三十八 再現
エイナたちは洞窟の中で車座になって腰を下ろし、現状の把握と今後の方針について話し合った。
この溶岩洞は、比較的地表に近いところにできた、ごく小規模なものだった。
タケミカヅチが開けた穴は、底に落ちた崩れた地盤の分を差し引くと、深さ四メートルほどになる。
洞窟内の直径は大体三メートルくらいだから、天井は一メートルの厚みがあると考えられた。
ただ、地表は火砕流に押し流された土砂が堆積しているはずだから、厚みはそれ以上になっているだろう。
「タケミカヅチの雷撃なら、もう一度天井に穴を開けることは可能かもしれない。
だが、そんなことをすれば、崩れ落ちる岩と土砂で、あっという間に洞窟が埋まってしまうだろう。
エイナの防御魔法を使えば即死は避けられるが、生き埋めになるという運命に変わりはない。
いつかはエイナの魔力が切れるから、圧死するのが早いか、遅いかの違いだけだ」
プリシラの冷静な分析は、絶望的な状況を示していた。
全員が黙りこくる中、シルヴィアの横に伏せていたカー君がむくりと起き上がった。
彼は〝お手〟をするように前脚を浮かせた。どうやら発言を求める挙手のつもりらしい。
プリシラが笑いを堪えるように下を向いた。
「カーバンクル、意見があるなら言ってみてくれ」
『えっとぉ、今日を含めてあと五日経てば、ロック鳥が迎えに来るんだよね?
あの鳥なら、僕らを見つけてくれるんじゃないかな。
それまでのんびり待っていればいい……と思うんだけど』
「確かに、あの小屋に誰もいなければ、アラン少佐は私たちを捜索してくれるだろうな。
火砕流の跡も簡単に見つけてくれるはずだ。
だが、いくらロック鳥の目がいいといっても、地中まで見通せるわけではない」
プリシラの指摘に、シルヴィアが身を乗り出す。
「いえ、大尉殿。私たちの幻獣は、互いの存在を感知する能力を持っています。
私たちが地中に埋まっていても、気づいてくれるのではないでしょうか?」
「確かに……低空飛行をすれば、その可能性はある。
問題は、それまで我々が持ちこたえられるかどうかだ。
シルヴィア、お前、背嚢はどうした?」
「は?」
意表をつかれた質問に、シルヴィアは思わず肩に手をやった。
そこには重く喰い込む肩紐の感触が感じられない。
「戦闘が始まった時に地面に置いて、そのままです。
穴に飛び込むのが突然すぎて、拾うという考えが頭から抜けていました」
「うん、私もそうだ」
シルヴィアたちを責めることはできない。
軍の行軍では、一人の兵士が三十キロ近い携行品を背負う。
剣を振るう接近戦が行われる場合、そんな重荷を背負ったままでは身軽に動けない。
したがって訓練された兵士は、戦闘が始まる前に背嚢をその場に捨てるのが常識である。
戦闘が終わると、生き残った者は自分の荷を拾う。
誰も拾いに来ない背嚢が残っているということは、その持ち主の運命が知れるというものだ。
「生贄にされたから当然だが、エイナに至っては最初から手ぶらだ。
この中で、いま荷物を持っているのは……アリマだけだな。
やけに軽そうだが、その中には何が入っている?」
アリマはシルヴィアに躊躇うような視線を送ってから、肩から斜めに下げていた帆布製のバックを開けてみせた。
その中には、きれいに畳まれた衣類が入っていた。
「お前の着替えか?」
訊ねられた少女は首を横に振った。
「シルヴィアさんのズロースとかの肌着です」
シルヴィアが慌ててバックを引ったくり、胸に抱え込んだ。顔が真っ赤になっている。
帝国軍に追われて小屋から逃げる時、まだ乾ききっていないシルヴィアの洗濯物を、アリマが自分のバックに詰めて持っていたのだ。
「アリマ、一応訊くが、水筒や食糧は入っていないのだな?」
少女はこくんとうなずいた。その表情には負い目が感じられない。
そもそも干してあった洗濯物を「帝国に見られて恥を晒すな」と叱ったのはプリシラである。
シルヴィアは逃走の準備でバタバタしていたので、代わりにアリマが取り込んだのだ。
そのため、入れてあった自分の水筒と食糧は小屋に置いてきた。彼女にとってはそんなものより、命の恩人の名誉を守る方が大切だったのだ。
プリシラは溜め息をついた。
「つまり、我々は救助を待つ間、食糧はおろか一滴の水すら口にできないことになる。
四、五日食わなくても、人間は死んだりしない。だが、水だけは別だ。
生き延びられるかどうか、これは分の悪い賭けになるぞ」
その場を重い沈黙が支配した。
上半身を起こしていたカー君も、プリシラの溜め息を真似して地面に伏せた。
『はぁ、人間というのは不自由だね。
僕やタケちゃんなら、その程度は平気なんだけどな』
シルヴィアはカー君の頭を小突いた。
「あんたって子は、少しは空気を読みなさいよ。
平気だって言うなら、そのよく回る舌をちょん切って、血を絞って飲んでやろうかしら」
「いや、案外いい手かもしれんぞ」
タケミカヅチが重々しい声を出した。
「切羽詰まったら、我が腕を切って血を呑むがよい。ただの水よりは滋養になろう」
「タケ、滅多なことを言うな。それは本当に最後の手段だ。
私は吸血鬼の真似などしたくはないぞ」
プリシラは苦笑いを浮かべ、胡坐をかいているタケミカヅチの膝をぽんと叩いた。
「エイナ、さっきから黙っているが、お前に何か考えはないか?」
エイナは俯いていた顔を上げたが、その表情は暗かった。
「いえ、私も今のところ案がありません。
とにかく、水も食糧もない現状では、体力の温存が第一だと思います。
まずは身体を休めることを提案します。
明かりの魔法は魔力をあまり使いませんが、節約するに越したことはないと思います」
「確かにお前の言うとおりだ。
特段することもないのだ。明かりを消して、無理にでも寝てしまおう。
ひと眠りしてして疲れが取れれば、何かまたいい考えも浮かぶかもしれないからな」
「了解です」
エイナはそう応え、魔法を解除した。
明かりが消えると完全な闇が訪れ、すぐ側にいるはずの仲間の顔すら見えなかった。
彼女は無言のまま、ごつごつとした岩の地面に身を横たえた。
* *
「……イナ、……エイナ」
どこか遠い所から自分の名を呼ぶ声がした。
優しくて、ほっとする、泣きたくなるほど懐かしい響きだった。
間違えようがない、母の声である。
「お母さん、お母さんなの?」
エイナは目を開き、がばっと身を起こした。
辺りは真っ暗だったが、横たわっているシルヴィアたちの姿が薄っすらと目に入った。
光源がないのだから、いくら闇に眼が慣れても見えるはずがない。
彼女の〝夜目が利く〟という能力は、やはり特殊なものらしい。
『夢……だったのかしら?』
エイナは心の中でつぶやいた。
何気なく額に手をやると、汗が浮かんでいて、前髪がべっとりと張りついていた。
それだけではない。脇や乳房、背中も濡れていて、衣服がじっとりと湿っていた。
緊張と疲労で熟睡している間に、かなりの寝汗をかいたらしい。
眠っているシルヴィアやプリシラの顔を覗き込んでみると、やはり額に玉のような汗が浮かんでいる。
洞窟の中の温度が上がっていたのだ。
地上に開いた穴から雪崩れ込んだ岩石は、固まりかけの溶岩である。
表面こそ黒い岩に見えるが、その内部にはかなりの熱量を保っている。
それが洞窟の温度を上げていたのだろう。
ただでさえ飲み水がないのだから、無駄に汗をかくのは避けねばならなかった。
エイナは音を立てないように立ち上がり、小声で呪文を唱え始めた。
数分後、彼女は穴を埋め尽くした岩石に向け、冷凍魔法を放った。
黒い石の表面はたちまち白く凍りつき、ひんやりとした冷気が足元に流れてきた。
魔法で凍らせたのは、あくまで岩石の表面であり、内部の温度はそのままである。
一時しのぎだが、また暑くなったら魔法で冷却すればいい。
岩の表面についた霜や氷が融ける際の雫を集めれば多少の水が得られるかもしれない。みんなが目覚めたら提案してみよう。
彼女は自分の仕事に満足し、背後を振り返った。
胡坐をかいたタケミカヅチが膝に手を置き、じっとこちらを見ていた。
カー君も寝そべっていたが、片目を開けていた。
エイナは足音を忍ばせて彼らの横をすり抜け、洞窟の奥へと向かった。
タケミカヅチとカー君が黙ったまま立ち上がり、その後に続いた。
洞窟の奥行きは二十メートル足らずなので、ゆっくり歩いてもすぐに行き止まりとなる。
彼女は立ち止まり、目の前の岩肌をじっと見詰めていた。
『どうしたのさ、エイナ?』
後を付いてきたカー君の声が、頭の中で響いた。
「……夢を見たの。いえ、見たんじゃなくて、声が聞こえたのよ。
お母さんの声だったわ」
『暑くてうなされたんじゃない。それがどうかしたの?』
「うん、笑わないでね?
その声って、洞窟の奥から聞こえたような気がしてね。
私を呼んでいるみたいだったの」
『ああ、それを確かめたかったんだね。それで、お母さんは見つかったかい?』
エイナは苦笑いを浮かべて首を横に振った。
「お前はこの闇の中でも見えているようだが、それも魔法なのか?」
かがんでいるのに疲れたのか、タケミカヅチが腰をおろしながら訊いてきた。
「いいえ、これも特異体質らしいです。
私とシルヴィアは、帝国の工作員に拉致されたことがあります。タケミカヅチ様は、その話を聞いていますか?」
武神は小さくうなずいた。
「エイナは蒼城で尋問されていただろう?
その時、我は隣室で控えておったが、プリシラを通してすべて聞いていた」
「あのあと、何度も試してみましたが、闇に潜る能力は再現できませんでした。
でも、何だかこの行き止まりでは、それができそうな気がするのです。
帝国に監禁されていた時、真っ暗な部屋の中なのに、脱出口が分かったのと同じ感覚です。
タケミカヅチ様は、この岩壁に何かを感じませんか?」
「むう……そうだな、草原で寝転がっている時に、美しい花を見つけたとしよう」
「……はあ」
「あまりに美しいので、摘んで持ち帰ろうと思い、手を伸ばしたと思ってくれ」
「はい」
「花を手折ったら、葉の裏についていたらしい芋虫が手の甲に落ちたのだ。
白くぶよぶよとして、太った芋虫が手の甲で蠢いている。
我は虫など恐れはしないが、全身に粟が立ち、背筋がぞくぞくとした。
この岩壁からは、そんな感じがする」
「なるほど……よく分かる例えですね」
エイナは思わず笑みを浮かべた。
「カー君はどうかしら?」
『僕はタケちゃんほど詩人じゃないけどね。
ここには闇がわだかまっている。僕らの種族では〝魔素が濃い〟って言うけど、悪いことが起きる場所だとされているよ。
あまり近寄りたくない場所だね』
「確かに、ここには良くないものが溜まっている。
我らは〝穢れ〟と呼んでいるな」
「やはりそうですか。
私が通った闇の通路は、吸血鬼の移動手段と同じものだそうです。伯爵は『次元の狭間のようなものだ』と言っていました。
見ていてください」
エイナは目の前の黒い岩肌に手を伸ばした。
彼女のほっそりとした白い手が、吸い込まれるように潜っていく。
エイナはタケミカヅチの方を振り返った。
「ここから脱出しましょう。他に手はないと思います。
闇の通路に関しては、伯爵からある程度の情報を得ています。
危険はありますが、試す価値はあると思います」
「つまりエイナは、我にもこの穢れに潜れと言うのか?」
「そうです。後で禊でも何でもしてさしあげます。
みんなを起こして、連れてきてください」
タケミカヅチはぶつぶつと文句を言いながら、洞窟を戻っていった。
しばらく待っていると、プリシラたち三人を腕に抱えた武神が戻ってきた。
全員が揃うと、エイナは明かりの魔法を使った。
プリシラたちは眩しそうに目をしばたたかせた。
「エイナ、タケから聞いたが、例の闇に潜れるというのは本当か?
以前は何度やっても再現できなかったではないか」
「間違いありません。どうやら私のこの能力は、実際に危機的な状況に陥らないと発動しないようなのです」
プリシラの表情はなおも懐疑的だった。
「お前はよいとして、私たちも入るのだろう?
本当に大丈夫なのか?」
「では大尉殿、この岩壁に触れてみてください」
エイナにそう言われたプリシラは、おっかなびっくりで手を伸ばした。
手の平からは、ひんやりとした岩の感触が伝わってくる。
「……ただの壁だぞ?」
「では、私の手首を掴んでみてください」
プリシラは言われたとおり、エイナの細い手首を握った。
エイナはそのまま壁に手を伸ばす。
桶の水に手を入れるような感じで、白い指先が壁に潜っていく。
プリシラが思わず息を呑むが、エイナはそのまま手を入れていく。
すると、手首を掴んでいたプリシラの手も、同じように岩の中に吸い込まれた。
プリシラは「ぎゃっ!」と叫んで手を引っ込めた。
エイナもゆっくりと手を引き抜き、微笑んでみせた。
「どうですか?
私の身体に触れていれば、一緒に闇に潜ることができます。
ただ、中に入ってしまうと、外に出るまで大尉殿は意識を失うと思います。
以前の時のシルヴィアがそうでした」
「そっ、それではどうやって移動するのだ?」
「多分、私一人でも全員を運べるはずです。
闇の中では、私の意志が具現化するのです。重さは感じないでしょう。
ただ、実際にはタケミカヅチ様に手伝っていただくことになろうかと思います」
「我がか?」
「はい。伯爵の説明では、人間が意識を保ったまま闇世界に入ると、上下左右の感覚を失って、果てしなく落下し続けます。その恐怖に耐えきれずに、精神が崩壊してしまうそうです。
意識を失うのは、人間の自己防衛本能というわけです」
「なぜ、お主だけは平気なのだ?」
エイナは笑って首を振るしかなかった。
「分かりません。
でも、タケミカヅチ様とカー君は、人間ほど精神が軟ではないので、多分大丈夫だと思います」
エイナの話に耳を傾けていたシルヴィアが顔を上げた。
「それで、闇に潜るのはいいけど、どこか行く当てはあるの?
前の時は昔の記憶をたどって、アスカ様のお屋敷に出たのよね」
「それは、後から考えれば――って話なの。
正直に言えば、〝何となくこっちの方の気がする〟くらいの感じだったの」
「おいおい、ずいぶんと心もとないな。そんなのことで大丈夫なのか?」
プリシラも心配そうになる。
だが、エイナは自分を励ますように言い切った。
「何とかなります!
大体、ほかに手がありますか?」
一同はその問いに答えることができなかった。
全員が不安を隠しきれずにいたが、結局のところ、エイナに押し切られてしまったのだ。
* *
心の準備ができるまで、三十分ほどを要した。
タケミカヅチもカーバンクルもあからさまに嫌がっていた。
プリシラはもちろん、一度経験があるシルヴィアも不安を隠せなかった。
アリマは気丈に振る舞っていたが、シルヴィアの軍服の裾を握りしめ、小さく震えていた。
エイナ自身も不安だった。だが、言い出した自分が躊躇っていては、周りの不安を煽るだけである。
彼女は小さく息を吐くと、覚悟を決めた。
「では行きます!
私に摑まって、決して手を離さないでください」
もう後戻りはできなかった。エイナは目の前の岩壁に向かって、一歩を踏み出した。
その時である。
背後の闇の中から、不意に男の声が響いた。
「やめておけ」




