第一話 「魔王討伐」
「我の野望も、ここまでか……」
漆黒の衣装を身にまとった男が、俺たちの目の前で苦しそうに膝をついている。
男は二十代ほどの青年に見えるが、頭部からは赤黒い角が生えており、全身からは目に映るほど強力な邪気が迸っている。
その姿からもわかる通り、男は人間ではなく異形の怪物――“魔族”だ。
しかもただの魔族ではない。その種族を束ねて軍を構成し、人々から生存圏を奪い続けてきた“魔王”と呼ばれる恐ろしい存在である。
しかしそんな魔王は今、全身を傷だらけにしながら跪き、一人の青年に剣の切っ先を向けられていた。
「魔王ステイン。これまで多くの人々を手にかけて、恐怖や苦しみを与えてきた罪、死をもって償ってもらうぞ」
その青年は銀色の前髪の隙間から、宝石のように輝く碧眼を覗かせて、瞳に正義感の炎を囂々と宿している。
彼の名前はブロード・レイヤード。
神から【勇者】の天職を授かった、魔王を倒す使命を背負った選ばれし人間である。
人は生誕より五年の歳月が経過すると、『祝福の儀式』にて神から天職を授かることができる。
天職を授かった人間はスキルや魔法といった超常的な力を行使できるようになり、それが魔族に対抗する最善の手段として用いられている。
その人がどのような天職を授かるかは、文字通り神のみぞ知ることであり、人格や適性など様々な判断要素から天職が選出されていると言い伝えられている。
そしてブロードは天職の中で最も戦闘能力に長けた【勇者】の天職を授かり、その名に恥じぬ功績を上げ続けて、ついに四人の仲間たちと共に魔王を追い詰めるまでに至った。
勝利が目前に迫ったその時、魔王ステインは悔し気な顔を上げて勇者ブロードに問いかける。
「若き勇者よ。最期に一つ聞く」
「……なんだ?」
「貴様らの持つ剣や鎧、傷薬や解毒薬など、いったい誰が手掛けたものだ?」
ブロードはそのような質問をされると思っていなかったのか、意外そうに目を丸くする。
同じくブロードを見守っている他の仲間たちも、怪訝な表情をしてお互いに顔を見合わせていた。
「これほど上等な装備を打てる名匠や、万能薬を量産できる薬師は聞いたことがない。よもや人類の持つ技術は、魔族の想定を遥かに超える進歩を遂げたというのか?」
これはおそらく、負けたことに対する疑問を晴らそうというものではない。
魔族の長として、これから残される魔族たちの行く末を考えたゆえの問いかけだろう。
ブロードもそれがわかったのか、あるいは魔王に少なからずの情けをかけたのか、偽りのない答えを返した。
「誰も何も、すべてそこにいる仲間のフェルトが手掛けたものだよ。彼は【道具師】だからね」
「道具師……? ありふれた生産職の道具師が、これらを手掛けたというのか……?」
他の三人の仲間たちよりも、さらに後ろの方に控えている俺に、魔王は見張った目を向けてくる。
よもやこれらの装備や道具を揃えたのが、道具師の俺だとは微塵も思っていなかったのだろう。
けれどそれは事実だ。
勇者ブロード、賢者ビエラ、聖騎士ラッセル、聖女ガーゼ。彼らの装備を手掛けて、様々な道具でサポートしていたのは俺――道具師フェルトである。
魔王ステインは顔に驚愕の思いを残したまま、諦めたように顔を俯かせる。
そして勇者ブロードが剣を振り上げる中、魔王は最期に誰にも聞こえないくらい小さな呟きをこぼした気がした。
「最も警戒すべき相手を、我々は見誤っていたのかもしれん……」
勇者ブロードは剣を振り下ろし、魔族の頂点に立つ魔王ステインのその首を刎ねたのだった。
こうして人類の悲願であった魔王討伐が叶い、世界に平和が訪れた。
いまだ闊歩する魔族は世界に多く存在するが、魔王から力を供給されていた奴らの勢いは確実に衰えることになるだろう。
それを成し遂げた英雄として、勇者ブロード率いるこの勇者パーティーは、人々から多大な称賛を送られることになるはずだ。
冒険者たちに魔王討伐の使命を授けたトップス王国のジャカード国王様からも、相応の褒美をもらえるのが確定している。
それらの喜びを噛み締めるように、魔王城からの帰路を歩く中、勇者ブロードがしみじみと呟いた。
「この五人で旅ができて、本当によかった」
あまりにも唐突な台詞に、全員が怪訝な顔でブロードを見る。
その中の一人――紫色の長髪と眼鏡、抜群のスタイルが特徴的な、賢者ビエラ・マニッシュがブロードに問いかけた。
「突然どうしたのよ? 気恥ずかしいこと言って」
「これで僕たちの旅も終わりだからね。言いたいことは言っておいた方がいいと思って」
そう、このパーティーの旅はこれで終わり。
俺たちは魔王討伐を志した者同士で手を組み、ついにその目標を達成することができたのだから。
そして間近に迫った別れを思ってか、ブロードは皆に言いたかったことを今のうちに伝えてしまおうと思ったらしい。
「賢者ビエラ。多彩な魔法の数々と卓越した知恵と戦略でパーティーを助けてくれて、本当にありがとう」
「魔王討伐のためだもの。礼には及ばないわ」
ビエラは称賛の言葉を真っ直ぐに告げられても、紫の長髪を手で靡かせて、相変わらずクールな態度を示した。
しかし実のところ、褒めてもらったのが少し嬉しかったのか、密かに頬を緩めている。
素直じゃないところは実にビエラらしい。
続いてブロードは緑髪の巨漢に視線を移す。
「聖騎士ラッセル。強靭な肉体と誰よりも大きなその体で仲間を守ってくれて、本当にありがとう」
「……ん」
聖騎士ラッセルはその大きな体に見合わず、小さな声と共に軽く頷いた。
ラッセルは体が大きく細目の強面で、よく周囲の人間たちから恐れられている。
しかし実際はこの五人の仲間の中で一番物静かで口数が少なく、誰よりも優しい心の持ち主だ。
次いでブロードは、水色ショートボブの気だるげな様子の少女に告げる。
「聖女ガーゼ。君は……」
「どういたしまして」
「まだ何も言ってないんだけど」
ブロードは呆れた笑みを浮かべる。
ガーゼは面倒くさがり屋でテキトーな性格をしている無気力少女だ。
こういう改まった場面でもマイペースを貫き、それがかえってパーティーを和やかなムードにしてくれたことが多々ある。
狙ってやっていることなのか、はたまた天然なのかはいまだ定かではない。
ブロードは改めてガーゼに対してお礼の言葉を告げると……
「そして、道具師フェルト」
最後に俺の方を向いて、見慣れた笑みを浮かべた。
「手掛けた規格外の道具だけじゃなく、荷物持ちや皆の身の回りの世話もしてパーティーを支えてくれて、本当にありがとう。何より、僕の幼馴染として、最初に魔王討伐の旅について来てくれて」
「……こっちこそ、こんな俺を旅に連れ出してくれて感謝してる」
俺とブロードは同じ村の孤児院で育った幼馴染だ。
そしてお互い十二歳になった時、ブロードが魔王討伐の旅に誘ってくれて、俺たちのこの旅が始まった。
ブロードからの誘いがなければ、この仲間たちと出会うこともなかったし、楽しい思い出を作ることもできなかった。
六年にも及んだこの旅で得られたものはあまりにも多い。だから感謝しているのはこちらの方だ。
「ここにいる誰か一人でも欠けていたら、きっと魔王討伐を果たすことはできなかった。僕たちの固い絆が、世界を平和へと導くことができたんだ。これで僕たちは王都へ帰れば、魔王を打ち倒した英雄として称えてもらえる」
今からそのことを考えているのか、皆は心なしか誇らしげに胸を張っているように見えた。
ただ素直じゃないビエラは、軽く鼻を鳴らしながら言う。
「まあ、私は魔王討伐の褒美がもらえればそれで充分なんだけれどね」
「そういえばビエラは魔王討伐の褒美で、ジャカード国王様から古代遺跡への立ち入り許可をもらうと言っていたね。すぐに遺跡調査へ出るのかい?」
「えぇ、そのつもりよ」
魔王討伐を果たした冒険者は、冒険者大国のトップス王国を統治しているジャカード国王から褒美を賜ることができる。
その褒美でビエラは、特別調査団体のみが立ち入りを許されている古代遺跡への入場許可をもらうと前々から言っていた。
知識欲の塊である彼女にとって、古代遺跡は知識と歴史の宝物庫らしい。
同じように他のメンバーたちも、すでに魔王討伐の褒美を決めている。
「ラッセルは動物保護団体の拡張の志願。ガーゼは働きたくないから巨万の富だったっけ? 統一感がないところが僕たちらしいよね」
「そういうあなたこそ、故郷の村の孤児院を潤すために資金援助を要請するのでしょう? お人好しは勇者の使命を全うしてからも直りそうにないわね」
ビエラが呆れた様子で肩をすくめて、ブロードは苦笑を浮かべていた。
傍でその会話を聞いていた俺は、密かに安堵の息をこぼす。
故郷の村の孤児院は、ブロードがなんとかしてくれる。
それならやっぱり、何も心配はいらないな。
するとブロードは、今度はこちらに視線を向けてきた。
「そういえばフェルトは褒美で何をもらうつもりなんだい? 前から『考えておく』とだけ言っていたけど」
「あぁ、そのことなんだけど……」
確かに考えておく、とは言っていたけど、少し前から俺の中でその答えは見つかっていた。
「俺、魔王討伐の褒美は受け取らないから」
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