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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第三章 黒死山の館
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二十 アリマ

 この時代の人びとは、基本的には夜明けとともに起床する。

 もっとも、季節によって日が昇る時刻は大きく変化するので、秋から冬にかけては暗いうちに起きることが多い。

 人間には体内時計というものがあるからだ。


 だが、その日シルヴィアが目覚めたのは、すっかり日がのぼり切った後のことであった。


「寝過ごした!」

 ぱちりと目を開いた彼女は周囲の明るさに驚き、慌てて跳ね起きようとした。


「痛っ、いててててて……!」

 シルヴィアは小さな悲鳴を上げた。

 全身が筋肉痛で、身動きするだけで顔をしかめてしまう。

 その痛みが、昨夜のことを否応なく思い出させた。


 彼女は二日がかりで山の西側を調査していた。

 その二日目に人が作った道を発見して調べていたら、道の終点の広場でアフマド族の少女が柱に縛りつけられるのを目撃した。

 少女を運んできた男たちが去った後、シルヴィアは少女を救出した。

 その娘はアリマと名乗ったが、酒を無理に飲まされていた。


 たまたまエイナの命令で少女を追ってきたカー君と合流し、アリマを小屋まで連れ帰ろうとしたが、彼女は途中で意識を失ってしまった。

 そのため、シルヴィアはアリマを背負って岩だらけの山を進んだが、疲労でまともに歩けなくなってしまった。

 このままでは少女が衰弱死するのではと危惧されたが、運よくシルヴィアを探しに来たタケミカヅチによって、どうにか帰り着くことができたのだ。


「そうだ、タケミカヅチは!」

 彼女は痛みをこらえて飛び起きた。

 隣りのベッドで寝息を立てているアリマ以外、小屋の中には誰もいなかった。

 シルヴィアは小屋の扉を開けて外の様子を窺ったが、そこにも人影はなかった。


 引き返してテーブルの上を見ると、タケミカヅチの書置きが目に入った。

『我はプリシラの元に戻る。

 流しにノルドの村から持ってきた料理を置いてあるから、目が覚めたら温めて食べるがよい』


 それは意外にも流暢な筆跡であった。

 あの身の丈三メートルを超す巨人が、大きな手でちびた鉛筆を持ち、このメモを書いた姿を想像すると、思わず頬が緩んでくる。


 ひとまず安堵をすると、再び全身に痛みが襲ってきた。

 昨日の疲労は回復しきっておらず、身体の奥底におりのように溜まっている。

 できることなら、このままベッドに引き返し、一日眠っていたかった。


 だが、それは許されないことだ。何といっても彼女は今、アリマという少女の保護者である。

 シルヴィアは両手で自分の頬をぺちんと叩き、自らに活を入れた。


 アリマはベッドに潜り込み、頭まで毛布をかぶって眠っている。

 規則正しく毛布が上下しているのを見ると、呼吸が安定しており、特に心配するような状態ではないようだ。

 昨日は昼食の後、何も食べていなかったので、猛烈に空腹を感じていた。


 竈の上には鍋がかかっており、蓋を取ってみると中に肉入りのシチューが入っていた。

 シルヴィアは薪を何本か焚き口に入れ、その下に枯れた針葉樹の葉を押し込んだ。

 薄く削いだ板の先端に硫黄を塗りつけた附木の束から一枚を折り取って、火打石で火をつける。

 ぱっと燃え上がる附木を杉の葉に近づけると、油分を含んだ葉が勢いよく燃え上がった。


 杉の葉は盛大に燃えるが、その時間は短い。それでも、十分に乾燥させた薪に火を移すには十分だった。

 シルヴィアは追加の薪を数本入れると、タケミカヅチが持ってきてくれた山羊の乳の残りを別の鍋に入れ、これも竈の上に並べた。

 後は黒パンを切り、バターとジャムとともにテーブルの上に並べれば、おおむね準備完了である。


 竈の火が勢いを増してくると、夜気で冷えていた小屋の空気も次第に暖まってきた。

 シルヴィアはベッドに戻り、アリマを起こしてみた。

 しばらく肩を揺すっても、なかなか起きなかった少女であるが、しばらく続けるとやっと目を覚ました。


 彼女は毛布の中から顔を出し、大きな目で覗き込んでいるシルヴィアを見詰めていた。

 まだ状況が掴めていないのか、その目には困惑の色が浮かんでいる。


「お姉さん……誰?」

 可愛らしい声が、口元まで引き上げた毛布を通してくぐもって聞こえる。


「あたしはシルヴィアよ。昨日のこと、覚えていない?」

 シルヴィアはなるべく少女を刺激しないように、優しく問いかけた。


「昨日のこと……?

 あれ? あたし……生贄になって……」

 アリマは眉根を寄せ、何かを思い出そうとしているようだった。

 そして、突然バネ仕掛けのように飛び起きた。


「ここ、どこですか!」


 シルヴィアは彼女の手を握り、どうにか落ち着かせようとした。

「あなたは生贄として、山の中腹まで運ばれたのよ。そして、柱に縛りつけられていたの。

 あたしはたまたまそれを目撃して、縄を解いて助け出したの。

 ここは黒死山の東山麓、あたしが寝泊まりしている小屋の中よ。あなたを傷つける者は誰もいないから、安心してちょうだい。

 それより気分はどう? どこか痛い所はない?」


「……身体は大丈夫ですが、頭が割れるように痛みます」

「でしょうね。

 とにかく、温かいものを身体に入れて、水分を摂れば少しはましになるわ。

 頭痛薬もあるから、朝食を食べたら飲むといいわ」


「あ、ありがとうございます。

 あの……シルヴィア様は、アフマド族ではありませんよね?

 山の民に似ているようですが、それとも少し感じが違うような気がします」


 シルヴィアはくすりと笑った。

「そうよね。あたしは南のリスト王国という所から来たの。

 知ってる? 帝国よりも南の国よ」

 アリマは首を横に振った。

 彼女はまだ十五歳で、遊牧民の子どもである。恐らく学校などにも通っていないのだろう。遠い外国のことなど知らなくて当然である。


「とにかくご飯を食べましょう。

 あなた、昨日は何も食べていないはずよ。お腹が空いているでしょう?

 あたしはぺこぺこだわ」

 アリマは恥ずかしそうにうなずいた。


 温めたスープは、ノルド人が客人であるプリシラのために用意したものである。

 大きなぶつ切り肉は塩蔵物ではなく、柔らかくて噛むと肉汁が溢れてくる。野菜もたっぷりで、香草と山羊乳で煮込まれている。味は上々だった。

 アリマはよほど飢えていたのか、あっという間にたいらげ、お代わりをした。

 腹が減っていれば、固くて酸っぱい黒パンでもご馳走である。


 シルヴィアは頭痛薬も与えたが、すでに朝食を食べ終えた時点で、彼女はかなり回復しているようだった。

 さすがは若さである。シルヴィアだってまだ十八歳だが、筋肉痛は収まりそうもなく、少女の若さが少々羨ましかった。


 アリマと一緒に後片づけを終え、落ち着いたところで、シルヴィアは彼女に事情を訊ねた。

 カー君を通して、アフマド族が黒死山に生贄を捧げているらしいということは分かったが、それ以上の詳しいことは知らなかったからだ。

 もちろん、この時点では吸血鬼が関わっていることなど把握していない。


 アリマは椅子に座って、ぼそぼそと自分の身の上を語り出した。


      *       *


 彼女はフレグ族という、比較的大きな部族の出身であった。

 まだ若かった両親は、アリマが十歳の時に流行病はやりやまいで亡くなり、彼女は一人取り残された。

 母親は他部族から嫁いできた人であり、頼れるのは父方の親戚だけである。


 親戚たちは皆貧しく、互いにアリマを押しつけ合ったが、亡き父の兄である伯父が引き取ることを申し出た。

 伯父は怠け者で評判が悪く、当然のように暮らしは苦しかった。

 それなのに姪を引き取ったのは、ある企みからだった。


 コルドラ山脈沿いで放牧をしている六つの部族は、持ち回りで黒死山に若い娘を捧げていた。 

 フレグ族にその番が回ってくるのは五年後で、その頃にはアリマは十五歳になる。

 もちろん、部族内で同じような年頃の娘を持つ家族は、他にもたくさんいた。


 伯父はそれらの家族を回って、五年後にはアリマを生贄に志願させると約束し、その代償を要求したのである。

 具体的にはひと家族につき羊一頭である。

 たったそれだけで可愛い娘の安全が買えるならと、どの家族も喜んで応じてくれた。

 その結果、伯父は五十頭以上の羊を手に入れた。ちょっとした財産で、まさに濡れ手にあわである。


 アリマは伯父の家で奴隷のように働かされたから、一人分の食い扶持が増えたとしても、十分にお釣りが出た。

 そして五年後、過酷な暮らしにもかかわらず、アリマは美しい少女に成長した。

 生贄としては申し分がなく、毎回揉める人選がすんなりと決まったことで、フレグ族の者たちは誰もが喜んだ。

 もちろん、アリマ本人の意志は一顧だにされなかった。


 そして儀式の当日、アリマは甘い酒を無理やり飲まされ、意識を奪われたままカスム族のもとへ届けられた。

 気がついた時には山の中で、シルヴィアに助け出されていたのである。


      *       *


「なるほどねぇ……。

 ということは、あたしがアリマを助けちゃったことがバレると、伯父さんはかなりまずい立場になるわね?」

「いい気味です」


 そう答えたアリマの目には、激しい怒りの炎が燃え上がっていた。

「まぁ、伯父さんは自業自得だろうけど、あなたも部族に帰れないってことよね?」


 少女はうなずいた。

「分かっています。

 あたしが逃げたことは、〝お使い〟から伝えられているはずです。

 部族の者たちは、今ごろ震えあがっていると思います」

「お使いって、何のこと?」


 アフマド族は山中に娘を放置し、衰弱死させているのだろう。それは未開な迷信である。

 ――シルヴィアはそう思っていたのだ。


 アリマの説明によると、黒死山にはお館様とその眷属が棲んでいる。彼らは不老不死の怪物で、とても人間が敵うような相手ではない。

 部族の大人たちは、夜の闇に紛れて突然現れる、お館からのお使いを、死ぬほど恐れていた。

 彼女は怪物の正体を詳しく知らなかったが、虚実を含めたさまざまな噂話を話してくれた。


 シルヴィアは召喚士であるから、伝説や神話を含めた怪物に関する知識が深い。

 少女の話を整理・分析した結果、得られた結論はひとつであった。


「そのお館様って、多分吸血鬼だわ。それも真祖っていう厄介な相手ね。

 こんな辺鄙な山中に出現したってことは、やっぱり召喚遺跡と関係しているのね」


 ぶつぶつとつぶやいているシルヴィアを、アリマは不思議そうな顔で見詰めている。

 その視線に気づいたシルヴィアは、慌てて笑顔をとりつくろった。


「ああ、何でもないわ。

 それより、部族に帰れないのは困ったわね。

 あたしの仲間が、いま近くのカスム族のところに滞在しているの。

 そっちの部族に行って、保護してもらう?」


 少女は首を振った。

「この辺のすべての部族は、この儀式と深く関わっています。

 どの部族を訪ねても、生贄を逃げ出したあたしを許すはずがありません。

 拘束されてフレグ族に引き渡されるでしょう」


 そう言うと、彼女はいきなりシルヴィアの前にひざまずいた。

「あたしにはもう帰る場所はありません。

 どうかシルヴィア様にお仕えすることを許してください。

 奴隷で構いません。何でもいたします!」


 シルヴィアは苦笑いを浮かべ、アリマの手を取って立たせた。

「あたしは〝シルヴィア様〟なんて呼ばれるほど偉くないわ。

 あなたを奴隷にする気もないけど、助けた以上、責任は取るつもりよ。心配しないで。

 それに、あたしに仕える者の席はもう埋まっているの」


 そうは言ったものの、シルヴィアはアリマの身の振り方を何も考えていなかった。

『それは後から追々考えることにしよう』

 彼女はそう考えて、問題を横に押しやった。


 取りあえず、シルヴィアがすべきことは、プリシラへの報告である。

 あまりに多くのことが起き過ぎていて、彼女一人ではどう対処すべきか判断がつきかねた。

 ここは階級も経験も上である、先輩に相談するのが一番である。


 シルヴィアがアフマド族の少女を保護したことは、タケミカヅチを通じてプリシラに伝わっているはずである。

 だが、黒死山に吸血鬼が棲息していて、それが召喚遺跡と関係あるらしいという情報は早く伝えるべきだろう。


 意図せずアフマド族の儀式を妨害したことで、彼らや吸血鬼と対峙する可能性も出てきた。

 交流を模索しているエイナも呼び戻すべきかもしれず、プリシラの判断を仰ぎたかったが、自分からノルド人の村に赴いては、プリシラの立場が悪くなる恐れがあった。


 思案した結果、彼女は狼煙のろしを上げることにした。

 通信が発達していない世界において、狼煙は重要な伝達手段である。

 この小屋にも当然、備品として積み込まれていた。


 シルヴィアは至急を意味する黄色い狼煙を選び、小屋の外で焚いた。

  軍用の狼煙は、状況に合わせて色つきの煙を出すことができるのだ。

 幸いこの日は風が弱かったので、派手な色の煙はあまり流されずに上がっていった。


「これで気づいてくれればいいけど……」

 彼女は煙を見上げながら、ぽつりとつぶやいた。

 その軍服の裾を、アリマが引っ張っていた。


「何?」

「お手伝いがしたいです!」


 シルヴィアが狼煙を用意して着火する間、アリマは何か手伝おうとして、つきまとっていた。

 だが、結局何もさせてもらえなかったことが不満らしい。


「お手伝いって言ったって、まだご飯の支度には早いし……」

「シルヴィア様は、何か困っていることはないのですか?」


「お願いだから、その〝様〟ってやめてちょうだい。ただのシルヴィアでいいわ。

 そうねぇ……困ったって言えば、水浴びと洗濯がしたいことかしら」

「どうしてしないのですが?」


「だって、水は限られているし、一人増えたからますます節約しなくちゃいけないわ」

「だったら、水の湧いているところに行けばよいではないですか?」


「それが簡単に分かれば苦労しないわよ。カー君がいたら別なんだけど」

「あたし、水場なら探せますよ」


「えっ、それ本当?」

「はい。この辺は岩場ですから無理ですけど、下の樹林帯まで降りれば見つけられると思います。

 山の麓には湧き水が多いですから、地形と水の匂いで大体分かります」


「そっ、そうなの?

 タケミカヅチが来てくれるとしても、まだ何時間も先の話だろうし……どうしよう」

「下まで降りるには、一時間もかかりませんから、ちょっと行ってみましょうよ。

 そう言えば、シルヴィアさん少し匂いますし」


 最後の一言がとどめとなり、シルヴィアは干していた肌着類を荷物に詰め込み、アリマとともに山を降りていった。


 狼煙は焚いたままで、黄色い煙がゆらゆらと上がり続けていた。

 確かに、人間よりも遥かに視力がすぐれるタケミカヅチなら、それと気づくかもしれない。

 だが、それは同時に、彼女たちの居場所を敵に教える可能性があることを、シルヴィアはまったく考えていなかったのだ。

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