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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第三章 黒死山の館
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二十五 貴賓席

 村長むらおさに案内され、貴賓席最前列のど真ん中に座ったマグス大佐は、隣りに陣取った若い男に声をかけた。


「エッカルト中尉、貴様は確か北部の出身だったな?」

「はい。北部開拓民の出です」

「開拓民ということは、コルドラ山脈沿いの土地だろう。

 ノルド人とも交流があったのか?」


 黒髪の若者はかぶりを振った。

「いえ、ノルド人が住むのは山脈の東側ですから、私の故郷とは没交渉ですね。

 彼らを見るのはこれが初めてです」

「そうか。私はノルドの傭兵部隊と一緒に戦ったことが何度もあるが、勇猛で使える奴らだったぞ」


 エッカルトは黒髪で背の高い若者だった。

 マグス大佐の副官に採用されてから、まだ三年にも満たないが、冷静沈着でそれこそ〝使える奴〟であった。

 エッカルトの反対側に座るのがユリアン少尉で、彼は今年の春から副官として仕えている。

 栗色の髪をした愛想のよい若者で、弁舌にも優れていたので、交渉役として重宝されていた。

 もちろん、帝国軍の英雄であるマグス大佐の副官になるくらいだから、二人とも優秀な魔導士である。


 階段状の席が設けられた貴賓席は、地上から二メートルほどの高さのやぐらの上に設けられていた。

 櫓の下には更地の立見席が広がっており、隙間なく詰め込まれた観客たちの頭が見下ろせた。

 高い位置にある貴賓席からは、舞台上がよく見えた。


 マグス大佐たちが席に着いた時は、ちょうど女が踊りを披露しているところで、観客の男たちから口笛混じりの歓声が上がっていた。

 盛んな拍手に送られて女が引っ込むと、次に出てきたのは身長が二メートル近い、筋骨逞しい大男だった。

 何が始まるのかと大佐が興味深げに見ていると、彼は手にしたメモを見ながら、自分たちの部族の自慢話を始めた。

 男は緊張しているのか、出てくる言葉はたどたどしく、お世辞にも上手い演説ではない。


「村長、これは何なのだ?」

 壇上で行われているのは、まるで小学校の発表会である。マグス大佐が呆れたような口調で振り返った。

 彼女の後ろの席には村長が座っていて、大佐からの質問に答えるために控えていたのだ。


「この前日祭は、各地に住まう全部族の代表が集ります。

 彼らはまず、この三十年間の近況を報告するのです。大佐殿には退屈かもしれませんが、我らにとっては重要な情報交換の場でありますな。

 その後で、それぞれが自分の得意な出し物を披露します。いずれも一芸に秀でた者たちですから、そちらをお楽しみください」

「なるほどな。すべての部族ということは、リスト王国のノルド人も出るのか?」

「はい。ちょうど次が出番となります」


 マグス大佐の口元がわずかに歪み、傷跡がうねった。王国ノルド人に関しては、苦い記憶があるからだ。

 十数年前、帝国軍は王国の北西部に住むノルド人を保護するという名目で、進駐を実施したことがあるが、彼女は進駐軍の司令官を任されていた。

 帝国はあくまで〝進駐〟だと言い張り、王国に対して宣戦を布告しなかったが、明らかな侵略行為である。


 この戦い(帝国では「ノルド進駐作戦」、王国側では「黒龍野会戦」という)は、帝国軍の敗北で終わった。

 数に劣る王国軍は三人の国家召喚士が操る強力な幻獣の奮闘で、魔導士を主力とする帝国軍と互角の戦いを演じた。


 だが、神獣・黒蛇ウエマクがその能力で大地震を起こし、コルドラ山脈を貫く大隧道を崩壊させた。本国からの増援を断たれた進駐軍は、退路を断たれることを恐れて撤退したのだ。

 一万を擁したマグス大佐の進駐軍は、二千人以上の戦死者を出したが、それ自体は何とか許容できる損害であった。


 一方、帝国本国と東部をつなぐ唯一の連絡路である、大隧道を潰されたことは大打撃だった。

 大隧道の再建は帝国の財政を圧迫した上に、工事に大量の重力魔導士を動員したため、ケルトニアと戦う西部戦線での後退を余儀なくされた。


 皇帝の意向もあり、マグス大佐が責任を問われることはなかったが、彼女が十五年もの長い間〝大佐〟を続けているのは、このためである。


 会場の大歓声で、マグス大佐は物思いから我に返った。

 舞台上では、大男が丸太を頭上でくるくると回していて、それが大いに受けているらしい。


「これは凄い……のか?」

 彼女には、なぜ観客が興奮して騒いでいるのが理解できない。


 左に座っているユリアン少尉が、すかさず解説を入れる。

「あの丸太は生木ですから、相当に重いですよ。

 あれを一人で持ち上げるだけでも凄いのに、回して見せるなんて大したものです」

「貴様、詳しいな」


「自分は南部の夜森の出身ですからね。親父は木こりだったんです」

 少尉は目を細めて微笑んでいる。


 大男は演技を終えると、これまた大歓声に包まれて舞台を降りていった。

 村長の言によると、次は王国のノルド族の代表らしい。

 大佐は再び興味を取り戻したように見えた。

 後片付けで十分ほど間が空いたが、次の出演者が舞台に上がってきた。


「ほう、女か……」

 大佐がつぶやいたとおり、壇上には背の高い金髪の女が登場していた。

 いかにもノルド人らしい容貌で、晴れ着と思しき華やかな民族衣装を着ている。

 前の大男と違い、彼女は場慣れしているのか態度が堂々としていた。

 そして、語り出した声はよく通り、よどみのないものであった。


 彼女は王国ノルド族が、この三十年間に過ごしてきた歩みを淡々と語っていた。

 それは極めて客観的で冷静な視点で語られたものだった。

 過度に飾らず、自分たちの置かれていた状況を率直に吐露する中で、当然ながら帝国の進駐事件にも触れられた。

 その瞬間、大佐の頬傷が再びうねった。


 だが、ノルド族の娘は、帝国の侵略に対して批判的な言葉は用いず、さらりと事実だけを語って流した。

 彼女たちの部族を除いて、ほとんどのノルド人は帝国民であるから、その配慮は当然とも言える。

 実際、あの紛争で帝国に占領された際、王国ノルド族が出した犠牲は数人に留まった。

 それでも死者は出たのである。彼女が恨み言を口にしてもおかしくはなかったのだ。


「なかなかよい声をしている。腹から出ているのがいい。

 話している内容も、よく整理されていて分かりやすい。まるで軍の訓練を受けたような話しぶりだな」

 マグス大佐は率直に女を褒めた。


「さすがに軍人ということはないでしょう。彼女は歌い手なのかもしれませんね。

 役者や歌手は軍と一緒で、腹式呼吸で声を出すのが基本と聞いています」

 エッカルト中尉が冷静な分析をしてみせた。


 舞台上の娘は、王国ノルド族がケルトニアに対する泥炭輸出で、暮らしが見違えるように豊かになった経緯を語り出した。

 観客はその話に対し、驚きと羨望がい交ぜとなった反応を見せた。

 大佐たちは当然その事実を承知していた。

 王国ノルド族は帝国にとっては貴重な〝火種〟である。そこにケルトニアが関与している事実は看過できないから、注視するのは当然である。


 代表者の娘は一族の近況報告を終えると、いよいよ自分自身のアピールに移った。

 彼女は唐突に、王国の召喚士について話し始めた。

 マグス大佐にしてみれば常識以前の内容であったが、無知な観客たちの興味は惹いたようである。

 そして、娘(最初にプリシラ・ドリーという名を名乗っていた)大きな声ではっきりこう言ったのである。


「ノルド人として史上初めて国家召喚士となったのが、このプリシラ・ドリーである!」


 マグス大佐は目を見開き、あんぐりと口を開けた。

 声も出せない硬直状態の中で、彼女の頭脳だけが忙しく回転していた。


『この娘、何を言っている! 王国の国家召喚士だと?』

『いや待て!

 そう言えば、さっきから妙に見覚えのある女だと思っていた。

 ……そうだ、思い出したぞ!

 かつて王国で皇帝陛下の寵姫の行方を追った時、白城市で第四軍の隊列を見たことがある。あの時、先代の蒼龍帝のすぐ後に続いていた国家召喚士だ!

 間違いない、女にしては恵まれた体格、白い肌に金髪の彫の深い顔、この娘だ!

 くそっ、なぜすぐに気づかなかった?』

『だがあの国家召喚士は、身の丈三メートルはある武人を引き連れていたはずだ。

 あれが奴の幻獣に違いないが、その姿が見えないのはどういうことだ?』


 驚きのあまり固まっていた大佐であったが、その周りの反応も似たようなものであった。

 彼女の両脇に座る副官の二人はともに驚きつつも、プリシラに対して懐疑的な目を向けていた。

 彼女が国家召喚士だと言うならば、その傍らには異形の怪物がいるはずであるが、その姿が見当たらなかったからだ。


 一方、大佐の後ろに控えていた村長も、表面上は冷静を保っていたが、その心中は穏やかではなかった。

 プリシラにはマグス大佐の来訪が伝わっているはずである。それなのに、彼女は堂々と自分の正体を明かしてしまったのだ。

 帝国軍にその身分が知られて困るのはプリシラ自身のはずなのに、これはどうしたことだろう。


 実を言えば、村長が村の娘にプリシラへの伝言を託したのを、マグス大佐は見逃していなかった。

 その内容までは分からなかったが、何か軍から隠したいことがあるのだと、簡単に推測できた。

 そのため、大佐は娘にトイレへ案内させた際に当身で昏倒させ、人目につかない物陰に転がしておいたのだ(口を割らせている時間がなかった)。


 ともあれ、マグス大佐たちが対応を決めかねている間に、事態はさらに悪化していった。

 プリシラの命令でタケミカヅチが姿を現したのだ。

 観客が唖然としたのはもちろんだが、マグス大佐たちの受けた衝撃はそれ以上である。


 二人の副官は、自分たちの判断を即座に修正して立ち上がった。

「取り押さえます!」

 彼らはそう言うと、ただちに舞台へと向かおうとしたが、それを大佐が押しとどめた。


「立つな、馬鹿者!

 あの召喚士はこちらの存在に気づいていない。もう少し様子を見るのだ」


 その後に起きたことは、大佐にしてみれば笑い話であった。

 国家召喚士の幻獣がどんな能力を持っているのか、それは帝国軍にしてみれば喉から手が出るほどに欲しい情報であった。

 それを舞台上の女は、自分からさらしてくれたのである。


「貴様ら、見たか?」

 数十本もの落雷で視力と聴力が回復しきらぬ中、マグス大佐が低い声を出した。


「はい」

 二人の若い副官は同時にうなずく。


「魔力の発動を感じたか?」

「いえ、まったく。呪文の詠唱はおろか、呪符の使用もありませんでした。

 あれは魔法ではありません」

「私も雷撃系の魔法を使いますが、あれほど多量の落雷を一度に起こす呪文など知りません」


「貴様ら、さっき『取り押さえる』とか言っていたな?

 あの化け物に勝てると思うか?」


 エッカルト中尉は肩をすくめてみせた。

「無理ですね」


 ユリアン少尉が少し間を置いてから提案した。

「あれが幻獣の能力のすべてとは思えませんが、召喚士の方はあくまで人間に過ぎません。

 不意を衝くか、強力な魔法攻撃で牽制して引き離せばチャンスはあります。

 召喚士の身柄を押さえて、物理防御結界に取り込んでしまえば、幻獣は手も足も出せません。

 確か、幻獣の特殊能力には物理防御が有効でしたよね?」


 マグス大佐はうなずいた。

「ああ。前に国家召喚士と戦った時にはそうだった。

 とにかく、敵に気づかれないことが第一……しまった! くそっ!」


 大佐の目が大きく見開かれ、舌打ちが鳴った。二人の副官はすぐに舞台の方に振り返った。

 プリシラが目を丸くして、こちらの方を凝視している。

 明らかに気がついたのだ。帝国軍人、いや、恐らくはマグス大佐だと特定した表情である。


「くそったれがぁ! 逃がすな!」

 大佐の一声で、二人の副官は弾かれたように飛び出していった。

 彼女はゆっくりと後ろを振り返る。

 そこには、何喰わぬ顔をした村長が座っていた。


「村長、これはどういうことだ?」

「はて、何のことでしょう?」


「とぼけるな! なぜ、こんな所に王国の軍人、よりにもよって国家召喚士がいるのだ!」

「あれは王国ノルド族の代表です。彼女の職業など、我らの知るところではありません。

 大佐殿、そうおっしゃるのならお尋ねします。

 彼女がここにいることが、どうして問題なのですか?」


「ふざけるな! 敵国の軍人だぞ? 貴様、それでも帝国臣民か!」

「はて、敵国ですか……? 私は田舎者なもので、帝国がリスト王国と断交したという話は聞いておりませぬ。

 敵国とおっしゃるからには、我が国は王国に宣戦を布告したのでしょうか?」


「ぐっ……」

「祭りに参加する王国ノルド族は、正規の手続きを経て入国し、祭りに参加するのがならいとなっております。

 彼女もまた、前例どおりに入国したのでしょう。

 もし、彼女が好ましくない人物だというのなら、我が国の入国管理に問題があったということではありませんか?

 それを我々にとやかく言うのは、筋違いというものです。違いますか?」


 村長の言い分は屁理屈めいているが、その実正論であり、マグス大佐は言い返すことができなかった。


「もうよい!」

 彼女は憤然として席を立った。ぶわりと広がった赤毛が、静電気を帯びてぱちぱちと音を立てている。


「大佐殿」

 村長が追い打ちをかけてきた。


「何だ?」

「ニライカムイは、全ノルド族が最も大切にしている三十年に一度の祭りです。

 これを台無しにされては、我らが皇帝陛下に捧げる忠誠に、悪い影響を及ぼすことすら考えられます。

 くれぐれもご自重くだされ」


「分かっておる!」

 赤毛の女はそう言い捨てると、副官たちの後を追っていった。

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