13 あたしたちはずっと一緒だよね
「正常温度です」
毎朝、あたしは忙しい。右目をぐるぐる回して働く。
働きながら、あたしは考えていた。昨晩の砂尾さんの告白のことを。
二十年近く前、入社したての砂尾さんは、受付の派遣社員を好きになり、映画に二回誘ってやんわり断られた。
彼女は派遣元の会社に苦情を入れた。派遣会社は、当時の総務課長だった日比野さんにクレームを入れる。日比野さんは、砂尾さんのセクハラを注意した。
そして、受付の派遣さんはこの会社を去った。受付そのものがなくなった。砂尾さんはショックだっただろう。
砂尾さんがセクハラをした、という記録は残っていない。
あたしには、よくわからない。
ただ、砂尾さんが、セクハラに神経質な理由、巻田さんの思いを拒んだ理由が、わかった気がした。
あの夜から、砂尾さんは今まで以上に、あたしに話しかけてくれるようになった。
夜、みんなが帰ったあと、彼が狭い部屋であたしの左目をじっと見つめると、ドキドキして身体が熱くなる。
でも、あたしはあまり熱くなっちゃいけないんだ。熱くなると、何も考えられなくなって、みんなのためのお仕事ができなくなるから。熱出たら動けないのは、砂尾さんたちも一緒だよね。
「エルちゃん、自宅待機中、非常食がいっぱいあったから、ゴミ出し以外は外に出ないですんだんだ。まさか、こんな時に非常食を使うなんて、思わなかったな」
あたしも砂尾さんと同じものが食べられればいいのに。非常食でも何でも食べたいよ。
「エルちゃん、俺さ、理一郎なんて名前だけど、数学全然駄目なんだ。親は、理系やらせたくてこんな名前にしたらしいけどね……はは、親には悪いことしちゃったな」
そうだ。砂尾さんの下の名は理一郎だ。あたし、これから理一郎さんって呼んでいいかな? 声に出すことはできないから、心の中でね。
「大学はバリバリの文系。哲学やってた。深い意味なかったけど、カッコいいかなって思って、なのに入社時、俺が一番若い男だからって、パソコン導入担当やらされてさ……」
理一郎さん、またマウスをいじってる。くすぐったい。でもこのくすぐったさ、なんか気持ちいい。
「パソコンに男とか女とか、本当に関係ないのに。俺、マニュアルとか読むのも好きじゃないんだ」
パラパラっと、理一郎さんはパソコン脇の分厚いファイルを取り出した。
「……このマニュアル、巻田さんがまとめたんだよね、がんばってくれて……仕方ないよな、俺、彼女のお父さんみたいなもんだし……今ごろ、開発課でがんばってるんだろうな」
巻田さん? 何言ってるの? 理一郎さん、あの子が泣いちゃうぐらい振ったよね?
「……昼休み、巻田さん、大山君と『カーサ・ビアンカ』で食事してたな。二人で盛り上がってたから、俺、気付かないフリしたけど……この会社、社内恋愛にはうるさくないし、若いやつらが仲良くするのはいいことだ、うん」
「温度が高めです」
「マスクを着けてください」
ちょ、ちょっと、あたしに声出させないでよ。そこ押されると、あたし我慢できなくなるんだから!
「……俺にはエルちゃんがいるからいいか、なーんてな。さ、だれもいない我が家に帰るとするか」
理一郎さんの眼鏡に見つめられ、あたしは左目を閉じた。閉ざされた。
うん。あたしにも理一郎さんがいる。一人ぼっちじゃない。
あたしは四つの言葉しか話せないけど。
いつまでも、二人でおしゃべりしようね。




