ、僕は初耳だけど』
きっとアレスターのことだ。青いミニ竜と黄色いガキ大将竜は、渋々ついていくチビ黒竜の腕を掴んでいる。
『度胸試ししようぜ! なぁドラグ』
『……いいけど』
以前、夫から聞いていた通りの展開が、目の前で起こっている――止めたいところだが、もうこの時間は確定したもの。今の私では、どうすることもできない。
『さ、我々も参りましょう』
『はい……』
やはりドラグたちが向かったのは、シトの身体が眠る太古の遺跡。
『私たちが仕掛けた呪いの棺の中には、私の亡骸が入っています』
『え……?』
いま、“亡骸”と言っただろうか。
『シトは魂だけ抜けて、生きてたんじゃないの?』
『いいえ。死体でなければ……あの身体には、死後の呪いを溜め込んでいたのです』
死後の呪い。
聞くだけで、背筋がゾクッとする。
『そんなものを、どうするつもりだったの……?』
できるだけ震えをおさえて、問いかけたのに――シトは俯いたまま答えない。
『……実際に見た方が早いでしょう』
結晶石でできた遺跡の地下道を降りたドラグたちは、棺の待つ魔法陣の部屋へたどり着いてしまった。
小さなドラグが、ロードンとともに棺へ手をかけた瞬間――思わず動き出した身体を、シトの腕に止められた。
『いけません匡花。もはや過去のことです』
『……っ』
分かっている。
それでも――ドラグを苦しめる謎スキル、もとい“シトの呪い”。
今助け出せれば、どんなに良かっただろうか。
『わっ……!!』
ひっくり返ったロードンに代わって、呪いの泥を浴びたのは――気絶した幼馴染を庇うために広げた、黒く小さな翼。
翼膜に裂傷が走る瞬間、とっさに目を閉じてしまった。血が滴る音、それに呪いの触手がうごめく音だけが響いている。
『どうして、こんな……っ』
悔しい。
でも、もうどうにもできない。
ドラグが“翼の呪い”を受けたあの日――彼は知らずに、シトの亡骸へ触れていたのだ。
それがドラグ自身すら覚えていなかった、あの日の真実。
彼が棺を開き、この呪いを受けたのは「不幸な事故」だったのか――?
真っ赤に染まる頭で、必死に噛み砕こうとした理瞬間。
『コレハ、私トアナタヲ守ル呪イ』
おぞましい声が、耳元で響いた。
途端に辺りの風景が褪せ、苦しむ小さなドラグの姿が遠ざかっていく。
隣に立っていたはずのシトの輪郭が、何重にもブレて見える――何かがおかしい。
『シト……ひっ!?』
顔を上げた彼女の顔は、半透明の泥に覆われていた。
これはシトではない。彼女をも蝕みはじめた、“呪詛体”――。
『守ルタメノ呪イ』
繰り返される言葉に、『守るって?』と震える声で訊き返すと。
呪詛体はスッと腕を上げ、石床の上で苦しむ子ドラグを指した。
『呪イヲ受ケシ者ハ、異形トナル』
『“異形”……?』
覚えのある言葉に、胸が軋んだ。
『命ヲ削リ、力ヲ得シ存在トナル』
『え……』
命を、削る――?
『では、ドラグのスキルは……』
発動するたび、彼の命を蝕んでいるというの――?
だから、神官たちを蹴散らすほどの力を瞬間的に得ていたというのか。
『どうして……』
なぜ、そんな呪いをドラグにかけたのか。
まったくもって理解ができない。
偶然ではなかった――?
計画のうち――?
シトは呪いについて、「謝らなければならない」と最初に言った。
つまり、それは。
『意図的だったって、こと……?』
温度を失くした声が、喉から滑り落ちる。
私の視線に対し、呪詛体は沈黙した。
ほんの一瞬だけ、呪いの中に見えた彼女の顔は――今にも泣きそうだった。
『私ハ、「愛すべき彼を帰さない」トイウ、私ノ想イ』
それが、呪いの根底にある怨念。
呪詛体は語った。
『……“愛すべき彼を、帰さない”?』
紘也をこの世界へ引き留めたい想い。
それが呪いの正体――?
他者まで蝕むようになったコレを、なぜ「愛」と呼べるのか。
『だったら……どうして、ドラグに呪いを!?』
少しずつ速まる心音を感じながら、呪いの泥に侵されたシトを見つめていると。
彼女は怯えるように震え、そして――秘密を吐き出した。
“エメルの中に宿る予定の魂”、つまりは匡花が、「この世界に留まる理由をなくすため」だったと。
『……それは、どういうこと?』
認められなくて、つい聞き返したが。
あれが「命を削る呪い」だと知った時点で、もう分かりかけていた。
でも――本当は分かりたくない。
『ソノ身体ハ、返シテモラウ予定ダッタ』
私が宿っているこれは、エテの“最後の身体”。
双子の肉体を移る能力は、もう限界だったと言う。
『では、ドラグに呪いをかけたのは……』
彼が呪いによって死ぬ運命だと知れば、匡花は迷わず元の世界へ帰るはず――シトは言い終えると、静かに俯いた。
『そんな……そんなのって……』
喉が締めつけられて、うまく声が出ない。
身体中の水分が枯れてしまったかのように、涙すら出ない。
気づいた時には、黒い無の中に膝と手をついていた。
『……っ』
やっぱり。
目的が叶えば、私をこの身体から追い出す予定だったんだ――。
『でも……“命を蝕む呪い”、なんて……』
許せない。
震えていた拳を強く握り、渇いた瞳でシトを捉えた。
『謝罪じゃ到底許されないって、当たり前。どうして……?』
ひとりの女性として、紘也を愛したから――?
“祈り女”として、シビュラを救うため――?
何だとしても、許されない。
『其方ガ恨ムベキハ、私。申シ開キモナイ』
だから。
すべてが終わった時は――。
『え……?』
声を落としたシトが、なにかを言いかけた、その時。
「匡花さん……! 大変なんだ! どこにいる!?」
遠くから、少年の声が響いた。
普段とは違い慌てていて、一瞬誰だか分らなかったが――あれは。
『紘也さん……?』
暗闇が裂け、頭上に隙間に光が差し込んだ。
瞬間――伸びてきた黒い鼻先に、身体を引っ張られた。
「わっ……!?」
暗闇にいたはずなのに。現実の光が、まったく眩しく感じない。
はっきりした視界の中に映ったのは、ゆっくりと瞬く黄金眼だった。
「えっ、初代様?」
いつの間にか、彼の背には乗せられている。さらに隣には、青ざめた紘也が乗っていた。
「もしかして、泥から出してくれた……?」
「落ち着いてる場合じゃないんだって! 見てよこれ!!」
紘也の手によって、強引に扉の方へ顔を向けさせられると――そこに広がっていたのは、黒い沼だった。
「え……なに、これ」
呪詛体、そして同じ呪いの泥を操るドラグを中心に――扉を巡る大乱闘会場が、半透明の泥に覆われている。
「ドラグ様……目を覚ましてください!」
ここからでは声が届かない。
泥を恐れて逃げ惑う人族たちを、触手が追いかけ回しているというのに――。
こうなったら。
「初代様、どうかお力添えを……!」
以前ドラグの暴走を鎮めてくれた、ご先祖様に頼るほかない。
「お願いします」と、祈るように手を合わせたが。
『あれの力は進化し過ぎてしまった。もう、俺には止められん』
「え……? では、どうしたら!」
『お前だ、嫁御よ』
子孫の、“最愛の者”しか止められない――本気の黄金眼を向ける初代様の言葉に、息を呑んだ。
「私が……」
結局私は、これまでも暴走を止められていない。
本当にできるのか――?
でも。
このままでは、夫がより力を消費してしまう。
夫の命が、あの理不尽な呪いに擦り減らされてしまう――!
『どんな君でも僕は……こうしたいかなって』
二度、抱きしめてくれた彼。
最初は私の中身が「エメル」だと偽っていた時。
そして二度目は、中身が「匡花」だと告白した時。
私が彼を、取り戻さなきゃ――。
「……参りましょう、夫のもとへ」
不安げにこちらを見つめる紘也。
静かな決断を待っていた初代様。
動かなくなってしまった、呪いの根源――。
すべてを見つめ、最後に黒い沼の中心で暴れる夫竜を見据えた。
「必ず、“人生の推し”を取り戻します」
次回:祝福の翼EX
「彼女は自分から僕を選んでくれた。
だから……この呪いはもう、“僕のもの”だ」




