二十三 前日祭
十月十四日、三日にわたるニライカムイの初日となった。
祭りの本番は十五日、即ち満月の夜で、神の山へ生贄を捧げる厳粛な儀式が行われる。
生贄となるのは熊、あるいは大山猫といった山に棲む獰猛な動物で、春に捕えた仔を村内で飼育したものである。
十六日は後夜祭で、夕刻から始まる盛大な踊りと大宴会である。
この世界では、ほとんどの国が月の満ち欠けを暦の基本とした〝太陰太陽暦〟を採用している。
したがって一日が新月、十五日が満月となり、一年の半分の月は三十日の「大の月」、残りの半分は二十九日の「小の月」となる。
つまり一年が三五四日となるので、太陽暦に比べると十一日短くなる。
その結果、徐々に季節と暦の間にずれが生じてくるので、三年に一度閏月を設けて(つまり一年が十三か月になる)これを調整している。
十五、十六日が夜に開催されるのに対し、十四日の前日祭だけは午前中から始まる昼の祭りである。
この日は各地から集まった男女が順に舞台へ上がり、それぞれの地域の近況を報告する。
それと同時に、発表者は部族の代表である自分が、いかに優れているかをアピールすることになる。
男であれば武芸や大力、女ならばその美しさや豊満な身体を誇るのである。
言ってしまえば各部族の自慢大会であり、代表者は故郷の誇りをかけて競い合うため、非常に盛り上がる。
この前日祭だけが日中に行われるのは、暗い夜では舞台に上がる人物がよく見えないからである。
他村の者たちを驚かせるほどの益荒男や絶世の美女など、そうそう都合よくは現れない。
そうした村は、何らかの一芸に秀でた者を出してくるのだが、これは半分受け狙いである。
歌や踊りといったありふれたものから、奇術や腹踊りなどの宴会芸に近いものまで、出し物は多岐にわたる。
奇抜な芸で驚かせる者や、腹がよじれるほど笑わせてくれる芸達者が観客を沸かせる前夜祭は、娯楽の少ない山の民が最も楽しみとしている日なのである。
ノルド人は人種的な特徴から、体格がよい上に美男美女が多い。
そうした代表の中から、最も優れた男女各一名が選ばれ、栄誉と商品を受取ることになる。
そのため審査発表の直前には、男たちによる力比べ大会、女たちが総出で美を競い合う場が設けられ、観客の興奮が絶頂を迎えるのである。
プリシラの故郷である王国ノルド族は、長い伝統を持つこの前日祭で、一度も優等賞を得たことがなかった。
そのため、彼らは帝国に居住する他部族から一段低い目で見られ、こうした場でも席次が最下位に置かれていた。
これは屈辱であり、祖父たちが「今回こそは!」と満を持してプリシラに期待をかけたのは、当然の成り行きである。
オシロ村の中央広場には、派手に飾られた舞台が用意されており、村中の人間はおろか、近在から押しかけたノルド人たちで立錐の余地がない混雑ぶりであった。
前日祭は十時ころから始まっていた。各部族の出演順はくじ引きで決められ、プリシラは午後の部の三番目であった。
一人の持ち時間は二十分ほどで、初めに村々の近況を説明し、その次に代表者によるアピールタイムとなる。
出演者は臨時に建てられた控室で待機するのだが、同じ建物内でも間仕切りを設けて、互いに顔を合わせないよう配慮されている。
プリシラは特に緊張もせず、用意された茶菓子などを摘まんでくつろいでいた。
タケミカヅチは傍に控えていたが、隠形術を使っているのでプリシラ以外の者の目には入らなかった。
タケミカヅチが前夜に村を抜け出し、戻って来たのは朝のことである。
彼の報告はプリシラを驚かせた。
アフマド族が黒死山に生贄を捧げているという話もそうだったが、その生贄の少女をシルヴィアが助けたという。
せっかくエイナがアフマド族の村に潜入して、うまく交流をしているのに、シルヴィアは彼らの儀式を台無しにしたのである。
人道的にはうなずける行為でも、軍人としては手出しをすべきではない。エイナの情報収集活動に、悪影響を及ぼす可能性が高いからである。
『シルヴィアも馬鹿なことをする。
第一、異民族の少女を助けたはいいが、この後どうするつもりなのだ?』
シルヴィアの気持ちは分からぬでもないが、やはり彼女は軍人としての自覚が不十分である。
戦場であれば、作戦上犠牲に目をつぶる必要も出てくる。
戦友を見殺しにするということは、同時に自分がその立場になった時、一命に代えて仲間のために死ぬ覚悟でもある。
『合流したら、説教だな』
プリシラは一人でうなずいた。
もちろん、この時点で彼女は吸血鬼の存在を知らない。
そして、エイナが生贄の身代わりを申し出るという、とんでもない決断をしたことも知らなかった。
彼女が待機していた建物は、祭り会場の広場からそう離れていない。
半分開かれた蔀窓からは、どよめきや笑い混じりの歓声が聞こえてくる。
祭りは大いに盛り上がっているらしい。
午前の部が終わり、簡単な昼食を済ませると、村の娘が「失礼します」と声をかけ、顔を覗かせた。
「そろそろ出番です。舞台の方へ移動を願います」
プリシラは立ち上がると「よし!」とつぶやき、自分の頬を両手で叩いた。
後輩たちの面倒は後から考えればよい。今は祖父やみんなのためにも、立派に務めを果たす時である。
彼女は自分の後ろに立つタケミカヅチの存在を感じながら、振り返らずに声をかけた。
「行くよ、タケ!」
* *
オシロ村に限らず、ノルド人の村落は周囲を頑丈な柵で囲っている。山に棲む肉食獣は、彼らにとって現実の脅威であるから当然である。
その入口には、見張りの若者が二人立っていた。
この日は祭りの中でも、最も盛り上がる前日祭である。彼らだって是が非でも見たいのに、こうして門番を務めねばならないのは、拷問のようなものであった。
だが、村の中から聞こえていくる歓声を気にする暇がないほど、二人は忙しかった。
もう祭りは始まっているというのに、近在近郷の村から、ノルド人たちが続々と押しかけてくるからである。
すでに村が用意した宿舎は満員であり、遅れてきた人々は天幕を張っただけの更地で野宿となる。
名簿をつけた上で野営地や水飲み場、便所の位置などを説明し、案内役の娘たちに引き継ぐだけでもてんてこ舞いであった。
今も彼らはある家族の受付を済ませ、息をついたところだった。
門柱に寄りかかって煙草を吸おうとした若者の目に、街道をやってくる馬の姿が映った。
「騎馬とは珍しいなぁ。しかも三騎だ……」
二人は手を額にかざし、小さな馬影を見詰めていた。
祭り見物に来る者は、ほとんどが徒歩なのだ。
ノルド人も馬を飼っていたが、馬は基本的に労働力である。
山から伐り出した材木を、橇で運び出すのが馬の役目であった。
村と村の間の移動に馬を使うのは、よほどに急いでいる時に限られた。
馬は大量の水と飼葉を必要とするから、滞在先の村にその費用(当然割高である)を支払う必要がある。
自分の村なら刈ってきた青草を与えればタダなので、生活の厳しいノルド人たちは自らの健脚に頼ることが多かったのだ。
三頭の馬は次第に近づいてきて、馬に乗る人物の姿も見分けられるようになった(ノルド人は視力がよい)。
「おい、あいつらノルド人じゃないぞ!」
門番の一人がそう声を上げ、相方もそれに同意した。
「ああ、軍服を着ているようだな。軍が何の用だろう?」
二人は顔を見合わせ、とにかく村長に一報を入れることにした。
案内係の女の一人に伝言を託し、彼らは緊張した面持ちで来訪者を待ち構えた。
「止まれ!」
槍を構えた若者が、大きな声を出した。
三頭の騎馬は、ぴたりと歩みを止める。
「ここはノルド人の村だ。
軍の方々とお見受けするが、何用あって参られた!」
お手本どおりの誰何である。
それに呼応して、二人の若い男が下馬して近づいてきた。
一人は栗色の巻き毛で、にこやかな表情をした小柄な男、もう一人は黒髪で背の高い人物で、こちらはにこりともしない。
栗色の方が両手を軽く上げ、敵意のないことを示した。
「こちらにおられるのは、皇帝陛下の勅命によって全土を査察している監察官殿です。
我々は東部方面軍の査察を終え、各地を巡検しています。オシロ村を訪ねたのはその一環で、民情視察だとご理解ください。
お通しいただけますね?」
若者の言葉は丁寧で表情は穏やかだったが、その内容には重みがあった。
ノルド人と言えども、帝国民であることに変わりはない。皇帝の勅命を受けた監察官の入村を、断ることはできなかった。
それでも、門番の二人は勇気をふり絞って抵抗を試みた。
「それは……お役目ご苦労さまです。
されど、今は三十年に一度という、ニライカムイの祭りの最中なのです。
これは我が民族の最も重要な行事でして、ノルド人以外の参加を認めたことがありません。
日を改めてもらうわけにはいかないでしょうか?」
栗色の髪の男は、にこにこしたまま首を振った。
「祭りのことは承知しています。だからこその訪問なのです。
巡検と言ったら堅苦しいですが、要するに物見遊山です。あなた方ノルド人に迷惑をかけるつもりはありません」
「しかし……」
門番の二人が逡巡していると、幸いなことに呼びにやっていた村長が到着した。
若者たちは安堵の表情を浮かべ、手短に彼らの来意を説明する。
「これはこれは、若い者が失礼をした。
わしはこの村の長を務めるクヌートと申します。
この度は遠路はるばるの査察、誠にご苦労なことでございます」
村長がそう言って頭を下げると、二人の軍人はちらりと後ろを振り返った。
その視線に応じるように、馬に跨ったままだった監察官が、ひらりと馬から降り立った。
最初の二人の若者に比べると、遥かに小柄である。それもそのはずで、その人物は女性だったのだ。
年齢は五十歳前後と見えたが、きびきびとした動きには無駄がない。いかにも叩き上げの軍人といった風情があった。
彼女は村長のもとに歩み寄ると、手を差し出しながら軍帽を取った。途端に縮れた赤毛がばさりと広がる。
村長と握手を交わしながら、彼女は自己紹介をした。
「此度の監査官を拝命した、ミア・マグス大佐だ。
せっかくの祭りだ。邪魔立てする気はないので、見物を許してほしい」
低くしわがれた声だった。
口を動かすと、その左端から耳の下にかけて、切り裂いたような醜い刀傷がぐねぐねと動く。
村長だけではなく、二人の門番も目を見開き、あんぐりと口を開けた。
乱れた赤毛、大きな頬の傷、そして彼女は確かに「ミア・マグス大佐」と名乗った。
帝国人なら幼い子どもであっても、その名を知らぬ者はいない。
それは僻地に住むノルド人であろうと同じである。
帝国の生ける伝説、敵からは悪魔とも魔女とも呼ばれる怨嗟の対象、爆裂魔法を操る稀代の大魔導士が、目の前に立っていたのだ。
「マグス大佐……殿でありましたか!
これはお見それをいたしました。どうか無礼をお許しください。
ささ、遠慮なくお入りください。私めがご案内いたします」
村長は揉み手をせんばかりの愛想を振りまいた。
そして、案内係の女たちを呼び寄せると、矢継ぎ早に指示を与える。
「観覧の貴賓席を、大至急空けさせるのだ!」
「大佐殿はわしの屋敷にお泊めする、家の者に歓迎の準備をするよう伝えよ!」
「茶菓子の用意を忘れるな。一番いい茶器を使うのだぞ!」
「お三方の馬を厩に回せ、十分に飼葉を与えて身体を洗ってさしあげよ」
女たちが小走りで散っていくの確認した村長は、一人だけ残った若い娘の肩を引き寄せた。
そしてその耳に口を近づけ、小声で耳打ちをした。
「プリシラ殿にこのことを伝えるのじゃ!」
娘は引き攣った顔でうなずくと、その場を走り去ろうとした。
だが、その腕を掴んだ者がいた。
彼女は「ひっ!」と小さな悲鳴を上げ、その場で凍りついた。
腕を掴んだのは、マグス大佐だったのだ。
「娘ご、お急ぎの所すまぬが、厠を借りたい。
案内してくれぬか?」
若い娘は怯えた顔で、村長に救いを求める視線を送った。
村長はうなずいた。
「よい。ご案内してさしあげよ。わしの用はその後で構わん」
「すまぬな。小用だからすぐに戻る。少し待っていてくれ」
マグス大佐はそう言うと、笑顔を見せた。
頬の傷がまたうねるように動く。傷の両側に点々と残る縫い跡のせいで、まるで百足が這っているようだった。
* *
プリシラは舞台袖の天幕の陰で出番を待っていた。
ちょうど舞台上では、ある村の代表の女性が妖艶な舞を踊っており、やんやの喝采を浴びていた。
ノルド人らしく透き通るような白い肌に、長い金髪を靡かせた美しい娘であった。
彼女は舞を終え、万雷の拍手と歓声の中、舞台を降り控室に戻ってきた。
息を弾ませ、頬を上気させていて、いかにも〝やりきった〟という満足が表情にも表れている。
それと入れ違いで次の代表が、天幕をまくり上げて出て行った。今度は対照的に筋骨逞しい大男である。いかにもノルド人好みである。
身長は二メートルに近い男が舞台に登場すると、会場からは大きなどよめきが起こった。
その男はオシロ村からそう遠くない、いわば親戚筋の部落の代表者であったから、村の者たちにも評判が聞こえていた。
彼は自分と村の名を名乗ると、手もとのメモを見ながら、たどたどしく部族の実績を述べ始めた。
お世辞にも上手い演説とは言えなかったが、聴衆は温かい目で見守ってくれた。
演説などどうでもよい。いかにもノルド人好みの大男が、その剛力を披露してくれるのを、皆楽しみにしているのだ。
プリシラの出番は、この男の次であった。
演説の草稿は頭に入っている。タケミカヅチを登場させる演出も、彼と打ち合わせ済みである。
『見ていろ、会場の度肝を抜いてやる』
彼女はそうつぶやき、そっと天幕の隙間から顔を離した。
そこは舞台の袖なので、見えるのは舞台上と前列の観客だけである。
先ほどの娘の踊りの間に、マグス大佐とその副官が貴賓席に着座していたことに、プリシラはまったく気づいていなかった。
そして、村長が伝言を託した娘が、控室に現れることはなかったのである。




