五 防衛戦
マリコフ村から六百メートルほど離れた所には小高い丘があり、小さな木立が茂っていた。
ニコルはそこに陣取り、身を隠しながら村の様子を窺っていた。
感知魔法は使う者の能力に応じて索敵範囲が変わってくるが、彼の膨大な魔力量からすれば、多少離れていても、村全体を見張ることなど容易いことだった。
ニコルは立ち木に身体を預け、のんびりと時を待っていた。
近くに繋いだ馬が、下草をむしり取って咀嚼する音以外、何も聞こえてこない。
数時間後、日が沈み辺りが薄暗くなってくると、彼は身を起こして単眼鏡を目に当ててみたが、二重の高い外柵に阻まれ、村の様子までは窺えない。
ニコルは単眼鏡を目から外し、胸ポケットにしまい込んだ。
しばらくすると、周囲はすっかり暗くなった。
村の姿は暗闇に沈んでしまったが、その代わり、ニコルの脳裏に浮かぶ円盤のような画像が明瞭になる。
それは、薄緑色にぼんやりと光る水たまりだった。その中央に水滴が落ち、放射状に波紋が広がっていくのだ。
やがて、規則正しく生まれる波紋の中に、ぽつぽつと赤い光点が現れた。
「出やがったな……」
ニコルはそう呟くと、精神を集中した。
感知魔法は生物の存在ではなく、魔力に反応するものである。
人間は魔導士でなくても微量の魔力を保持しているので、結果として人を感知できるというわけだ。
逆に言えば、人間でなくても魔力さえ持っていれば、その存在を捉えることができる。
今、ニコルの魔法に反応している光点は、全部で五つだった。
ほぼ同時に同じ地点に現れ、それがばらけて村のあちこちへと移動している。
光は明るく、魔導士ほどではないが、一般の人間よりも強い反応を示していた。
ひょっとすると、吸血鬼は魔法を使えるのかもしれない――ニコルはそう考えた。
彼の吸血鬼に関する知識は、物語や演劇の世界から断片的に得たものに過ぎなかった。
すなわち、コウモリに変化して空を飛んだり、ニンニクが苦手だとか、銀の短剣で心臓を刺せば殺せるといった、現実味を欠く頼りないものだ。
空を飛んできたのなら、赤い光点はまず外縁部から中心へと移動したはずである。いきなり円の中に出現したということは、地中に潜っていたのかもしれない。
とにかく、吸血鬼どもは現れ、村人を襲うつもりで散ったのだろう。
ニコルはそう判断し、感知魔法を解除しようとした。爆裂魔法の呪文詠唱に入るためである。
だが、何かが心に引っかかった。
吸血鬼たちは、すぐに村人が逃げたことに気づくだろう。そうなれば、後を追う恐れがある。
村の外柵は、一応外から封鎖したとはいえ、彼らの底知れぬ能力をもってすれば、簡単に突破されそうだった。
時間のかかる爆裂魔法を撃つのなら、すぐに詠唱に入るべきであった。
それでもニコルは感知魔法を解除せず、今しばらく吸血鬼の動きを見守っていた。
彼らを示す光点は、ゆっくりと村中に散った後、急に動きが慌ただしくなった。
襲った家がもぬけの殻だったので、慌てて別の家に押し入ったのだろう。
混乱した動きはしばらく続いたが、やがて五つの光点が再び集まり、ふいに反応そのものが消えてしまった。
「しまった!」
ニコルは思わず立ち上がった。
吸血鬼どもが村人の後を追うことは、ある程度予想できたが、問題はその方法である。
彼らが村の門を開け、街道をお行儀よく行進するとは限らない――ニコルはそのことに気づいたのだ。
吸血鬼はどこからかやってきて、村の中に突然現れた。
空を飛んだわけではあるまいが、彼らは何らかの移動手段を持っていると見るべきであった。
「村人が危ない!」
ニコルはまだ草を食んでいた馬の背に飛び乗った。
* *
馬は意外に夜目が利く。頼りない月明かりでも、彼らは道を見極めることができた。
ニコルの愛馬は主人の要求に従って、駆足で街道を進んだ。
多くの荷物を背負った村人たちは徒歩である。村を出てから日没までは二時間余り、恐らく十キロ程度しか離れていないだろう。
馬の駆足ならば、三十分もかからない距離である。
「頼むから無事でいてくれ!」
ニコルは祈るような気持ちで馬を走らせていた。
吸血鬼の移動がどんなものかは分からないが、鈍重な軍馬より速いのではという胸騒ぎがしてならなかった。
重い蹄の音を響かせながら、馬とニコルはひたすらに街道を駆けた。
三十分近く経つと馬が口から泡を吹き始めた。軍馬は鈍足だが粘り強い。それでも駈足を強いては、このくらいが限界だった。
ニコルは馬を駈足から速足に落とした。馬を潰しては元も子もないのと、彼の眼が街道の先に明かりを認めたからである。
部下と村人たちは、街道から少し外れた原野で野営しているようで、明かりはかなりの数だった。
オイゲン少尉は命じられたとおり、盛大にかがり火を焚いたらしい。
ニコルは安堵して、さらに速度を並足にまで落とした。馬の方こそほっとしただろう。
しかし、ふいにニコルの表情が曇った。
近づくにつれ、明かりがはっきりと目に入ってきたのだが、その数が多過ぎるのだ。
大きなかがり火のほかに、小さな明かり――恐らくは松明もたくさん焚かれていることが分かった。
しかも、その松明が激しく動いている。
「!」
ニコルは馬の尻に思い切り鞭をくれた。
それと同時に、口の中で高速の呪文を唱え始める。
馬は抗議のいななきを上げながらも、最後の力をふり絞って猛然と駆けだした。
あっという間に彼我の距離は詰まり、同時に状況が明らかになった。
松明を持っていたのは村人たちで、彼らは恐怖に顔を引き攣らせて一か所に固まっていた。
その周りで部下の兵たちが円陣を組んでいる。いわゆる円周防御という陣形だ。
彼らは槍や剣を手にし、必死の形相で何者かと戦っていた。
その足元には多くの兵が斃れていた。
かがり火に照らされた部下の死体はいずれも血まみれで、手足がちぎれた者、腹から内臓を撒き散らした者、そして頭部を潰された者までいた。
部下たちの戦っている相手は、あまりに動きが素早くてよく視認できなかったが、その正体は疑う余地がない――吸血鬼どもだ。
ニコルは鞍の上から飛び降り、地面を二、三度転がった。
限界を越えた愛馬は泡を吹きながら倒れた。
すばやく身を起こしたニコルは、片手を突き出す。
その手の前に輝く光球が生まれたかと思うと、勢いよく飛び出していった。
光の球は部下の一団に襲いかかっている吸血鬼に向かって、真っ直ぐに突っ込んでいく。
長く伸びた髪、裂けてぼろぼろになったスカート……その吸血鬼は女だった。
女は鋭い牙の伸びた口を開き、鬼の形相で掴みかかる。
兵が剣を抜き、二人がかりでどうにか押しとどめていた。
女の腹と太腿には槍が突き刺さっていたが、化け物の動きに影響を与えているようには見えない。
その背中をニコルの放った魔法が襲った。
しかし、背後から迫る明かりに気づいた吸血鬼は、目の前の兵士を蹴り飛ばし、大きく後方へと跳びはねた。
蹴られた兵士は身体をくの字に折り、口から血反吐を撒き散らして倒れた。
目標を失った光球は倒れた兵士を直撃するかに見えたが、その直前でいきなり方向を変えた。
慣性の法則を無視した動きで、光球は上空に撥ね上がって逆進し、逃れた吸血鬼へと向かう。
慌てた女はとっさに横に飛び退いたが、光球はさらに直角に曲がって、吸血鬼の腹にぶち当たると同時に爆散した。
ボンッという破裂音とともに、巨大な炎のドームが女の身体を包み込んだ。
超高温の炎が渦巻き、ドームの中を駆け巡りながら、吸血鬼を焼き尽くす。
服も髪の毛も一瞬で燃え、黒い塵となった。
皮膚がめくれ、肉が焼け、沸騰した脂が蒸発して煙となった。
しかし、吸血鬼は倒れなかった。あろうことか炎に包まれながら、歩きさえした。
肉が炭化して崩れ落ち、剥き出しになった白い骨に肉がまとわりつき、再生を試みようとした。
だが、新たに骨を覆ったピンク色の肉も、瞬時に炭化して塵となった。
明らかに破壊の方が、再生の速度を上回っていたのだ。
炎のドームは十秒足らずで消滅し、ほとんど骨格だけとなった吸血鬼は、ようやくうつ伏せに倒れた。
全身から白い蒸気がもうもうと立ち上り、呆れたことになおも再生を続けていた。
だが、その勢いはすっかり失われ、薄い肉とかさついた皮膚が、申し訳程度に骨を覆っただけだった。
そこに横たわっているのは、干乾びたミイラそのもので、まるで吸血鬼に血を吸われた犠牲者のようだった。
魔法の凄まじい効果に呆然としていた兵士たちは、やっと我に返った。
彼らは喚きながら倒れた女に殺到し、手にした槍でめった刺しにした。
そして何本もの槍が突き刺さった身体を持ち上げると、だらりと垂れた細い首を長剣で刎ねた。
転がる首を拾い上げた兵士が、それを頭上に掲げると、周囲から雄叫びが上がったが、彼らの顔には笑顔がなく、汚れた頬に涙が伝っていた。
ニコルが兵たちのもとに駆け寄ると、部下たちが泣きながら抱きついてきた。
彼らは口々に何か喚いていたが、ほとんど言葉にならず、ニコルは身動きができなくなった。
そんな兵たちを、まるで仔猫のように引っ剥がして救出してくれたのは、オイゲン少尉だった。
彼だけは泣いておらず、厳しい表情で部下たちを怒鳴りつけ、ニコルの周囲から追い払った。
「オイゲン、敵はまだいるのか!」
「はっ、あと一人、エルマーの方です!」
「よし、案内しろ!」
短いやり取りを交わした二人は、すぐさま走り出した。
* *
エルマー准尉の第二小隊は、ちょうど円陣の反対側で戦っていた。
相手は男の吸血鬼で、エルマー隊も苦戦を強いられていた。
ここでも駆けつけたニコルのファイアボールによって、吸血鬼は討ち倒された。
部下たちはニコルの魔法を何度も見ているが、ファイアボールは初めてだった。
ファイアボール自体は攻撃魔法の花形だったから、何らかの形で見た者は多い。
だが、ほかの魔導士に比べ、ニコルの魔法の威力は桁違いで、軌道変化は奇術のように見えた。
戦闘の興奮がどうにか落ち着くと、彼らには辛い作業が待っていた。
負傷者の手当と、死者の収容である。
各小隊長が部下に指示して作業に当たらせるとともに、動揺している村人たちにも協力を要請した。人手が足りないのである。
ニコルは中隊の指揮を預けたオイゲン少尉から、詳しい経緯を聞き取った(オイゲンの第一小隊の指揮は、下士官の軍曹が代行していた)。
かがり火を焚き、見張りを厳重にした野営地を、吸血鬼たちが襲撃してきたのは、およそ二十分ほど前のことだという。
ニコルの感知魔法から、吸血鬼たちの反応が消えてから、わずか十分足らずということになる。
襲ってきた吸血鬼は全部で五人、その服装から、いずれも元村人と思われた。
オイゲンの説明によると、彼らは全く人間性を欠いており、言葉も話さず、意味不明の喚き声を上げて突進してくる野獣だったという。
吸血鬼たちは信じがたい怪力と敏捷性で、村人を守ろうとする兵士たちに襲いかかってきた。
円周防御陣形を取った中隊の兵士たちは、果敢に立ち向かったが、あっという間に隊列から引っこ抜かれ、生きながら引き裂かれた。
敵は槍で貫かれ、剣で切られても全く怯まず、傷はたちどころに癒え、切り飛ばされた手足すら再生してみせた。
兵たちは集団で応戦し、複数の槍で動きを止めて剣で切りつける戦法を取った。
何度切っても突いても再生する吸血鬼に、次第に絶望が広がったが、槍の一斉攻撃で地面に縫いつけられた吸血鬼の首を、ある兵士が刎ねたことで戦況が変わった。
首を切断された吸血鬼は、再生することなく身体がぐずぐずに崩れ、やがて黒い塵となって消え去ったのである。
「首を切れば化け物は死ぬ」
この情報はたちまち全隊に拡散し、兵たちの士気を上げた。
攻勢に転じた兵たちは多大の犠牲を出しながらも三人の吸血鬼を倒し、残る二人との激闘を続けていたのである。
そこにニコルが駆けつけた――ということだった。
結局のところ、彼らは村人たちを守り抜き、一人の犠牲も出さなかった。
だが、その代わり中隊が払った代償は大きかった。
死傷者の回収が終わった結果、戦死者が二十二名、自力では動けない重傷者は十三名に及んだのである。
重傷者の半数はとても助かる傷ではなく、これ以上苦しませないために仲間の手でとどめが差された。
中隊は全体の六割を越える戦力を失ったことになる。ミュラー隊と同じような被害だった。
しかし、生き残った兵たちの顔は誇りに満ちていた。
彼らは軍人としての本分を全うしたのである。
生き残った兵たちと、村の男たちが協力して原野に穴を掘り、遺体はそこに埋葬された。
この時代に遺体を腐らせずに保存する技術はなく、遺族の元に帰るのは回収された金属製の認識票だけであった。
全ての作業を終えたのは、もう真夜中になった頃だった。
明日は早い時間でソミン村に着くはずである。助かる見込みがある重傷者に衛生兵を付けて村に残し、軍医の派遣を要請しなければならない。
ニコルは疲れ果てた兵たちを労い、見張りを除いた全員に休むよう命じるつもりだった。
訓示を与えるため、ニコルの前に各小隊が集められた。
疲れ果てた村人たちはすでに休み、盛大な鼾が聞こえていた。
その時である。
ニコルの背後から、ふいに声がかかった。
「勝手なことをしては困るではないか。
貴様は跡形もなく村を吹き飛ばすよう、上から命じられたのではなかったか?」
それは場にそぐわぬ、美しく澄んだ少女の声音であった。
ニコルの背筋に冷たいものが走った。
その声に、何かとてつもない恐ろしさを感じ、身体が強張ったのだ。
彼は呪縛を振り払うように、思い切って後ろを振り返った。




