十三 軟禁
「外に出るなとは、どういうことですか?」
喰ってかかるエイナに、その男は困ったように顎髭のあたりをぼりぼりと掻いた。
彼女が村に入った時、警備の若者たちを抑えてくれた、バータルという屈強な男性である。
自ら〝三十人長〟と名乗っていたから、百人余りの小部族にすれば、軍司令官に相当する身分なのだろう。
彼はエイナが泊っている、客用のゲルの出入口を塞ぐように立っていた。
* *
朝、彼女が目覚めると、すぐに二人の女が入ってきた。
昨夜の宴会で傍に侍っていた、オユンとツェツェグという娘だった。
彼女たちは、エイナのための朝食を運んできたのである。
やけにタイミングがよかったのは、あらかじめゲルの外で待っていて、中の様子を伺っていたためらしい。
オユンが床にマットを敷いて朝食を並べている間に、ツェツェグの方はタオルを持ってエイナの洗顔を手伝った。
エイナは服を着たまま寝ていたので、起きても着替えをする必要がなかった。
ツェツェグはそれが残念だと、口を尖らせて文句を言う。
昨夜はすっかり酔って寝ていたから、もし彼女がエイナの寝床に潜り込んできたらどうなっていたことか。
エイナは自分の貞操の無事を、天に感謝せずにいられなかった。
二人の娘の給仕で朝食となったが、薄く焼いたパンにバター、チーズと温めた山羊の乳という組み合わせである。
昨夜のようなご馳走に比べれば、ごく質素なものであるが、二日酔い気味のエイナにはありがたい。
チーズは羊の乳から作ったものだということで、王国とは少し変わった味わいだった。昨夜の馬乳酒といい、さまざまな家畜の乳を使い分けているのは、さすがに遊牧の民である。
エイナはまだ温かいパンを頬張りながら、小麦の入手先を訊ねた。
オユンの話では、アフマド族にも定住している者がいて、各地にそれなりの集落が存在するのだいう。
そうした集落はマーケットと農耕で生計を立てていて、遊牧する部族はそこから自給できない物資を仕入れるらしい。
取引されるのは、小麦やジャガイモといった穀物で、そのほとんどが帝国からの輸入品なのだそうだ。
敵対しながら交易は行うという点では、王国も同じである。
良質な黒土で耕作に適した帝国と、酸性土壌で牧畜に特化したアフマド族は、互いの産物である穀物と乳製品を大量に交換しているのだという。
彼女たちの民族衣装を飾る、きらびやかなビーズや刺繍用の糸も帝国製なのだそうだ。
オユンの説明を聞きながら朝食を終えると、彼女は食後のお茶を淹れてくれた。
茶葉も帝国からの輸入品でそれなりに高価なのだが、アフマド人の生活には欠かせないものらしい。
お茶にはたっぷりの乳とバターが入っており、とても濃厚な味わいだった。
エイナは二人の娘としばらくの間お喋りを楽しんだ。
彼女たちは十六歳で、二歳年下だということも分かった。
それなのに、スタイルを比べるとエイナの方がよほど子どもである。
『やはり乳製品が大事なのかしら?』
エイナは身動きするたびに、ゆさゆさと揺れるツェツェグの胸をちらちら盗み見て、心のメモに刻み込む。
化粧やおしゃれ、そして恋の話など、若い娘同士の話題は尽きない。
すっかり話し込んでいる内に、突然ゲルの外からわざとらしい咳払いが聞こえてきた。
二人の娘は、はっとした表情を浮かべて話を切り上げ、食器を片付けはじめた。
「またお昼には参ります。続きはその時に……」
二人は名残惜しそうな表情を浮かべ、ゲルから出て行った。
それと入れ替わるように入ってきたのが、バータルだったのだ。
* *
彼は二人が立ち去る足音を確かめると、エイナに向かって言い渡した。
「エイナ殿には、夕方までこのゲルでゆるりと過ごしてもらいたい。
話し相手には娘たちの方がよいのだろうが、俺で我慢してもらいたい。
戦や政治の話は、あれらはよく知らんのだ」
彼の言葉だけでなくその表情も、やけに歯切れの悪いものだった。
「バータル殿の話が伺えるのであれば、それに不満はありません。
昨夜は宴席でしたから、疑問に思ったことで聞けなかったことがたくさんあります。
ですから、私としてはありがたい話なのですが、……なぜそんな済まそうな顔をされているのですか?」
「俺はそんな顔をしているか?」
彼は慌てて自分の顔を撫でまわした。
「いや、俺はどうにも隠しごとが苦手でな。すぐに顔に出ると女房にいつも笑われているのだ。
どうせすぐに分かることだから、最初から言っておく。
エイナ殿には、今日の夕方までこのゲルから出ないでいただきたいのだ」
* *
このような経緯で、冒頭の場面となったのである。
当然ともいえる「なぜ?」というエイナの問いに、バータルは言葉を濁した。
「理由は言えん。とにかく、そなたを外に出すわけにはいかんのだ。
ここに滞在する以上は、俺たちのやり方に従ってほしい」
エイナは溜め息をついた。
彼らと友好的な関係を維持するためには、従わなければならないだろう。
相手は彼女を閉じ込めることに、ある程度引け目を感じているらしい。ここはそれを利用して、アフマド族の内情を聞き出す方が得策である。
「それは、あの輿と関係することなのですか?」
「それも言えん」
エイナは心の中で『当たりか』とうなずいた。バータルは正直すぎる。
「……分かりました。お言葉には従いましょう。
では、ゆっくりと話をしましょう。どうぞ、こちらへきてお座りください。
聞きたいことはたくさんあるのです」
エイナは軍服のポケットから、手帳と鉛筆を取り出した。
バータルはゲルの隅からフェルトの敷物とクッションを運んできて、自分用に居心地のいい席を作ろうとした。
その間に、エイナは目をつぶって意識を集中する。
頭の中を空っぽにして、ゲルの外に向かって呼びかけたのだ。
『カー君、私の声が聞こえる?』
『ゲルのすぐ傍にいるから、感度良好だよ~』
『私、今日は夕方まで外に出してもらえないみたいなの。
何かあるんだと思うわ。カー君の方で探ってくれない?』
『了解、やってみる』
すぐに調子のいい返事が返ってきて、少しすると意識のつながりが切れた感覚がした。
野営地の様子を探るため、彼女のいるゲルから離れたためだろう。
シルヴィアとカー君は、お互いが目視できる範囲だったら、かなりの距離があっても意思の疎通ができる。
だがエイナの場合だと、少し離れただけで意識の回路が断たれてしまうのだ。
アフマド族の人たちは、カー君のことを珍しい外国の番犬だと認識し、その存在を受け入れたようだった。
遊牧民にとって犬は重要な仲間である。
オオカミなどの外敵から家畜を守り、群からはみ出す者がないよう、周囲を走り回って誘導してくれる。
野営地では子どものよき遊び相手であると同時に、その安全を見守ってくれるから、どの家族も数頭の犬を飼って家族同様に可愛がっている。
カーバンクルの見た目は、犬というより狐の方に近い。
鼻先は乾いていてつるりと丸いところなど、少し爬虫類めいたところもある。
おまけに額の真ん中に宝玉が嵌っているのだから、犬と呼ぶには相当無理があった。
だが、エイナの「番犬のようなもの」という説明を、素直に受け取ったのだろう。
アフマド人、特に女性や子どもたちが、しきりとカー君の柔らかい毛並みを撫でたり、額の宝玉を珍しそうに覗き込んだりした。
彼がエイナのゲルの外で大人しく寝そべっていたのも、番犬として当然のことだと思っているようだった。
カー君は『寝るのに飽きた』とでも言いたげに、背を反らせて大きな欠伸をし、のそのそと歩き出した。
各ゲルの匂いを嗅いだり、留守番の仔犬や老犬たちと挨拶を交わしたりして、野営地の中を探検している姿は、いかにも自然な振る舞いだった。
十数個のゲルに取り囲まれた小さな広場には、例の輿が置かれたままで、その周囲にはたくさんの女性たちが集まっていた。
四十人以上はいたから、一族の女たちがほぼ全員集まっている感じだった。
彼女たちは皆、腕に小さな手籠をかけており、その中には野から摘んできたらしい花がこんもりと入れられている。
カー君は女たちを驚かさないように、ゆっくりと近づいて彼女たちの顔を見上げ、尻尾を大きく振って愛想を振りまいた。
犬としては大柄なカー君の接近はすぐに気づかれ、女たちは頭を撫でたり、耳の後ろを掻いてくれたりした。
だが、彼女たちは気もそぞろといった感じで、すぐにカー君から手を離し、心配そうな顔で同じ方向を見ていた。
『お祭りにしては、みんな凄く不安そう……というか、哀しそうな表情だな。
誰かが来るのを待っている……のかな?』
そう判断したカー君は、女たちが見詰めている方向に足を向けた。
円周状に配置されたゲルの外縁部まで行ってみると、男たちが集まっていた。
人数は十数人で、族長のバヤルを幹部らしき男たちが取り囲んでいる。
その前には警備役の若者たちが、槍を手にし、弓を肩にかけて並んでいた。
彼らはいずれも厳しい表情で、何もない草原を睨んでいた。
明らかに誰かが来るのを待ち受けている……といった感じである。
カー君はあまり近づき過ぎないよう、少し離れたゲルの影に寝そべった。
もちろん、謎の来訪者の正体を見極めるためである。
その相手が分かれば、エイナが軟禁されている理由も分かるだろう。
人間とは桁違いの寿命を持つカーバンクルにとって、数時間待待つことなど、一瞬のまたたきと変わらない。
彼は楽な姿勢で寝そべりながら、わくわくして成り行きを見守っていた。
カーバンクルはかなり鋭い視力をもっていたが、その彼でも草原の先には何も見つけられなかった。
『誰が来るのか、楽しみだなぁ……。
シルヴィアも一緒に来たらよかったのに。絶対、こっちの方が面白かったはずだよ。
あの娘、どうしているんだろう。僕がついていなくて大丈夫なのかしら?
ちゃんとご飯を食べているのかなぁ……』
ついつい自分の相棒の心配をしてしまうのは、仕方のないところだった。
* *
カー君の心配は、大体において当たっていた。
黒死山の東側で、奇妙な魔法陣遺跡の調査を担当したシルヴィアは、ほとんど成果を挙げられないまま、孤独な作業を続けていたのだ。
彼女はまず、遺跡の右方面から調べ始めた。
初日の十一日は、黒死山の北側まで、かなりの広範囲を歩き回ってみたが、目に入るのは荒れた岩場だけであった。
人工的に加工された場所ならば、例え落石で覆われていたとしても、そこが平坦になっているはずである。
それに、召喚士であるシルヴィアなら、幻獣界とつながった痕跡があれば、それと気づくはずである。
だが、どこもかしこも冷えた溶岩の塊りだらけで、ごつごつした斜面が続くだけである。
翌日は反対の左側を調べて回ったが、結果は同じだった。
歩きにくいガレ場を苦労して登ったり降りたりするのは、想像以上に体力を消耗した。
救われたのは、カー君が連絡がてらに様子を見に来てくれたことだった。
エイナはアフマド族の野営地近くの茂みから観察を続けていたので、その間に一度戻って来たのだ。
カー君は、エイナが遊牧民たちとの接触を図るのは、もう少し経ってからだろうと報告した。
『それで、シルヴィアの方は……。
あ~、その顔じゃ、そっちも大して進展ないみたいだね』
「そうなの。自分から言い出したことだけど、もう後悔しているわ。
明日は山の西側に行ってみるつもり。それで何もなければ、調査は終了ね。
プリシラ先輩に『探したけど何もありませんでした』って、間抜け面で報告するしかないわ」
『山の上の方は調べないの?』
「ある程度登ってみたけど、上はもっと酷いのよ。
あちこちでガスが吹き出しているし、溶岩が流れた痕だらけだったわ。
そんな場所に重要な施設を造るとは思えないわ」
『そうかぁ、分かった。
僕はもう行くよ。人間を乗せないとは言え、結構な距離があるから早く戻らなくちゃいけないんだ。
シルヴィアも頑張ってね』
「ええ。何か変わったことがあったら、また教えてちょうだい」
シルヴィアは無理やり笑顔を作った。
たった二日とはいえ、いつも一緒にいたカー君と離れるのは、かなり堪えていたのだ。
できることなら、彼のふさふさした身体を抱いて眠りたかったが、彼女はぐっとこらえて手を振った。
その夜、へとへとになって籠に戻ったシルヴィアは、ノルド人の村から抜け出してきたタケミカヅチと会い、状況を説明した。
今のところは何の成果もない。
大柄な武神は無表情に話を聞くと、「また二日後に来る」と言って帰っていった。
シルヴィアは山小屋のような籠の中に戻り、そのままベッドに潜り込んだ。
エイナがいないのでは料理をする気にもならない。
そんなことよりシャワーが浴びたかった。山の中を歩き回って、肌着が濡れるほどの汗をかいていたのだ。
王都を出発してから、水浴びすらしていない。
小屋の中には水を詰めた桶がいくつかあったが、それは貴重な飲み水で、量は限られている。
持ってきた着替えはとっくに使ってしまい、洗濯もできないので、ただ干しているだけである。
暗くなるころ帰ってきて、濡れた肌着を脱いで乾いた分と取り替えるしかなかった。
自分の汗と体臭がする肌着に袖を通すのは、惨めでたまらなかった。彼女は毛布を頭の上まで引き上げ、声を殺してすすり泣いた。
この世の地獄と言われる西部戦線の塹壕で、泥にまみれて眠っている兵士たちが、もしシルヴィアの嘆きを聞いたとしたら、大声を上げて笑い転げるであろう。
彼らはひと月以上も身体を洗わず、着たきりである。
濡れた軍靴の中で足はふやけて水虫だらけ、服を脱げば縫い目にびっしりとシラミが集っている。
女性を含む士官も兵士も酷い悪臭を放っているが、誰も気にしない。
――それが軍隊というものだ。
* *
翌日、シルヴィアは重めの背嚢を背負って、朝早くに出発した。
現在地と反対側の山肌を調べるためである。
距離があるので、これまでのような日帰りでは効率が悪い。
そのため、野営をして二日がかりで調査を行うつもりであった。
黒死山の西側も、これまで調べた範囲と全く変わらなかった。
植物の生えない岩だらけのガレ場が続き、卵が腐ったような硫黄の臭いが漂っている。
時々、上から落石が転がってくることもあり、人の頭より大きな石もあって、危険極まりない。
虚しい一日を終えたシルヴィアは、落石を避けるために大きな岩の陰で、防水布にくるまって寝たが、生きた心地がしなかった。
そして翌日も、無意味な探索が続いた。
太陽の位置で昼時だと覚り、携行してきた黒パンで味気ない食事を摂った。
本当なら、そのまま一時間くらい眠ってしまいたかったが、彼女は疲れた身体を起こし、ろくな休憩を取らないまま歩き出した。
シルヴィアは山の東側から、時計回りでぐるりと山を一周する計画を立てていた。
これまでにあらかたの調査を終えており、北西側を残すのみであった。
あと二、三時間も歩けば、北側に達するはずである。
そこからはすでに探索済みであるから、あとは脇目もふらずに帰路につくことができる。
足場が悪く、彼女は何度も転んでいた。
打ち身と擦り傷だらけで、全身がズキズキと痛んだ。足は感覚を失い、棒のようだった。
それでも左右に目を配り、何か変わった地形はないかと注意を払うことだけは忘れなかった。
午後の探索が始まって三十分も経たないころである。
シルヴィアの足がぴたりと止まった。
「これは――道?
なぜ、こんなところに……」
彼女の目の前に現れたのは、麓からほぼ一直線に続いている細い道だった。
道だと分かるのは、落石が両脇に寄せられ、縁石のようになっているからである。
獣道などではない。明らかに人間の手が入っている。
「アフマド族が作ったのかしら。
上へと続いているようだけど、一体この先に何があるっていうの?」
シルヴィアが見上げた先は、黒い岩肌をさらした死の山の頂であった。




