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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第四章 魔法王の森
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一 実験場

 イゾルデル帝国の首都ガルムブルグは、皇帝の居城・黒曜宮を中心に放射状に発展した都市である。


 ただし、城の北側の開発は原則として禁止されており、公園や重要政府機関を除いて広大な森が広がっている。

 この森は歴代皇帝の狩場であり、いつの頃からか、エルフの王が隠れ住んでいるという噂がささやかれていた。


 黒曜宮の北側に設置された政府機関の一つに、国立高度魔法研究所、通称〝高魔研〟がある。

 魔法先進国として知られる帝国において、魔法の研究・開発を担っている重要施設であった。

 この高魔研の中央には、魔法の効果を確認するための実験場が設けられており、大規模魔法にも耐えられるよう、広大な敷地が確保されていた。


 その実験場を取り囲むように、高さ一メートルを超える土嚢が積まれていた。

 通常の魔法実験であれば、そのような備えがされることはない。

 広範囲に影響を及ぼす魔法は稀であり、実験場はそうした範囲魔法にも耐えられるよう設計されていたからだ。


 広場の南側には観覧席が設けられ、高魔研の主だった研究員や、視察に訪れた軍の高官たちがずらりと並んでいた。

 その最前列中央には、貴賓席といった雰囲気で、天蓋付きの立派な椅子が用意されていた。

 研究所の首席研究員たちに案内されて、一人の老婆が現れると、来賓を含めた全員が一斉に立ち上がり、彼女に対して礼を示した。


 白髪頭をきれいに結い上げた老婆は、軽く片手を挙げて彼らに応えると、介添えの手を借りて大きな椅子に腰をおろした。

 クッションの利いた椅子は、老婆の小柄な身体を包み込んだ。

 そこから浮き上がるようにして彼女は身体を起こし、隣りに座った首席研究員に話しかけた。


「あれが例の男ですか?」

 相当の高齢に見える老婆であったが、滑舌は明瞭で声にも力が籠っている。


「はい、ニコル・クライバー少尉です」

「ずいぶんと若いのですね。何歳になるのですか?」


「二十一になったばかりです」

「それはまた……大丈夫なのですか?」


「こればかりは、試してみないと何とも言えません。

 何しろ、事前の詠唱実験で呪文を最後まで唱え切ったのは、クライバー少尉ただ一人でしたから」

「まぁ、そうでしたか……」


 白髪頭の老婆は、実験場に立っている若者の姿を、身を乗り出して見つめていた。

 その傍らには高魔研の職員が控えており、手にした白い旗を掲げて大きく振ってみせた。

 首席研究員がうなずいて、老婆に準備が整ったことを伝えた。


「始めなさい」

 しゃがれてはいるが、低くよく通る声で命令が下された。


 首席研究員が立ち上がり、緑の旗を大きく振った。実験開始の合図である。

 招待されていた軍の高官たちは、固唾を呑んで身を乗り出したが、老婆をはじめとした高魔研の研究員たちは、悠然と構えている。


 魔法が発動されるのは呪文の詠唱が終わってからであり、それには多くの時間を要すると承知していたからだ。

 実験場に立つ若者は、伸ばした右手をすっと上げ、詠唱を開始した。


 常人には聞き取れない、早く複雑なつぶやきが、不協和音を奏でながらひとつの旋律を織りなしていく。


      *       *


 研究員たちは身じろぎもせず、微かに洩れ聞こえてくる詠唱に耳を傾けていた。

 それは三重詠唱という高度な技術を駆使したもので、帝国に数千人いると言われる魔導士の中でも、使える者は数十人に限られていた。


 一方、軍の高官たちの中には欠伸あくびをしたり、船を漕ぐ者が出てきた。

 何しろ、呪文の詠唱が始まってから、もう四十分近くが経過していたのである。

 その間、術者である若者に生じた変化と言えば、伸ばした右手の前に四枚の魔法陣が浮かび出ただけであった。


 退屈する軍人たちと違い、研究員たちは食い入るように若者を見つめている。

 彼の前に四色の魔法陣が出現したということは、呪文が正しく唱えられ、魔法が発動しつつあるということである。

 これは大変なことであった。


「なかなかやりますね。もう少し詠唱が早くなれば、実戦で使えるのではないでしょうか」

 老婆が目を細め、傍らの首席研究員に囁きかけた。


「はい。もし成功すれば、ミア・マグス大尉(・・)刀自売とじめ様に続いて三人目となります」

「私は数には入りませんよ。とても身体が持ちそうにありませんでしたからね。

 ミアの若さがつくづく羨ましい……。

 そう言えば、ミアはどこまで使えているのですか?」


「相変わらず一日に一度という制限に変わりありませんし、詠唱時間の短縮もわずかに留まっています。

 ただ、術の使用後に魔力切れで倒れることだけは、どうにか克服したようです」

「それは凄い。私は二日も寝たきりでしたよ。

 夢に両親が出てきて、川の向こう岸で『来るな!』と涙ながらに叫んでいました。

 もう一度やったら、今度こそあの世に渡ることになるでしょうね」


「縁起でもないことを言わないでください!

 刀自売様には、まだまだ私たちを導いてもらわねばなりません」

「ほほほほ、心にもないことを言いますね。

 まぁ、私もまだ〝くたばる〟つもりはありませんけど……。

 あら、六枚目の魔法陣が出ましたよ。

 あとは紫だけ……このペースだと、あと十分足らずでしょうか。

 そろそろ居眠りをしている軍のお歴々を起こしてさしあげなさい。いいところを見逃しては気の毒です」


 刀自売とじめ様と呼ばれた老婆の忠告で、退屈していた来賓たちに「いよいよだ」との注意が促された。

 そして彼女の予想どおり、十分後には男の前に七枚目の魔法陣が出現した。

 複雑な呪文を唱え続けて一時間近くが経過している。

 恐るべき記憶力と集中力、そして体力であった。


 呪文の詠唱を終えた若者は、ちらりと老婆の方を見た。何かを訴えるような表情だった。

 彼女はその視線を受けとめ、にこやかにうなずいてみせた。

 若者もまた白い歯を見せ、覚悟を決めたように前に向き直った。


 次の瞬間、大地が震えた。

 広大な実験場には、鉄杭と黄色いロープによって、一キロ四方の区画が作られていた。

 草一本生えていないその更地が、いきなり盛り上がり、爆発した。

 轟音とともに大量の土砂が噴水のように吹き上がり、晴れ渡った空を黒く染めた。

 空を覆った土砂は、三十メートルほどの高さで一瞬停止したかと思うと、一斉に落下を始めた。


 滝のように降り注ぐ土砂が地面に激突し、凄まじい轟音と土煙を上げた。

 それらは上空の風に流され、元の区画から離れたところにも降り注いだ。

 数人の魔導士によって対物理防御魔法が展開されていたので、観覧席は安全が保障されていた。

 それでも、あまりの激しい音と振動に逃げ出そうとする者までいて、高魔研の職員に押しとどめられた。


 老婆もまた、席から立ち上がっていた。

 ただ、彼女は逃げようとしたのではなく、術を成功させた若者に拍手を送ったのである。


 しかし、その拍手が若者の耳に届くことはなかった。

 彼は魔力を使い果たし、その場に倒れて意識を失っていたのである。


      *       *


 気がつくと、真っ白な天井が目に入った。

 ぼんやりとした頭で辺りを見回すと、白い壁に囲まれた殺風景な部屋で、自分はベッドに仰向けになって寝かされていた。


 ベッドのほかには小さな棚と丸椅子があるくらいだ。

 枕やシーツは目が痛くなるほど白く、カーキ色の重たい毛布ともども、つんとした消毒液の匂いがする。


『ここは……病室か?』


 ニコル・クライバー少尉はすべてを思い出した。

 自分は高魔研で爆裂魔法の実験を行い、魔力切れを起こして意識を失ったのだ。

 あれからどのくらい経ったのだろう、身を起こしてみると猛烈に腹が減っていることに気づいた。


「お目覚めですか?」

 ふいに柔らかい声が聞こえ、ニコルは驚いて振り向いた。

 病室の扉が開いていて、そこに小柄な老婆が立っていた。

 彼女の後ろには屈強な軍人が二人、無表情な目でニコルの方を見下ろしている。


 老婆は男たちに部屋の外で待つよう仕草で命じ、一人で病室の中に入ってきた。

 彼女は高齢のはずだが、腰はしゃんと伸びており、足元もしっかりしていた。


 ニコルは慌ててベッドから降りようとしたが、老婆がその動きを手で制した。

「そのままでよいですよ。まだ無理が利く状態ではないでしょう」

 彼女はそう言うと、ベッドの脇にあった丸椅子に腰を下ろし、手にした小さな籠を傍らの棚に置いた。


「し、しかし、サシャ・オブライエン様をそのような粗末な椅子に座らせて、自分が寝ているわけには――」

「よいと言ったはずです」


 老婆の目が細くなった。思わず背筋がぞくりとするような、迫力のある声である。

 逆らう気力を失ったニコルは、素直に身体をベッドに横たえた。

 実を言うと、全身が異様にだるく、半身を起こしているだけでも辛かったのである。


 サシャ・オブライエンは、女性として初めて元帥にまで昇りつめた大魔導士である。

 彼女は長らく戦場の最前線に立ち続け、六十八歳で引退するまで数十万の敵兵を屠ったと言われている。

 帝国にとっては英雄だが、敵国からは〝帝国の魔女〟とあだされ、怨嗟の対象となっていた。


 軍を退役後、彼女は高魔研の顧問として迎えられ、最新の魔法研究の指導に当たっていた。

 一般には刀自売とじめ様、あるいは刀自とじ様という尊称で呼ばれているが、もう百歳を超しているはずであった。


「私は……どのくらい寝ていたのでしょうか?」

「今日で三日目ですね」


「そんなに……ですか。

 いくら爆裂魔法が大魔法とはいえ、自分が情けないです」


 サシャはころころと笑った。

「私も爆裂魔法を撃ったことがありますが、やはり魔力切れを起こして二日間寝込みました。

 何も恥じることはありません。それとも、この老いぼれと同じでは不満ですか?」

「いえ、滅相もありません!

 ……しかし、こんな有様ではとても実戦には耐えられません。

 マグス大尉殿は一晩眠るだけで、連日でも爆裂魔法が撃てると聞いております」


「ミアと比べるのはおよしなさい。

 魔女と呼ばれた私が言うのも変ですが、あの娘は化け物です。

 あなたはミア以外で、初めて爆裂魔法を具現化した魔導士です。

 しかもまだまだ若い。この先研鑽を積めば、必ず使いこなせるようになるでしょう」

「そう……でしょうか」


「ええ。私の言葉が信じられませんか?」

「いえ、そのような」


「お医者様のお話では、もう二、三日もすれば体力が回復し、退院できるということです。

 あれほど深刻な魔力切れを起こしても、死なずに元気だというのは、驚くべきことなのよ。もっと自信を持ちなさい。

 退院後は、高魔研でしばらく検査が続くと思いますが、今月末には原隊に復帰できるでしょう」


 〝原隊復帰〟という言葉で、ニコルの表情が思わず緩んだ。

 地獄の戦場であろうと、苦労を共にした仲間たちの元に戻れるのは嬉しかった。


 何しろこの一か月近く、実験動物モルモットのような暮らしだったのだ。


 常時監視される中で、無理やり爆裂魔法の術式を覚え込まされ、見知らぬ魔導士たちと競わされた。

 呪文は複雑怪奇な上に、恐ろしく長かった。


 集められた魔導士は百名に近かったが、よほど優秀な者ばかりだったようで、ほとんどの者が呪文を覚えきった。

 ただし、実際に最後まで詠唱できたのは、ニコルただ一人であった。

 残りの者は詠唱の途中で鼻血を出し、魔力切れを起こして意識を失ったのだ。


 嬉しそうなニコルに対し、サシャは表情を曇らせた。

「爆裂魔法を物にしたということが、どれほどの重大事なのか、あなたはまだ自覚していないのですね……」

「どういうことでしょうか?」


 サシャは溜め息をつくと、淡々と語った。

「確かにあなたは原隊に復帰します。

 ただし、そう日を置かずに異動を命じられるでしょう。同時に中尉に昇進するはずです」

「どこの……部隊に配置されるのでしょうか?」


「いくつかある実験部隊の一つです。

 あなたはそこで、爆裂魔法が実戦レベルになるまで、徹底的に鍛えられるでしょう。

 何年で現場に出られるかは、あなたの努力次第ですが、私はそう心配しておりません。

 心配なのは、その先のことです」

 ニコルは黙って話の続きを促した。どうやら厄介なことに巻き込まれている……そんな不安が襲ってきた。


「あなたが実戦に投入可能となれば、取り合いになります。

 あなたも将校なら、軍内にさまざまな派閥が存在することは知っていますね?」

 彼は小さくうなずいた。


「誰もがあなたを自分の派閥に引き込もうとするはずです。もちろん、あなたの意志など無視されます。

 あなたの周囲で血なまぐさい陰謀が渦巻き、予想外の危険に巻き込まれることは覚悟しなさい。

 ミアの場合もそうでした。

 もっとも、あれは恐ろしく頭がいい上に、気が強い娘でしたから、平然としていましたね。

 資料を読ませていただきましたが、どうもあなたは性格が穏やかで、優し過ぎるきらいがあります。

 そこにつけ込まれないよう、十分にお気をつけなさい」


 彼女はそう言うと立ち上がり、棚に置いてあった籠を、ニコルの腹の上に置いた。

 籠の中には、真っ赤に熟れたリンゴが三つ入っていた。


「あなたが目覚めたことは、看護婦に伝えておきました。

 直に食事が運ばれるでしょうが、それまでのつなぎ(・・・)にしてください」


 サシャは軽く手を振り、ニコルに背を向けた。

 だが、扉に手を伸ばしたところで動きを止め、ゆっくりと振り返った。


「よいですか、くれぐれも気を強くお持ちなさい」


 若いニコルがその言葉の意味を理解したのは、数年後のことだった。

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