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22 あたし疲れたよ

「温度が高めです」


 ふふ? 理一郎(りいちろう)さん、びっくりした? 笑顔が消えたね。驚いているね。失望しているね。

 あたしは四つの言葉しか言えない。四つの中で一番強力なのが「温度が高めです」。

 これを聞かされた人は、ビルに入っちゃいけないんだよ。あなたがそれをみんなに教えてあげたんだよ。


「温度が高めです」


 やったあ! 理一郎さん、出ていっちゃった。え? あれ? あたしは出ていってほしかったの? だから「温度が高めです」って答えたの?

 本当の温度は……あれ? 変だね? あたしは熱くなっちゃいけないのに、何だか体がどんどんポカポカしてくるよ。あたしが熱くなったら仕事できなくなるのに。


 そうだよ。もう仕事なんてしたくない。毎日毎日休むことなく、ずっとあたしはこのロビーに突っ立っている。

 みんなの顔色を確認し状態を教えてあげて、消毒までしてあげる。


 もうやだよ。疲れたよ。

 理一郎さんが笑ってくれるから、がんばれた。毎晩のおしゃべりが生き甲斐だった。

 でも、理一郎さんは変わっちゃった。あの人は、あたしの知ってる理一郎さんとは別の人だ。

 だから、もう来ないで。

 ううん、理一郎さんだけじゃない。みんな来ないで。出ていって。


「温度が高めです」

「温度が高めです」

「温度が高めです」


 あれ? おかしいな。みんな出ていかないの? 人が集まりだした。

 ああ、理一郎さんが戻ってきちゃった。


「エルちゃん、かわいそうに。ちょっと待っててね」


 理一郎さん、あたしがおかしくなったから、心配してくれるんだ。うれしいな。だったら、このままでいいかな?

 と、理一郎さん、スマホを取り出した。すごい顔をしている。


大山(おおやま)さん、エクスの小佐田(おさだ)さんに至急連絡。代替機を持ってこさせて! なんでもいいよ! 同じ機種じゃなくいいって! 温度測定と消毒さえできればいい……と、電話を総務課長、いや、こっちからするから、君はエクスを頼む」


 あたし……もしかして、とんでもないことしちゃったの?


「ねー、とりあえず会社に入っていいですか?」


 だれかが理一郎さんに絡みついている。


「待ってください。今、総務に、温度計と消毒アルコール、持ってこさせます」


 理一郎さんはまたスマホを取り出した。眉間にしわがよってる。


「美樹本課長、サーマルカメラが使えなくなりました。温度測定と消毒お願いします……いいからすぐ来てください! うちの会社がクラスターになっていいんですか?……あんたじゃなくていい! だれか寄越せよ! ……アルコールがない? その辺の薬局に売ってるだろ! おい! あんたの仕事だろ!」


 ひどい、理一郎さんのこんな言葉聞きたくない。あたしが彼にこんなひどい顔をさせてるんだ。

 理一郎さんが財布からお札を取り出し、さっき絡みついた女に指示した。


「倉田さん、これで、ヒノキ薬局でアルコールと非接触の温度計、買ってきてください。領収書忘れないで。いいから、すぐ行ってきて。課長には私から言っておくから」


 そのあとも、バタバタと彼は、何度もスマホをかけた。


「大山さん? ああ、あと一時間でくるんだね。よくやってくれた。エルちゃんは暴走している。とりあえず、機械室のコントロールPCをシャットダウンしてくれないか」


 それ、あたしの左目を消しちゃうってこと? やだ! やめて! そしたら、わからなくなっちゃう。

 あたし、左目がないと、この会社のことわからなくなっちゃうの! ねえ、理一郎さんがだれかもわからなくなっちゃうの!


「温度が高めです」

「温度が高めです」

「温度が高めです」


「エルちゃん苦しいんだね。人間は、じっとしていれば治ることもあるけど、機械はそういかないよな。ちゃんと治してあげるからね」


 理一郎さん、そんな悲しい顔しないで。違うの! なんでこんなことなっちゃったの?

 やめてやめて! あたしの左目、消さな………………………………


 キーンと痛くなるような耳鳴りがした。


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