二 武装開拓移民
イゾルデル帝国本土と東部地区は、コルドラ大山脈によって東西に隔てられている。
この南北に走る脊梁山脈の北部に源を発し、西に流れて北海にそそぐ大河がクルゲ川である。
クルゲ川はそのまま国境線となっており、川より北側はアフマド族の支配地域となっていた。
帝国はその成立以来、常に外敵と戦争を続けてきた。
かつては一小国に過ぎなかった帝国は、国民皆兵制度の下、当初は多数の周辺国を攻撃し、併合していった。
それらの国々は連合と分裂を繰り返して盛衰してきたが、民族的には帝国と変わりなく、何らかの姻戚関係を持った兄弟国のような関係だった。
帝国はこうした周辺国をことごとく討ち滅ぼし、中央平原を統一する大国家に成長した。
だが彼らは飽くことなく国土の膨張を追求し、当時エウロペ諸王国を圧迫していたサラーム教を奉じるトルゴル王国との戦争に踏み切った。
五十年に及ぶ大戦争の結果、帝国は大陸北部に進出していたトルゴルを、元々の国境であったトリ川まで押し戻しただけでなく、川を越えた南部森林地帯までをも支配下に置いた。
広大な国土を手にし、国力を充実させた帝国が次に狙いをつけたのが、西のエウロペ諸王国である。
軍事的にはこれらの国々を圧倒していた帝国であったが、先進国として長く世界を牽引してきた各王国はしたたかであった。
彼らは当時、航海術の発達とともに急激に勢力を広げていた北海の島国、ケルトニア連合王国を引き入れることに成功した。
ケルトニアは貿易で蓄えた財力に物を言わせ、世界各地から傭兵を募って装備と兵站を整え、帝国と一進一退の攻防を繰り広げた。
この戦争は百年の長きにわたり、現在でも継続している。
「地獄の西部戦線」と言われているのがこれで、現在における帝国の主要な戦場となっている。
これに対して「北部戦線」と呼ばれ、断続的に鉾を交えている相手が、遊牧民であるアフマド族であった。
北部戦線は、主としてクルゲ川の上流部、帝国本土の東北部を意味していた。
大河クルゲ川も、上流部では川幅が狭く水深も浅かったため、渡河が比較的容易であった。
そのため、両者はこの国境線を越え、互いに侵略を繰り返していた。
もっとも、紛争の主たる原因は帝国側にあった。
もともと帝国本土の東北地方は土地が瘦せており、農耕に適した地域ではなかったため、長年原野として放置されていた。
帝国が国土を拡大し、強大国として発展するにつけて人口は激増し、また戦地に送る糧食の量も増大したため、食糧増産は国家的命題となっていた。
そのため、この辺境の東北地区にも移民が送り込まれ、積極的に開拓が行われてきた。
移民の多くは農家の三男、五男といった〝穀潰し〟であったが、彼らの筆舌に尽くしがたい労苦の末、一帯はそれなりの収量を上げる農地へと変貌した。
しかし、帝国はそれだけでは満足しなかった。
クルゲ川の北側一帯にも、南と同じような手つかずの原野が広がっていたからだ。
家畜の餌となるような良質な牧草は生えず、ススキやアシといった萱類が生い茂っているだけなので、アフマド族も寄り付かない土地である。
それをよいことに、帝国はクルゲ川を渡って、北側の土地の開拓に乗り出したのである。
すでに数世代に渡る開拓のノウハウを持っていた農民たちは、国の後押しもあって、クルゲ川北側に農地を広げていった。
これは実質的に帝国による侵略であったが、アフマド族には国家という概念が薄く、自分たちの放牧を邪魔しない限りは無関心であった。
ここで留めておけばよかったのだが、帝国の欲望は果てしなかった。
川沿いの原野から草原地帯へと、さらに開拓の手を伸ばしたのだ。
当然アフマド族が黙っているわけがなく、開拓民の集落は頻繁に襲撃を受けた。
帝国側もそんなことは百も承知で、侵略に送り込んだ農民は、武装した軍経験者であった。
帝国は国民皆兵制を布いており、男子は十八歳になると兵役に就かねばならなかった。ただし、一家の跡取りとなる者は、これを免除されていた。
跡取りは基本的に長男であったから、職業軍人を除く一般兵は次男以下ということになる。
彼らは五年の兵役を終えて故郷に戻っても、長兄の使用人として一生を過ごす以外に、二つの選択肢しかなかった。
一つは都会に出て底辺の労働者になること。もう一つは辺境の開拓に応募して、独立することである。
一般的な開拓には、それなりの出資者(富裕な商人や豪農、貴族)がいるのが普通である。開拓に取り組むには初期投資が必要不可欠で、最初の数年間はまともな収穫が望めないからだ。
そのため、開拓が軌道に乗ったとしても、開拓民は国に対する納税のほかに、出資者へも応分の収穫を捧げなければならなかった。
要するに「うまい話は転がっていない」ということである。
ところが、アフマド族支配地の開拓となると、話はまったく違ってくる。
民間資本は、このようなリスクのある土地に手は出さない。
この場合、出資者は国そのものということになる。
国は開拓応募者に対し、初期費用を無償で与えるとともに、開拓が成功した暁には土地の完全所有を認め、五年間の租税免除という特典を与えたのだ。
その代わり、アフマド族との戦闘を覚悟しなければならず、軍で実戦を経験していることが、応募の必須条件とされた。
この武装開拓移民こそ、帝国とアフマド族との紛争の根本原因であった。
移民たちは、集落の周囲に強固な防護柵を築き、国から支給された武器で自警団を組織した。
そうは言っても、ひとつの集落が擁する兵力は百人足らずであり、戦力面ではアフマド族の騎馬部隊に敵わない。
ただし防御に徹した場合、一定期間持ちこたえることは十分可能である。
つまり、開拓民が柵に籠って時間を稼いでいる間に、この地域に派遣されている帝国軍が駆けつけ、アフマド族を追い払うという仕組みになっているのだ。
襲撃する側のアフマド族も馬鹿ではないから、守りの固い武装開拓移民に対しては、開拓を邪魔する嫌がらせ的な攻撃に徹し、帝国軍との本格的な戦闘には消極的であった。
その代わり、彼らは川沿いの一般開拓民への報復(焼き討ち、略奪、虐殺)を繰り返した。
この襲撃はクルゲ川北側だけでなく、川を越えた帝国領の村々へも及んだ。
アフマド族の騎馬部隊は機動力が高く、帝国軍が駆けつけた頃には退却しているのが常だった。
そのため、帝国軍はこれら東北地区に、膨大な兵員を張り付けなければならなかった。
こうした一連の紛争が〝北部戦線〟の実情であった。
そして、ニコル・クライバー中尉は、この北部方面軍で三十八人の部下を率いる中隊長として、戦いの日々を送っていた。
高魔研での実験から三年が経過し、彼は二十四歳になっていた。
* *
「間もなくソミン村だ。そこで一時間の休憩を取る。各隊に伝えよ」
ニコルの下知に応じ、伝令の部下が馬を走らせた。
道幅が狭く、荒れてお世辞にもよい道ではなかったが、街道は真っ直ぐにソミン村に向かっていた。
周囲には畑が広がっていたが、背の高いヒマワリとトウモロコシが生い茂っていたため、視界が利かなかった。
細い一本道で奇襲を喰らったら目も当てられず、ニコルは感知魔法を使って敵の偵察を警戒していた。
しばらくすると、中継地点であるソミン村を囲う木柵が見えてきた。
ソミン村は、クルゲ川沿いの原野を開拓した村落のひとつで、元来は柵など設けていなかった。
しかし、武装開拓移民が始まってからは、この地域にもアフマド族の襲撃が及ぶようになり、防御用の柵が設けられたのだ。
村に入ると、兵たちは村民の協力のもと馬に水と飼葉を与え、それが終わると自分たちもつかの間の休憩に入った。
隊長であるニコルの元には三人の小隊長が集まり、地図を広げて行程を確認しつつ、打ち合わせに入っていた。
「兵たちから具体的な声は上がっておりませんが、やはり不安が蔓延しております。せめて派遣の目的が分かれば、部下たちも腹が座ると思うのですが……」
ひととおり打ち合わせが終わったところで、フォルカー少尉が溜め息交じりにつぶやいた。彼は後衛を務める第三小隊長である。
それは出発前から、何度も話し合われてきた話題であった。
「こればかりは何とも言えんよ。
マリコフ村まであと三時間だ。村の前で現任部隊と引き継ぎを行う際、命令が伝えられるという話だから、そうなれば嫌でも作戦目的がはっきりするさ」
ニコルの答えも、同じことの繰り返しだった。
実際、彼が司令部で受け取った命令どおりの内容である。
「自分はそれが解せないのです」
エルマー准尉が、腕組みをしながら唸ってみせた。
彼はまだ二十二歳の若者であったが、年かさの下士官からも信頼され、立派に第二小隊の隊長を務めていた。
下士官に認められるということは、彼がそれだけ優秀である証拠だった。
「なぜ、マリコフ村の中で引き継ぎをしないのでしょう?
あそこは最前線だけに、二重の防護柵に囲まれた堅固な村だと聞いております。
引き継ぎなら、安全な村の中でゆっくりすればいい。わざわざ危険な野外で命令を伝える意味が分かりません」
「それを言うなら、俺たちが引っ張り出されたことこそ意味不明だろう。
そもそも我々の大隊はクルゲ川南岸地域を担当する即応部隊だぞ。
大隊まるごとならまだ話は分かるが、何でうちの中隊だけが北岸の最前線に送られるんだ?」
第一小隊長のオイゲン少尉が憤慨した声を上げる。
彼は二十八歳で中隊では最も軍歴が長く、下士官からのし上がってきた苦労人である。実直・堅実な男であるが、頑固で融通の効かない面もあった。
「それなら何となく想像がつきますよ」
エルマー准尉がなだめるような口調で応じた。
「何だエルマー、言ってみろ」
「うちの中隊長が魔導士だからですよ」
「それがどう関係あるんだ?」
「だって、変だと思いませんか?
普通、魔道士官ともなれば、大隊付の魔導士になるのが常識です。
でも、大隊にはすでにホルスト中尉殿がいますよね。
同じ大隊に二人も魔道士官がいるなんて贅沢、聞いたことがありますか?」
「う~ん、分からんな。つまり、どういうことなんだ?」
「中隊長殿は――多分、上から明かすことを禁じられているのでしょうが、ただの魔道士官ではないということですよ。
普通の魔導士ではないから、実戦部隊の指揮を執ることで経験を積ませているのでしょう。
今回の作戦でうちの部隊が引っこ抜かれたということは、中隊長殿の魔導士としての能力が必要とされる事案だ……ということだと思います。
中隊長殿、違いますか?」
エルマー准尉が、きらきらとした眼差しでニコルを見上げた。
ニコルは苦笑するしかない。彼の推測どおり、ニコルが爆裂魔法の使い手であることは、上層部から他言を禁じられていたのだ。
「お前の言うとおりなら、俺は何も答えられない――そうだろう?
だが、現場が魔導士を必要としているという意見には、俺も同意だ。
要するに、ろくでもないことが待っているということだな。
さあ、そろそろ出発の準備にかかるぞ。
お前ら、寝こけている部下を叩き起こしに行け」
三人の小隊長は、にやにやしながら立ち上がった。
* *
ソミン村を出た中隊は、一路北に向かった。
ここから先は、武装開拓移民が切り拓いている土地である。
現在はクルゲ川から引いた水を通す灌漑事業が行われており、街道周辺の草原はまだ農地化されていない。
これまで通ってきた畑地と違い、見通しのよいことこの上ないので、ニコルは感知魔法を解除した。
一時間ほど馬を進めていると、前衛の第一小隊からの伝令が駆けてきた。
「申し上げます! 街道前方に先行する騎馬が一騎おります。
間もなく追いつきますが、指示をお願いします」
「アフマド族か?」
「いえ、違います。後ろ姿なのではっきりしませんが、マントと帽子を着用しており、アフマド族の衣装とは明らかに異なります」
「分かった。俺も先頭に行く。各小隊に警戒態勢を取らせろ」
ニコルは馬の腹を蹴って、先導する第一小隊に追いついた。
先頭のオイゲン中尉の横に馬を並ばせると、小隊長が前方を指し示した。
確かに、二百メートルほど先を行く騎馬が小さく見える。
ニコルは胸ポケットから単眼鏡を取り出し、片目に当てて覗き込んだ。
レンズで拡大され、映し出されたのは黒ずくめの人物だった。
黒く長いマントが風を受けて膨らみ、その背には長い剣が斜めにかけられていた。頭にはつばの広い黒い帽子をかぶっており、前を向いているので当然顔は見えない。
そして、跨っている馬までも黒馬であり、黒づくめが徹底していた。
騎馬の人物は明らかにアフマド族ではなく、かといって軍人でもなかった。
長剣を背負っているということは、農民でもあるまい。
帝国内ならいざ知らず、こんな危険な場所をうろつく旅人というのは、不自然極まりない。
黒い騎馬の人物は急いでいないのか、並足でのんびりと馬を進ませていた。
速足で進んでいる中隊は、十分もしないうちに追いつくだろう。
四十騎近い騎馬中隊の足音は、低く遠くまで響く。
先行する騎馬の人物は、こちらの接近を気づいているはずであった。
それなのに慌てるでもなく、振り返るでもなく、ゆったりとした歩調は変わらなかった。
ニコルとオイゲンは顔を見合わせ、うなずき合った。
「相手は一人だ、このまま進もう。
追いついたら俺が声をかける。うかつに手出しはするなよ」
第一小隊の兵士たちは、緊張した面持ちで中隊長と小隊長の後に続いた。
彼らの手は、鞍に差してある馬上槍の柄に触れており、何かあれば不審者を串刺しにする手筈を整えていた。
後続の第二、第三小隊も距離を詰め、いつでも草原に散開して相手を包囲する態勢を取っていた。
やがて、ニコルとオイゲンは黒い騎馬との距離を数メートルにまで詰めた。
ニコルは努めて穏やかであるよう意識して、慎重に声をかけた。
「そこの御仁、馬を止められよ。
少し訊ねたいことがある」
すると黒い馬はぴたりと止まった。
馬上の人物は片手を上げてぶわりとマントを撥ね上げた。
ニコルたちは思わず得物に手をかけたが、黒い騎手はその場で方向転換をして、馬首をこちらに向けただけであった。
よほど馬と息が合っているのか、見事な操り方である。
「何用ですか?」
振り返った騎手は、目深に帽子を被った顔を上げた。
ニコルとオイゲン、そして後に続く兵士たちも思わず息を呑み、しばらく声を出せなかった。
黒い騎手は若い女、それもすこぶるつきの美女だったのである。




