1話 推しの妻とか、マ?
初投稿「異世界転生×領地経営×ロマンス」です。よろしくお願いします。
Dear エメルレッテ嬢
この度は、我が主ドラグマン・グロウサリアとの婚姻にご承諾いただき、誠にありがとうございます。式の前に、以下の点について最終確認をお願いいたします。
・主は竜人族であり純粋な人族とは異なる
・領主の妻としての公務が発生する場合あり
・主は二度目の結婚
何卒、よろしくお願い申し上げます。
PS: 何度も破談になっておるから、再確認をさせてもらうぞ。考えを変えるのなら今のうちじゃ。ドラゴンと契りを交わしてからでは遅いのだからな。
from グロウサリア家執事・アレスター(お主のことが心配な吸血鬼より)
1話 推しの妻とか、マ?
『目覚めなさい匡花。じきにヴァンパイアが来ます』
二日酔いの頭に響いたのは、厳かな女性の声――そして推しの咆哮だった。
「……ドラグ、様?」
昨晩は大きなプロジェクトを終えた勢いで、職場の幼なじみとサシ飲みしてから帰宅したはず。『幻想国家シビュラ』にログインしたまま寝てしまったのだろうか――スマホを手探りで探すが、見つからない。
「ん……あれ? 頭痛くない」
普段ならば、あの酒豪に付き合えば翌日は悲惨な目に遭うというのに。ようやく開いてきた目を擦り、部屋を見渡すと。
「……どこ、ここ?」
ワンルームの我が家には、大理石の床もレトロな家具も、まして天井にはシャンデリアもない。しかもなぜか純白のドレスを身に纏い、天蓋付きのベッドに転がっていたようだ。
「まさか……っ!」
幼なじみと酔った勢いで大人のテーマパークへ乗り込んでしまったのか――全身から血の気が引いたが、ベッドには他に誰の姿もない。
あぁ、これはアレだ――夢か。
「良かった……ん? あのロゴなんだっけ?」
まだ炭が赤い暖炉の縁には、見覚えのある竜の紋章が刻まれている。高級車か香水のロゴだっただろうか。ともかく海外のホテルにいる夢を見るなんて、相当酔っていたのだろう。
ふと、ベッドの横にある鏡台に視線を向けた瞬間――見知らぬ花嫁と目が合った。
「ご、ごめんなさい! 勝手に入って」
こちらが後ずさるのに合わせて、美女も同じ動きをした。
「あ、あれ?」
目を見開けば、彼女も琥珀色の目を見開いている。いや、そもそもこれは鏡のはず――。
「私……なの?」
中肉中背、スタイルも平凡な自分が、骨格からして別人になっている。結婚願望などないというのに、純白のドレスは嘘であってほしい。
「……でも本当によくできてるな、私の夢」
2次元にしか存在しなさそうな美女の、人形のような顔立ち。青みがかった緑髪が透ける、純白のベールに見惚れていると、背後から軽快なノックが響いた。
「おそよう、奥方殿。初夜はどうじゃった?」
白い彫刻の扉をすり抜けてきたのは、燕尾服の小柄な少年。赤い瞳に青白い肌と、人間離れした容姿――『シビュラ』に出てくる吸血鬼に似ているが、それより。
「し、初夜って何のことですか?」
「なーにを寝ぼけとるんじゃ。昨日ドラグの妻になると、神父の前で誓ったばかりじゃろうて」
妙に大人びた雰囲気の少年は、紫の唇の隙間から鋭い八重歯をのぞかせた。
「え……『ドラグ』って、まさか、グロウサリア家の?」
「左様。お主、エメルレッテ嬢は本日より当家の一員……なんじゃその格好、昨日のままではないか」
そういえば、あの暖炉に刻まれた竜の紋章――この豪華ホテル仕様の部屋は、ドラグ様のお屋敷の中。まさかあまりにも推しすぎて、『幻想国家シビュラ』の登場人物、ドラグ様の妻になる夢を見ているなんて――相当疲れていたのか、飲みすぎたのか。
「推しに認知されるどころか結婚とかあり得ない……いやそもそもエメルレッテって誰なの?」
「先ほどから何を早口でわめいとるんじゃ」
首を傾げる少年を振り返り、現状を話すことにした。「気づいたらこの格好で、ここに寝ていました」――そう説明した途端、明るい雰囲気が一変。赤く光る瞳に捉えられ、身体がまったく動かなくなった。
「とぼけようが、今さら取り返しはつかんぞ? 忠告はしたはずじゃ」
否定しようにも、声が出ない。見えない手に絞められているかのようだ。
「おっと、すまぬ」
彼の視線が外れた途端。固まっていた全身が、指先まで自由に動くようになった。
「……っはぁ! 何今の」
呼吸まで止まったかのように苦しかったが――私の夢、感覚までリアル過ぎる。
「気を抜くとすーぐ魔力が漏れ出てしまう。ワシも年かの」
「……念のため確認しますが、あなたはアレスター・クラウディウス卿では?」
キョトンと目を見開いた少年は、「いかにも」と妖艶な笑みを浮かべた。
「ワシは執事のアレスターじゃ。初めまして、とでも言わせる気か?」
やはり。『シビュラ』で人気の高いショタじじ吸血鬼、アレスターに違いない。ダントツ優勝の推しには及ばないが、好きなキャラの1人だ。
「すごっ……喋ってる! でも、どうしてアレスター卿が執事を?」
彼はドラグ様と同格の、領主クラスのキャラクターだったはずだ。
「お主ぃ、まだ頭が寝ておるのか? ならば忌々しい日光をたっぷり浴びて目を覚ますがよかろう」
笑みを深める彼に手を引かれ、光の射し込む全面窓の前に立つと。鳥とは違う大型の獣が、朝日を遮りながら通り過ぎて行った。
「あああ、あれ、まさか」
つい最近、どこかで見たことのある光景――というのは、今はどうでも良い。黒い鱗と翼をもつ、あの神々しいお姿は。
「アレとはなんじゃ! お主の夫が、上空から領地の視察をしているところじゃろうに」
「私の……夫」
小山のような竜、もとい推しは、青空を旋回しながら金色の瞳をこちらに向けた。
「まぁ本当にあの小僧、見ているだけなのじゃが。それはさておき、朝食の前に着替えを……ってお主、泣いておるのか?」
「推しを拝めた嬉し涙ですから、お気になさらず」
夢の中とはいえ、推しが目の前を飛んでいらっしゃる――ただでさえ忙しない心臓が、今にも破裂しそうだ。
『夢ではなく転生したのです、匡花』
聞き覚えのある厳かな声が頭に響いたが、今はそれどころではない。推しの姿を余すところなく目に焼き付けなければ――。
「やはり妙じゃのう。まるで人が変わったようじゃが」
「えっ、わたし……私はエメルレッテでございますわ!」
お嬢様言葉とは、こんな調子で良いのだろうか。いっそ夢から覚めるまで『シビュラ』の世界を楽しむとしよう。どこから出てきたのか分からない、エメルレッテ嬢として。
「……そうか。では、着替えが終わったら呼ぶと良い」
アレスターは首を傾げつつも、さっさと部屋を出ていった。
「着替えって、勝手にやっていいのかな?」
領主夫人ともなれば、専属メイドの1人くらいいそうなものだが――特に誰かが入ってくる様子もないので、天井に届きそうな高さのクローゼットを勝手に開いた。
並んでいるのは、派手か地味かの違いしかない、色とりどりのドレスだ。
「ここでTシャツが出てきたら冷めるところだったわ〜」
一番布面積が多い春色のドレスを、胸元の紐と格闘して何とか着終えると。
「うん、ビューティフルじゃな! では朝食に向かうぞ。ドラグは先に待っておる」
すると食堂では、推しが巨大なイスにふんぞり返ってお待ちなのだろうか。「私の夫」という設定は歯がゆいが、せっかくならば間近でお姿を拝みたい。
「それにしても……」
大理石の廊下はところどころ傷がつき、調度品の装飾には埃がうっすらと積もっている。領主の屋敷にしては、どこか妙に荒れているような気がする――まさか、この世界線ではグロウサリア家の領地経営が上手くいっていないのだろうか。
「おん? なんじゃ」
「あっ、いいえ、何でも……」
先導するアレスターに前を向くよう促し、彼の後に続いた。
しかし長い廊下を歩いていても、誰ともすれ違わない――私が『幻想国家シビュラ』でドラグ様とともに治めるシオン領では、ドラグ様はご立派なお屋敷を構え、百を超える使用人をお抱えになっているはずだ。
「……夢なんだから、そんなところ気にしちゃダメだよね」
今はそれより、リアルな推しと邂逅する心の準備をしなくては。
胸の高鳴りが治まらないまま、ステンドグラスの美しい食堂に通されると――黒のローブを羽織った男性が、生気の抜けた顔を上げた。
「え……だれ」
ドラグ様ではない。頭に描いていた漆黒竜の代わりに、人間と竜が混じった姿の男性が、ポツンと長テーブルに着いている。
まさか、あの漆黒の髪と2本のツノ、蛇のように鋭い金色の目は――。
「ドラグ様、なの?」
猫背の男性は一瞬目を見開くと、明らかに視線を逸らした。
「存在すら記憶から消されてたとか……そうか。だから昨晩は寝室に来なかったのか」
違う。
この挙動不審な竜人が、あのドラグ様であるはずがない。顔は直視できないほどの美形、椅子に座っていても分かる高身長だが――絶望を具現化したような黒いオーラが、それらの要素を打ち消している。
「とにかく座ったら……ほら。この家も前は賑やかだったんだけど、2人だけでゴメン」
山麓の田舎町シオンの領主で、少々強引な勇ましいドラゴン――という公式設定の推しは、こんな風に優しくイスを引かない。
「私の夢なのに、クオリティ低すぎないか……?」
『ですから夢ではなく、転生したのです』
謎の厳かな声はひとまず置いて、推しについて冷静に考えよう。
中身の変化に気を取られていたが、そもそも種族が変わっている。推しの漆黒竜は完全な竜であって、人型になれる設定などなかったはずだ。
「……無視、ですか」
「え? あっ、ごめんなさい!」
脳内会議に集中し過ぎて、完全に推し(?)を放置していた。頭を低くしつつ、引いてくれたイスに腰かけると。
「そ、それで昨晩のことだけど。あまり先延ばしにしても何だし。今夜こそ、僕の部屋にお願いします……聞いてる?」
「ご、ごめんなさい! 私は何用でお部屋にうかがうのでしょう?」
推し(?)の観察に集中していて、最後の部分しか耳に入らなかった。
「何用って、昨夜できなかったことを」
ドラグ様(?)は警戒するように周囲へ視線を配っている。というより、目が泳いでいる。
「とにかく、待ってるから」
「え……はい」
ひとまず頷くと。ふと、推し(?)の背後に控える執事と目が合った。鋭い牙を見せて笑う彼を見た瞬間――『初夜はどうじゃった?』――寝室での会話がよみがえる。
つまり「昨夜できなかったこと」、とは。
「まさか……っ!」
推しに邪な気持ちを抱くなど、たとえ夢の中でもあってはならない――自分を全力で殴ってでも、早く夢から醒めなければ。
次回:初夜イベ回避なるか?