2 彼だけが笑顔を向けてくれた
目覚めて四日たった。毎日、八時から九時の間にやってくる人たちは、ひととおり覚えた。
いつもどおり、マスカラダマの00125さんが来て、そのあと00126さんが来た。あれ? ぽっちゃり刈り上げの00024さん、ようやく出勤だ。いつもはもっと早く来るのに。
「正常温度です」
「正常温度です」
「正常温度です」
あたしは顔だけではなく、みんなが何時にビルに入ったか、ちゃんと覚えている。
と、00024さんのあとに、知らない人がやって来た。00024さんよりずっと年上のヒョロヒョロしたおじさん。髪はふさふさしているけれど、ところどころに白いものが混じってる。銀ぶち眼鏡がいかにも冷たそうな感じ。
新しく見る顔だから、名前を付けてあげよう。おじさんは00272さんね。
ちゃんと顔もチェックする。はい大丈夫。
「正常温度です」
00272さんは、みんなと同じようにあたしの中に手を入れてきた。
でも、その次はみんなと違った。
おじさんは、にっこり笑って手を振ってくれたの。
え?
銀ぶち眼鏡の奥の目尻が、シワシワになっていた。
鼻から下はマスクで覆われていてわからなかったけど、口も笑っていたみたい。
「正常温度です」
「正常温度です」
あたしは毎日繰り返す。ほとんどの人は、黙ってあたしの中に手を入れて立ち去っていく。
でも、銀ぶち眼鏡のヒョロヒョロおじさんは違う。
ピースサインをしたり、親指を立てたりと、あいさつしてくれる。
00272さんだけは、あたしに微笑みかけてくれる。
いつものようにあたしはおじさんに、「正常温度です」と返事した。
と、後ろから、あのぽっちゃり刈り上げの00024さんが追いかけてきた。
「なに、手ェ振ってんすか、キモイっすよ」
ひどい! ガキのクセに00272さんに『キモイ』ですって!
「正常温度です」
でもいくらあたしが腹を立てても、00024さんの顔はちゃんとしていたから、こう返事するしかない。
00272さん『キモイ』なんて言われたら、泣いちゃうんじゃない? それとも怒るかな?
あ、あれ? 00272さん、笑ってる。
「だってこのサーマルカメラ、私たちがセッティングしたじゃないか。そういうの、愛着わかない?」
「そーっすかあ? 俺にはよくわかんねーっす」
次に来たのは、巨乳でダマスカラの00125さん。はいはい。ちゃんと顔見てあげるよ。
「正常温度です」
彼女もあたしに話しかけることなく、あたしの中に手を入れる。あたしにあいさつしてくれるのは眼鏡の00272さんだけ。
「あれ? どーしたんですか?」
彼女は、耳に突き刺さるような甲高い声を、刈り上げの兄さんと眼鏡のおじさんにぶつけた。
刈り上げの00024さんが、振りかえる。
「え? いや、主任がコイツに手ェフリフリしてるから、俺、心配でさ」
ひどい! あたしを「コイツ」呼ばわりするなんて! ガキのクセに!
でも、もっとウザイのは00125。
「わかります。主任ってそういう人だもの。ただの機械って思わないで、愛情を持って大切にされてるんですよね」
ダマスカラはどさくさに紛れて、00272さんの二の腕を突っついた。
「いや、そういうことでも……それより急ごうか。エレベーターの人数制限あるからね。せっかく早く来ても、こんなところでしゃべってたら遅刻する」
あ、眼鏡のおじさん、ダマスカラの腕を振り払って、するっと逃げたよ。
なんだろ。あたし、いい気分だ。