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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第一章 王立魔導院
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八 審問官

「ふむ……、何はともあれ成果があったことは喜ばしいですね。

 ご苦労でした」

「恐れ入ります」


 ケイトは軽く頭を下げた。

 彼女の目の前には、大きな執務机に座った男が、書類の束に埋もれるようにして座っていた。

 年齢は三十歳前後だろうか、柔和な表情に人懐っこい笑顔を浮かべ、目が糸のように細くなっている。

 ただ注意深い人間ならば、微かに窺える彼の瞳に、冷徹な光が宿っていることに気づくだろう。


 ケイトは彼の仮面のような笑顔に慣れっこになっていたから、特に何も感じなかった。

『この方は、幼いころからこうして笑顔をつくって生きてきたのね』

 そう思うだけだった。

 きっと生きるために自然に身につけたすべなのだろう。彼が自分の身の上を語ることはなかったが、どことなく自分と似た匂いがする。

 孤児であるケイトは、それを敏感に感じ取っていた。


 男の名はマリウス・ジーン。

 王国軍をべる参謀本部、その実質的な支配者である首席副参謀総長であった。

 そして、ケイトの直接の上司であり、魔導士としての師匠でもあった。


「それで、そのエイナという子は、今どうしているのですか?」

「はい。魔導院の寄宿舎に入っています。

 魔法科に入学するのは来年の一月ですから、それまでに一般教科の後れを取り戻しているところです」


「十一歳ということは小学五年生か……。この資料によれば、三年までしか通っていないとありますね。

 半年余りで二年分を詰め込むというのは、かなり厳しいんじゃないですか?」


 ケイトはにこりと笑った。

「ご心配には及びません。

 報告書にあるとおり、彼女は学業においてはかなり優秀です。

 現在魔導院の教授陣が個別指導に当たっていますが、問題なく追いつくだろうと確約してくれました」


 マリウスは少し驚いた表情を見せた。

「ほう……。

 僕が南部に出張して不在だったのは一か月ほどですが、それだけの期間で彼らが太鼓判を押すと言うのは、相当のものなのでしょうね。

 面白そうです。ちょうど魔導院の審問官のご老人方とは相談したいこともありましたから、明日にでも直接会ってみましょう」

「ありがとうございます」


 ケイトは頭を下げてから、気になっていたことを訊ねた。

「今回の赤城市巡検は、やはりケルトニアの?」


「まぁ、そんなところです。

 アギルと赤城市を結ぶ街道の整備は、ケルトニア側が三分の二を負担するということで話がつきそうですよ」

「それはまた……ずいぶんと気前のいい話ですね」


「表面上はね。

 ですが、さびれた通商路を大規模な軍が移動できる街道にするのです。サラーム教諸国を刺激することは間違いないでしょう。

 工事中はもちろん、開通後の安全確保もすべて我が国の責任となります。

 警備・巡回のために張りつく人員の確保、駐留施設の建設、馬やラクダ、物資の補給……、膨大な維持経費は、永続的な負担となってし掛かってきます。

 リディア殿(赤龍帝)は憤慨しておられてね、なだめるのに苦労しましたよ」

「地方管区の財政が厳しいのはどこも同じですから、赤龍帝がご立腹なのも当然でしょう。

 よくもまぁ、あの火の玉のようなリディア様を納得させましたね?」


 マリウスは何かを思い出したように、くつくつと含み笑いをした。

「なに、ちょっとした〝儲け話〟のアイデアを教えて差し上げただけです」

「あらまぁ……」


 マリウスのくったくのない笑顔に、ケイトは呆れたような眼差しを向けた。

 彼女はマリウスを自分の師匠、そして上司として尊敬もしていたし、恩義も感じていた。だが、『このお方はとんでもない悪党かもしれない』と思うことは、これが最初ではなかった。


      *       *


 翌日、マリウス首席参謀副総長は王立魔導院の審問官室を訪ねた。

 魔導院は、王城の城壁外に隣接して建てられているが、審問官室は王城内の施設で、魔導院とは渡り廊下でつながっている。


 審問官は、魔導院の最高運営委員のことで、教授陣を監督する立場にある老人たちである。

 ケイトは参謀本部の一員で、マリウス直轄の部下であると同時に、唯一の王国出身魔導士として、同院に新たに設けられた魔導科の講師を兼任していた。

 そのため、マリウスの魔導院訪問に際しては、彼の補佐役の立場で随行を命じられた。


 審問官との協議内容は、立ち上げられたばかりの魔導士課程の運営状況についてであった。

 召喚士の専門養成機関である魔導院に、魔法科が設立されたのは二年余り前のことである(これにより、従来の召喚士養成課程は〝召喚士科〟と呼称された)。


 ただ、魔導士を目指す候補生はなかなか集まらず、第一期生はわずかに十名、昨年に入学した第二期生でやっと十六人に過ぎなかった。

 計画では定員二十名のクラスを五つ設けることになっていたから、道は険しいと言わざるを得ない。


 それでも、ケイトが国中から有望な子どもたちを勧誘して回った結果、来年一月に入学する第三期生では、どうにか三クラスを編成できる見通しとなった。

 魔導士課程は、十二歳から十七歳までの六年間で、生徒たちは召喚士同様に専門課程と一般課程、それに軍事教練を受け、寄宿舎での集団生活を送ることになる。


 マリウスは、審問官から一、二期生の成長具合を確認すると同時に、魔導院側からさまざまな運営上の要望を聞き取った。

 彼は問題点を整理した上で、解決すべき課題に優先順位をつけ、その上位から解決していくことを約束した。もちろん、翌年度に確保された予算の範囲内で、という条件をつけてのことである。

 一通りの説明や質疑応答が終わると、お茶を飲みながらの雑談となった。


「ところで、例の件は検討していただけましたか?」

 マリウスが審問官長に対し、何気なく訊ねた。


 長く伸びた白い眉毛に半ば隠れた、審問官長の目が鋭く光った。

「教授陣から大きな反対の声は出ておりません。

 生徒の方は、舎監生を通して対象となる六年生に説明会を二度実施しました。

 これまでの慣習を変えることに戸惑いはあるようですが、基本的には歓迎の姿勢ですな。

 何しろ彼らの世界はあまりに狭い。新しく入ってきた魔法科の子どもたちに対する好奇心は、並々ならぬものがあるようです」


 マリウスは満足そうにうなずいた。

「それはよかった。

 これはまぁ、試験的な制度です。上手くいかなければ、随時見直していけばよいのです。

 魔導士候補生のうちから誰を選ぶかは、審問官の皆様にお任せしますので、どうかよろしくお願いします」


 審問官長の目から、警戒の色が薄れた。相手マリウスは現場の裁量にまで口を出す気がないようだった。

 彼ははっきり言って、マリウスを嫌っていた。

 この若者が参謀本部の主となって以来、伝統ある魔導院に対して次々に改革を打ち出してきたのが気に入らないのだ。


 今の話題もその一つであった。

 召喚士教育を受ける院生たちは、数え年で六歳の時から寄宿舎で集団生活を送っている。

 九歳(四年生)までは男女の別なく、一学年全員が寄宿舎の大部屋で生活する。

 一学年といっても全部で六~九人程度なので、管理上はその方が都合がよいのだ。

 十歳(五年生)になると、男女の二部屋に分けられる。この頃から第二次性徴が始まるので、これは仕方がない。

 そして十五歳(十年生)からは、大部屋ではなく二人部屋となる。


 これに対し、新設された魔法科の生徒たちは、十二歳の入学当初から二人部屋が与えられていた。

 召喚士課程の院生たちが、不公平だと不満を洩らすのは当然だった。

 舎監(生徒側の代表)から、教授陣を通して待遇改善の申し入れがなされたが、当初審問官たちはこれを門前払いにした。

 しかし、どこからかこれを聞きつけたマリウスが、召喚士候補生も十二歳から二人部屋にするよう提案してきたのだ。


 ただし、マリウスは生徒側の要求に一つの条件を付けた。

 それは、召喚士候補生同士の二人部屋ではなく、魔導士課程の生徒との相部屋にするというものだった。

 二つの課程では、専門分野の内容が違うのは当然として、一般教育でも進み方が全く異なっていた。

 そのため、双方の子どもたちが同じ授業を受けることはなく、食事の時を除くと交流の場がほとんどなかった。


 この状態は、子どもたちの健全な成長のためにならない――というのが、マリウスの主張であった。

 あくまで〝提案〟という形ではあったが、これは事実上の命令である。

 参謀本部には、魔導院の運営に対して口を出す権利はないのだが、広い意味では軍の機関である。

 予算を握っている参謀本部に逆らうことはできなかったのだ。


 マリウスは上等のお茶を一口飲むと、思い出したように口を開いた。

「寄宿舎といえば、来年度入学予定の女の子が一人、入っているそうですね」


「ああ、エイナ・フローリーですな」

「彼女は誰かと一緒に生活しているのですか?」


「いや、二人部屋に一人で入っております。なにせ空き部屋だらけですから」

「彼女はなかなかに優秀だと、ケイト・オーリス中尉から聞いておりますが、本当ですか?」


 訊ねられた審問官長は、ちらりとヤニス審問官の方を見た。

 彼は来年度の魔導士課程の教務主任になることが決まっており、したがって入学予定のエイナを自動的に担当することになったのだ。

 小柄な好々爺といった雰囲気のヤニス審問官は、禿げ上がった頭を振りながら、実に嬉しそうに答えた。


「それはもう!

 さすがはオーリス中尉が自らお連れになっただけのことはありますな。

 あの子はまごうことなき逸材ですよ。

 三年までしか小学校に通っていないと言っていましたが、補習を始めて一か月で四年生の課程の半分近くまで追いついております。

 驚くべき理解力と言えますが、本人の学ぶ姿勢が貪欲なのも素晴らしい!

 とりわけ刮目かつもくすべきなのは、魔導士になるためには必須ともいえる、理数系の能力が常人離れしていることです!

 いやはや、あんな子が辺境に埋もれていたとは、実に端倪たんげいすべからざる事象と申せましょう」


 ヤニス審問官のやや興奮気味な報告に、マリウスは目を糸のように細めた。

「ほう、それほどまでに優秀ですか……。

 それでは細心の注意をもって、大切に育てなければなりませんね」


「もちろんですとも!」

 ヤニス審問官は誇らしげに、胸を〝どん〟と叩いてみせた。

 自分が担当する学年から優秀な魔導士を輩出したとなれば、彼自身の功績となるから当然の意気ごみである。


「でしたら、そのエイナ……ですか? 彼女を寄宿舎の二人部屋で一人きりにしておくのは、感心しませんね」

「は?」


「エイナは身寄りがない――父を早くに亡くし、母は行方不明、育てていた叔母夫妻もオークに殺されたばかりだと聞きます。

 オーリス中尉が見い出したのも、蒼城市の孤児院に入所する手続き中だったそうではないですか。

 そんな孤独な身の上で、これまでと隔絶した環境に身を置いているのです。

 勉学に励んでいるのは見上げたものですが、まだ十一歳の少女です。内心は不安で一杯でしょう。

 彼女には学生生活を送る上での心配事を取り除いてくれる、同年代の友人の助けが必要なのではないでしょうか?」


 穏やかな笑顔で語りかけるマリウスにかかれば、ヤニス審問官は蜘蛛の巣に絡めとられた蝶のようなものだった。

「それは、まぁ……確かにそうですな」


「では、どうでしょう。

 少し時期は早いですが、召喚士課程の六年生の女子から誰か一人を選び、相部屋にしてあげるというのは、いかがですか?」

「なるほど、魔導院の生活に慣れている生徒が同室になれば、エイナも心強いでしょうな。

 ですが、一人だけ抜け駆けとなるようなことをするのは、いろいろとまずくはありませんか?」


「六年生の首席は……確かシルヴィアでしたね?」

「ええ、そうです」


「でしたら、シルヴィアをルームメイトにすればよいではありませんか。

 学年首席の栄誉と責任において、不慣れな孤児を導いてあげるよう命じるのです。同級生たちから不満の声は出ないでしょう」

「それは、そうでしょうが、あの(・・)シルヴィアですか……。

 うまくやれるでしょうか?」


「シルヴィアに何か問題でも?」

「いえいえ、そんなことはないのですが、彼女は何と言うかその、かなり気位の高い子どもなものですから……」


「ふむ……」

 マリウスは少し考え込むと、後ろに立つケイトの方を振り返った。


「オーリス中尉、君はどう思う?」

 突然の質問だったが、ケイトは澱みなく答えた。


「私は魔導士課程しか教えていませんから、シルヴィアのことはよく知りませんが、エイナの方なら大丈夫だと思います。

 あの子はとても忍耐強い子なのです。ただ、少し引っ込み思案なところがありますから、気の強い子と組ませた方が、かえってよいかもしれません」

「委縮したりはしないだろうかね?」


 ケイトはにこりと笑った。

「ご心配は無用です。

 あれでエイナは芯が強いですから」


「よろしい。では、エイナ・フローリーと、シルヴィア……ええと」

「シルヴィア・グレンダモアです」

 審問官長が苦虫を噛んだような表情で助け舟を出した。


「その両名を相部屋とするよう、手配をお願いします」

 マリウスは目を糸のように細めると、そう宣言して革の書類綴りを閉じた。


 審問官室に、いかにも安堵したような溜め息が洩れた。

 マリウスは意地悪をするように、一言付け加えた。


「それと、そのエイナという生徒に会ってみたいと思います。

 これから教室にお邪魔をしたいのですが、構いませんね?」


      *       *


 三日後のことである。

 夕方になって、エイナは寄宿舎に割り当てられた自室に戻ってきた。


 三つある新築の寄宿棟だが、そのうち二棟は閉鎖されている。

 唯一使用されている第一棟には、生徒用の二人部屋が十七室あり、そのうち十三部屋が一、二期生が使用している。

 エイナが二人部屋を独占して使用しても、まだ三部屋の空きがある。来年度の第三期生が入ってくれば、閉鎖中の第二棟が開放されることになっていて、エイナも現在の第一棟から移ることになっていた。


 がらんとした二人部屋に一人でいるのは、正直に言って寂しかったし、少し怖くもあった。

 だが、エイナはそれほど気にしないで暮らしていられた。

 一つには、生まれて初めて〝自分の部屋〟を持ったという嬉しさがあったからだ。

 そしてもう一つは、毎日出される大量の課題をこなさなければならなかったため、 とても孤独を感じている暇がなかったからだ。


 勉強は楽しかった。

 辺境の巡回学校で教わる内容とは、桁違いに高度で過密な授業だったが、エイナは必死で食らいついていった。

 何しろエイナ一人のために、教科ごとに違う先生が一対一で教えてくれるのである。

 習うことすべてが新鮮で、先生はどんな質問にも嫌な顔一つせず、むしろ喜んで答えてくれた。


 教師の側も、乾いた砂に水を撒くように、貪欲に物事を吸収していく生徒を得ては張り切らざるを得なかった。

 時間的な制約、そこに師弟の熱意が加わって、必要以上の詰め込み教育になるのは、無理からぬことだった。


 その結果、昼食を除いた朝から夕方までびっしり続く補習が終わると、頭の芯がじんじんと熱を持ったようになり、かなりの疲労を感じた。

 だが、それでもエイナの毎日は充実していたのだ。


 もう廊下の壁にかかった常夜灯のランプには火が灯されていた。

 分厚い課題を胸に抱え、薄暗い廊下をぱたぱたと歩いて自分の部屋の前に立つ。

 鍵のかからない部屋なので、そのまま課題を片手で抱え直し、空いた手でドアノブを握って扉を引いた。


 朝はカーテンを閉めたままで出たので、部屋は暗いはずだったが、扉を開けたとたんにランプの明かりがエイナの顔を照らした。


「?」

 首を捻りながら一歩中に入ると、朝に出た部屋とは様子が違っていた。

 殺風景で、何の飾りもない部屋のはずだったのに、壁のいたるところに額に入った美しい絵や、きれいな刺繡が施されたハンカチ、乾燥させた花束などが飾られている。

 いかにも少女らしい華やかな雰囲気に変身した部屋には、どこか甘い香りさえ漂ってた。


 何が起きたのか理解できず、エイナが部屋の入口で立ち尽くしていると、空いているはずのベッドからひょっこりと少女が顔を覗かせた。


「あら、やっと帰ってきたのね。

 待ちくたびれて眠っちゃうところだったわ」


 少女はそう言うと、ベッドから身体を起こして立ち上がった。

 すらりとして背が高く、美しい金髪を長く伸ばしたきれいな女の子だった。


「あたしはシルヴィア。シルヴィア・グレンダモア。召喚士科の六年生よ。

 今日からあなたと同室になるの。よろしくね、エイナさん」


 近寄ってきた少女は、自らの名を名乗ると、エイナに向けて手をさし伸ばした。

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