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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第三章 黒死山の館
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二十六 逃走

 万雷の拍手に送られ、舞台を降りてきたプリシラの顔は青ざめていた。

 彼女は天幕の裏に入ると、すぐさま手近にいた村の男の腕を取った。

 驚いている男に顔を近づけると、プリシラは小声で耳打ちをする。


村長むらおさ殿に伝えてくれ。

 帝国軍に見つかった以上、私はもうこの村にはいられない。ノルドの仲間たちに迷惑はかけたくないのだ。

 非礼は承知だが、このまま私は村を出る」


 男が何か答えようとすると、彼女の後ろに控えていた、タケミカヅチの巨大な姿がふっと掻き消え、次の瞬間プリシラの姿までも見えなくなった。

 実際には、プリシラもその幻獣もまだ男の目の前にいた。

 タケミカヅチが隠形術を発動し、プリシラの身体をその胸に抱きかかえたのである。


 タケミカヅチの隠形術は、周囲の人間たちに干渉して彼の存在を認識できなくさせるから、当然のように身につけている鎧や武器も見えなくなる。

 同様に彼が持ったものにも効果が及ぶので、プリシラを抱きかかえるとその姿が消えたように見えるのだ。


 タケミカヅチは、呆然としている男の脇をすり抜け、大股でその場から離れていった。

「それでお嬢、どこに向かうのだ?」


 彼の声はれ鐘のように大きいが、周囲の村人たちはそれを認識できない。

 抱かれているプリシラの声にも、同じ効果が及ぶ。

「決まってるじゃない、籠の小屋へ撤退して、シルヴィアと合流するわ。

 アラン少佐とロック鳥が迎えにくるまで六日あるから、その間にエイナも戻さなくてはならないわね」


 タケミカヅチは巨人ではあるが、見た目以上に身が軽い。

 彼は風のようにオシロ村を駆け抜け、二メートル近い村の外柵も、軽々と跳び越えていった。

 プリシラを抱えたまま走っているのに、息一つ乱していない。


「あのアフマド族の少女はどうするのだ?」

 タケミカヅチに問われるまで、プリシラは少女の存在を失念していた。


「ああ、そうだったわね。今さら捨てていくわけにはいかないし……。

 うん、その問題はシルヴィアと話し合うわ。とにかく、今は急いで。

 村の人は誰一人、籠の場所を知らないし、マグス大佐は少人数だった。

 カムイ山の裏側まで捜索できるほどの人手はないでしょうけど、油断はできないわ」

「うむ、任せろ」


「……ねえ、タケ」

「ん、何だ?」


「あんた、何だか楽しそうね」

「そうか? 我はいつもと変わらぬぞ。お嬢の気のせいだろう」


 彼はそっけない言葉を返したが、その無骨な顔には、確かに笑みらしきものが浮かんでいた。


      *       *


 マグス大佐の副官たちが舞台裏に現れたのは、プリシラたちが姿を消した直後のことであった。

 天幕の裏では、出番を待つ数人のノルド人と、舞台係の村人たちがいたが、彼らは何が起きたのか分からず、うろたえながら消えたプリシラを探しているところだった。

 副官たちはすぐに異変を察知した。


「おい、何があった!」

 エッカルト中尉が村人の一人を捕まえ、肩を揺すって問い質した。


「俺たちにも分からねえよ。

 舞台から降りてきた王国ノルド族の娘とあの怪物が、いきなり姿を消したんだ!

 俺たちの目の前でだぞ。本当だ」


 ユリアン少尉も、別の村人に事情を訊ねたが、答えは同じだった。

「あのプリシラという娘の控室、それと宿泊していた場所に案内してください」

 少尉の言葉は丁寧だったが、有無を言わさぬものがあった。


「おい、どうした?」

 少し遅れてマグス大佐が追いついてきた。

 ユリアン少尉が手短に状況を説明する。


「召喚士は逃亡した模様です。

 村人たちは、目の前で彼女が幻獣もろとも姿を消したと言っています」

「そうか。幻獣の能力――恐らく目眩めくらましの一種だろうな。

 それで、お前たちは何をしているのだ?」


「はい、取りあえず召喚士の控室と宿所を調べるつもりでした」

「無駄だ。手がかりを残していくほど間抜けではあるまい。

 それより、幻獣はあの巨体だ。足跡は残っていないのか?」


 大佐に指摘された二人の副官は、改めて現場付近を調べ始めた。

 都会と違って村の中である。当然地面は土が剥き出しとなっている。

 ただし、村内の通路に関しては、土に消石灰と〝にがり〟を混ぜてしっかりと突き固められている。

 いわゆる三和土たたきと呼ばれる一種の舗装法で、非常に固く雨が降ってもぬかるむことがない。


 祭り会場の広場もこの三和土で仕上げられているため、巨体のタケミカヅチが歩いても、足跡などは残らない。

 だが、村の中のすべての地面がそうだというわけではない。

 二人の副官は、広場の舗装が途切れる縁辺を調べていった。


「大佐殿、ありました!」

 しばらくするとエッカルト中尉が声を上げた。大佐が駆け寄ってみると、中尉が指をさす地面に大きな足跡が残っていた。

 それは真っ直ぐに村の中心部から離れ、遠くに見える外柵の方へと向かっていた。


 大佐たちはその足跡を追った。

 外柵に近づくにつれ、足跡がはっきりとしてくる。

 そして、柵の数メートル手前で、かなり深い足跡を残して途切れていた。


「ここで踏み切って、柵を跳び越したのだな」

 大佐はそうつぶやいて、先にある外柵を見上げた。

 頑丈そうな丸太が尖った先を並べており、横板と太い蔦でしっかりと結ばれている。

 柵の高さは人間の背丈を軽く超えていた。


「あれを跳んだのか……化け物だな。

 よし、戻って後を追うぞ。お前たちは村の入口に馬を回せ!」

「はっ!」


 二人の若者が、きびきびとした動きで走り去っていく。

 マグス大佐はその後ろ姿を、少し眩しそうに見送った。


 彼女は小柄だが、戦場で鍛えられた身体は引き締まっていて、贅肉などどこにもない。

 並の男では敵わないほどの格闘術の遣い手でもある。

 それでも、年齢による体力の衰えは感じざるを得ない。


「いや、まだだ!」

 大佐はそうつぶやいて、頬を両手でぴしゃりと叩いた。

 青白い頬に赤みが差し、醜い傷跡が百足ムカデのように、ぞわりと動いた。


      *       *


 オシロ村はカムイ山の東麓に位置するが、山は岩が剥き出しの黒死山と対照的に、豊かな緑に覆われている。

 村の周囲は切り拓かれ、小規模な畑も広がっているが、一キロも行くと森に入ってしまう。

 長年村人が薪を拾い集め、山菜や茸類を採取しているので、人手の入った雑木林は明るく歩きやすい。


 プリシラを胸に抱きかかえたタケミカヅチは、その木立の中を飛ぶように駆け抜けていった。

 進んで行くにつれ森は密度を増し、下草や灌木の茂みも多くなってくる。

 人であれば、鉈などを手にして枝を切り払いながら、苦労して進むのだろうが、タケミカヅチは意に介さなかった。


 彼の太い脚は、棘の生えた灌木や、鋭く尖った折れた枝を蹴り飛ばし、引きちぎり、粉砕して突き進んでいった。

 シルヴィアと連絡をつけるために一度往復した道であるから、迷うことはなかった。

 バキバキと枝を折り、蔦をぶつりと引きちぎる音がやかましい。


 その騒音に負けじと、彼は怒鳴るような声を出した。

「ところでお嬢、気がついたか?」


 余談であるが、この〝お嬢〟という呼び方は、二人だけの時だけに許されている呼び方である。

 人前ではあくまで〝プリシラ〟と名を呼ぶよう、彼女に厳命されているのだ。


「何にだ?」

 プリシラは、顔をタケミカヅチの逞しい胸に埋めたまま訊き返した。

 顔を前に向けていると、鞭のように撥ね返ってくる小枝や、タケが破壊した木の破片が飛んでくるからだ。


「大したことではないのだがな、黒死山はカムイ山の陰に隠れて姿が見えないだろう?」

「ああ」


「その山影から、煙が一筋のぼっていた」

「別に不思議はないだろう?

 黒死山はいたる所から噴煙や蒸気が上がっているからな」


「それなら白いだろう? その煙は黄色かったんだ。

 我の視力でなくては見えぬほどの、微かな煙だから気にする必要はないだろうが、色が珍しいと思ってな」

「ふ~ん、そうか。……いや待て! 黄色い煙だと?

 その煙の位置はどの辺だった?」


「どの辺と言われてもなぁ……。カムイ山で隠れているから、よくは分からん。

「山頂の右に見えたか、左だったか?

 それと、煙は風に流されていなかったか?」


「うむ……山頂のやや左だったな。

 煙は真っ直ぐ上にあがっていたぞ」


 プリシラは頭の中で、シドから渡された地図を思い描いた。

 オシロ村の位置とカムイ山の山頂やや左を線で結び、その線を伸ばしてみる。

 脳内で描いた線は、カムイ山と黒死山の裾が重なる中間点を通過し、黒死山二合目あたりの召喚遺跡を通っていた。


「タケ、どこか見晴らしのよい場所はないか?

 黒死山の見えるような所だ」

「こんな森の中だぞ? お嬢も無茶なことを言う」


 ぶつぶつ言いながらも、タケミカヅチはやや速度を緩めた。

 そのまましばらく進んだ所で、彼は立ち止まった。

 目の前には、ひときわ太い針葉樹の巨木が立っていた。


「これならよかろう」

 タケミカヅチはそうつぶやくと、プリシラの身体をそっと地面に降ろした。

 そして彼女に背を向けてしゃがみ込むと、後ろ手でプリシラの太腿を掴み、「ほい」という掛け声とともに背負いあげた。

 〝抱っこ〟から〝おんぶ〟に態勢を変えたのだ。


「我の首に手を回して、しっかりとしがみつけ。

 腕だけで体重を支えられるか?」

「こうか?」


 プリシラは言われたとおり、タケミカヅチの太い首に腕を回してしがみついた。

 軍人として鍛えているだけに、その腕力は強い。そう長い時間でないなら、問題なくぶら下がっていられそうだった。


「うむ、それでよい。しっかり掴まっていろよ!」


 彼はそう言うと、太い杉の木の幹に両手をかけた。

 軽く飛び上がると、器用に両手両足で幹にしがみつき、するするとましらのように登り始めた。

 杉の木の下半分には手をかけるような枝がなく、太い幹だけが調律している。どうして落ちないのか不思議であった。

 どうせ訊ねても『七つの神通力のひとつである』と威張るに決まっているから、プリシラは黙ってぶら下がっていた。


 上の方まで登っても、杉の巨木はタケミカヅチの重さに十分耐えてくれた。

 適当な枝を掴み、足を掛けると、彼は片手を離してプリシラの尻を支えてくれた。


「おお、ここからだと分かりやすいな。

 どうだ、お嬢にも見えるだろう?」


 そこは地上から二十メートル近く登った樹上である。

 彼らの視界を遮るような高木はまばらで、山頂から白い噴煙を上げている黒死山の、ごつごつした山容がはっきりと見えた。

 そして、山の二合目あたりから真っ直ぐにあがっている、一筋の細い煙も見て取れた。

 タケミカヅチが言ったように、それは目にも鮮やかな硫黄のような色をしている。


 それは彼女が予想したとおり、間違いなく軍用の狼煙のろしだった。

 ロック鳥が山小屋風の輸送籠を降ろした位置と一致するから、シルヴィアが上げたのだろう。

 黄色は「緊急」「注意」を意味する信号だから、至急連絡を取りたいのだろうが、切羽詰まった危険はないらしい(それなら赤色の狼煙を使うはずだ)。


「もう下に降りていいわ」

 プリシラがそう言うと、身体がふっと空中に浮いた。

 タケミカヅチが木の幹を蹴って、後ろに飛んだのだと覚った時には、落下が始まっていた。

 内臓が浮き上がり、鳥肌が立つような寒気を感じたが、どうすることもできない。


 タケミカヅチは空中で器用に向き直り、プリシラの身体を抱きかかえた。人をこんな目に遭わせて、平気な顔をしているのが憎らしい。

 二人はあっという間に落下し、地響きを立てて着地した。

 彼女の体には凄まじい重力加速が加わったが、タケがしっかりと抱きかかえて、その衝撃を緩和してくれた。


「ちょっと、何で普通に降りないのよ!」

 プリシラが抱かれたままの姿勢で怒鳴ると、タケミカヅチはきょとんとした顔をした。


「いや、この方が簡単だろう?」

「馬鹿なの? って、今さらあんたに呆れている場合じゃないわ。

 急いでシルヴィアの所にいかなくちゃ!

 あの黄色い煙は、軍用の狼煙なの」


「ほう、狼煙であったか。何かあったのか?」

「あたしが知るわけないでしょ!

 何かの急用らしいけど、赤色じゃないってことは、危険が迫っているわけじゃないみたい」


「なら、そう急がなくてもよいではないか?」

「あんた、本当に馬鹿なの?

 あの狼煙が帝国の連中に見つかったら、一発であたしたちの待機する基地がバレるじゃない!」


「おお、なるほど!」

 タケミカヅチは感心し、いきなり走り出した。


 プリシラは憤然としながらも口を閉じた。

 激しく揺れるので、喋っていると舌を噛みそうだったからだ。


『まったく、あのバカ娘! かつな真似をしおって……』

 彼女の怒りは後輩へも向かったが、それは酷というものだった。

 シルヴィアはノルド人の村に帝国軍――それも、よりにもよってマグス大佐などという大物が現れたことなど知らないのだ。


 あとは、帝国の連中が狼煙に気づかないことを祈るほかない。

 いずれにせよシルヴィアと合流したら、すぐに移動しなくてはならないだろう。

 だが、どこへ行けばいいというのだ……。


      *       *


 この少し前、オシロ村を出たマグス大佐たちは、タケミカヅチの足跡を追って馬を急がせていた。

 追跡は楽だった。柵を跳び越してからの歩幅は驚くほど広かったが、畑地にくっきりと跡を残していた。それは真っ直ぐに森へと向かっている。

 街道筋とは真逆の方向で、逃亡した召喚士はカムイ山の西側へ回り込もうとしているらしい。


 ここは帝国領内であるから、街道を避けるのは当然である。

 森に入られると馬の速度が落ちるが、相手は逃走経路を隠蔽する気がないようだった。

 つまり、森に隠れるのではなく、足跡がつかないような岩場へ向かっているということだろう。

 山を迂回した先に、そんな場所があるのだろうか?


 マグス大佐は目の前に聳えるカムイ山を仰ぎ見た。

 薄曇りの空にきれいな山容を見せていて、ノルドの連中は神の住まう山だと信じているらしい。


「ふん、くだらん!」

 彼女はそう吐き捨て、視線を森の方へ戻そうとした。

 だが、何か違和感があった。


 大佐はもう一度、ゆっくり山を見上げた。近眼の目を細め、自分の感じた引っかかりの原因を探る。

 彼女は馬を止め、先を行く二人の副官にも停止を命じた。


「おい、あれを見てみろ。黄色い煙が上がっているように見えないか?」


 二人の副官は、大佐が指さす方向を同時に見上げた。

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