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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第三章 黒死山の館
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三十九 闇の世界

 誰もいるはずのない背後からの声に、全員が一斉に振り返った。

 そこには、長い外衣マントに身を包んだ、長身の男が立っていた。

 黒死山の館の主、オルロック伯爵であった。


 一同は驚きながらも、半ば気の抜けたような息を洩らした。

 取りあえず、伯爵は敵ではない――というのが、彼女たちの認識だったからだ。

 階級が一番上であるプリシラが、一歩進み出て吸血鬼と相対した。


「普通なら『どこから現れた?』と訊くべきなのですが、あなたに関しては愚問なのでしょうね。

 代わりに訊きたいことがあります。なぜ、館の結界を閉じられたのですか?」

 

 伯爵は口髭を指でしごきながら、微かに鼻を鳴らした。いかにも馬鹿にしたような響きであり、それを隠そうともしない。


「お前たちの相手がミア・マグス大佐だったからだ。

 あの女は有名人だからな。いろいろと噂は聞いている。話半分だとしても、人間離れをした正真正銘の〝化け物〟だ。

 お前たちをかくまったら、大佐に我が館の存在が知られてしまう。

 それはまずい。四百年にわたる私の平穏な暮らしが台無しになる。そうは思わんか?」


「真祖たる吸血鬼でも、帝国の魔女は恐ろしいですか」

「馬鹿を言うな。

 私が本気を出せば、頭のネジがいかれた女を葬る程度、雑作もない。

 だが、そんなことをすれば、面倒なことになるのが目に見えている。

 あの女は帝国の英雄だ。辺境の山中で消息不明になりました――で済むと思うか?

 帝国軍は万の軍勢を派遣してでも、この山を虱潰しに捜索するだろう。

 いかに結界があろうとも、我が館が発見されるのは時間の問題だ。

 私は英雄の敵としてこの山を追われると同時に、多くの顧客を失うことになる。

 そんな危険を、私がおかすと思うか?」


「なるほど。それで、こそこそ覗いていたというわけですな?」

「ははは、手厳しいな。

 王国内に私の顧客を増やすため、君には橋渡し役をしてもらわねばならない。

 いよいよ危なくなれば、助けてやろうとは思っていたのだ。

 だからここにも現れた。感謝をしてくれてもいいと思うがな……」


 プリシラは潮時を覚った。

 これ以上、伯爵を試すような会話を続け、彼の機嫌を損ねるのは得策ではないと感じたのだ。


「それはありがたい話ですね。

 私たちはエイナの提案で、あなた方吸血鬼が使うという闇の通路に入って、脱出を試みるところでした。

 なぜ、それを止められたのでしょう?」


「ああ、やっと本題に戻ったな……」

 吸血鬼はそう言うと、顔をしかめた。

 そして、プリシラから視線を外し、エイナの顔をじっと見詰めた。


「エイナ、お前は人間だ。

 たまたま闇の世界に潜る力を持っているからといって、自惚うぬぼれるな!

 それがどれだけ危険なことか、お前は微塵も理解していない。だから私は〝愚か者〟と言ったのだ」

 

 伯爵は露骨に不機嫌な表情を見せていた。

 口調も厳しい。館でエイナと会話をしていた時は、それなりに丁寧な言葉遣いだったはずだ。

 だが、エイナには責められる理由が分からなかった。


「ですが、この状況で他に選択肢はありません。

 それに、私には闇を使って脱出したという経験があります。

 その言い方は心外です」


 伯爵は溜め息を洩らしながら、ますます表情を険しくした。

「黙れ。お前は何様だ? 誇り高き吸血鬼か? そうではあるまい。

 何度も言うが、貴様は無力で哀れな、ただの人間に過ぎない。違うか?」


 エイナはぐっと言葉を呑み込み、伯爵の次の言葉を待った。


「私たちは闇に生を受けた種族だ。闇とは我らの故郷そのものなのだ。

 当然、生まれながらに闇を渡る力を身につけ、使い方も熟知している。

 だが、お前はどうだ?

 闇に潜ってどこに行く気だった? どうやって望む地点に出られるのか、理解していたのか?

 そして、何よりの問題は、闇の力を行使することで命が削られるという事実を、お前が知らないということだ!」


 それは思いがけない言葉だった。二人の間を遮るように、プリシラが割り込んだ。

「命の危険とは穏やかではないですね。詳しく教えていただきたい」


 伯爵はプリシラとエイナ、二人の顔を交互に睨み、吐き捨てるように説明を始めた。


「闇の世界に潜れば、距離を無視してどこへでも出られる。そのことは知っているな?」

 プリシラたちは黙ってうなずいた。


「なぜ、そんなことが可能だと思う?

 お前たち人間に理解できる仕組みではないが、分かりやすい例えで教えてやろう。

 闇の通路を使えば、百キロ離れた場所でも、十分足らずでたどり着くことができる。人間の能力では、およそ不可能な話だ。

 お前たちは、無理をしないという前提で、一日にどれほど歩くことができる?」

「まぁ、三十から四十キロといったところでしょうね」


「つまり、三日かければ、百キロを楽に進むことができるということだな。

 闇の世界では、その三日がわずか十分に感じられるほど、時の流れが速いのだ」

「それは便利ですが、命と何か関係あるのですか?」


「分からぬか?

 言い方を変えれば、闇の世界で十分が経つ間に、お前たちの身体は三日分の時を過ごしているということだ。

 それだけではなく、闇の入口を開くには膨大な力が必要となる。

 それも時間経過という形で肉体に負担を与えるのだ。

 ……どうもピンとこないような顔をしているな。エイナは最初に闇に潜った時、脱出するまでどのくらい彷徨さまよっていた?」


 急に話を振られたエイナは口ごもった。

「えと、あの……確か、二時間くらいだったと思います」


「ふん、そのくらいで出口が見つけられたとは、運がいいな。

 この世界で換算すれば、お前とシルヴィアは、一か月の間うろうろしていたことになるのだぞ。

 それに加えて、闇を開いたエイナは、代償として一年分の時間経過を受けることになる。

 お前は闇に潜ったことで一年余分に歳を取った。つまり本来の寿命が一年削られたということになる」


「例えそうであっても、ここで全員死ぬよりはましです!」

 エイナはきっぱりと言い返した。

 伯爵はその顔をじっと見つめていたが、不機嫌そうな表情をふいに緩めた。


「私は、人間が安易に闇の力に頼ることを戒めているのだ。エイナがその危険を自覚してくれれば、それでよい。

 この場に関しては、私が闇を開く。そしてお前たちの国まで案内してやろう。

 お前たちが受ける肉体的な負荷は、最低限で済むと保証する。

 文句はあるまい?」


「それでは伯爵が危険を冒すことになるではありませんか。

 なぜ、そこまでしてくれるのですか?」


 吸血鬼の顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。

「大したリスクではない。

 私たち吸血鬼は、闇に生まれた種族だと言っただろう?

 移動による時間経過の影響は避けられないが、闇を開くだけなら、何のダメージも受けないのだよ。

 そもそも、私の寿命は数千年だ。眷属ですら五百年以上は生きる。

 闇の移動を繰り返すことで数年寿命が減ろうとも、それは誤差の範囲内だ。気にするな」


 彼はプリシラとシルヴィア、そしてアリマを自分の前に並ばせた。

 そして、長い外衣マントの端を握った右手を水平に広げると、ぶわりと広げて彼女たちの頭にかけた。


「これでよい」

 独り言をつぶやいた伯爵が、エイナの方を振り向いた時には、プリシラたち三人の姿は消えていた。

 美女に布をかけ、一瞬で消して見せる手品師のようだった。


「おい、吸血鬼! お嬢をどこへやった?」

 タケミカヅチがのしかかるように伯爵に詰め寄った。

 カー君も毛を逆立てて牙を剥いている。


「そう殺気立つな。

 三人は私自身の闇に入れただけだ。

 その方が安全だし、移動で受ける肉体への負担も多少軽減できる」


「それなら、三人ではなく全員を入れてくれればよいではありませんか?」

「そうはいかんのだよ。

 エイナと幻獣たちは、闇の中でも意識を保っていられる。

 意識のある者を私の身中に取り込むことはできないのだ。

 君たちは散歩に付き合ってもらうことになる。では行こうか」


 伯爵がそう言って指を鳴らすと、エイナが出していた明かりの魔法が消えた。

 周囲は闇に包まれたが、エイナには吸血鬼の姿を捉えることができた。

 彼の身体は、地面にゆっくりと吸い込まれていく。

 そして、エイナもタケミカヅチもカー君も、同じように足元から沈んでいった。


      *       *


 エイナが闇に潜るのは、これで三度目になる。

 油のようなねっとりとした闇に包まれ、上下左右、前後の感覚が失われた世界だ。

 闇の中でもある程度の視力を保っていられるエイナでも、何も見通すことができなかった。


 ただし、前にいる吸血鬼の姿は、はっきりと視認できる。

 隣にいるタケミカヅチとカー君も、そして自分自身の身体も、青白い燐光を放っていた。

 幻獣たちは初めて闇に入ったはずだが、混乱した様子はないのはさすがだった。

 ただ、二人とも顔をしかめていて、不快そのものといった表情をしている。


『ついてきたまえ』

 すぐ前にいる伯爵の声が、頭の中で響いた。この世界には振動する空気が存在しないので、喋っても音が伝わらない。

 カー君と同じように、吸血鬼も脳内会話ができるらしい。


 エイナは素直に伯爵の後を付いていく。

 足は動くのだが、踏みしめる地面が存在しないので、ふわふわとして歩いている実感が伴わない。

 前を行く伯爵をよく見ると、彼はまったく足を動かしていなかった。

 それでも身体が移動していることは、はっきりと感じることができた。


 多分、自分が足を動かしているのは、無意味な行為なのだろう。

 だが、エイナは歩くことを止めなかった。そうしていないと、どうにも落ち着かないのだ。

 彼女は頭の中で伯爵に呼びかけてみた。


『伯爵は私たちの国に送ってくれると言われましたが、具体的にどこに向かっているのでしょう?』


 すぐに明瞭な返答が頭に鳴り響いた。

『あいにく私は王国には不案内でね。目指している場所の名称までは知らないのだよ。

 ああ、せっかくだからエイナに闇の世界の移動法を教えておこう。

 ただし、安易な利用はしないと約束できるなら――だぞ』

『はい、約束します』


『よろしい。一度入った闇から出るには、明確にイメージできる目標が必要となる。

 行ったことがある場所なら、目的地を頭の中に思い浮かべ、そこに行きたいと強く意識すればよい。

 そうすれば、自然に行くべき方角が分かる』

『では、知らない場所へは行けないというということですね?』


『そうとは限らない。

 知らない場所でも、そこに存在する人物、あるいは特定の物体をイメージできればよい。

 その人や物が既知のものなら、そう難しくはないが、未知であった場合は面倒だな。

 その場合は、事前に多くの情報を集めることが肝要となる。あとは想像力の問題だ。

 ただし、この方法は失敗することも多い。場合によっては全く関係ない場所に出ることもあるのだよ。

 迷ったらすぐに戻ることだ。覚えておくがよい』


 エイナは思わず下を向いて、「ふふっ」と笑いを洩らした。


『何がおかしい?』

 頭に響いた伯爵の声からは、気分を害したという雰囲気が伝わってくる。


『いえ、最前からの伯爵様のお話を聞いていたら、何だか父のことを思い出しました』

『……お前の父は、確か小さい頃に死んだと言っていたな。

 優しかったのか?』


 エイナはにっこりと笑った。

『はい。それはもう。あまりに私に甘いので、父はいつも母に怒られていました』

『……そうか』


 伯爵はそれきり黙ってしまった。

 幻獣たちは顔をしかめたままで、会話に加わる気がないらしい。

 彼女は沈黙が気まずくなって、唐突に別の話題を持ち出した。


『そう言えば、マグス大佐たちはどうなったのでしょう?

 私たちが火砕流に気を取られている間に、彼女たちの姿は消えていました』

『ああ、あのいかれた女か。

 見張らせていた眷属の話では、自分たちの足元に魔法を撃った反動で、麓の樹林帯まで吹っ飛ばされたらしい。

 無茶苦茶な奴だとは聞いていたが、あそこまでとは思わなかった。

 昨日の夜に噴火があっただろう?』


『はい』

『どうやらそれもあの女のせいで、魔法で山頂付近の岩盤を根こそぎ吹っ飛ばしたらしい。

 お前を探しに来たプリシラたちを、溶岩で押し流すつもりで失敗したのだろう。

 あれが人間だとは信じがたいな』


『爆裂魔法でそんなことまで……。麓に落ちた大佐は無事なのですか?』

『あの女だけはな。

 忠義な部下どもが身を挺してかばったお陰で、ぴんぴんしているそうだ』


『そうでしたか……』

『無駄話が過ぎたな。そろそろ着くぞ』


 着いたと言われても、自分たちの姿以外は何も見えない暗闇の中である。

 エイナは黙って足を動かし続けた。

 溶岩洞で闇に潜ってから、まだ十五分程度しか経っていないように感じられる。

 だが、伯爵の言葉は嘘ではなかった。

 ふいに内臓が持ち上げられるような、くすぐったい浮遊感が感じられた。


 そして、視界が開けた。


      *       *


 エイナの目の前には、すべすべとした光沢のある石の床が広がっていた。

 磨き上げられた大理石のようであった。

 そこにぽこんと自分の頭が、半分だけ浮上している。

 すると、目線の高さにあった石の床が、みるみる眼下に離れていった。

 彼女の身体が、地中から押し出されるように浮かび上がったのだ。


 数秒後には、冷たい床の上に、伯爵とエイナ、そしてタケミカヅチとカー君が立っていた。

 伯爵は芝居がかった仕草で片手を上げ、黒いマントを広げてみせた。

 マントの内側は血のような真紅で、その足元に三人の娘たちが横たわっていた。


 エイナたちが慌てて駆け寄った。

 耳元で名前を呼び、肩を揺さぶると、彼女たちは〝う~ん〟と唸りながら目を開いた。

 いち早く我に返ったのは、タケミカヅチに抱き上げられたプリシラである。

 彼女は身を起こし、きょろきょろと周囲を見回した。


「ここは……どこだ?」

 訊かれたタケミカヅチも答えようがない。


「分からんが、吸血鬼の言葉を信じるのなら、王国のどこかだ。

 まぁ、何かしら大きな建物の中らしいな」


 彼の言うとおり、そこはかなり大きな部屋の中だった。

 床全体が磨き上げられた大理石で、太い石の柱が等間隔に並び、壁は精緻な浮き彫り(レリーフ)で飾られていた。

 天井は呆れるほど高く、薄暗くて見づらいが、漆喰で花と唐草模様が描かれていた。


 薄暗いのは当然で、この大広間にはなぜか窓が一つもない。

 壁には申し訳程度の数のランプがかけられているが、それがなければ真っ暗であっただろう。


 カー君に顔をべろべろと舐められ、目を覚ましたシルヴィアが立ち上がって広間を見回した。

 そして彼女は振り返り、かすれた声でつぶやいた。


「ここって〝召喚の間〟じゃないかしら……」

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