99話 落成式:扉を壊すものたち
「シトの身体を見つけたんだ」
紘也は事実だけを告げ、すぐに『異世界の扉:落成式』を執り行うと宣言した。
「待ってください! まだ万博は……」
「待ってだって? ボクはもう十分待った」
1000年の間、この瞬間を待ち望んでいた――震える声を吐いた紘也は、私の前に手を差し出した。
「ほら。キミも帰りたくなったんでしょ?」
「それは……」
「嘘だった」とは、まだ言えない。
「……シトっ」
紘也を説得できるのは、彼を愛したシトだけだ。
どうして彼女は、いつまでも私の中から出てこようとしないのか――何度も胸の中で呼びかけるが、返事はない。
「いくよ。朝が来る前に」
目の前へ差し出されていた紘也の手が、自ら私の腕を掴んだ。
「帰るんだ……元の世界へ」
初代ドラグの背中から見下ろす、夜明け前の大庭園。
そこは、天を突き刺す扉を囲む、屋台と人であふれ返っていた。
「圧巻だね! 『シビュラ万博』なんて、よく思いついたもんだよ」
「……ありがとうございます」
自分たちの冬毛を売るウェアウルフたち、占いをするレヴナント族、インスタントコーヒーを配る人族のコンビニ店員たち――。
そんな中、扉の前には、転生者らしき人間たちの「帰還列」ができている。
「あんなにたくさんの人たちが『帰りたい』って思ってるんだ。扉を大きく作って正解だったなぁ!」
いよいよ帰れると思っているからか、紘也はご機嫌だ。
その一方で、やはり何かを諦めたような目をしているが――それは、1000年分の疲労が蓄積した結果なのだろうか。
それとも。
「紘也さん、本当によろしいのですか?」
「ん、なにがー?」
非道になりきれる人間に見えない。
何か迷いがあるように見える。
そう投げかけると。
「それは買い被りってもんだよ、匡花さん」
匡花と呼ぶ声が、どこか遠く感じた。
「言ったでしょ? 何があっても、扉は開くよ」
たしかな口調で言い放ち、紘也は再び扉を見据えた。
「……そう、ですか」
私たちを背に乗せている初代様は、ただ黙って飛んでいるだけ。
魂だけの存在――霊体のままのエテは、いつまでも私の周囲にまとわりついている。
『匡花、この人は無理やり止めなきゃ止まらない』
「エテ……」
エテは、私に紘也を止めさせる計画を立てた1人のはずなのに。
妙に落ち着いた様子だ。
まるで、「彼を止める計画はうまくいっている」というかのように。
『それで、ワチは本当にお姉の身体を見つけたって?』
「うん。ボクの優秀な部下がね」
ずっと、神域でイオの姿を見ていない。
もしかして――シトの身体を見つけたのは、彼なのではないか。
胸がざわついた、瞬間。
「あれは……」
シビュラ中から集まった見物客や屋台スタッフたちの中に、異様に目立つ「赤」を見つけた。
イベントステージに仁王立ちしているのは、燃えるような赤髪に、頬の鱗をもつ女性――いつもの派手な格好ではないが、シオンが誇る“スーパーカリスマモデル”を見間違えるわけがない。
赤髪の雌型竜人に見惚れていると、ウインクが返ってきた。
「えっ……本当にゲルダ?」
ドラグの前妻にして、シオン領最強の竜ロードンの現妻。
そして。
私のライバルでもある、美魔女竜――その素晴らしい身体のラインが、鋭さを増していく。
やがて燃える鱗が爆ぜ、彼女は瞬く間に竜の姿へと変身した。
「うわぁぁぁ! ドラゴンがいるぞ……!!」
「みんな逃げるんだ!」
扉前に並んでいた人族たちが、騒ぎ出した瞬間。
「え……?」
ステージ上で起きたできごとに思わず、目を奪われた。
ゲルダの周囲にいた観衆がエプロンを脱ぎ、一気に竜の姿へ変化したのだ。
信じられない光景に、胸が高鳴る――彼らはゲルダの合図で、扉めがけて突進していく。
コーヒーを配っていたシンシアおばあちゃんも。他領のブースにいたオークやゴーレムたちも。
種族や強弱関係なく、みんな、みんな。
その光景はまるで、シビュラが一斉に牙を剥いたかのようだった。
「皆さん……!」
シオンの竜人族を筆頭に、このシビュラに生きる異種族たちが、自分たちの世界を守ろうとしているなんて――。
全身が震え、目が溶けそうなほど熱くなる。
私が見たかった光景よりも、ずっと圧巻だった。
「なんだ、これ……?」
隣の紘也は、小さなつぶやきを繰り返していた。
『シビュラ万博』の異種族スタッフたちが、制服やエプロンを脱ぎ捨て扉へ向かっていく様子。それを、口を開けたまま眺めている。
彼の困惑した視線の先には、ただ一心に、“シビュラを壊す敵”である扉を破壊しようとする者たちの背中がある。
「匡花さん、キミは……」
最初からこのつもりだったのか。
「帰りたい」という願いに賛同してくれたのではなかったのか――か細い問いかけに対し、首を横に振った。
「でも……キミも俺と同じだったんだろ? 一瞬でも、現実から逃げられた気になったんじゃないか!?」
ワチの怒りと悲痛に満ちた表情が、かつて迷いを抱えていた胸に突き刺さる。
それでも顔を上げ、震える唇を噛んだ。
「ごめんなさい、紘也さん……私は」
ここもまた、元の世界と同じくらい大切な“現実”。
何があっても私は、愛しているシビュラの味方だから――そう、はっきりと宣言した。
夫や仲間たちに頼んで、シビュラ中の異種族たちに危険を知らせた。そうして集まったのが、この万博の面々だと。
「……っ!」
表情を崩した紘也と、無言で睨み合ったところで。
『エメル……!』
耳になじむ呼び声が、騒ぎの中でもはっきりと響いた。
ドワーフたちがツルハシを、ノームたちがスコップを抱えて扉へ駆けて行った後のブースには、黒い大きな影が残っている。
あれは――愛すべき私の夫。
「ドラグ様……!」
叫んだ瞬間。
地上のブースにひとり残っていた竜が、大きく羽ばたいた。
『エメル、迎えに来たよ……!』
初代ドラグの鼻先まで迫ったドラグは、私の姿を確認した後――鋭い黄金眼を、紘也へ向けた。
『シビュラを危険に晒す扉を壊して、妻も取り返す……!』
「ドラグ様……」
約束通り、来てくれた――。
ほっとしたせいか、我慢していた涙が一気に込み上げてきた。
ダメだ、まだ早い。
まだ、何も終わっていない――!
「……ドラグマン」
ドラグの真っ直ぐな宣言に対し、紘也は眉根を寄せた。
彼が今呼んだのは、夫ではない。夫が名前をもらった、初代ドラグマンの方だ。
『すまぬな、子孫よ……役目を終えるまで、嫁御を返すわけにはいかん』
やはり。ハロウィン選挙の時に聞いた言葉を、彼は曲げる気がないみたいだ。
『なぜ、あなたが僕の前に立ちはだかるのですか……!?』
それでも――シビュラを害する人間に、シビュラの古代種である彼が加担するのはなぜなのか。
ドラグの問いかけに、初代様は黒い焔を吐き出した。
『演説で話したことがすべて……だが。もうひとつ教えてやろう、子孫よ』
救世主を解放してやりたい。
一切飾りのない言葉に、喉が塞がれた。
異種族たちの争いを調停し、この豊かなシビュラを作り上げたのも、また彼自身――彼が半分壊そうとしているこの世界は、本来彼の賜物だと。
『己の築き上げたものの半分を捧げて、願いを叶えようというのだ。俺に止める道理はない』
『……っ』
ドラグと一緒に、私も言葉を失った。
紘也はずっと待っていた。「元の世界へ帰る」ことを心の支えにして。
それでも――。
この世界に生きる彼らを犠牲にして良い理由にはならない。
反論しようと息を吸った、直後。
『シビュラの命は、ひとつも奪わせない』
先に声を上げたのは――なんと、ドラグだった。
自分よりひとまわりも大きな先祖に、堂々と相対する夫。
そして彼は、最後に吼えた。
『何より妻が、それを望んでいるから』、と。
「ドラグ……」
『大丈夫。僕はもう、飛べるんだ』
かつて呪いを受けた翼は、力強く羽ばたいている。
出会った頃の、卑屈な夫竜はもういない。
最後まで見ていないと、ダメなのに――ついに、熱い滴が頬を伝った。
『テメェひとりじゃ一生無理だわ!』
涙が一瞬で引っ込むような咆哮。
とっさに涙を拭えば、黄金の鱗をもつ筋肉竜が、くっきりと視界に映った。
ドラグを目の敵にしていた彼が、いま、ドラグの隣に並んでいる。
『ロードン……!』
『出張戦闘料は高くつくって、ゲルダから伝言……』
さらに隣へ並んだのは、蒼い鱗をもつスペース・イケメン竜――ボロネロ。
私が呼んだ中に、竜人族はいなかった。
孤高の彼らは、私の指示には従わないと思っていたから――。
「皆さん……どうして」
『んなの当たり前だろーが』
シビュラに喧嘩売るやつは敵。
それに、ドラグの敵は俺の敵だ、と。
いつか私の腹を裂いた竜は、がなるように吼えた。
『後妻、竜たち元どおりにしてくれた……感謝』
「ボロネロ……」
真の領主決定戦で和解した、ドラゴンたちの絆をひしひしと感じる。
せっかく引っ込んだ涙が、また胸に込み上げてくる――。
「……なんだよそれ。なんなん……なんなんだよ!!」
「……っ」
聞いたこともない紘也の声色に、全身が凍りついた。
すぐ隣から発せられる、黒い絶望のオーラ――でも。
顔を上げた彼の目には、涙がにじんでいた。
「え……?」
中身は、私よりも年上の彼。しかも、この世界で1000年の時を過ごしてきた、神にも等しい彼が――泣いている。
「分かってるんだよ……っ、ぜんぶ! 俺はどうすれば良かったんだ?」
天秤にかけられた、“シビュラの犠牲”と“帰りたい想い”。その中に射し込まれた“シト”というぬくもり。
あまりにも長すぎる時間の中で変わっていった、己の決意――紘也の戸惑いと恐怖、諦めが肌を刺すように伝わる。
息ができないほどに、胸が締めつけられる。
「……紘也、さん」
彼は迷っていたんだ――。
「何があっても扉を開く」と繰り返しながら、ずっと。
私と同じように、彼は――この世界を、愛していたんだ。
「自分が変わったのを……認めたくなかった。だから」
自然と手が、彼の震える肩に伸びていた。
秘めた想いを教えてくれた彼の温度が、触れたところから伝わってくる。
「私も同じでした、紘也さん」
「え……?」
かすかな希望に縋るような目が、こちらを向いた。
「この世界で過ごすうちに、思い知ったんです……ここは紛れもない現実なんだって」
だから、ふたつの世界の間で揺れたこともあった。
でも、私には――彼がいた。
「私はこの世界を……夫を選ぶことにしました」
完全に迷いを捨て切れたかと言われれば、そうではない。
でも――。
「もし私が、今もあなたと同じ想いだったら。犠牲を出さない道を見つけるまで、“帰省”はお預けにします」
「……!」
大切なものを犠牲にして、帰る道を選んでしまったら――きっと元の世界でも、心をシビュラに置いたまま過ごすことになる。
そう耳元で囁くと。
「……そっか」
紘也は涙を拭い、ひとつだけ深い呼吸をした。
「みんなのために、この世界を発展させたのに……僕が壊したら、意味ないよな」
「……ええ。ここは“ゲーム”ではありませんから」
いつか紘也が言っていたように、都合が悪くなってもリセットなどできない。一度きりの世界だ。
初代ドラグの背に座り直した紘也は、扉を守る神官たちと、扉を壊そうとする異種族たちの軍団を見下ろした。
「みんな、止まってくれ……! もうやめよう――」
紘也の決意に、胸を高鳴らせた――その時。
彼の叫びが、熱く爆ぜる何かに遮られた。
「え……?」
紘也と私を引き裂くように、間を通り過ぎていったのは――たぶん、燃える矢。
『エメル……!!』
ドラグの咆哮の直後、ようやく気づいた。
浮遊する初代様の背中に乗っていたせいで、感覚がおかしくなっていたが――私、落ちている。
「え、ええ……っ!?」
矢の勢いに煽られたのか――いや、そんなことを考えている場合ではない。このままだと命はない。
ドラグか、竜の誰かが助けてくれるのでは――いや。扉の裏側に弾き飛ばされたみたいだ。旋回してこちら側に来るには、時間が要る。
「……っ!」
数十メートルの高さを、ゆっくりと、でも確実に落ちていく中。
走馬灯のように蘇るのは――同じく落ちていく時の光景だった。
資材盗難事件の犯人がエルフだと疑われて、ミス・グラニーが我を失った時。竜巻に飛ばされた私を、受け止めてくれたのは――。
「大丈夫、絶対に受け止めます」
「……え?」
聞き間違いではない。
地上で大きく腕を広げているのは、目の覚める金髪の彼。
「私を信じて」
「……っ」
彼を見た瞬間、思い至った。
先ほどの燃える矢は、第五神官イオのもつ神器によるもの。
彼は私を、意図的に打ち落としたのだ。
次回:100話 異世界で待ってたんだ
「おじさんとおばさん悲しませる気? 匡花」




