1-4 もう来ないで
全ては、一冊の本から始まった。
ステラーは1751年、ベーリング探検隊員として得た情報。ラッコやアシカなど、数数の発見に関する観察記を出版。
アラスカでは見かけなかった『ステラーカイギュウ』についても、詳しく記載している。体の特徴、生態を含めて。
これにより悲劇が生まれる。
極寒で不毛な地だと思われていたコマンドル諸島周辺が、海獣の宝庫であると広く知られたのだ。
ラッコの毛皮を求め、毛皮商人たちが殺到。大人しいステラーカイギュウは食用肉と、灯油用の油を取るために殺され続ける。
ズドン。ズドン。
嫌な音。アレが聞こえると、悲鳴も聞こえるの。『痛い』とか『助けて』とか。
ズドン。ズドン。
もうイヤ、止めて。私たち皆、争わず穏やかに、和やかに生きてきた。ずっと前から。
ズドン。ズドン。
あの生き物が現れてから、私たちは多くの仲間を失った。食べるため? 違う気がする。だって傷つけるだけ傷つけて、そのまま去るのよ。
前に来た生き物は陸に引っ張り上げて、食べていたわ。悲しかった。でも、食べなきゃ生きられない。だから受け入れた。
ズドン。ズドン。
食べないのに、なぜ傷つけるの。なぜ殺すの。幾ら考えても、ちっとも解らない。お願いだから帰って。もう来ないで。
「子を守れぇ。」
「お母さん、怖いよぉ。」
群れの中心に子、その周りを女。その周りを、男たちが守っている。
「アッ。」
傷口からドバッと、血が噴き出した。
「あなた!」
目が、翳む。
「スフィア、愛している。」
「私もよ、アレク。愛してるわ!」
「ダニーを、頼む。」
そう言い残し、微笑みながら息を引き取った。
彼は知らない。己の命を奪った敵が、愛妻の命まで奪うと。妻の亡骸に縋る倅まで、撃ち殺すと。
アレクとスフィアは若い番で、ダニーは第一子。スフィアは第二子を孕んでおり、生まれてくるのを楽しみにしていた。
そんな一家を殺され、黙っているワケが無い。
群れの男たちが一家を守るように集まり、助けようとした。
三頭とも頭を撃たれ、絶命している。けれど聞いてしまった。愛の言葉と、子を託す言葉を。
「バカめ!」
仲間を助けようと寄ってきた海牛を、見下しながら銛で突く。
ステラーカイギュウには仲間が殺されると、助けようとするかのように集まる習性があった。その習性を、ハンターたちに利用されたのだ。
「イヤァ。」
縄が海中で前足に絡み付き、動けない。
「取れないよぉ。」
ステラーカイギュウの前足は、体の中心に向かって鉤形に曲がっている。この前足を前後に動かすことで水を掻いたり、水底を歩いていた。
「キャッ。」
縄つきの銛が飛んできて、ブスリと刺さった。
「マリィヤ!」
オスたちが見開き、ワラワラ寄ってきた。
「掛かったな。」
仲間を助けようと寄ってきた海牛を見て、ニヤリ。
メスが傷つけられたり殺されたりすると、オスが何頭も寄ってきて取り囲み、突き刺さった銛や絡み付いた縄を外そうとする。
そんな習性まで利用するのだ。ハンターは!
傷つけるだけ傷つけてスッキリしたのか、笑いながらポイントを離れる。
何が『大漁』だ。『どれだけ着くかな』だと? ふざけるな! 数が減っているのは一目瞭然。にも拘わらず、若い個体まで狩った。
残された死体は波に乗り、ゆっくりと海底に沈む。
皮下脂肪層が10センチ以上あっても、浮くとは限らない。それを知っていて人類は、蛮行を繰り返す。