6 セクハラの定義
パチン。倉庫部屋にあるあたしの左目が開いた。砂尾さんのドアップが目に飛び込んできた。今は夜の七時を回ったところ。
「俺……間違ってるのか……いや間違ってない。会社の人間の見た目に対する評価は、男女や善し悪しに関係なくセクハラだ。髪、切ったね、似合ってるよ……とか、駄目なんだ」
砂尾さん、落ち込んじゃっている。これも、あのごまかしナチュメイクババアのせいだ。
「セクハラって男だけじゃないよな。巻田さんにも注意した方がいいんだろうか? あの子、よく触ってくるんだよなあ」
砂尾さんもダマスカラのセクハラ、嫌だったのね!
「わかってる。勘違いしないぞ。彼女が俺に惚れるなんて、ありえない。それはコミックの世界だ。こっちはニ十も年上、父親みたいなもんだ」
長い指がごま塩頭をクシャクシャ乱している。なんかかわいい。
「俺は勘違いしないが、人によっては勘違いするよな。注意した方がいいか? でも俺は彼女の上司じゃない。上司は開発課長だ。じゃ、開発課長に頼む? いやいやいや、それも変だ」
今度は砂尾さん、巻田さんのことで頭を抱えちゃったよ。
「大体なんであの子、変な色に髪染めてるんだ? 化粧もすごいケバい。ああいうのタイプじゃないんだよ。仕事できるんだから、普通にすればいいのに」
ふふ、砂尾さんがダマスカラをディスるの聞いてると、なんかうれしい。
「それに、よく胸の谷間が見える服着てるけど、困るんだよ! そっちに目がいっちゃうじゃないか! ただでさえ、胸、大きいのに」
ちょ、ちょっと、砂尾さん何言ってるの?
昼間、砂尾さんがダマスカラの谷間「チラ見」してたの、気のせいじゃなかったんだ! 大山さんよりずっとセクハラ! 変態親父!
「・・・・・・俺、何言ってるんだ? 化粧が好みじゃない? 胸が大きい? それこそセクハラだ! 二度としないって決めたんだぞ」
砂尾さんがガバっと起き上がった。途方に暮れた顔をして天井を見つめている。
「社員を見た目で判断しちゃ駄目だ。彼女は仕事ができる。谷間が見える服を着てるのは俺のためじゃない、暑がりなだけだ……いや?」
ずるい、巻田さんずるいよ。男はEカップ女子に弱い。あたしには……その武器はない……。
「あの子、大山君と仲いいよな。今日の昼ご飯、二人で盛り上がってた。それに彼女、美樹本さんを褒めてた大山君に怒ってたな。あれは、俺に気を遣ってくれたと思ったが……」
またごま塩頭をクシャクシャ長い指でかき回している。
「妬いていたのか? 気になる男がほかの女性を褒めてたから? ……彼女が谷間を見せるのは、あいつに好かれるためか?」
砂尾さん、また起き上がると、今度はマウスをカチカチ始めた。それ、されると、くすぐったい。
「いや、いいんだ。ソーシャルディスタンスで、業者の打合せも全部ウェブ。これじゃ社内で相手を見つけるしかない。うちは社内結婚多いし、若い二人が仲いいのは、いいことだ。俺はこんな歳で、今更無理だし……」
今度は、銀ぶち眼鏡を外して、中指で眉間をグリグリ押しはじめた。疲れているんだね。疲れている砂尾さんをいやしてあげたいけど、あたしができることは限られている。
「正常温度です」
「あれ? そうか、またロビー音声のモニターモードになってたな」
砂尾さん、マウスでメニューを触りだした。すごくゾクゾクする……あ……いや……やだ、そこはいじらないで!
「正常温度です」
マウスの動きが止まった。あたしの口は呼吸できないけど、心がホッとする。
「まあ、音声モニターモードのままでもいいか」
お願い。あたしをいじらないで。そのままにして。あたしが砂尾さんとお話しできる時間は、限られているの。
リノリウムの床が鳴った。
いやだな。邪魔が入ってきた。せっかく砂尾さんと二人きりだったのに。耳が痛くなる甲高い声が、狭い部屋に響いた。
「砂尾さん、大丈夫ですか?」
「うわっ! 巻田さんどーしたの、こんな時間に?」
砂尾さんが、椅子から飛び上がらんばかりに驚いている。そりゃそうだよね。悩みの元のダマスカラが、突然現れたんだもの。
彼女はピンクのゆるふわロングヘアとEカップを揺らして、砂尾さんが座る椅子の後ろに回った。
その時。見たくなかった決定的瞬間を見てしまった。砂尾さんが彼女の胸元に視線を送ったの!
あたしは、六十分の一秒ごとに、見たことをばっちり記憶できるんだよ。