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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第三章 黒死山の館
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二十一 お館様

 〝お使い〟の少女から「お前は本当に人間なのか?」と問われ、エイナは少しむっとした。


「人間じゃなかったら何ですか?

 吸血鬼のあなたに言われたくはありません!」


 言い返された少女であったが、すでに無表情に戻っている。エイナの怒りは通じていないようだった。


「ここは我らが母なる真の闇だ。

 人間には理解できぬだろうが、お前たちの暮らす世界とは次元が違っていると言ってよい。

 普通の人間なら、闇に呑まれた瞬間に意識を失うものだ。

 万が一、意識を保っていたとしたら、たちまち奈落の底へと落ちていくことになる。

 だから不思議だと思っただけだ。平気ならば、別にそれでよい」


 少女の説明は何となくだが納得できた。

 実際、一年前に同じ闇に潜った時、シルヴィアはずっと意識を失ったままだった。


「私は前に同じ経験をしています。

 吸血鬼にさらわれたわけではなく、自分の意志で闇に入ることができたのです。

 それで慣れているのかもしれません」

「ほう……それはますます面白い。

 お館様は退屈をされているから、珍しい話はお喜びになるだろうな」


「あの、この闇を使うと、どんな所へでも出られるのですか?」

「基本はそうだ。出口がイメージできるのであれば、どれほど距離が離れていても関係ない」


「そうなんですか。

 前の時は、結構な時間歩いたんですけど」

「それは無意味な行動だったな。

 さっきも言ったが、出る場所が頭の中に描ければ、それだけでよいのだ。

 というわけで、もうお喋りはいいだろう。

 地上へ出るぞ」


 少女はエイナの手を取ると、そのままふっと浮き上がった。

 次の瞬間、彼女の頭は地面から生えるように外に出ていた。

 手を出して触ってみると、固い岩の感触があった。

 身体を引き上げると、足の裏にもしっかりとした地面の感触が戻ってきた。


「寒っ!」

 立ち上がると夜風が冷たく、エイナは身震いをした。

 周囲を見回しても真っ暗で、人より夜目の利く彼女の視力でも、ごつごつとした岩肌がぼんやり見えるだけである。


「ここがお館……?」

「の前だ」


「直接お館の中に出ればよかったじゃないですか」

「それは無理だ。お館には結界が張っている。

 我らといえども、お館様の許可がなければ入れないようになっている」


「で、入口はどこなの?」

「ついてこい」

 少女はすたすたと歩いていく。その先にあるのは崖状の岩壁である。


「え? ちょっと!」

 エイナは慌てて付いていったが、先を行く少女はすっと崖の中に呑み込まれてしまった。

 恐る恐る手を出してみると、何の抵抗もなく手が岩壁を突き抜けた。

 さっきまでの闇の通路とは感触が全く違う……というか、感触自体がない。


『幻影魔法かしら?』


 エイナがとまどっていると、岩の中から少女の声がした。

「どうした? 早く入ってこい」


 思い切って飛び込んでみると、一瞬で周囲の光景が変化した。

 そこはかなり大きな洞窟の中であった。

 高さは四メートルほど、幅も五メートル以上ある。

 人工的な感じはしなかったが、それは入り口部分だけの話である。


 洞窟の奥には、明らかに人の手になる建造物が待ち構えていた。

 立派な石造りの屋敷、その正面玄関という感じだ。


 門の両脇には外灯があり、ちゃんと火が灯っている。

『吸血鬼に灯りなんて必要なのかしら?』

 エイナはそんなことを思いながら、少女の後について屋敷の中へ入っていった。


 玄関ホールに入っても、誰かが迎えてくれるでもなく、その先の広い部屋を含めて人影が見当たらなかった。

 これだけ大きく、立派な屋敷ならば、ある程度の召使いがいなくては、恰好がつかないだろう。

 屋敷の中には、美しく浮彫されたすりガラスに隠された間接照明で、十分な明るさがあった。

 足元に感じる分厚い絨毯、少し古風だが上品な壁紙、趣味のよい絵画から調度品に至るまで、そこはまさに貴族の邸宅であった。


 一体どうやってこんな山奥に豪勢な邸宅を建て、高価な調度を揃えたのだろう。

 掃除をするだけでも大変だろうが、エイナの先を歩いている少女たちが、メイドのように働いている姿は想像できなかった。

 舞踏会ができそうな大きな広間を抜け、重厚な扉を開けると、次の間はごく普通の広さの書斎めいた部屋だった。


 部屋の奥には豪華な肘掛椅子に一人の男が座り、その背後に四、五人の女性が控えていた。

 いずれもお使いと同じような年頃の少女で、やはり薄い夜着だけを身につけている。

 どうやらそれが、この屋敷に仕える彼女たちの制服らしい。

 美しくはあるが、下着をつけていない裸体が透けて見えるのは、悪趣味としか言いようがない。


 お使いの少女は後ろ手に扉を閉めると膝をつき、奥に座る男に向けて深々と頭を下げた。

「お館様、ただいま戻りましてございます。

 アフマド族の娘を連れてまいりました」


 彼女は膝をつくのと同時に、エイナの頭を片手で押さえつけていた。

 細くて白い腕だったが、その力は恐ろしく、エイナは抵抗できないまま床に顔を擦りつける恰好となった。

 奥に座る男がこの屋敷の主人、すなわち真祖と目される吸血鬼なのだろう。

 お使いの少女は、無言のままエイナにひれ伏すよう命じたのだ。


「そう離れていては話が聞こえん。

 近くに寄って、顔を見せるがよい」

 男の低い声が聞こえ、エイナの頭を押さえていた力が緩んだ。

 潰された鼻がひりひりする、きっと赤くなっているに違いない。


 お使いの少女は立ち上がると、エイナの襟首を掴んでひょいと持ち上げた。

 そして、無表情のままエイナを片手にぶら下げ、お館様の前に進み出ていった。

 まるで猫の仔のような扱いである。


 少女はお館様の三メートルほど手前で立ち止まると手を放し、四つん這いになったエイナの背中を踏みつけた。

「ぐえっ!」

 肺から息が洩れ、エイナは無様に床に這いつくばった。子猫からカエルに格下げされた気分だった。


 少女は華奢で、エイナより体重もずっと軽そうだった。

 だが背中に感じる圧力は巨象に踏まれているようであり、呻き声をあげた後は口がきけず、呼吸すら困難だった。


 椅子に座った男は、ひじ掛けについた腕で頬を支え、退屈そうな表情でその様子を見ていた。

 彼がエイナに関心を示していないのは、その目の色で明らかである。


「顔を見せてみよ」

「はい。かしこまりました」


 少女は足で踏みつけたまま身をかがめ、エイナの髪の毛を掴んで顔を上げさせた。


「まぁ、そこそこだが、少し歳がいっているのではないか?」

「昨夜ご報告しましたように、もともとの生贄は逃げられました故、この者は急遽用意した身代わりでございます。

 多少の瑕疵かしは止むを得ないかと存じます。

 アフマド族には、私がそれなりの罰を与えましょう」


「勝手な真似をするでない」

「も、もうしわけございません!」

 叱責の声は穏やかだったが、少女の方は文字どおりに震えあがった。


「よい。その女は磨き上げた上で寝所に連れてこい。

 その後はいつものように飼ってやれ」

「かしこまりました。それで……お館様、今ひとつご報告がございます」


「ん? まだ何かあるのか」

「はい。この娘ですが、私の魅了チャームが効きませんでした。

 しかも闇に潜った時も意識を失わず、奈落へも落ちません。

 そのような人間は初めてでしたので、お知らせすべきかと……」


「人間がか? まさか同族ではあるまいな」

「いえ、それはございません。血の臭いも確かめました」


「ふむ……。その娘、立たせてみよ」

 男はそう命じると、椅子から立ち上がって近寄ってきた。

 エイナは少女によって再び襟首を掴まれ、持ち上げられた。

 お館様は無造作に顔を近づけ、エイナの顔を覗き込む。


 吸血鬼は背が高く、立派な体格をしていた。恐らく身長は百九十近くあるだろう。

 見た目の年齢は四十半ばほど、きれいに整えた口髭を生やした男前である。

 部下の少女たちとは違い、身体に合ったスーツを一分の隙なく着こなし、シャツのカラーにはしっかり糊が効いている。

 顔が近づくと、ほんのりとムスクの香りがした。


 彼は鼻をエイナの唇に近づけると、すぐに顔を離して椅子に戻った。

 その顔は、それまでの物憂げな表情とは打って変わり、楽しそうな笑みすら浮かんでいた。


「なるほどなるほど、これは面白い。

 この地に屋敷を構えて数百年、その中でもめったに見ない椿事だ。

 話を聞きたい。誰か、円卓と椅子を持ってまいれ。ああ、小さいやつでよい。

 それと、酒も用意せよ」

 彼の一声で、背後で控えていた少女たちが慌ただしく動き出した。


 エイナは何が起きているのか分からず、ぼんやりと立っていたが、それはお使いの少女も同じだった。

「あっ、あの、お館様。

 一体どういうことでしょう、私は何か失態を犯したのでしょうか?」


 不安げな表情で震える少女に、お館様は優し気な笑顔を向けた。

「心配するな、クロエ。お前は間違ったことをしてはおらぬ。

 むしろ、よくぞこの娘を連れてきたと、褒めてやりたいところだ。

 この娘、名は何という?」

「はい、エイナ・フローリーと申しておりました」


 クロエ(それがこの少女の名前らしい)の答えを聞くと、男の目がますます細くなった。

「クロエよ、お前は先ほど『アフマド族の娘を連れてきた』と申したな?」

「はい……それが何か?」


「この娘はアフマド族ではないぞ」

「えっ、そんなはずは!」


「そうか? では、本人に訊いてみよう。

 おい、エイナとやら。そなたはアフマド族か?」


 ようやく口を開く許可が下りた。

「いいえ、私はアフマド族の者ではありません」


 お館様は満足そうにうなずいた。

 一方のクロエという少女は、目を剥いてエイナを睨んだ。

「嘘をつくな!

 お前はアフマド族の衣装を着ているではないか!

 連れてきた男どももアフマド族であった。お前もあいつらも、皆同じ黒い髪をしているぞ!」

「控えよ、クロエ」


 お館様が手をあげて制すると、クロエはぴたりと口をつぐんだ。

「確かにこの娘はアフマド族と同じ黒髪だが、顔立ちが全然違うことに気づかないのか?

 アフマド族は東の大陸から渡って来た民族の末裔、もっと彫の浅い顔立ちで、目は切れ長の一重だ。

 それに、エイナ・フローリーという名前は、アフマド族の名前とはかけ離れている」

「わ、私は……人間の顔や名前の違いなど、気にかけたこともございません!」


「だが、そなたも元は人間、エウロペの姫君であっただろう?」

「遥か昔の話です! そのような穢らわしい過去など、とっくに忘れました!」

 クロエはそう叫ぶと、涙をぼろぼろと零して泣き出した。


 お館様は困ったような顔をして、後ろを振り向いた。

「誰か、クロエを下がらせろ。

 昨日からの働きで疲れたのだろう。少し休ませるがよい」


 控えていた二人の少女がさっと前に進み出て、クロエの両腕を抱えると、彼女の口を押さえて部屋から連れ出した。

 それと入れ違いに、先ほど出ていった少女たちが、小さな丸テーブルと椅子、そしてお盆に乗った酒器を運んできた。

 彼女たちは、お館様の前に円卓を据え、向かい合う位置に椅子を置いてエイナを座らせた。


 テーブルの上には琥珀色の酒が入った瓶、水差しとグラスが置かれた。

 平皿には、彩りのよいカナッペまで並べられている。

 お館様は上機嫌で自分のグラスに酒を半分ほど注ぎ、続いてエイナの方へも瓶を差し出した。

 エイナは慌ててそれを遮った。


「ご好意はありがたいのですが、私はお酒をたしなみません」

 吸血鬼は一瞬ぽかんとしたが、すぐに残念そうな表情を浮かべた。

 彼の背後で控える少女たちが、恐ろしい目つきでエイナを睨んでいる。


「何だ、つまらん奴だな。

 確かエイナと言ったな……歳はいくつだ?」

「十八です」


「ならば、もう飲んでもよい年頃だろう」

「えと、あの……法律的にはそうですが、お酒は飲みつけていないのです。

 なんか、ごめんなさい」

 エイナは上目遣いで少女たちをちらりと見ながら頭を下げた。


「ならばコーヒーでも飲むか?」

「はい、ミルクと砂糖があれば大丈夫です」

 お館様は右手を軽く上げて手を振った。

 コーヒーの用意をしろという意味で、少女の一人がすぐにその場から消え去った。


 吸血鬼はグラスの酒を口に含み、目を細めた。

 エイナは恐る恐る訊ねる。

「美味しい……のですか?」

「ああ。これはケルトニア酒の最上級品で、かの国の北西部で……と言っても、酒を飲まぬそなたは分からぬか」


 彼はふふっと小さく微笑んで、皿からカナッペを一枚摘まんで口に放り込んだ。

「吸血鬼が酒を飲んだり、食べたりするのは意外でした」

 エイナは素直な感想を述べた。


「我らは人間の血さえ飲めば生きていられる。

 だからと言って、ほかの物を飲み食いできぬわけではないし、ちゃんと味も分かる。

 もっとも、消化はできんから栄養という点では、飲食行為に意味はないな。

 だが、これは大切な能力なのだぞ?」

「なぜでしょうか?」


「我らは人間を餌とする。

 私のような真祖は別だが、血の薄い眷属たちは、人に紛れて暮らさねばならん。

 人間は弱いが、数は圧倒的に多い。正体がばれるとまずいことになる。

 人の振りをするということは、人前で食事をする機会も出てくるというものだ。

 そうした時に、飲み食いができなくては怪しまれるであろう?」

「なるほど……。言われてみれば納得します」


「うむ、いいな。こうした話をするのは久方ぶりだ。

 そなたは生贄の少女たちが、どんな運命を辿るか知っているか?」

「それは……血を吸われて殺されるのでしょう」


「それは結果論であって、我らは別に生贄を殺そうとは思っていない。

 むしろ、できるだけ長く生きてほしいと思っている」

にわかには信じがたい話ですね」


「事実だ。捧げられた娘は、まず最初に私が手をつける決まりになっている。

 吸血の時点で強烈に魅了されるのだが、同時にその娘の処女を奪うことによって、永久に術が解けなくなる。

 私が血を吸うのはその一度きりだ。

 後は我が眷属どもに下げ渡され、吸血は月に二度、新月の時と満月の時だけに許される。二週間もあれば、失った血は回復されるからな。

 娘は私に魅了されているから、自らの意志で抵抗したり、逃げ出すこともあり得ない。

 よって彼女たちには、十分な食事と睡眠、そして行動の自由が与えられる。極めて健康的な生活が保証されるのだよ」


「……ですが、それでも生贄の少女たちは死ぬのですね」

「ああ。残念ながらな。

 彼女たちは長くて二年、短い場合には一年もすれば衰弱して死んでしまう。

 我らの吸血は、単に血液を飲むのではない。血を媒介として生命力を啜っているのだ。

 血液は回復できても、生命力はそうではないらしい。

 生贄ができるだけ長らえるように、いろいろと実験はしているが、今のところはそれが限界だ」


「では、私も同じ運命を辿ると?」

 エイナの問いに、吸血鬼は首を横に振った。

 そして、口の端を歪めて笑い、低い声でこうささやいた。


「いや。……お前の血は吸えないな」

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[良い点] ついにエイナの出生のヒミツが明らかに……!
[良い点] ケルトニア酒の最上級品 頭の中で某オオトラ召喚士が飲まないなんてもったいないって悲鳴上げました
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