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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第三章 黒死山の館
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三十六 憧れ

 帝国側の防御結界内で、白く輝く光球が生じた。

 その特徴から、ファイアボールだということは、攻撃前に察知できた。


「カー君、気をつけて! あの魔法は、直前で軌道を変えることがあるわ」

『任せて。僕は目がいいんだ』


 カーバンクルの返事が終わらないうちに、敵陣から魔法が放たれた。

 カー君が最前列で踏ん張り、その後ろにプリシラが立つ。

 エイナたち三人は、彼女の陰に隠れるようにしてかたまっていた。


 例えカー君が魔法の反射に失敗しても、プリシラの護符が守ってくれるはずである。

 頭ではそう理解していても、敵の攻撃を待ち受けるのはやはり怖い。だが、それを感じる暇すらなかった。

 敵の放った光球は瞬く間に彼女たちの目前に迫り、左右に分裂した。


 カー君は迷わず右手に跳んだ。そして急激な弧を描いて襲ってくる初弾の前に身体を入れる。

 光球は彼の顔面に激突したように見えたが、額の赤い宝玉が眩しい光を放った。

 恐れていた爆発は起きず、光球はゴム毬のように弾かれ、敵にめがけて飛んでいった。


 エイナはその瞬間に飛び出し、敵と同じファイアボールを放った。

 彼女は光弾を巧みに操作し、カー君が撥ね返した魔法の軌道に重ねる。

 敵からすれば、一つの攻撃に見えるはずだ。


 一方、敵の初弾にわずかに遅れ、左手に分かれた火球は目に見えない壁に弾かれ、プリシラたちの後方へと飛び去った。

 火球はそのまま背後の斜面に激突し、派手な爆発を起こした。


 岩の斜面には、直径数メートルの巨大な炎のドームが出現し、その中で大蛇のような火炎流がぐるぐると対流する。

 だが、その中で焼き殺されるべき、哀れな犠牲者は存在しない。

 火球はごうごうという音を響かせ、数秒の間燃え続けていたが、やがて嘘のように消え去った。


 もちろん、プリシラたちは怪我ひとつ負わなかったが、火球が発する熱波は容赦なく襲ってきた。

 彼女たちは慌てて露出している肌をかばい、地面にうずくまらねばならなかった。


 カー君が弾き返した魔法は、敵の数メートル手前で迎撃され、エイナが放った追撃弾も直前で敵の火球に吞み込まれた。これはある程度覚悟していた結果であった。

 相手は帝国の魔女である。エイナもこれくらいで倒せるとは思っていないが、これで敵は簡単に攻撃できなくなるだろう。


「エイナ!」

 プリシラが恐い顔で振り向いた。

「私の護符は魔法を弾いてはくれるが、術を消してくれるわけではないようだ。

 あの熱風は危険だ。

 どうせマグス大佐に魔法攻撃は通じまい。反撃はカーバンクルに任せて、お前は物理防御に徹してくれ」

「分かりました!」


「シルヴィア! お前はアリマを連れて洞窟へ戻れ。

 いざとなれば、我々も館に撤退する」

「伯爵が承知するでしょうか?」


「緊急事態だ、認めてもらうしかあるまい。

 私は王国の幹部に契約条件を伝える役目がある。ここで死なれては、奴も困るだろう」

「了解です」


「エイナ、シルヴィアたちが洞窟へ戻るタイミングで閃光魔法を撃て。防御障壁はその後でいい」

「閃光魔法……ですか?」


「ああ、目眩ましだ。

 こっちが幻影の崖に消えるのを見られるのは、得策とは言えん」

「わ、分かりました」


 プリシラの指示どおり、シルヴィアはアリマの手を引いて、後方の崖へと走り出した。

 二人が結界を抜けようとする瞬間、エイナは閃光魔法を放つ。

 閃光魔法は単純な術式で、詠唱には時間がかからない。強烈な光を放って、敵の視界を一時的に奪うことはできるが、攻撃力はないに等しい。

 その他には遠い味方に合図を送るほか、訓練で使用する程度の魔法だ。


「行きます!」

 エイナの掛け声で全員が腕を前に出して目を庇い、瞼をきつく閉じる。

 同時に真っ白な光があたりを包み隠す。


 シルヴィアは目をつぶり、アリマの手を握ったまま、崖の岩肌に向けて飛び込んだ。

 それは単なる幻影であり、実際は館へとつながる洞窟の入口のはずだった。

 だが、彼女の身体は空気の壁のようなものに当たり、撥ね返されてしまった。


 シルヴィアは目を開け、慌てて手を出して眼前の岩肌を撫でまわしてみた。

 見た目のような岩の手触りではないが、そこには何かの壁があって、力をこめると反発するように押し戻してくる。


 ここは確かに、ついさっき自分たちが出てきた場所である。

 エイナを探すために入った時も、こんな抵抗は受けなかった。

 シルヴィアの判断は早かった。すぐにアリマを連れプリシラのもとへ駆け戻る。

 背後に迫る気配を感じて振り返ったプリシラは、少し驚いた顔をした。


「なぜ戻ってきた?」

「結界が閉じられています。洞窟へは入れません」


「どういうことだ?」

「恐らく伯爵の仕業でしょう。もう私たちを館に入れる気はないようです」


「くそっ、自分たちの力で何とかしろということか。いや、高みの見物を楽しんでいるのか……」

 プリシラは下唇を噛んで呻いた。

 館に逃げ込んでしまえば、吸血鬼は自らの館を守るためにも、力を貸さざるを得ない――そう踏んでいた当てが外れたのだ。


「大尉殿!」

 考えをまとめる暇もなく、今度はエイナの緊張した声が耳に飛び込んでくる。

「どうした?」

「マグス大佐の様子に変化があります!」


 プリシラは再び敵の方に視線を向けた。

 タケミカヅチの大きな背中が邪魔で、敵の姿はよく見えないが、ちらりと何かが光っているのが見えた。赤い光、オレンジの光、黄色い光が重なるように輝いている。


 エイナがその光を食い入るように見つめている。

「エイナ、あれが何か分かるのか?」

「はい、見るのは初めてですが……。

 あ、いま緑色の光が見えましたよね?」


「ああ、色に何か意味があるのか?」

「虹色に輝く七重の魔法陣……爆裂魔法だと思います」


「はぁ? あの女、気でも狂ったか!

 こんな至近距離で攻城魔法を撃ったら、自分たちだってただでは済まないだろう!」

 プリシラが呆れたような叫び声を上げた。


「だがまぁ、こちらには護符とカーバンクルの反射がある。

 後はエイナが防御をしてくれれば、どうにかしのげるはずだ」

「それが、そういうわけにはいかないのです」


「なぜだ。私はあまり魔法には詳しくはないのだが、備えは十分ではないか?」

「大佐の爆裂魔法は攻撃範囲が大きすぎて、カー君には荷が重いのです。

 それに、あの魔法は地中で爆発して、地盤ごと上にいる人間を吹き飛ばします。

 大尉殿の護符で狭い範囲が助かっても、周囲で巻き上げられた大量の土砂までは防いでくれません」


「だからこそ、お前の防御魔法が役に立つのではないか?」

「確かに、私の周囲の空間だけは無事で済みます。

 でも、それは棺桶に入れられたまま、地中に埋められるのと同じことなのです。

 土砂に埋もれてしまえば、脱出の手段はありません」


「……防御魔法を解いて、地上に出ればよいだろう」

「解除した瞬間、落ちてくる土砂で全員が圧死します」


「それはまずいな……。

 では、どうしたらいい?」


 エイナは首を横に振った。

「分かりません。

 ただ、大尉殿も言われたように、この距離では相手も同じ目に遭うはずです。

 それを承知の上で撃ってくるのであれば、何か対策があるのだと思います。

 それを見極められれば、同じ手を打てるかもしれません」


「ずいぶんと頼りない話だな」

「申し訳ありません。私にはそれくらいしか考えつきません」


 エイナはプリシラと話しながらも、大佐の動きから目を離さなかった。

 大佐の前で、今度は青色の光が輝いている。

 魔導院で教わった知識によれば、あれが五枚目の魔法陣のはずだった。

 次に藍色、最後に紫の魔法陣が現れれば、爆裂魔法の術式は完成する。


 エイナの知識では、マグス大佐が爆裂魔法の呪文に要する時間は、十数分であった。大佐が若い頃は、もっと時間がかかっていたそうだ。

 だが、いま目にしている魔法陣の出現する間隔は、聞いた話よりもずっと短いような気がする。

 マグス大佐は年齢とともに進化しているに違いない。


 エイナは自分たちが置かれた状況が、危機的なものだということを十分に理解していた。

 それなのに、彼女はマグス大佐が空中に描き出す、多重魔法陣の美しさに魅了されていた。

 彼女も同じ魔導士である。あの術式がいかに複雑なものか、痛いほどよく分かった。魔法陣が空中で可視化するということは、それが非常に高度な魔法であることの証拠であった。

 それが七つ出現するのである。爆裂魔法の術式の構成は知らないが、恐らく七つの高等魔法が組み合わさり、相互に影響し合うことで初めて完成する魔法なのだろう。


 エイナも不完全ながら、三重詠唱という高度な技術を身に着けている。

 その彼女でも、ひとつの魔法陣を出すだけで、三十分以上かかるだろう。

 マグス大佐は、それを十分足らずで完成させようとしていた。

 帝国の魔女は敵ではあったが、エイナの胸には強い憧れと尊敬の気持ちが湧きあがってきて、それを押しとどめることができなかった。


      *       *


 ユリアン少尉が形成する防御障壁の中では、マグス大佐が一心不乱に魔法に集中していた。

 小柄な彼女の身体からは大量の魔力が放出され、輪郭が陽炎のように揺らいで見える。

 頬が紅潮して鼻のあたりにそばかすが浮き出ている。

 唇の端からは唾液が垂れ、殺戮の予感のためだろうか、凄惨な笑みが浮かんでいた。

 それとともに、口の端から耳の下まで伸びる醜い傷跡が、生き物のようにうねっている。


 二人の副官は、この数年大佐と行動をともにしてきた。

 爆裂魔法も、間近で数えきれないほど目撃している。

 大佐がこの魔法を撃つとき、一種のトランス状態に陥り、性的な快楽を味わっていることもよく知っていた。

 この状態の大佐に話しかけても無駄であった。


 ユリアンはタケミカヅチから受ける打撃に対抗するため、防御障壁に魔力を供給し続けている。

 彼は相当に消耗しており、顔色も悪かったが、少なくとも大佐が爆裂魔法を放つまでの時間なら、余裕で耐えることができた。


 エッカルトはじっと王国側の動きに目を凝らしていた。

 こちらから攻撃魔法を撃てば、あの奇妙な獣に反射されてしまうことは分かった。

 だから、相手からの攻撃を警戒し、魔法を撃ってきたら同等以上の攻撃をぶつけて相殺することに集中していたのだ。

 だが、相手側魔導士からの攻撃は一度きりで、それ以降はぴたりと止んでしまった。


 二人ともそれ以上特にすることもない。

 沈黙が苦手なユリアンは黙っていることができない。


「エッカルト中尉。それにしても、大佐殿は本当に爆裂魔法を撃つおつもりでしょうか?」

「おつもりも何も、目の前で呪文の詠唱を始めてしまったのだ。そりゃあ撃つだろう」


「でも、そんなことをしたら、こっちもただじゃ済みませんよ?」

「そんなことは大佐殿だって分かっているさ。

 あの右腕をよく見てみろ」


「腕……ですか?」


 マグス大佐は右腕を斜面の上方に向けて伸ばし、前に突き出している。

 その手の先には、すでに四色に輝く魔法陣が出現していた。


「分からんのか……。

 大佐殿の腕は、敵に向いているか?」

「言われてみれば、ちょっと上ですね。

 つまり、もっと山の上の方を狙っているということですか?」


 エッカルトはうなずいた。

「そうだ。大佐殿の向ける腕の先には何がある?」

「何って、この山は岩だらけで、ほかに目標はありませんよ。

 おまけに大佐殿が昨夜、山頂を吹っ飛ばしたおかげで、流れ出した溶岩で覆われていて、どこもかしこも真っ黒で見分けがつきません」


「そうだ。溶岩が流れ出したのは昨夜のこと。それから半日しか経っていない。

 溶岩の温度は約一千度だ。表面は冷えて固まっているが、内部はまだ数百度の高熱を保っているはずだ」

「そうですね、至るところから白い蒸気が上がっていますから」


「大佐殿はあの溶岩を吹き飛ばすおつもりだろう」

「はぁ? そんなことをしたら、固まりかけの熱々の溶岩が、土石流になって押し寄せてきますよ! 危ないじゃないですか」


「馬鹿か、お前。だからやるんじゃないか。

 高温の土石流に呑まれたら、いくら敵が魔法を防ごうが、物理防御をしようが関係ない。

 蒸し焼きになって一分も持たずに全滅するしかない」

「なるほど……。いやいや、ちょっと待ってくださいよ中尉。

 それじゃ、私たちも同じ運命なのでは……?」


「それは……ん? 敵が二人動いたぞ。どこに行くつもりだ?」

 エッカルトが言うように、敵の集団から女が二人、後方に駈け出した。

 だが、その先には岩肌の斜面があるだけだ。


「うわっ!」

 二人の副官が同時に叫び、目を腕で覆った。

 敵の周囲で激しい発光があったのだ。

 しかし、変化はそれだけであった。強烈な光を隠れ蓑にして、攻撃をしてくるというわけでもなさそうだった。


「何だ、閃光魔法か? どういうつもりだ?」

 エッカルトが訝し気な声を上げた。

 眩しいとはいっても、ある程度離れているこちらに大きな影響はない。

 しかも、背後に離れた二人の女は元に戻ってきて、また合流して一団となった。


「何をしているのか、さっぱり分からんな」

「あっ、私は分かりましたよ」

 ユリアンがぽんと手を叩いた。


「敵の意図か?」

「いえ、そっちじゃなくて、土石流からの脱出方法ですよ」


「本当か?」

「多分、大佐殿の思考法とぴったりです」


「いや待て。それはつまり『ろくでもない方法』だということか?」


 エッカルトの顔が青ざめた。

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