306号室 【夕陽のような少年をご案内】
太陽が落ち始めた夕立の空。綺麗なオレンジ色の天井が広がっている。その下で公園のベンチにただ寝そべりながら時間が過ぎるのを待っている少年。見た目的には小学校低学年といったところだろう。友達と遊んだ後だからか洋服と靴が砂汚れで汚れていた。周りでは蝉達が必死で命の限り鳴いている。少年の頬や額には汗が滴っていた。日陰といえどまだまだ夏の終わりになったばかり。暑さはまだ健在な日々。それでも少年は帰ろうとはしない。しかし暑さは我慢できても、あともう一つは我慢できない。少年のお腹からぐぅ~と空腹を知らせる音がした。
「……くそ。腹減ってきた……。」
そう一人で呟き、頭上にある時計を見たら17時38分と針が教えてくれた。それを確認すると少年は、はぁとため息をつきながらゆっくりと起き上がった。そしてトボトボトと歩き公園の水飲み場の蛇口をひねってぐびぐび水を飲み始めた。しかし、水では腹は膨れない。
「…………水じゃあ、ダメか……。」
少年もそれに気付きとりあえず公園を出ることにした。そして右に曲がった先が家なのだが、通りに出て、一瞬悩んだ後に左に曲がった。
それでも少年はまだ帰ろうとしない。
「確かもうちょい先に図書館があったから、自販機とせめて涼しい所に行こう。」
一人ボソッと呟くと少年は足早に歩き始めた。しばらくまっすぐ15分くらいそのまま歩き続けると少年の前に図書館が見えた。少年はまるで宝の城を見つけたかのように駆け足で自動扉を抜けた。一歩抜けた瞬間、天国に到着したような気持ちになった。最高だーと小さいで呟きながら通路の端にある自販機へと向かうと何やら張り紙が貼ってあった。
『現在故障中。お求めの方は3階へ』
少年にはまだ読めないが明らかに使えない自販機に何となく察し、言われた通りにエレベーターへ向かった。さすがに暑すぎて階段は登りたくない。そしてちょうど下についていたエレベーターに乗って3のボタンを押した。ガコン……ウィーンと古めかしいエレベーターは上へ上がりポーンと到着の音がした。扉が開いた瞬間ルンルンでフロアに出ると真っ暗いフロアについた。そして目の前の胡散臭い笑顔の男の人が声をかけてきた。
「今宵は四階へようこそ。藤崎様。」
急に知らない人に名前を呼ばれたので少年はたじろいだ。そしてじーっと疑いの目をその変な頭の男の人に注いでいると、何となくその目線を察したのか男の人が話し始めた。
「あ、もしかしてこの美しい髪型を保つ秘訣ですか?これはですね、日々のブラッシングの賜物でして……。」
「おじさん、、、誰?あやしい人でしょ。」
「おっ、おじさんですか!私まだこの世だと26歳に見える歳のはずなんですがっ…はっ………もしかして今のニーズに合ってないのか……。」
そう言うと目の前の男の人が後ろを向き、ボソボソ何かを言い始めた。少年は今のうちに逃げようとエレベーターの方に振り返ると、とてもとても大きい扉が待ち構えていた。その扉にはついこの間漢字テストでやった"四"の文字が見えた。少年はあまりの出来事に後ろに尻餅をついた。すると頭上からニョキっと黒いキノコが生えてきた…いや黒いキノコ頭が飛び出してきた。
「あ、藤崎様~お怪我はございませんか。申し遅れましたが私こう言うものでございます。」
そう言うと、上から紙を一枚渡してきた。それを恐る恐る手に取ると紙には、しかいしんこういんにがみと書かれていた。ただ読めてもちんぷんかんぷんすぎて反応に困る。
「にがみさん?」
「はい。何でしょう、藤崎様。」
「自販機ってどこにある?」
「……。ございませんよ?」
「だって3階にって書いてあったよ。」
「だってこちら四階ですもん?ありませんよ。」
「……じゃあ、オレンジジュース下さい。」
「……藤崎様、私、受付係でもホールスタッフでもございません。」
「……。」
「……。」
お互い謎の沈黙が始まった。男の人はどうしましたと言いたげな顔でこちらを見てる。そして少年は目の前の生きているキノコ男になんだこいつとまたまた疑いの視線を送った。
「にがみさんってあぶない人…?」
少年は変な事をされないかという不安があったので恐る恐る聞いてみた。すると仁神がいいえと言いながら首を横にふった。
「藤崎様、とりあえず座りましょうか。そちらに椅子があるのでぜひぜひお掛けくださいませ。」
仁神にそう言われてあたりを見回すといつの間にか近くにいかにも高級感があるような黒革のソファが鎮座していた。若干抵抗があったが、暑い中歩いたのもあり、足も疲れたので渋々座ることにした。座ると涼しいところにあったからか少しひんやりした。
「さて、藤崎様そろそろお話を……。」
「にがみさん……。それやめてくれない?あんまりみょうじでよばれたくないんだよね……。直人でいいよ。」
「……承知しました。直人様、お話をさせていただきますね。」
そう言いながら仁神は指を鳴らして目の前には何かの書類が出てきた。
「え、すっげー。おれマジックはじめてみたよ。」
「あー…これはマジックでは……ま、そういうことにしておきましょうか。直人様、このままだとズバリ命の危険があります。」
「…………え、にがみさんってうらないし?」
「違います。直人様、真面目に聞いてもらえますか?」
「そんなへんなあたました人なのに、まじめにきいてってむりがあるとおもうよ。」
「へっ変な頭!?ひっ、ひどい!私のこだわりのヘアスタイルですよっ!」
「だってかなりダサめだよね……。」
「……っ。」
仁神はショックがデカイと言いながら胸元をぎゅっと握りしめた。直人はさすがに言い過ぎたと思い慌てて、ごめんなさいと頭を下げた。それを仁神は確認すると深呼吸を数回してまた話し始めた。
「すみません。取り乱しました。ところで直人様は何故、ご自宅に帰らないんでしょうか……。」
その一言に直人はビクッとした。何故自分が家に帰るのを遅くしているのに気づいているのか…。
「……べつに。ただ家にいたくないだけだよ。」
「新しい家族の空間は居心地が悪いですか?」
「え……。なんで、そのことしってるの…………?」
「書いてありますから、こちらに。」
と、言いながら資料をヒラヒラと直人に見せた。
「……にがみさんって、やっぱあぶない人でしょ……?」
「いえいえ、危ないのは直人様でございます。」
「……そういうことじゃないんだけど……。」
直人はこの人と話すの疲れるなとこの時点で少し思い始めた。そんなことも多分気付いてなさそうなキノコ頭の人は、手に持った書類をペラペラとめくり始めた。
「さて、直人様。こちらをご覧下さい。」
仁神が指をパチンと鳴らすと急に黒い砂時計が出てきた。さっきからどういう仕組みなんだろうか。
「こちらをよーく、見て下さい。」
仁神は砂時計のふちを指差していたので、言われた通りそこをよーく見てみた。
――――藤崎直人 98歳 残数788,400時間――――――
――――危険性大 8歳 熱中症による死亡フラグ―――
「……え、おれ、死ぬの……?」
漢字が沢山でよく分からないけど“8“と”死”って書かれているので何となくだが分かった。
「そうですね。このままだと死にます。」
「…………ほんとに……?」
「ええ、左様でございます。」
仁神があまりにもハッキリと躊躇なく言うので直人は混乱した。まさか自分の命がもうすぐ終わるなんて思ってもみなかった。でも少しだけ受け入れられてしまう自分が出てきてしまった。
「……いいよ、べつに……。」
「………………。」
「……たぶん、おれ、いらない子だから……。」
「……と、言いますと……?」
「……おれの母ちゃん、今、おなかに赤ちゃんがいて……。母ちゃんのカレシだった人がパパになるんだって……。」
直人は下を見ながら足をブラブラさせた。
「母ちゃん…………さいきん、おれのこと、、たぶん、きらいなんだとおもう……。」
「何故、そう思われるんですか……?」
「だって、、、このあいだのじゅぎょうさんかんも、たくさん手あげられるようにべんきょう、がんばったけど……これなくて、かわりにあいつがきて……あいつにみせたかったわけじゃないし……。」
「…………。」
「……いえ、かえると……母ちゃん……ぜんぜん、はなしもきいてくれなくて……ねてばっかで……あそんでも…………く、くれなくて……。」
直人は自分で言ってて、どんどん辛くなって、悲しくなってきてしまい、目の前が涙で見えづらくなってきた……。
「だ、だから…………たぶん、、、おれが、し、しんでも、あかちゃんが……いれば……。」
「直人様、それだとこちらが困ります。」
急に仁神が話を遮ってきたので、直人は歯を食い縛りながら顔を上げた。仁神は頬杖をつきながら笑いもせず、泣きもせず、ただ淡々と話してきた。
「こちらも誰彼と連れていくわけにはいかないんですよ。特に直人様の場合は早すぎます。あと788,400時間もあるのにも関わらず、そこを無理やり無くすとなると……私が上司に怒られて、始末書を書かされて、残業になって……考えただけでも恐ろしいっ!ゾッとします!」
そう言うと、仁神は自分の身体を擦りながら小刻みに左右に身体を揺らし始めた。直人からしたらその不気味な光景こそ恐ろしいと心の中で思った。大体大人なら今みたいな話をしたら励ましたり、慰めたりするんじゃないだろうか。
「にがみさんは………さびしくなったりすることある……?」
直人は鼻をすすりながら質問をしてみた。
「ないです。」
「ないの?」
「ないです。」
「これっぽっちも?」
「はい。これっぽっちも、ないです。」
「…………にがみさんって、いがいとワイルドなんだね。」
「……どちらかと言うとマイルド顔なはずですけど?」
仁神は両頬に人差し指をそれぞれ添えながらニコッとした。たぶん笑顔を作っているみたいだが、とても気持ち悪い笑顔に指をつき指しているようにしか見えない。直人はだんだん仁神の事が面白い人のように感じて、思わずクスクス笑った。すると頭の上のほうからカーンカーンと高い鐘の音が鳴り響いた。最近見たアニメに出てきた教会の鐘の音みたいだなと思いながら、直人は鐘がどこにあるのかキョロキョロした。しかし音の大きさのわりには、どこにもそれらしき物は見えなかった。直人は見つけられず諦めようと、また仁神の方へ顔を向けるといつの間にか仁神は目の前のすぐ近くに立っていた。
「……っうわ!び、ビックリした。」
「これはこれは、大変失礼致しました。……ところで直人様、お母様が寝込んでいる理由はご存知ですか?」
「……しらない。」
「じゃあ、お見せしましょう。あちらのモニターをご覧下さい。」
仁神はそう言いながら、モニターの近くに歩き始めた。あのモニターいつからあったんだと直人は疑問に思ったが、そんなことはお構い無しに仁神はリモコンでモニターをつけた。するとノイズ音がざーっと鳴り響きながら、画面が数秒砂嵐状態になった。その後パチと画面が切り替わった。病院だろうかベッドに横たわっている母ちゃんがいた。点滴が腕に刺さっているようだった。
〔藤崎さん……やっぱり入院しない……?まだまだ夏日だし、赤ちゃんもママも何かあってからじゃ、遅いよ?〕
〔ううん……ダメ……。上の子がまだまだ小さいから、側にいてあげないと……。〕
〔旦那さんに相談してみたらいいじゃない。〕
〔…………上の子は……まだ彼と距離があって…………それに私、最近、あの子に我慢ばっかさせてて…………本当は一緒に色んなとこ行ってあげたいのに……これ以上、あの子を寂しくさせたくないの…………すみません。わがままで……。〕
〔……藤崎さん……。〕
モニターはそこまで映すとプツンと消えた。
「…………母ちゃん、たいちょうわるいの…………?」
「そのようですね。」
「……母ちゃん、にゅういん、しないといけなくらいわるいって…………し、しんじゃうの……?」
「…………砂時計的には問題ないので、、死にはしないですけど……お辛いでしょうね……。」
「…………。」
直人は母親が辛そうにしているのを目の当たりにして、ショックが大きかったのかそのまま黙ってしまった。すると仁神はまた資料をペラペラとめくり始めた。
「……直人様、新しいパパはお優しいようですけど、あまり好きじゃないんでしょうか。」
「……や、やさしい……?あいつが……?」
「えぇ、お誕生日に自転車もプレゼントしてくれてますし……。」
「…………おれ、じてんしゃ、まだ助けなしじゃのれないもん……いやがらせだよ……。」
「乗れるように練習なさればいいんじゃないですか。」
「…………だって、、、あいつと2人じゃ、やだ……。」
「……他にも、ご飯もお母様の代わりに、頑張って作ってくれてるようで……。」
「あいつのオムライス、ぐがママとちがうんだもん……。」
「……それを教えて差し上げたらどうですか……?」
「…………おれのこと……じゃまっておもってるもん……。だって、なんか話しかけてこないし、だまってこっち見てるかおがゴリラみたいで……こわい。」
「じゃあ、そちらも見てみます……?」
「え。」
するとまたモニターが砂嵐の後に、パチンと画面を映し出した。あいつが働いてるところで、誰かとご飯を食べてるところが映った。
〔……お前、またオムライス食べてるのか……?〕
〔ハハハ……なんか、俺の飯だと上の子が食べてくれなくて……。〕
〔お前、嫌われてるなぁ……まぁ連れ子なんて、そんなもんだろう……。〕
〔……やっぱ、母親をとった奴……なんすかね……俺?〕
〔そりゃ、そうだろう……。まだ小さくても考えてることはあるんだろうし……何かあげたりするんじゃなくて、ちゃんとコミュニケーションつくってやらないとなぁ……。〕
〔…………そうっすよね……〕
〔それにお前、黙って見てると顔がゴリラだから怖いんだよ……もっと笑えよ……。〕
〔えぇ、ひどくないですか……じゃ、じゃあ、今度の休みは頑張って公園とか誘ってみようかな!お弁当のおかず、何が好きか聞いてみます。〕
〔いいじゃねぇか。嫁さんにも聞いてみろよ。〕
〔はい!俺、あの子にも……直人にもいつかパパって認めてもらえるように頑張るって決めてるんで!〕
またしてもモニターはプツンとそこで消えた。直人はさっきとは違い、今度は信じられないという顔をしていた。
「…………おれ、、、なんにもしらなかった…………。」
「子どもになんでもかんでも言えないのが大人なんでしょうね……。素直が一番って言うんですけどね……。」
「おれ、きらわれてるわけじゃない……?」
「嫌ってたらお弁当なんて作らないんじゃないですか?」
「………にがみさん、おれ…………やっぱり……。」
「…………。」
「…………ま、まだ…………死にたくなっ!……。」
そう言った途端、さっきの鐘の音が盛大に鳴り響いた。さすがに音が大きすぎて、直人は思わず両耳をふさいだ。しかしあまりの大きさに頭がズキズキと痛んできた。直人は耳をふさいで頭を抱えながら薄目で仁神を見た。仁神は何かを話しているようだったが何も聞こえない。そしてだんだんと視界がボヤけ始めた。直人はあぁやっぱ死なないとダメなのかなと思いながら、ゆっくりと目を瞑り、暗いくらい暗闇の世界へと溶け込んだ……。
「――――と、――――おとっ!」
頭の上から誰かが声をかけている。
「直人っ!……直人、聞こえる!?」
「………………母ちゃん……?」
ゆっくりと、目を開けると目の前で母親とあいつが泣きながら側に立っていた。
「……よ、良かったぁ……直人……っ生きてて……っ」
そう言うと、母親は俺をぎゅっと抱き締めてくれた。
「おれ……生きて……る?」
「生きてるよぉ……っ、熱中症で倒れてたのを図書館の人が見つけてくれたんだからぁ……。ポケットにたまたま名札が入ってたから、連絡ついたんだよぉっ!」
「……しんぱいかけてごめんなさい。」
俺は母親の肩越しに父親になる人をチラッと見た。
「…………と、とうちゃんも、、ごめんなさい。」
俺は勇気をだして初めて呼んでみた。すると父親になる人は目を丸くして、さらに声を出しながら号泣し始めた。あまりの声の大きさに途中で看護師さんが静かにして下さいと叱りにきた。父親になる人はすみませんと頭を何度も下げてた。
「な、直人……君、生きてて良かったぁ、、俺、、直人君に認めてもらえる父ちゃんになるからぁ……な、仲良くしてくれるかい……?」
「…………じゃあ、こんど、、、じてんしゃ……おしえてよ……と、、とうちゃん。」
「……っ!」
「……あ、あと、さ、オムライス……玉ねぎ入れないで……欲しいんだけど…………。」
俺がそうお願いすると、またしても泣きながらうんうんと、すごい勢いで頷いていた。その会話を見て、隣にいた母ちゃんも笑いながらすごい泣いていた。俺もつられて思わず泣いてしまった。その数分後にまた看護師さんに怒られるのは言うまでもない。
それから数ヶ月して、俺に妹が産まれた。すごいフニャフニャしてて今にも壊れそうなくらい小さい。触るのも怖いくらいだ……。だけど手に指をくっつけると、グッと握ってくる手はとても温かい。
「か、母ちゃんっ!にぎった!お、おれの指、ぎゅって!」
「本当だね……お兄ちゃんがいて嬉しそう……。」
「……おれ、98さいくらいまで生きるらしいから、母ちゃんに何かあったらおれが助けるよっ!」
「えぇ、なにそれ……なにかの占い……?」
「うぅん。にがみさんが言ってた!キノコ頭のおもしろい人っ!」
「…………キノコ……?」
「……うん!」
「ただいまぁ~。」
「あっ!父ちゃんだ……っ!」
そう言うと、直人はバタバタと玄関まで走って行った。
パチン。ザー、ザー、ザー、ザー…………
「……キノコ頭の面白い人って…………あんまり嬉しくはないですね……。」
仁神はリモコンを置いて、自分の頭を触りながらそろそろ美容院に行かなくてはと席を立ち、暗闇の中へ進んで行った。