二十四 披露
舞台袖の天幕裏で控えているプリシラに、祭りの観客たちが騒ぎ立てる大歓声が聞こえてきた。
そっと隙間から覗くと、大男が太い丸太を頭上でぐるぐると回しているところだった。
舞台上には切断された別の丸太と大鋸、そして大量のおが屑が散らばっている。
男が振り回している丸太は直径が約四十センチ、長さは一メートル半ほどだ。
どうやら運び込まれた生木をその場で丸太に挽き、それを持ち上げるというのが彼の演技らしい。
観客は皆山の民であるから、木を挽く音やおが屑だけで、それが生木か乾燥させた丸太かが分かる。
伐採したばかりの生木は水分を多量に含み、恐ろしく重い。彼が頭上で回している丸太は、控えめに見ても百五十キロはあるだろう。
それを一人で持ち上げ、さらには回してみせるのだ。いくらノルド人の体格がよくても、簡単に真似のできる技ではなかった。
上半身裸となった大男は、白い肌を真っ赤に紅潮させ、持ち上げていた丸太をドンと舞台に降ろした。床板が悲鳴を上げ、それが演技終了の合図となった。
観客は万雷の拍手でこれに応えた。
大男は笑顔で観衆に手を振って舞台から降りてきて、プリシラの目の前を通り過ぎていった。
すれ違いざま、彼の太い首や盛り上がった肩に、無数の擦り傷ができて血が滲んでいるのが見えた。
次はいよいよプリシラの出番であるが、舞台上ではまだ片付けが終わっていないため、もう少し待つ必要がった。
男が一人で振り回していた丸太を、村の男たちが四人がかかりでやっと持ち上げ、よろめきながら運んでいく様は、会場の笑いを誘っていた。
舞台に散らばっていたおが屑が掃き集められると、やっと準備が整った。
今年の優勝候補と目されていた男が、期待どおりの演技を見せたことで、観客の表情は満足気であった。
その後に出てきたプリシラを迎える目も、好意的なものであった。
だが、彼女が舞台中央に進み出て正面を向くと、その表情は一変した。というより、反応が二つに分かれたのだ。
一つは好意的なもので、オシロ村の村人たちである。
彼らはプリシラがタケミカヅチという、得体のしれない巨人を連れていたことを知っていた。
村に入って以来、その姿を目にした者はいなかったし、いま舞台に上がっているのもプリシラ一人であった。
だが、祭りの本番であるからには、いよいよあの謎の巨人の正体が明らかになるに違いない。
村人たちは、その期待で目を輝かせていたのである。
一方、観客の過半を占める他村からの見物客は、疑いの目を向けていた。
オシロ村の人たちは、自分たちが事前に知り得た情報を洩らさなかったから(それはこの村の厳しい掟であった)、他村の者たちはタケミカヅチの存在そのものを知らない。
彼らにとって、舞台上に現れたのは、単なるノルド人の娘である。
ノルドの女性としてはまずまず背の高い方だが、先ほど出た大男に比べれば、目を瞠るような体格ではない。
長い金髪に白い肌、彫の深い整った顔立ちはそれなりに美しかったが、いかんせん若くはなかった。
彼女はどう見ても十代には見えない。
多くの美しい娘たちが妍を競う場では、それだけで見劣りがするというものだ。
「一体この娘は、何をしに出てきたのだろう?」
他村の観客たちは、プリシラに対して訝し気な目を向けたのである。
そして、プリシラが深呼吸をしてから、よく通る声で自己紹介をすると、彼らの表情は落胆に変わったのである。
「私はリスト王国北部に住まう、王国ノルド族の代表、プリシラ・ドリーです」
――王国ノルド、それはノルド族からすれば、異国に流れ出た貧しい田舎者の代名詞であった。
ノルド族自体が辺境民族で、大半が貧しかったのだから、そうした見下しは滑稽なのだが、人間というものはどんな立場にあっても、下に見る対象を生み出さずにはいられないらしい。
王国ノルド族は、このニライカムイの前日祭で、優等賞の栄誉に輝いたことのない、凡庸な一族である。
そうであれば、見た目は悪くないが明らかに年齢がいっている娘を出してきたのも、仕方がないことだとうなずけたのである。
観客の半数以上から浴びせられる冷めた目を、プリシラは気にしなかった。
彼女は客席たちの視線を受け止め、目を逸らさずに次の言葉を紡いだ。
それは、王国ノルド族の六か村が、この三十年に挙げた実績報告である。
一族内で見下されるだけあって、彼女の故郷の村々は極貧の暮らしをしていた。当然、誇るような事跡があろうはずもない。
観客たちはプリシラの話に興味を失い、ひそひそと私語を始める始末であった。
だが、彼女はすぐにそのざわめきを黙らせた。
「生きるだけでやっとという暮らしが続く中、ついに転機が訪れた。
今から十三年前のことである。
我々王国ノルド族は、あの西の大国ケルトニアとの交易を始めたのだ!」
「おおっ」という驚きの声が上がった。
聴衆のノルド族はイゾルデル帝国の臣民であり、徴兵を免除される代わりに、帝国軍に傭兵を供給している。
したがって、帝国と百年戦争を行うケルトニア連合王国が、いかに強大な国であるかを嫌というほど知っていたのだ。
ケルトニア自体は小さな国だが、その圧倒的な海軍力で大陸西部のほとんどを支配下に置き、莫大な富を蓄積していた。
そのため、最新の装備が与えられた職業軍人集団を大量に抱え、軍事国家である帝国に対して一歩も引かずに戦っていたのである。
そのケルトニアと、二流国のリスト王国に住む貧しい山の民が取引をしているというのは、俄かには信じられない話であった。
「皆が知っているとおり、我らノルド人には誇るべき産物がない。
現金収入の糧が製材と製炭、それに毛皮という事情は、どの村も同じであろう。
ところが、我らの住む土地からは泥炭が採れる。泥炭は質の悪い燃料で、村内で煮炊きに使う以外、これまで誰も見向きをしてこなかった。
それが、ケルトニア人の調査によって、同国で採れる泥炭と品質が似通っていることが分かったのだ」
「諸君は首を捻っているだろうが、泥炭はケルトニア酒を造る上では欠かせないもので、酒に独特の風味を与えるのだそうだ。
ケルトニアのアイル島で生産される酒は、その風味が強く、近年人気が高く値段も高騰しているらしい。
だが、増産したくとも島の泥炭が枯渇寸前で、代替品を探していたところ、我が村々で採れる泥炭に目をつけたというわけだ。
私もよくは知らないが、どうやら泥炭の中にある種の藻と塩分が含まれているのが重要らしい」
「そのため、ケルトニアは毎年莫大な量の泥炭を買いつけている。
無論、泥炭などというものは高いものではない。だが、量がまとまればその額だって馬鹿にならない。
我々は毎年百枚を超す金貨を手に入れるようになり、生活は一変した。
今や王国ノルド族は、我が一族で最も豊かな部族となったのである!」
会場のざわめきは、地鳴りのように大きくなってきた。この話は、オシロ村の人々も知らなかったのだ。
「もし、私の話を信じられないというのなら、明日の本祭で我が一族が奉納する供物を見るがよかろう。
どの部族も用意できないような、見事な品々を目にすることができるであろう!」
今や観客の興味は、舞台上のプリシラに集中していた。彼女は機が満ちたことを悟り、声を張り上げる。
「我らの近況はこの辺にしよう。次は私自身の話だ。
諸君は帝国人民であるから、隣国リスト王国に召喚士と呼ばれる者がいることを知っているだろう。
そう、お伽噺や神話に出てくるような怪物、妖獣、精霊など、異形の存在、即ち幻獣を呼び出して使役する者たちだ。
幻獣召喚士は特殊な才能と、専門機関によって育成されるが、その数はわずかで、せいぜい年に十人足らず。その中でも国家召喚士に認定されるのは、一人いるかどうかである」
「国家召喚士の幻獣は極めて強力で、一体で数千の兵力に匹敵すると言われている。
そして、ノルド人として初めてその〝国家召喚士〟となったのが、この私、プリシラ・ドリーである!」
会場はますます騒然とし、プリシラの声を掻き消さんばかりとなった。
歓声もあれば、驚きの声もある。そして、当然のように疑いを向ける野次も飛んだ。
「そんな与太話が信じられると思っているのか!」
「そうだ! 話だけなら何とでも言えるぞ!」
プリシラはほくそ笑んだ。会場の雰囲気は、彼女の思いどおりになっている。
彼女は騒音に負けじと、さらに声を張り上げた。
「信じるかどうかは、諸君の勝手だ。だがそれは、私の幻獣の姿を見てからにしてもらおう!
契約を結びし我が忠実なる幻獣よ、私が許す。姿を現せ!」
実はタケミカヅチは、最初からプリシラと一緒に舞台に上がっていて、観客たちにも見えていたのだ。
ただ、彼が〝隠形術〟を使っているため、観客にはその姿が認識できなかったのである。
タケミカヅチは、プリシラの命に従って術を解いた。
その途端、観客は身の丈三メートルを超す、古びた鎧をまとった巨大な武神の姿を、突如として認識した。
彼らにしてみれば、プリシラの他に誰もいなかったはずの舞台に、いきなり巨人が出現したように見えたであろう。
それまで騒がしかった会場が、一瞬で静まり返った。
ノルド人がいかに体格に優れようと、二メートル余が限界である。いま姿を現した巨人は、明らかに人間の範疇を超えていた。
水を打ったような会場に向けて、プリシラは不敵な笑みを浮かべた。
「皆に紹介しよう。我が幻獣、タケミカヅチだ。
彼は幻獣とはいえ、元々は東洋の神々の一族であり、武神として崇められている存在だ。
この姿だけでもそれと知れようが、彼の能力の一端をお見せしよう。本来は見世物ではないが、この祭りに対する祝いである。
その目を見開いて、とくと見よ!」
プリシラはそう叫ぶと、ちらりとタケミカヅチに目くばせをした。
彼は重々しくうなずくと、のしのしと前に進み出た。
そして、腰に下げた巨大な直刀を鞘ごと抜き、どかりと床に突き立てた。
そして、柄に両手を重ねると、腹に響くような低い声で怒鳴った。
「雷光招来!」
タケミカヅチの特殊能力は雷撃である。
それは王国四神獣の一柱、白虎ラオフウにも匹敵する強大な威力を持っていた。
とは言え、これはデモンストレーションであるから、村や人々に被害を与えてはならない。
そのため村の周辺に多数の雷を落とすという、彼にとっては児戯に等しい術を披露することにしたのだ。
もちろん「雷光招来」などという技の名はなく、わざとらしく叫ぶ必要もない。
すべて〝はったり〟であった。
とにかく、タケミカヅチが叫んだ途端、薄曇りだった空に墨を垂らしたように、黒雲が出現した。
そして、カッ! という炸裂音が轟くのと同時に、青白い雷光がひび割れのように空を走った。
それは三十数本の稲妻となり、村を取り囲むように一斉に降り注いだ。
激しい閃光が網膜を焼いたかと思うと、一瞬遅れて轟音が鼓膜をつぶし、腹を殴るような衝撃が襲ってきた。
観客の全員が目をつぶり、耳を押さえてうずくまった。一時的に視覚と聴覚を奪われた彼らが近くできたのは、風に乗って漂ってくるきな臭い匂いだけだった。
静寂が訪れ、観客が恐る恐る頭を上げて目を薄っすらと開く。
どうにか回復してきた視界に映ったのは、先ほどまでと変わらぬ平和な光景である。
タケミカヅチは落雷の威力をかなり抑えていた。火災などを起こさないためである。
しかし同時多発的に、しかも村のすぐ近くに落としたものだから、その威力以上の衝撃を与えたのである。
しわぶきひとつ起きずに静まり返る会場を、プリシラは満足そうに見回した。
やったことは虚仮威しに過ぎないが、とにかくノルド人の度肝を抜いたことは間違いない。
これでこの先十年は、王国ノルド族が輩出した国家召喚士とその幻獣の逸話は、伝説となって語り継がれるだろう。
実にすがすがしく、いい気分であった……はずなのだが、プリシラの胸には説明のつかない違和感が残っていた。
その原因は、会場にあるような気がしてならない。彼女はもう一度、じっくりと周囲を見回してみた。
会場は更地で、観客は、皆立ち見であった。その誰もが目を丸く見開き、ぽかんと口を開けている。どこにも不審な点はない。
次に彼女は視線をやや上に向けた。
会場の中央には櫓が組まれ、その上には階段状の椅子席が設けられていた。
それは一種の貴賓席で、近在の村から訪れた村長や有力者が座っていた。
プリシラはお偉いさんに興味がないので、ほとんど注意を払っていなかった。
だが、改めてそこに座る者たちの顔ぶれを確認すると、彼女は自分の目を疑った。
貴賓席の最前列、その中央にあり得ない人物が座っていたのである。
それはノルド人ではなかった。
小柄な体に頬傷のある凶相の女、その顔の周囲には乱れた赤毛がぶわりと広がっている。
そして何よりの問題は、その女が帝国の軍服を着用していることだった。
プリシラは呆然として、彼女を見詰めていた。
軍服を着た赤毛の女も、驚愕の表情でこちらをじっと見ている。
二人の女の目が合った。
そして、彼女たちは同時につぶやいていた。
「王国の……国家召喚士だと?」
「あの赤毛に頬傷……帝国の魔女か!」