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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第三章 黒死山の館
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十九 再びの闇

 エイナを囲んだ男たちが野営地を出て行くのを、カスム族すべての人々が見送っていた。

 彼女は一族の娘の身代わりを自ら買って出てくれた恩人である。

 前日の儀式のように、花を投げて送るということはなかったが、誰もが目を閉じ、こうべを垂れて感謝の言葉をつぶやいていた。

 馬に揺られていくエイナが、美しい衣装をまとい、きちんと化粧をしているのが痛ましく、女たちの多くが涙を流した。


 無言の群衆からすすり泣きが洩れる中、一行を追ってついていく者がいた。

 カーバンクルである。

 カスムの人たちは、カー君をエイナの飼い犬のようなものだと認識していたから、主人の後を追う姿はさらなる涙を誘った。


 そんな悲哀に満ちた送別とは裏腹に、エイナとカー君の間では、忙しく会話が交わされていた。

 族長のゲルの中で行われた会議、そしてその後に明かされた化け物の正体の話は、カー君には伝わっていなかった。

 これが召喚主であるシルヴィアなら、見聞きした内容がそのまま彼に筒抜けとなる。

 だが、エイナとはそこまで深く意識がつながっていないので、そう上手くはいかないのである。


 エイナは真っ直ぐ前を向いたまま、後からついてくるカー君に意識を集中させ、今に至る経緯を詳しく説明していた(もちろん声は出していない)。

『……とまぁ、話としてはこんなところよ』


『エイナも無茶なことをするなぁ。

 それで、僕はどうしたらいいの?』

『単純なことだわ。シルヴィアに事の経緯を伝えてほしいの。

 できたらプリシラ大尉へ、タケミカヅチの派遣を要請してもらえないかしら。

 援護に来るのは、それからで構わないわ』


『でも、タケちゃんが次に来るのは明日だよ。

 ノルドの村まで報せに行くとなると、かなり時間がかかると思うけど……』

『それは覚悟している。

 私は一足先にお館に潜入するつもり。

 いざという時には防御魔法を使うから、最低限の安全は確保できるはずだわ。

 時間的には、いくらか余裕があるはずよ』


『分かった。それで、そのお館ってどこにあるの?』

『生贄の女の子を助けた広場を覚えているわよね。

 そこから北に向けて回った所らしいわ。距離までは分からないの。

 何でも大き目の洞窟があって、建物自体はその奥に築かれているらしいわ』


『了解。できるだけ早く駆けつけるよ』

『いいえ、あまり焦らないでいいわ。吸血鬼は手強い相手よ。

 タケミカヅチが間に合えばいいけど、それまでは絶対に早まらないで。

 もし助けが必要な事態になったら、どうにかして連絡をつけるか、騒ぎを起こすつもりよ』


『エイナこそ無理しないでよ。

 僕は……忙しくなりそうだね。ちょっと無理をしなくちゃいけないかな?』

『ごめんね。精気の方は回復したの?』


『八割ってところかな?

 今回は森を突っ切るつもりだから、そう消耗はしないと思うよ。

 ……ねぇ、エイナ』

『なに?』


 頭の中に、何かを言いかけて躊躇ためらっている意識だけが流れてきた。

『……カー君?』

『ああ、いやごめん。何でもないんだ。

 吸血鬼って、魔石を持っているのかな?』


『さぁ、どうかしら?

 でも、手に入ったらいいわね』

『そうだね! じゃあ、僕は行くよ』


 カー君はエイナたちの馬列から離れ、山の麓に広がる樹林帯の方へ駆けていった。

 彼女のすぐ前で馬を進めていたバータルが、その姿に気づいて振り返った。


「主人のもとを離れない感心な犬だと思っていたが、あれはどうかしたのか?」


 エイナは曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。

「森が嬉しいのでしょう。

 遊ぶのに飽きたら、きっと戻ってきます」


「そうか……俺はてっきり、どこかに注進しに行ったのかと思ったぞ」

「まさか。そもそも獣ですから、言葉を話せないでしょう」


「そんなことはないぞ」

「え?」


「俺は自分の飼い犬が言うことが大体は分かる。

 犬の方はもっと賢くてな。俺の言葉をほとんど理解しているぞ。

 遊牧民と犬の関係は、それが当たり前だ。

 エイナ殿のためにあれが働いているのは、俺にしてみれば不思議でも何でもないし、犬よりもっと賢そうだ」


「……賢さが分かるのですか?」

「目を見ればな」


 バータルは再び前を向いて黙った。

 樹林帯を進んでいるうちに、道が上りになってきた。

 山の一合目に差しかかったのである。


 しばらく進むと木がまばらとなり、次第に灌木が増えてくる。

 植物が進出できる限界点に達したのだ。

 一行は馬を降り、そこからは徒歩となった。


 岩だらけの山肌に刻まれた道は細く、とても馬が通れるようなものではない。

 二人の男がその場に残り、馬たちの番と世話をすることになった。

 お館のお使いが現れるのは、日が落ちて暗くなってからである。

 それを見届けてから山を降りると、夜がとっぷりと更けた頃であろう。

 彼らは再び合流し、その場で夜を過ごすつもりでいる。

 馬は夜目が利くとはいえ、肉食獣の棲む森を抜けるのは危険過ぎるからだ。


 森が切れてから、道の終着点である生贄の広場までは、徒歩で三時間弱の登りとなる。

 山道はけることができない巨岩を避ける以外、基本的には直登するルートである。

 最初の内こそ勾配は緩いが、高度が上がるに従ってきつい道となってくる。

 一行はほとんど口をきかず、黙々と登っていった。


 この日は十月十四日、満月の前日であった。

 北の大地では秋が深まっており、日の入りも早い。

 エイナたちがようやく広場に着いたのは四時頃であったが、もうあたりは薄暗くなっていた。


 広場には前日に生贄の少女、アリマを縛りつけた白木の柱が、そのままの状態で立っていた。

 周囲の地面には、切断されたロープの切れ端も散らばっている。

 フレグ族のバトバヤルは、それを見て顔をしかめた。


「その娘は縛らぬのか?」

 彼は不満を露わにした表情で訊ねた。


 バータルが落ち着いた声音で応じる。

「我らが見張っているのです。その必要はありますまい。

 お使いは生贄を連れ去る際、縄を切っていかれます。その手間をはぶいた方がよろしいでしょう」

「むう……まぁ、そうだとも言えるな」


 バトバヤルが渋々納得したので、バータルは部下に命じて、広場の四隅に松明を立てさせた。

 三本の棒を交差させて上部を縛り、簡易的な架台を作って松明を据えるのである。

 松明の先には、松脂をたっぷりと塗りつけた布が巻かれており、数時間は燃え続けてくれる。

 バータルによると、吸血鬼たちは日の光を嫌うが、炎の明かりは平気なのだそうだ。


 松明の臭い煙が流れてくる場所を避け、一同はごつごつした岩肌に腰を下ろしてその時を待った。

 秋の日は釣瓶つるべ落としと言うが、周囲は急速に暗くなっていった。


「もうお使いが来られてもよい時分ではないか?」

 沈黙に耐えかねたように、バトバヤルがつぶやいた。

 その声に応えたのは、意外な方向からだった。


「私ならもう来ておるぞ。

 生贄は縛っていないのか……そもそもなぜ、貴様たちが残っておる?」


 男たちは弾かれたように飛び上がった。

 いつの間に現れたのか、彼らの背後に白い少女が立っていたのだ。

 松明の赤い光に照らされていても、その肌は青白く見えた。

 銀色の真っ直ぐな髪を長く垂らした、ほっそりとした美しい少女で、十五歳くらいにしか見えない。


 上質の白絹でできた夜着のようなものを羽織っている。

 その下には何も着けておらず、薄い胸の膨らみや、陰毛のない股間まで透けて見えるが、少女は恥ずかしくないらしい。

 日が落ちて気温はかなり下がってきているが、まったく気にする様子がなかった。


 立ち上がった男たちは、振り返って少女の姿を目にすると、一斉に地面にひれ伏した。

 額を岩肌にすりつけたバータルが、一同を代表して質問に答えた。


「昨日犯しました失態を繰り返さぬよう、此度こたびは貴方様がいらっしゃるまで生贄を見張っておりました。

 それ故、縛るまでもないと判断いたしました。

 我らの浅慮がお気に障りましたのなら、何卒ご容赦ください」


「よい。その娘が代わりか……検分するぞ」

 白い少女は、ひとり立ち尽くしているエイナに視線を向けると、まったく躊躇ためらわずに歩み寄った。

 足には編み上げのサンダルのようなものを履いているが、わずかに宙に浮いているように見えた。

 履物が汚れていない上、足音がまったくしなかったのだ。


 少女は顔を突き出すと、形のよい鼻をエイナの唇に近づけ、すんすんと匂いを嗅いだ。

 エイナは自分が臭いのではないかと心配になり、顔が赤らんでしまう。


「ふん……まぁ、処女おぼこであることは確かだな。

 少し年増だし見た目も……いや、ぎりぎり合格か?

 急ごしらえであろうから、こんなもので我慢すべきなのかもしれん」


 エイナより少し小柄な少女は、上目遣いでそうつぶやいた。

 まったくの無表情で、その目には感情がなかった。


「いつものように酒で酔わせているわけでもない。

 それほど恐れている様子も見えないということは、望んでここへ来たということなのか?」

 少女はエイナにではなく、頭を上げないままの男たちに問いかけた。


 バータルは少し震えた声で、どうにかそれに答えた。

「左様でございます。その娘は自ら志願した者でございます」

「ほう……変わり者なのだな。そう言えば、血の匂いも少し違うように感じる。

 まぁよい。ほどよく筋肉もついておるし、健康的ではある。うまく飼ってやれば、三年は持つやもしれぬ。

 では、この娘は確かに受取った故、お前たちの役目は済んだ。早々にぬるがよい」


「ははーっ!」

 男たちはめり込むかと思うほど、額を地面に打ちつけた。

 そして広場の端まで後ずさると、エイナたちの方を一切振り返らず、足早に道を引き返していった。

 よほど少女を恐れているようだった。


 男たちの姿が消えたのを確認すると、少女は再びエイナに向き直った。

「さて、それでは行くとするか」


 彼女はそうつぶやくと、エイナの目を真っ直ぐに見詰めた。

 相変わらず感情がなく、まるで置物でも見るような視線である。

 エイナは少しどぎまぎして、少女が何を言い出すのか、あるいはどういう行動を取るのかと待ち構えていた。

 しかし、少女は彼女の目を見据えたまま、しばらく動かなかった。


 やがて、少女の目に初めて感情らしきものが浮かんできた。

 それは不審、あるいは困惑といった表情である。


「お前、なぜ平気なのだ?」

 少女は少し頬を膨らませながら訊ねた。


「なぜと言われましても……何もされていませんから、答えに困ります」

 エイナは正直に答えた。

 見た目は年下だが、恐らくこの少女はエイナの何倍も生きているのだろう。

 そのため、言葉遣いは自然と丁寧なものとなった。


「驚いたな……魅了チャームが効かぬ人間は、初めて見た。

 お前、名は何と言う?」

「は、はぁ。エイナ……、エイナ・フローリーと申します」


「そうか。これからエイナをお館様のもとに連れていく。

 面倒は好かぬよって、暴れてくれるなよ?」

 エイナはこくりとうなずいた。


 どうやら吸血鬼の少女は、エイナに魅了チャームの魔法をかけようとして、失敗したらしい。

 エイナはお使いが現れるのを待つ間に、密かに防御魔法の呪文を唱えており、いつでも発動できるようにしていた。

 だが、それは物理的な攻撃に対する防御であって、対魔法防御ではない。

 少女は魔法をかけたらしいが、エイナに防御をした自覚は一切なかった。

 ひょとすると、彼女が魔導士であることが関係しているのだろうか……。


 エイナは頭の中で忙しく可能性を検討していた。

 しかし少女の方では、それほど事態を重要視していないようだった。

 よほど実力差に自信があるのだろう。エイナを魔法で服従させなくても、特に問題ではないと思っているらしい。


 少女は少し腰をかがめると、エイナをひょいと抱き上げた。いわゆる〝お姫様だっこ〟である。

 エイナよりも小柄で華奢な見た目であるが、重さをほとんど感じていないような動作であった。話に聞いたとおり、吸血鬼は怪力を有しているのだろう。


「あの……私、自分で歩けますし、逃げるつもりもありません」

 エイナはどぎまぎしながら、吸血鬼の少女に訴えた。

 それは予想外の言葉だったらしく、少女は下を向いて少し微笑んだ。

 どうやら感情がないわけではないらしい。

 彼女はエイナが置物ではなく、言葉の通じる人間なのだと認識を改めたようだった。

 それは、名前を訊いてきたことからも窺える。


「私だってお前を抱きたいわけではない。いいから大人しくしていろ」

 彼女はそれだけ言うと、エイナの背中に回した手を少し上げ、すっと横に振った。

 その途端、周囲に立ててあった松明が、四本とも吹っ飛ばされ、山の斜面を転がり落ちていった。


 二人を照らす明かりは、雲の隙間から覗く待宵まつよいの月だけである。

 少女は夜目が効くらしく、エイナを抱いたまま、すたすたと広場の奥へと歩いていった。

 そこには巨石が壁のように立ち塞がっており、広場に真っ黒な影を投げかけていた。


 少女はその影の中央に立つと、ずぶりと沈んでいった。

 固い岩の地面が、いきなり泥沼に変わったような感じである。

 エイナは思わず華奢な少女にしがみついた。

 だが、彼女の身体も少女と一緒に沈み込んでいき、闇の中に呑まれていったのである。


      *       *


 闇の中は少し生暖かった。一切光はなく、周囲に何があるのかまったく見通せなかった。

 だが、不思議なことにエイナと少女の姿だけは、はっきりと見ることができた。

 その光源がどこかは、さっぱり分からない。まるで彼女たちが蛍のように、自ら発光しているような感じである。


 地面に沈み込んでいったのだから、常識的に考えてここは地下のはずだ。

 だが、身体には何の圧迫も感じないし、呼吸もできた。

 もっとも、鼻や口を通して肺に入ってくるのは、新鮮な山の空気ではなく、ねっとりとした糊状の闇そのものであった。

 それなのにむせることはなく、息苦しさも感じない。


 この不思議な感覚は、強烈な既視感を伴っていた。

 エイナは同じ経験をしたことがある。それも遠い昔の話ではない。わずか一年前のことである。


 魔導院を卒業する少し前、彼女は魔導院の教育課程で、第一軍の演習に参加していた。

 シルヴィアと組になり、魔導士と召喚士の相互協力という課題を与えられたのだ。

 その際、演習に潜入していた敵の工作員に気絶させられ、あやうく帝国へ拉致されるところだった。


 郊外のとある小屋に監禁されていたエイナとシルヴィアは、移動の直前に闇の通路を利用して小屋を脱出し、蒼城市のアスカ邸まで逃れたのである。

 なぜ、そんな通路に入れたのかは、エイナ自身にも分からず、その後の事情聴取でも再現することができなかった。

 今、吸血鬼の少女とともに潜り込んだ闇の中は、その時の通路と瓜二つである。


「驚いた……。あの時と同じだわ!」

 エイナは少女の細い腕を握りしめながら、思わず声を出していた。


「驚いたのはこっちだ。なぜ、お前は意識を失わぬ?」

 少女が不思議そうにエイナを見下ろしている。

 彼女は首を傾げながらエイナを降ろしたが、手だけはしっかりとつないでいた。


 エイナの足の裏からは地面の感覚が伝わってこない。これも一年前の経験と同じである。

 少女は握っていた手をそっと離した。

 それはごく自然な行為に思えたが、エイナが普通に立っているのを見た少女は、目を丸くして驚いた。


「意識を保っていて、それで落ちぬ……のか。

 エイナとやら、お前まさか……いや、そんなことはない!

 我らの同族なら、匂いを嗅ぐまでもなくそれと分かる。

 お前は何者だ? 本当に人間・・なのか?」

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