97話 シビュラ万博【当日】
「いやー、嬉しいなぁ! 匡花さんが決心してくれたなんて」
『シビュラ万博』の企画を詰めていく間に、すっかり紘也は信じつつあった。私が、「元の世界へ帰りたくなった」のだと。
「でも、映画見てる途中に倒れかけたんだって?」
「それは……」
「ミレイユから聞いた」と詰め寄る彼に、つい顔を背けてしまった。
この身体は、元々あまり丈夫ではない。今に始まったことではないから、と弁解したところ。
「そーいう時は、気心の知れた人が側にいると安心だよね」
「え……?」
「あったかくして待ってるよーに」と言い残し、ワチは部屋を出ていった。
どこかへ飛んでいったきり、帰ってこない部屋の主――初代ドラグ不在の塔に残され、独りこたつに入っていると。
「奥方殿、大事ないか?」
「っ……!?」
突然上から降ってきたのは、久々に見る当家の執事。
「あ、あ、アレスター!?」
久々に私を驚かせてご満悦の、ショタじじ吸血鬼だった。
この人、私を安心させるために呼ばれたではないのか――体調次第では、心臓が止まっていたかもしれない。
「そもそも、どうして紘也さんがアレスターと……?」
まるで共通点が見当たらないと言えば、彼は当たり前のように正面へ腰かけた。
「実は数百年前から、ちょっとした顔見知りでのう」
「知り合い……?」
アレスターは、ゲームでも人気だった領主クラスのキャラクターだ。
ワチが認知していて、自分から接触した可能性もある。
でも、どんな関係なんだろう――?
「まぁ、それはどうでも良いことじゃ」
にっこり微笑むアレスターは、口元に手を当て囁いた。
「主人から事情は聞いておる」
私が、ちゃんと例の扉を壊そうと考えていること――それはシオン領の一部に伝わっていると、アレスターは言う。
「……そう、ですか」
紘也との関係は気になるが、信頼できる彼が来てくれたことは心強い。
そんなアレスターに手を引かれ、神域の広大な庭先に出た。
「ほれ、指示通りノームたちも連れて来たぞ!」
「わっ……すごい!」
シオン領のノームたちだけではない。
ただ純白の石畳が広がっていただけの庭には、各領から集まった“出展希望者”たちがテントを設営している最中だった。
中には、トロイカから持ち込んだ髪飾りやオーナメントを並べるドワーフ族の姿もある。
「お主の出した“お触れ”を、神官たちがシビュラ中へ伝えたのじゃろう」
「でも、まさかこんなに早く集まるなんて……!」
設営を終えた店は、すでに営業を開始していた。
「ちょっと見て回らんか?」
体調が良ければ、と付け加えるアレスターに、思い切り首を縦に振った。
「平気です! 参りましょう」
異種族たちが、自分たちの特産品や技術を持ち寄るお祭りなんて――“シビュラ箱推し”勢がうらやむこと間違いなしだ。
ケーキを持って飛び交うピクシーたちを避けながら、まずは自領のブースを見に向かった。
「シンシア、お疲れ様です!」
「あらあら、エメル~」
私の“シビュラのおばあちゃん”――もとい、シオンのカフェマス&ギルマスを務めるノーム族のシンシア。
彼女が出店しているのは、もちろんあの飲物。共同開発した、“キノコーヒー”だ。シオンでも大盛況だった「バフ効果付きコーヒー」は、ここでも人気を集めている。
「ご覧の通り、大好評なのよ~。でも」
どのバフ効果を選ぼうか、悩む客が多いという。
「でしたら、お手伝いいたします!」
体調は平気なのか、と度々心配するアレスターに微笑み、「ちょっとだけですから」と右目に触れた。
【能力鑑定】を使うと、体力を消耗するが――せっかく来てくれた彼女たちの店を繁盛させたい。
熱く溶けそうになる右目を押さえたまま、列に並ぶ異種族を視線でなぞれば。スキル名入りの、ダイアログが表示される。
「スライムの貴方へおすすめなのは、『魔力増強』ですわね。双頭犬のあなたには『筋力増強』などいかがでしょう?」
『おおっ! 吾輩の能力が分かるのか?』
『便利な魔眼だニャ』
あとは客層をだいたい把握して、対応表を簡単に作成しておけば――お手伝いノームたちでも対応できるだろう。
アレスターがもって来てくれた羊皮紙に、予想できるスキルと種族名を書き出していると。
「エメルと出会ったばかりのこと、思いだしたわ」
「え……?」
シンシアは「ちょっとしゃがんで」と、手を上下に振った。
言われた通り、膝を折ると――小さくも暖かい手に、身体を引き寄せられる。
「あっ……」
この世界で、私を初めて抱きしめてくれた手。
カフェの新装開店で大成功した、あの時と同じように――ノーム族のおばあちゃんは、私を優しく包み込んでくれた。
「あなたには、シオンのみんながついているわ」
だから、安心して。
彼女の甘くとろけるような声に、身体の力が解けていった。
「はい……おばあちゃん」
正面で見守るアレスターは、静かに頷いている。私たちを、懐かしむように見つめながら。
その後も、シオンから来てくれたお店には、ひと通り顔を出すことができた。
「あやつら、いつにも増して騒がしかったのう」
「はい! とっても楽しそうでした」
農業体験型リゾート『エメル村』の責任者である、オーク族の少女・カナメロ。彼女と一緒に野菜市を出店していたのは、『エメル村』の実務リーダーであり、エルフ族の長の弟・ナノ。
相変わらず機嫌が悪い“2.5次元俳優ルック”のエルフを、落ち着いたオークが操縦していた。
「夜風は冷えるから」とアレスターに言われて部屋に戻らなければ、もう少し眺めていたかったくらいだ。
「バルコニーで我慢せい。ここからも、連中のお祭り騒ぎが見られるじゃろ?」
魔法で浮かぶランタンが灯った後も、万博ブースの賑わいは続いている。
うわさを聞きつけたトウキョウトの人族たちが、「夜市」をぶらつくような感覚で遊びに来ていた。
「あっ、ジュード様」
野菜市の手伝いにきたのだろうか。『エメル村』の創設に携わってくれたオーク族の神官ジュードが、こちらに手を振っている――大胸筋が躍り出そうなほどの、パッツパツのエプロン姿で。
「ふふっ……あはははは! やつめ、まーた騙されおって」
「あっ! またアレスターが衣装を渡したのですか?」
ほんとこのショタじじ吸血鬼、いい加減にしてほしい――私の腹筋を終わらせようとしている。
「たしか、前もこんなことありましたよね?」
資材を盗んだレヴィンの贖罪に付き合うため、ジュードも一緒にグロウサリア家で“タダ働き”をしていた時のことだ。
「“筋肉メイド”、見ものだったじゃろう?」
「それは……最高でしたけれども」
冗談はさておき。
ジュードが抱えて宣伝している巨大カブは、懐かしの“魔性カブ”だ。
「故郷の地を求め、シオン領へ侵入したオーク族。シオンを大食いオークどもから守りたい、エルフ族……あの時は、どうなることかと思ったが」
対立を収めるため、「カブの大きさ勝負」を提案してくれたのは、隣にいるアレスターだった。
あれで、オークたちの命運が決まったんだっけ――。
今では談笑する仲になった、オーク族の少女とエルフ族のひねくれものを眺めていると。
「本当に、お主はよくやった」
「え……?」
ずっと冗談めいた口調だったアレスターが、突然笑いを消した。
隣にいるのは、少年の姿をした彼なのに――オレンジ色の灯りを見下ろす横顔が、トロイカ領で見た大人の姿と重なる。
「いつか云ったな。知らぬ土地へ嫁ぎ、出会って間もない男との関係に翻弄され……それでも大変よくやっている、と」
忘れるわけがない。
ドラグとの関係に悩んでいた夜、救われた言葉だ。
「お主は、ワシを信頼してくれておるな」
「それは……もちろん」
なんだろうか。
また、雰囲気が変わった。
これから何かが起こるような――それでも、憂うような横顔はこちらを向かない。
やがて白いため息が、彼の紫色の唇から漏れた。
「ワシがグロウサリア家に長年仕えた理由……それは」
長い一拍のあと、彼が口にしたのは。
「『匡花』を待っていた」
それは――彼が知るはずのない名。
「え……?」
屋台のざわめきが消えた、空白の中。
自分の声だけが、はっきりと響いた。
暗い光を宿した赤眼は、まだこちらを見ない。
「神王の命を受けてな。ドラグの祖母の代から100年……お主を待っておった」
紘也の命令とは。
双子の呼び出した、“ワチに対抗できる魂”の様子を観察すること――淡々と発せられたひとつひとつに、心臓が軋む音を立てる。
アレスターは、いったい何を言っているのか。
「では……『匡花』が“あちらの世界”から転移するのを、グロウサリア家に仕えながら待っていたと……?」
「ああ。それが、“神官”として受けた命じゃった」
“神官”――?
するとアレスターは、出会ったことがないと思っていた、“第4神官”だったということ。
「では、貴方は……」
紘也側の者なのか。
「私が転移者だって知りながら、今まで接してたの……?」
バルコニーを吹き抜ける夜風が、先ほどよりも冷たく感じた。
「『裏切られた』……そんな心持ちじゃろうて」
否定できない。
彼は最初から知っていたのだ。
私が何者か、どうしてこの世界に呼ばれたのか、すべて。
「双子の呼び出した、“ワチに対抗できる魂”の様子を観察すること……それが、貴方に与えられた仕事だったのですよね?」
「ああ」
そうだとしたら。紘也や神官は、双子の計画を知っていたということか。
紘也に次ぐ、『シビュラ』プレイヤーランク2位――この世界を愛するであろう私を、紘也を説得するために呼び出した、彼女たちの目的を。
「承知しておったとも。だからこそワチは、お主がいつ転移してくるのかを見張るよう言い付けたんじゃ」
「そんな……」
どうして私が、ドラグのいるグロウサリア家で目覚めると分かっていたのか。
なぜ、エメルの身体に転移したのか――それも、時渡人と一緒に。
分からないことはまだあるが、今もっとも胸を占めているのは――。
「ぜんぶ嘘、だったのですか?」
『お主はよくやっておる』――あの慰めも、いつかの夜の温度も。すべて、紘也の命令だったのか。
震えを抑えた問いかけに対し、アレスターは俯いた。
否定も肯定もしない。
「……無言は肯定ですか?」
「違う、とは言えんな。じゃが」
言葉に乗せた思いは本物――そう言って、アレスターはようやくこちらを見た。
「なにも明かしたくはなかった」と、言いたげな目で。
「私だって、信じたいです! ドラグ様と同じくらい、誰よりも信頼してきた貴方だから……」
胸に開いた穴が広がっていくように、呼吸が苦しくなっていく。
夜風がなでる肌の表面が、凍りつくようだ。
「……ゆっくり、暖かいところで話そうぞ」
アレスターに手を引かれても、最初は足が動かなかった。
これ以上、彼の本当の顔を知りたくない――。
「お主は巻き込まれた。だが、ここへ来た後のことは、すべてお主自身が決めたこと」
「え……?」
だから最後の選択も、「エメルレッテ」ではなく「匡花」がするべき――そう言って、アレスターは私の冷えた身体を引き寄せた。
「あ……」
こんな風に、彼に抱きしめられるのは初めてだ。
彼の髪や首筋から、「異国の風」のような匂いがする――。
それに、吸血鬼は竜以上に低体温のはずなのに。今は私の方が、ずっと身体が冷えている。それほどまでに、アレスターの胸が熱かった。
「おるのじゃろう、“シト”」
「え……?」
確信をもった指先が、私の心臓の上に触れた。
思わず一歩下がろうとすれば、強い手に引き留められる。
「巻き込んだからには、この者にすべてを話すべき……それがお主ら“祈り女”の責任というものじゃろう」
芯の通った声に、頭が支配される中。
胸の中にあるもうひとつの鼓動が、静かに脈打った。
エメルの胸の中にいる“時渡人の魂”。
それが今、かつてないほど揺れている――まるで、アレスターの追及に怯えるかのように。
次回:エメルレッテと匡花
『あたしが頼んだんだ。あたしの肉体に入った匡花を、導いて欲しいって』
「え……?」
ついに再会した、“エメルレッテ”の身体と魂。
世界を救うために、シビュラの双子巫女がした決断とは――。
「夫は……このことを知っていたのですか?」
本当は訊きたくない。
でも――知らないままではいられない。
おびえながらも、エメルはドラグの真実に迫る。




