三十七 火砕流
「何をごちゃごちゃ喋っている! 貴様ら女子か?」
マグス大佐が振り返り、二人の副官を叱りつけた。
彼女の前には、虹色に輝く七つの魔法陣がふわふわと浮いている。呪文の詠唱が終わったのだ。
「これから爆裂魔法を撃つ。
エッカルトが言っていたように、固まりかけの溶岩を吹っ飛ばしてやる」
「やはりそうでしたか!」
「さすがは大佐殿です!」
エッカルトとユリアンが同時に感嘆の声を上げる。
なんだかんだ言って、彼らは大佐が好きなのである。
マグス大佐もまんざらでもない顔でうなずいた。
「溶岩地帯は数百メートルも上の方だが、火砕流が起きればあっという間に斜面を駆け下ってくる。
エッカルト、貴様は圧縮空気弾を撃て。出し惜しみせずに、ありったけの魔力をつぎ込んでやれ!」
「しかし私の全魔力をもってしても、火砕流を食い止めるには力が足りません」
「馬鹿者! 貴様にそんなことを期待してなどおらんわ。
我々が立っている、この地面に向けて撃つのだ!
さっき王国の連中から距離を取った方法を、忘れたとは言わさんぞ。
あれよりも至近距離、かつ大魔力でぶっ放せば、相当の距離を飛ぶことができるはずだ。
危険は百も承知だが、ユリアンの防御魔法もあるのだ、死ぬことはあるまい」
「やはりそれをお考えでしたか!」(私は「こんなことは二度とご免です」と言ったはずですが)
「さすがは大佐殿です!」(〝歩く危険物〟という渾名は伊達ではありませんね)
マグス大佐は若い副官たちをじろりと睨んだ。
「貴様ら、心の声が駄々洩れだぞ? つべこべ言わずに、とっとと呪文を詠唱しないか!
王国の奴らが幻獣ごと挽肉になって、溶岩で蒸し焼きになるのを上空から眺めてやる! さぞかし楽しい眺めに違いあるまい」
マグス大佐の興奮したしゃがれ声が、最後にはヒステリックな笑いに変化した。
爆裂魔法を撃つ態勢を整えた彼女の身体は、破裂しそうなほどの魔力をかろうじて抑え込んでいる状態だった。
全身が熱く燃え、髪の毛が逆立ち、胸が張って乳首が硬く立ち上がった。
内股をぬるぬるとした粘液が濡らしている。
部下が見ていなければ、股間に手を突っ込んで擦り上げているところだ。
彼女は腕を高く上げ、開いた手の平を山の上方、四~五合目あたりへと向けた。
限界を超えた魔力で指が腫れあがり、爪の間から血が滲んでいる。
大佐の哄笑はいつの間にか喘ぎ声に変わり、過呼吸を起こし始めた。
鍛え上げらられた腹筋が痙攣し、腰が別の生き物のようにびくびくと動く。
彼女はありったけの魔力を一気に放出すると同時に、絶頂に達したのだった。
* *
『タケ、戻れ!』
プリシラの指示が飛んだ。
彼女の頭の中で、タケミカヅチの不満そうな声が響いてくる。
『もう少し待てんのか? この結界、もう十分も殴り続ければ破れそうだぞ』
『お前の目の前で、敵が爆裂魔法の態勢に入っているのが見えないのか?
何が起きるか分からないのだ、こっちへ戻って備えに回れ!』
『うむ』という短い唸り声が返ってくる。渋々といった感じだった。
タケミカヅチは防御障壁への攻撃を諦め、大股で斜面を登っていった。
だが、いざ戻ってみると、エイナが障壁を張っていて、その中に入れない。
「どういうことだ? 呼び戻しておいて締め出すとは、あんまりだぞ」
空気の壁をどんどんと叩きながら抗議するタケミカヅチに、障壁内にいるカー君が近寄って慰める。
『まぁまぁ、東洋の武神が人間に守ってもらったら、格好がつかないじゃない。
タケちゃんだったら、僕と違って爆裂魔法くらい平気でしょ?』
「むう、そんなことは当然だが、どうも釈然とせんな……」
「二人とも静かに! 爆裂魔法が来るわよ!」
エイナが強張った声で警告した。
斜面の下方では、マグス大佐と二人の副官がこちらを睨んでいる。
帝国の魔女の前には、紫色の魔法陣が出現していた。
それは七重の魔法陣の最後の一枚で、呪文の完成を意味していた。
エイナは魔法陣の輝きに魅入られ、大佐から目を離すことができなかった。
相手がどうやって広域魔法が起こす爆発から逃れるのか、その方法を見逃さないという意味もあったが、目の前で見られる伝説の大魔法に対し、激しい興味を抱いていたのだ。
マグス大佐は振り返って、何事か部下に指示を与えているようだった。
離れているので会話の内容は聞こえないが、彼女が怒鳴っていることは分かる。
そして、大佐が再び正面に向き直った時には、それが笑い声に変わっていた。
彼女はこちらを睨みつけ、笑いは悲鳴に近くなってきた。
狂気に満ちた叫び声がひときわ甲高く高く響いたかと思うと、大佐の小柄な身体が膨れあがったように見えた。
魔導士であるエイナには、大量の魔力が放出された瞬間が視覚的に捉えられたのだ。
七つの魔法陣が次々とはじけ、消え去ると、足元からずしりと振動が突き上げてきた。
「来ますっ!」
エイナが警告に、全員が身構えた。
だが、地面を見つめていても何も変化がない。それなのに、不気味な地響きがどこからか聞こえてくるのだ。
「上よ!」
今度はシルヴィアが叫び、全員がその指さす方角を見上げた。
山の上方、冷え固まった黒い溶岩流に覆われた山肌が、孕んだ女の腹のように膨らんでいるのが見えた。
いたる所にひび割れが生まれ、蜘蛛の巣のように広がる。割れ目は血のように赤く輝き、真っ白な水蒸気が一斉に噴出した。
次の瞬間、広範囲にわたる山肌が大爆発を起こした。
黒い岩塊と赤く焼けた大量の溶岩が、数十メートルの高さにまで吹き上げられ、限界点で静止、そして落下に転じた。
もうもうと上がる水蒸気が視界を遮り、凄まじい轟音が空気を震わせた。
「凄い……!」
エイナは呆然として、壮大な光景に惹きつけられていた。
マグス大佐が引き起こした爆発は数百メートル、いや下手をしたら一キロ四方にわたる範囲で起こっていた。
その広大な範囲で、地盤を破壊し、膨大な量の土砂を空中高く巻き上げたのだ。
一体どれほどの魔力がつぎ込まれた術式なのだろう。
魔導を学ぶ身でありながら、エイナは目の前で起きている現実が信じられなかった。
見惚れているエイナの横で、同じ光景を目にしているプリシラは、遥かに現実的であった。
「なぜあんな離れた所を破壊したのだ?」
プリシラが口にした疑問は、すぐに明らかとなった
「山津波だ!」
巻き上げられた土砂が降り注ぎ、水蒸気とは別の土埃が上がって、視界はさらに悪くなってきた。
濛々とした煙の中から黒い波が姿を現し、地を這うように斜面を下り始めたのだ。
巨大な山津波は降り注ぐ土砂によって膨れ上がり、どんどん勢いが強くなってくる。
速度が増すにつれ、土埃は追いつけなくなり、黒い津波の全体像がはっきりと見えてきた。
黒い岩塊も目立つが、よく見ると、そこには赤黒く燃えている灼熱の塊りが大量に含まれている。ただの土砂崩れではない、火砕流という恐ろしい暴流である。
そして、その波はプリシラたちの方を目がけて加速度を増し、すべてを吞み込みながら押し寄せてくる。
まだ数百メートル離れているが、到達するのに数十秒もからないだろう。
「あんなのに巻き込まれたら、ひとたまりもないぞ。マグス大佐は気でも狂ったのか!」
プリシラは叫びながら、斜面の下方を振り返った。
だが、そこには誰もいなかった。直前までいた大佐たちの姿が消えているのだ。
山の斜面は大小の岩塊だらけだが、彼らが身を隠せるほどの大きなものは、周辺に見当たらない。
すっと下方の樹林帯まで下れば話は別だが、こんな短時間でそこまで移動できるはずがなかった。
エイナが言ったとおり、マグス大佐たちは火砕流から逃れる方法を用意していたのだ。
だが、プリシラたち全員が山上の爆発に気を取られ、大佐たちの方を誰も見ていなかった。
特に「大佐たちの対応を見よう」と言い出したエイナは、完全にこの大魔法に魂を奪われ、呆けたように突っ立っていたのだ。
怒鳴りつけてやろうかと思ったが、今さら怒っても手遅れである。
「いいかげん目を覚ませ!」
プリシラはエイナの後頭部を平手で叩き、正気に戻すだけにとどめた。
そして、防御障壁の外にいるタケミカヅチに呼びかけた。
「タケ! お前の力であれをどうにかできないか?」
武神は困ったような表情になった。
「いや、さすがにあれは無理だろう」
「お前は神の一族なのだろう? 頼む!」
「そうは言ってもなぁ……。
まぁ、とにかくやってみるか」
タケミカヅチは両手を組み、何種類かの印を結んだ。
「むんっ!」
彼が気合を発すると、一天にわかにかき曇り、無数の稲妻が光った。
耳をつんざく雷鳴とともに、数十本の巨大な光の柱が火砕流に突き刺さった。
しかし、山肌を押し寄せてくる巨大な津波の勢いは止まらなかった。
落雷は呆れるような広範囲に及び、プリシラたちの近くにまで降り注いだ。
ようやく雷鳴が収まると、再び火砕流の起こす地鳴りの音が世界を支配し、その距離が詰まっていることを思い知らされた。
「駄目ではないか! おまけにそこら中に穴まで開けて、何をやっているのだ!」
「そう癇癪をおこすな。だから無理だと言っただろう。
ここは火山だから、地中に溶岩洞ができているのだ。天井が崩れて穴が開くのは仕方がないぞ」
「誰が穴の説明をしろと言った! 大体お前はだな――」
「待ってください、もう時間がありません!」
エイナが慌てて割って入る。プリシラに頭を叩かれ、ようやく我に返ったのだ。
「あの穴に避難しましょう!」
彼女が指さしたのは、一番近い所にぽっかりと開いた穴だった。
「お前、正気か? 中がどうなっているの分からんのだぞ?」
「ほかに隠れる場所がありますか?
このままここに立っていたら、火砕流に呑み込まれて確実に死にます!
ついてきてください。シルヴィアも早く!」
そう言うと、エイナは斜面を駆け下りた。
防御魔法を使っている彼女から離れると、その効果範囲から出てしまい二度と戻れない。
そのため、全員エイナについていくほかなかった。
「タケミカヅチ様は先に飛び込んで、中の様子を探ってください!」
「任せろ!」
言うが早いか、彼は巨体に似合わない素早さで飛んだ。
一度の跳躍で穴の前に着地すると、躊躇わずに飛び降む。
わずかに遅れてたどり着いたエイナたちに、地中からタケミカヅチの怒鳴り声が聞こえた。
「深さは我の背丈ほど、奥までは見えんが横穴が続いている!」
「上等です。私たちも飛び込みますから、そこをどいてください。障壁に弾き飛ばされます」
「了解だ」
エイナはシルヴィアとアリマの手を握ると、背の高いプリシラの顔を見上げた。
「一斉に飛び込みます。
防御障壁があるので心配しないでください。行きます!」
彼女はシルヴィアたちの手を握ったまま、プリシラに体当たりをした。
彼女たちは一塊となって穴の中に落ちていった。
気持ちの悪い感覚が襲い、身体が宙に浮いているのが分かった。
落下することで、防御障壁が底を異物と判断して反発したのだ。
落下のエネルギーが失われると、障壁は水が沁み込むように地中に浸透していく。
エイナたちの身体もゆっくりと下降し、足にごつごつした岩の感触が伝わった。
タケミカヅチが言ったとおり、穴の深さは三メートルほどだったが、それは崩れ落ちた天井の土砂を勘定に入れた話であった。
少し奥の方にタケミカヅチが立っているが、その位置はエイナたちよりも低い。そちらが本来の底なのだろう。
エイナたちは足元に気をつけながら、慎重に積った土砂を降りていった。
開いた穴から差し込む光で、いくらかは見通しが利いたが、奥は真っ暗で何も見えなかった。
崩れやすい坂を降りると、地面はしっかりとした岩盤に変わった。
「このまま奥に進みましょう」
「エイナ、松明をつけようか?」
シルヴィアがそう言ってきたが、エイナは首を振った。
「穴の様子が分かるまでは待ちましょう。空気が悪くなるから、松明は使いたくないわ。
穴が塞がったら、明かりの魔法を使うから」
「塞がる?」
「しっ、来たわよ。みんなじっとして!」
ずっと続いていた地鳴りが耳をつんざく轟音に変わり、地面がびりびりと震えた。
そして、いきなり視界が暗転した。襲ってきた火砕流が地表を覆い尽くしたのだ。
穴からは灼熱した岩石が雪崩れ込んできて、あっという間に埋め尽くされた。
熱い土砂は横穴にも押し出されてきたが、それはエイナの防御障壁によって食い止められた。
障壁では防げない熱気が襲ってきたが、彼女たちはじっと耐えた。
やがて、穴を埋めた土砂は自らの重みによって固められ、それ以上の土砂の侵入を防いでくれた。
「もういいわ。防御障壁を解きます」
エイナが魔法を解除すると、支えを失った土砂が崩れてきたが、それは少量にとどまった。
穴が埋められた結果、洞窟の中は真っ暗になったので、エイナは明かりの魔法を唱えた。
これは魔導士が最初に習う初級魔法で、今のエイナなら一瞬で詠唱を終えられる。
魔法の明かりが灯ると、彼女たちは熱気を逃れて洞窟の奥へと逃げ込んだ。
洞窟は複雑な形状をしていたが、大雑把に言うと直径三メートルほどの横穴である。
指先に明かりを掲げるエイナを先頭にして、一行は慎重に洞窟の奥へと向かった。
防御障壁が消えたことで合流できたタケミカヅチは、頭がぶつかるのでかがまねばならず、ひどく窮屈そうだった。
溶岩洞は噴火の際の溶岩流によって生成される洞窟のことで、そう珍しいものではない。
伯爵の館も、そうした溶岩洞の中から、規模が大きいものを選んで利用したのだろう。
彼女たちの探索は、そう長くは続かなかった。
奧へ進み始めてから、二十メートルほどで行き止まりになっていたのだ。
つまり、エイナたちは水も食糧もない穴の中に、完全に閉じ込められてしまったのである。




