四 抗命
「え?」
意外な答えにニコルは驚いたが、すぐに女のことを頭から追い出した。
どうせ行きずりの女である。
軍が展開していること聞いて驚いていたから、脛に傷を持っていたに違いない。
捕まるのを恐れ、街道を逸れて原野を逃げたのだろう。
ミュラー大尉が立ち上がり、ズボンの尻をぱんぱんと叩いた。
「そんなわけだ。君は貧乏籤を引かされたようだが、俺も部下の過半を失った身だからな、同情はしないぞ。
怪我を負って治療を要する者も多いのだ。君の部隊と持ち場を交替し次第、我々は引き上げる。悪く思うな」
「いえ、お心遣い感謝します。
大尉殿もアフマド族に襲われぬよう、どうか気をつけて撤退してください」
ニコルも立ち上がり、そう応じて大尉と握手を交わした。
こうした場合、敬礼すべきなのだろうが、糞喰らえである。
ニコルは不安そうな顔で待っている部下のもとへと戻った。
そして、第二、第三小隊へ各出入口の警備交替を命じ、各小隊長には配置が完了次第、戻ってくるようにと付け加えた。
街道につながる正面入口である南門は第一小隊の担当とし、ニコル自身もそこで全体指揮を執ることとした。
各小隊はてきぱきと行動を開始し、北と東西の出入り口へ移動していった。
三十分ほど経つと、持ち場交代を済ませたミュラー大尉の部下たちが、ぞろぞろと集まってきた。
いずれも疲労を滲ませ、負傷している者も多い。
ミュラー大尉は点呼をして人数を確認すると、部下を引き連れて撤退していった。
帝国軍における中隊の定員は、指揮官を含めた三小隊四十九名である。
だが点呼を済ませた人員は、全部で十五人しかいなかった。
つまり、中隊はこの村で三十四人の部下を失ったことになる。軍隊では〝全滅〟と判断される損失であった。
主を失った馬たちを牽き、去って行く彼らの後姿は、敗残兵そのものだった。
ニコルは惨めな隊列を見送りながら、物思いに沈んでいた。
やがて、部下の配置を終えたエルマー准尉とフォルカー少尉が戻ってきた。
ニコルはオイゲンとともに彼らを連れ、兵たちから離れた木陰へと移動した。
木の根元にニコルが腰を下ろすと、小隊長たちも車座になって座る。
三人は期待を込めた目を、指揮官であるニコルに向けていた。
彼らは作戦の詳細をまだ知らされていないので、この場でそれが明かされるものと考えていたのだ。
「配置は終わったか?」
訊くまでもない質問は、単なる話のきっかけである。
エルマーとフォルカーは同時にうなずいた。
「問題ありません。
ですが、村を包囲するとは穏やかではありませんね。
一体、中で何が起きているのですか?」
第三小隊長のフォルカーが、待ちきれないように誘い水を向けてきた。
ニコルはしばらくの間、口を開くのを躊躇っていた。
自分がどうすべきか、まだ迷っていたのだ。
「村人が何者かに襲撃され、次々に殺されている。
しかも、犠牲者の一部は精神に異常をきたし、犯人に加担して村人を襲っているらしい」
小隊長たちは、一様に驚いた表情を浮かべた。
フォルカーが身を乗り出す。
「なぜ、村に乗り込んで犯人を取り押さえないのですか?」
「ミュラー大尉の中隊が、それをやって返り討ちに遭った。
お前たちも彼らの人数を見ただろう? 五十人近い中隊が、あれしか残らなかったんだ。
中隊を襲ったのは、おかしくなった村人だったそうだ。男が二人に女が一人。たった三人に、三十人がやられたって話だ。
相手は武器も持っていなかったが、人間離れした動きと怪力を発揮した。文字どおり、素手で兵たちを殴り殺し、身体を引き裂いたそうだ。
大尉の話では、槍で腹を貫いても、剣で腕を切り落としても、あっという間に傷が塞がり、新しい手が生えてくるらしい――信じられるか?」
じゃ
「何ですかそれ? 本当なら相手は人間じゃない、化け物ってことになりますよ」
「そうだな。
ミュラー隊が交戦したのは元村人ばかりで、そもそもの犯人の正体は依然不明だ。
奴らが活動するのは夜間のみ、犠牲者は首を噛まれて血を吸われ、干からびた死骸になっていたそうだ」
「それじゃ……まるで吸血鬼じゃないですか」
エルマー准尉が笑いながら茶々を入れたが、中隊長がにこりともしないのを見て黙り込んだ。
「俺もそう思う。ミュラー大尉も同意見だった。
だが、司令部がそんなお伽話を信じると思うか?
上はこれを何かの伝染病だと見ている。
俺たちが村の包囲を命じられたのは、村人が逃げ出して感染を広げることを防ぐためだ」
ニコルは自分の爆裂魔法で「村ごと葬り去れ」と強要されていることは明かさなかった。
「つまり、我々は村人を見殺しにしろと命じられたわけですな」
それまで黙って話を聞いていたオイゲンが口を開いた。
「原因が奇病か吸血鬼なのかは別にして、我々が村の封鎖を続ければ、早晩村人は全滅するでしょう。
そして最終的に残るのは、ミュラー隊を襲った化け物だけとなります。
そうなってもまだ、包囲を続けろ……司令部はそう言っているのですか?」
オイゲンはニコルの顔を覗き込んだ。
返事がないと見るや、彼は言葉を続けた。
「司令部はそんなに甘くないでしょう?
上は魔導士である中隊長殿を、わざわざ送り込んだのです。
中尉殿の魔法で、村を根こそぎ焼き払えと命じたのではありませんか?」
エルマーとフォルカーが、はっとしたように顔を見合わせた。
ニコルは苦笑を浮かべるしかなかった。
「凄いな、オイゲン。俺の頭の中を覗いたのか?」
オイゲンも笑い返す。
「なに、司令部の糞が言いそうなことです。
中隊長殿とは小隊の頃からの付き合いです。考えていることくらい分かります。
村に入る気ですね?」
ニコルは声を上げて笑い出した。
情けない話だが、部下の言葉でようやく腹が座ったのである。
「よし、今までの話は全部俺の冗談だ。今すぐ忘れて、決して思い出すな!
そして、正式に命令を伝える。
我々は村に突入し、生存している村人を全員救出する。
しかるのち襲撃犯を俺の魔法で村ごと壊滅させる。
村人は安全な地域まで護送し、以後の行動は彼らの判断に任せる。
何か質問は?」
フォルカー少尉が手を挙げた。
「村に入るのは危険ではありませんか。ミュラー隊は過半数がやられたのですよね?」
「敵が活動するのは夜間だけだ。
昼間のうちに救出は完了させる。お前たちは村人を守りつつ、できるだけ村から離れろ。
俺は奴らが現れるのを待って殲滅し、お前たちの後を追う。
その間の中隊指揮は、オイゲン少尉に任せる」
「それにしても、どうして村人たちはすぐに避難しなかったんでしょうね?」
エルマーが疑問を呈したが、これにはオイゲンが笑いながら答えた。
「何だお前、知らなかったのか?
武装開拓民は国から莫大な資金援助を得ているんだが、その代わりに村を捨てることが許されていないんだ。
例えアフマド族の大軍に包囲されても、最後の一人まで戦わなくちゃいけない。
逃げれば〝敵前逃亡罪〟が適用されて、最悪死刑が言い渡される」
「うわっ、酷えな。俺たちと同じじゃないですか」
エルマーは笑いながらニコルを見た。
「中隊長殿、村人を安全地帯まで護送したら、その先は彼らの判断に任せるって……そういう意味ですか?」
「さぁな。俺は司令部の命令を、そのまま伝えているだけだぞ」
「ははは、そうでした。では、そういうことにしておきます。我々は命令に従うだけですから問題なしということですね。
これは仮定の話ですが、もしこの命令と司令部の指示に齟齬があった場合、中隊長殿は無事で済まんでしょう?」
「俺も命は惜しいからな、その辺は心配ない。賭けてもいいが、軍はこの件をもみ消すぞ。……理由は訊くなよ」
「よし!」
オイゲン少尉が両手で自分の顔をぱんと叩き、立ち上がった。
「それじゃ、陽が落ちる前にさっさと始めましょう!」
* *
エルマーとフォルカーは、正門以外に配置した自分の部下を呼び戻しにいった。
何が起きるか分からないので、村へは中隊全員で入ることにしたのだ。
時刻は昼を回ったばかりで、十分な時間があった。
正門はミュラー中隊によって外から封鎖されており、ニコルたちはそれを取り除いて中に入った。
村の中には人影がなかったが、中央の広場に向かうと、そこに数十人の村人が集まっていた。
中隊の姿を認めた彼らは、一斉に槍を向け、弓を構えた。
兵たちは条件反射的に身構えたが、ニコルは手を広げてその動きを制止した。
そして、数歩前に進み出ると、村人たちに大声で呼びかけた。
「我々は君たちを救出に来た!
私は指揮官のニコル・クライバー中尉だ。争うつもりはないから、武器を下ろしてほしい!」
村人たちは互いに顔を見合わせた。
ざわつく中、一人の男が前に出てきた。
「軍は俺たちを見殺しにしようとした! 今さら信じられるか!」
「村を封鎖したのは、他の村に被害を拡大しないための止むを得ない臨時措置だ。
私はこの事態を打開するため、新たに派遣された軍の魔導士だ。
この村を襲っている怪物ごと、村を焼き払うよう命じられている。
その前に、村の生き残りを避難させたい。
軍を信用できないという気持ちは分かるが、このままだと巻き込まれて全員死ぬことになる。それでもいいのか?」
男は村人たちの方を振り返った。
全員が不安に顔を曇らせていたが、縋るような目には、微かな期待の色が含まれていた。
男はニコルの方に向き直り、槍の切っ先を下げた。
「いいだろう。詳しい話を聞かせてくれ」
* *
ニコルは兵士たちを遠ざけ、一人で村人との話し合いに臨んだ。
兵たちには、三人の小隊長から偽の命令を説明させているが、村人たちには事実を打ち明けるつもりであった。
すなわち、司令部は化け物だけでなく、村人もろとも村を壊滅せよと命令したことである。
話を聞いた村人たちは憤ったが、同時に不思議そうな顔をした。
「中尉さんは上の命令を無視して、俺たちを助けようって言うんだな?
そりゃあ有難い話だが、そんなことをしたら、あんたが無事じゃ済まんだろう」
「それは君たちには関係ない話だ。
ただし、私にできることは、君たちをクルゲ川の南岸へ送るところまでだ。
そのまま軍に出頭して厳しい罰を受けるもよし、どこかに逃げるのも自由だ。
選択は君たち自身に委ねられている」
村人たちはしばらく話し合っていたが、結論を出すまでそう時間はかけなかった。
村を捨てた責任を問われ、莫大な借金を背負いたい者などいるはずない。彼らは全員で逃げることに決めた。
これは〝逃散〟と呼ばれ、開拓に失敗した村でよく選択される道だった。
名前も経歴も変え、ばらばらとなって都会に潜り込む。
そして、日雇いや住み込みの仕事を見つけ、底辺から人生をやり直すのである。
同じ村の仲間とは密かに連絡を取り合い、お互い助け合って一種のコロニーを形成することも普通に行われていた。
都会には、こうした秘密の組織が無数に存在していたのだ。
話がまとまれば、一刻も早く村を出るに限る。
荷物は自分が背負い、運べる分だけしか持ち出せない。村人に許された時間は、二時間だけだった。
夜になってしまえば確実に何人かが殺されるのだから、文句は言えなかった。
* *
中隊の護衛で村を出た村人は、全部で六十人程だった。元の人口の三分の一ほどである。
日没までは二時間余り、徒歩の村人でも十キロ近く進めるはずだった。
ニコルは中隊の指揮を任せたオイゲン少尉と、街道上で最終の打ち合わせを行った。
「明るいうちにソミン村に着くのは無理だろう。
街道脇で野営ということになるが、できるだけ見晴らしのいい場所を選んで、かがり火を絶やすな。
俺は吸血鬼どもを片づけてから後を追う」
「何も夜まで待たずに、奴らが寝ている内にやった方が安全ではありませんか?」
「できるなら俺もそうしたい」
「自分たちに魔法が見せられないのであれば、二、三キロ離れるまで待てばよいと思いますが」
「そういう意味じゃないんだ。
実を言うと、俺はいま感知魔法というのを使っている。
村の中に誰か残っていれば確実に分かるが、現時点で村の中には誰もいないんだ。
村人も化け物の正体を吸血鬼だと思っている。それで、明るい内に吸血鬼化した人間の家を、集団で襲ったらしい。
だが、家の中はもぬけの殻で、化け物は見つからなかったそうだ。
だから、魔法を使うにしても、夜になって奴らが出てくるまで待たなきゃならん……というわけだ」
「なるほど、厄介ですね」
「俺のことは心配するな。それより、護送の方をよろしく頼むぞ」
「お任せください!」
実直なオイゲン少尉は、白い歯を見せて敬礼をした。
ニコルもにこやかな顔で、彼と部下たち、そして大量の荷物を抱えた村人たちの集団を見送った。
あとは日没を待つだけである。
感知魔法で吸血鬼の出現を確認したら、それを解除して爆裂魔法の詠唱に入るという段取りである(二つの魔法を同時に発現させることはできない)。
高魔研で初めて爆裂魔法を成功させた時には、一時間もかかっていた詠唱も、今では四十分ほどにまで短縮できている。
マグス少佐(この当時の階級)にはまだ追いつけないが、彼は着実に成長を遂げていたのだ。
いかに吸血鬼と言えども、爆裂魔法をもろに喰らったら、全身がバラバラの挽肉と化し、再生も許さないだろう。
村人を逃がしたら、数日のんびりと時間を稼いだ上で司令部に出頭し、自分だけが罰を受ければよい。
部下たちは自分の命令に従っただけだから、お咎めはないはずだ。
ニコルは軍内における自分の価値を、今では十分に自覚していた。
抗命は死刑もあり得る重罪であるが、爆裂魔法を会得した希少な魔導士を、軍がみすみす手放すはずがない。
そう高を括るくらいの狡さを、しっかりと身につけていたのである。




