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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第四章 魔法王の森
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二 武装開拓移民

 イゾルデル帝国本土と東部地区は、コルドラ大山脈によって東西に隔てられている。

 この南北に走る脊梁山脈の北部に源を発し、西に流れて北海にそそぐ大河がクルゲ川である。

 クルゲ川はそのまま国境線となっており、川より北側はアフマド族の支配地域となっていた。


 帝国はその成立以来、常に外敵と戦争を続けてきた。

 かつては一小国に過ぎなかった帝国は、国民皆兵制度の下、当初は多数の周辺国を攻撃し、併合していった。


 それらの国々は連合と分裂を繰り返して盛衰してきたが、民族的には帝国と変わりなく、何らかの姻戚関係を持った兄弟国のような関係だった。

 帝国はこうした周辺国をことごとく討ち滅ぼし、中央平原を統一する大国家に成長した。


 だが彼らは飽くことなく国土の膨張を追求し、当時エウロペ諸王国を圧迫していたサラーム教を奉じるトルゴル王国との戦争に踏み切った。

 五十年に及ぶ大戦争の結果、帝国は大陸北部に進出していたトルゴルを、元々の国境であったトリ川まで押し戻しただけでなく、川を越えた南部森林地帯までをも支配下に置いた。


 広大な国土を手にし、国力を充実させた帝国が次に狙いをつけたのが、西のエウロペ諸王国である。

 軍事的にはこれらの国々を圧倒していた帝国であったが、先進国として長く世界を牽引してきた各王国はしたたかであった。


 彼らは当時、航海術の発達とともに急激に勢力を広げていた北海の島国、ケルトニア連合王国を引き入れることに成功した。

 ケルトニアは貿易で蓄えた財力に物を言わせ、世界各地から傭兵を募って装備と兵站を整え、帝国と一進一退の攻防を繰り広げた。


 この戦争は百年の長きにわたり、現在でも継続している。

 「地獄の西部戦線」と言われているのがこれで、現在における帝国の主要な戦場となっている。


 これに対して「北部戦線」と呼ばれ、断続的にほこを交えている相手が、遊牧民であるアフマド族であった。

 北部戦線は、主としてクルゲ川の上流部、帝国本土の東北部を意味していた。


 大河クルゲ川も、上流部では川幅が狭く水深も浅かったため、渡河が比較的容易であった。

 そのため、両者はこの国境線を越え、互いに侵略を繰り返していた。


 もっとも、紛争の主たる原因は帝国側にあった。

 もともと帝国本土の東北地方は土地が瘦せており、農耕に適した地域ではなかったため、長年原野として放置されていた。

 帝国が国土を拡大し、強大国として発展するにつけて人口は激増し、また戦地に送る糧食の量も増大したため、食糧増産は国家的命題となっていた。


 そのため、この辺境の東北地区にも移民が送り込まれ、積極的に開拓が行われてきた。

 移民の多くは農家の三男、五男といった〝穀潰し〟であったが、彼らの筆舌に尽くしがたい労苦の末、一帯はそれなりの収量を上げる農地へと変貌した。


 しかし、帝国はそれだけでは満足しなかった。

 クルゲ川の北側一帯にも、南と同じような手つかずの原野が広がっていたからだ。

 家畜の餌となるような良質な牧草は生えず、ススキやアシといったかや類が生い茂っているだけなので、アフマド族も寄り付かない土地である。


 それをよいことに、帝国はクルゲ川を渡って、北側の土地の開拓に乗り出したのである。

 すでに数世代に渡る開拓のノウハウを持っていた農民たちは、国の後押しもあって、クルゲ川北側に農地を広げていった。


 これは実質的に帝国による侵略であったが、アフマド族には国家という概念が薄く、自分たちの放牧を邪魔しない限りは無関心であった。

 ここで留めておけばよかったのだが、帝国の欲望は果てしなかった。

 川沿いの原野から草原地帯へと、さらに開拓の手を伸ばしたのだ。


 当然アフマド族が黙っているわけがなく、開拓民の集落は頻繁に襲撃を受けた。

 帝国側もそんなことは百も承知で、侵略に送り込んだ農民は、武装した軍経験者であった。


 帝国は国民皆兵制を布いており、男子は十八歳になると兵役に就かねばならなかった。ただし、一家の跡取りとなる者は、これを免除されていた。

 跡取りは基本的に長男であったから、職業軍人を除く一般兵は次男以下ということになる。


 彼らは五年の兵役を終えて故郷に戻っても、長兄の使用人として一生を過ごす以外に、二つの選択肢しかなかった。

 一つは都会に出て底辺の労働者になること。もう一つは辺境の開拓に応募して、独立することである。


 一般的な開拓には、それなりの出資者(富裕な商人や豪農、貴族)がいるのが普通である。開拓に取り組むには初期投資が必要不可欠で、最初の数年間はまともな収穫が望めないからだ。

 そのため、開拓が軌道に乗ったとしても、開拓民は国に対する納税のほかに、出資者へも応分の収穫を捧げなければならなかった。

 要するに「うまい話は転がっていない」ということである。


 ところが、アフマド族支配地の開拓となると、話はまったく違ってくる。

 民間資本は、このようなリスクのある土地に手は出さない。

 この場合、出資者は国そのものということになる。


 国は開拓応募者に対し、初期費用を無償で与えるとともに、開拓が成功した暁には土地の完全所有を認め、五年間の租税免除という特典を与えたのだ。

 その代わり、アフマド族との戦闘を覚悟しなければならず、軍で実戦を経験していることが、応募の必須条件とされた。


 この武装開拓移民こそ、帝国とアフマド族との紛争の根本原因であった。

 移民たちは、集落の周囲に強固な防護柵を築き、国から支給された武器で自警団を組織した。

 そうは言っても、ひとつの集落が擁する兵力は百人足らずであり、戦力面ではアフマド族の騎馬部隊に敵わない。

 ただし防御に徹した場合、一定期間持ちこたえることは十分可能である。


 つまり、開拓民が柵に籠って時間を稼いでいる間に、この地域に派遣されている帝国軍が駆けつけ、アフマド族を追い払うという仕組みになっているのだ。

 襲撃する側のアフマド族も馬鹿ではないから、守りの固い武装開拓移民に対しては、開拓を邪魔する嫌がらせ的な攻撃に徹し、帝国軍との本格的な戦闘には消極的であった。


 その代わり、彼らは川沿いの一般開拓民への報復(焼き討ち、略奪、虐殺)を繰り返した。

 この襲撃はクルゲ川北側だけでなく、川を越えた帝国領の村々へも及んだ。

 アフマド族の騎馬部隊は機動力が高く、帝国軍が駆けつけた頃には退却しているのが常だった。

 そのため、帝国軍はこれら東北地区に、膨大な兵員を張り付けなければならなかった。


 こうした一連の紛争が〝北部戦線〟の実情であった。

 そして、ニコル・クライバー中尉は、この北部方面軍で三十八人の部下を率いる中隊長として、戦いの日々を送っていた。


 高魔研での実験から三年が経過し、彼は二十四歳になっていた。


      *       *


「間もなくソミン村だ。そこで一時間の休憩を取る。各隊に伝えよ」

 ニコルの下知に応じ、伝令の部下が馬を走らせた。

 道幅が狭く、荒れてお世辞にもよい道ではなかったが、街道は真っ直ぐにソミン村に向かっていた。


 周囲には畑が広がっていたが、背の高いヒマワリとトウモロコシが生い茂っていたため、視界が利かなかった。

 細い一本道で奇襲を喰らったら目も当てられず、ニコルは感知魔法を使って敵の偵察を警戒していた。


 しばらくすると、中継地点であるソミン村を囲う木柵が見えてきた。

 ソミン村は、クルゲ川沿いの原野を開拓した村落のひとつで、元来は柵など設けていなかった。

 しかし、武装開拓移民が始まってからは、この地域にもアフマド族の襲撃が及ぶようになり、防御用の柵が設けられたのだ。


 村に入ると、兵たちは村民の協力のもと馬に水と飼葉を与え、それが終わると自分たちもつかの間の休憩に入った。

 隊長であるニコルの元には三人の小隊長が集まり、地図を広げて行程を確認しつつ、打ち合わせに入っていた。


「兵たちから具体的な声は上がっておりませんが、やはり不安が蔓延しております。せめて派遣の目的が分かれば、部下たちも腹が座ると思うのですが……」


 ひととおり打ち合わせが終わったところで、フォルカー少尉が溜め息交じりにつぶやいた。彼は後衛を務める第三小隊長である。

 それは出発前から、何度も話し合われてきた話題であった。


「こればかりは何とも言えんよ。

 マリコフ村まであと三時間だ。村の前で現任部隊と引き継ぎを行う際、命令が伝えられるという話だから、そうなれば嫌でも作戦目的がはっきりするさ」

 ニコルの答えも、同じことの繰り返しだった。

 実際、彼が司令部で受け取った命令どおりの内容である。


「自分はそれがせないのです」

 エルマー准尉が、腕組みをしながら唸ってみせた。

 彼はまだ二十二歳の若者であったが、年かさの下士官からも信頼され、立派に第二小隊の隊長を務めていた。

 下士官に認められるということは、彼がそれだけ優秀である証拠だった。


「なぜ、マリコフ村の中で引き継ぎをしないのでしょう?

 あそこは最前線だけに、二重の防護柵に囲まれた堅固な村だと聞いております。

 引き継ぎなら、安全な村の中でゆっくりすればいい。わざわざ危険な野外で命令を伝える意味が分かりません」


「それを言うなら、俺たちが引っ張り出されたことこそ意味不明だろう。

 そもそも我々の大隊はクルゲ川南岸地域を担当する即応部隊だぞ。

 大隊まるごとならまだ話は分かるが、何でうちの中隊だけが北岸の最前線に送られるんだ?」

 第一小隊長のオイゲン少尉が憤慨した声を上げる。

 彼は二十八歳で中隊では最も軍歴が長く、下士官からのし上がってきた苦労人である。実直・堅実な男であるが、頑固で融通の効かない面もあった。


「それなら何となく想像がつきますよ」

 エルマー准尉がなだめるような口調で応じた。


「何だエルマー、言ってみろ」

「うちの中隊長が魔導士だからですよ」


「それがどう関係あるんだ?」

「だって、変だと思いませんか?

 普通、魔道士官ともなれば、大隊付の魔導士になるのが常識です。

 でも、大隊にはすでにホルスト中尉殿がいますよね。

 同じ大隊に二人も魔道士官がいるなんて贅沢、聞いたことがありますか?」


「う~ん、分からんな。つまり、どういうことなんだ?」

「中隊長殿は――多分、上から明かすことを禁じられているのでしょうが、ただの魔道士官ではないということですよ。

 普通の魔導士ではないから、実戦部隊の指揮を執ることで経験を積ませているのでしょう。

 今回の作戦でうちの部隊が引っこ抜かれたということは、中隊長殿の魔導士としての能力が必要とされる事案だ……ということだと思います。

 中隊長殿、違いますか?」


 エルマー准尉が、きらきらとした眼差しでニコルを見上げた。

 ニコルは苦笑するしかない。彼の推測どおり、ニコルが爆裂魔法の使い手であることは、上層部から他言を禁じられていたのだ。


「お前の言うとおりなら、俺は何も答えられない――そうだろう?

 だが、現場が魔導士を必要としているという意見には、俺も同意だ。

 要するに、ろくでもないことが待っているということだな。

 さあ、そろそろ出発の準備にかかるぞ。

 お前ら、寝こけている部下を叩き起こしに行け」


 三人の小隊長は、にやにやしながら立ち上がった。


      *       *


 ソミン村を出た中隊は、一路北に向かった。

 ここから先は、武装開拓移民が切り拓いている土地である。

 現在はクルゲ川から引いた水を通す灌漑事業が行われており、街道周辺の草原はまだ農地化されていない。

 これまで通ってきた畑地と違い、見通しのよいことこの上ないので、ニコルは感知魔法を解除した。


 一時間ほど馬を進めていると、前衛の第一小隊からの伝令が駆けてきた。


「申し上げます! 街道前方に先行する騎馬が一騎おります。

 間もなく追いつきますが、指示をお願いします」

「アフマド族か?」


「いえ、違います。後ろ姿なのではっきりしませんが、マントと帽子を着用しており、アフマド族の衣装とは明らかに異なります」

「分かった。俺も先頭に行く。各小隊に警戒態勢を取らせろ」


 ニコルは馬の腹を蹴って、先導する第一小隊に追いついた。

 先頭のオイゲン中尉の横に馬を並ばせると、小隊長が前方を指し示した。

 確かに、二百メートルほど先を行く騎馬が小さく見える。


 ニコルは胸ポケットから単眼鏡を取り出し、片目に当てて覗き込んだ。

 レンズで拡大され、映し出されたのは黒ずくめの人物だった。

 黒く長いマントが風を受けて膨らみ、その背には長い剣が斜めにかけられていた。頭にはつば(・・)の広い黒い帽子をかぶっており、前を向いているので当然顔は見えない。

 そして、跨っている馬までも黒馬であり、黒づくめが徹底していた。


 騎馬の人物は明らかにアフマド族ではなく、かといって軍人でもなかった。

 長剣を背負っているということは、農民でもあるまい。

 帝国内ならいざ知らず、こんな危険な場所をうろつく旅人というのは、不自然極まりない。


 黒い騎馬の人物は急いでいないのか、並足でのんびりと馬を進ませていた。

 速足で進んでいる中隊は、十分もしないうちに追いつくだろう。

 四十騎近い騎馬中隊の足音は、低く遠くまで響く。

 先行する騎馬の人物は、こちらの接近を気づいているはずであった。

 それなのに慌てるでもなく、振り返るでもなく、ゆったりとした歩調は変わらなかった。


 ニコルとオイゲンは顔を見合わせ、うなずき合った。

「相手は一人だ、このまま進もう。

 追いついたら俺が声をかける。うかつに手出しはするなよ」


 第一小隊の兵士たちは、緊張した面持ちで中隊長と小隊長の後に続いた。

 彼らの手は、鞍に差してある馬上槍の柄に触れており、何かあれば不審者を串刺しにする手筈を整えていた。


 後続の第二、第三小隊も距離を詰め、いつでも草原に散開して相手を包囲する態勢を取っていた。


 やがて、ニコルとオイゲンは黒い騎馬との距離を数メートルにまで詰めた。

 ニコルは努めて穏やかであるよう意識して、慎重に声をかけた。


「そこの御仁、馬を止められよ。

 少し訊ねたいことがある」


 すると黒い馬はぴたりと止まった。

 馬上の人物は片手を上げてぶわりとマントを撥ね上げた。

 ニコルたちは思わず得物に手をかけたが、黒い騎手はその場で方向転換をして、馬首をこちらに向けただけであった。

 よほど馬と息が合っているのか、見事な操り方である。


「何用ですか?」

 振り返った騎手は、目深に帽子を被った顔を上げた。


 ニコルとオイゲン、そして後に続く兵士たちも思わず息を呑み、しばらく声を出せなかった。


 黒い騎手は若い女、それもすこぶるつきの美女だったのである。

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