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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第三章 黒死山の館
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十一 アフマド族

 まだ暗い午前四時過ぎ、エイナは目を覚ました。

 一昨日は飛行の疲労で寝過ごし、アラン少佐の出立にも気づかなかったが、普段であれば夜明けと同時に起きるのが、この時代の人々の暮らしであった。


 だが、アフマド族の野営地に見つからないように接近するためには、それでも遅すぎる。

 リスクを避けるためにも、明るくなる前に出発しなくてはという緊張感が、彼女を起こしたのだろう。


 手探りで黒パンの塊りを取り出し、水の力を借りて無理やり嚥下すると、エイナはカー君に跨って野営地を発った。

 昨日定めた監視ポイントまでは五キロ弱、黒死山の荒れた山肌と違って、ここは平地であるからエイナを運ぶカー君の足取りも軽い。


 大きな灌木の茂みの中に着いても、まだ夜明けまでには十分な間があった。

 エイナは常人よりも夜目が利く。

 腹ばいになって、軍支給の単眼鏡を目に押し当てると、薄暗いゲルの集落の様子がよく見えた。


 家畜たちを放牧に出すため、男たちが早くも外に出て、忙しく作業に当たっていた。

 彼らは手に槍を持ち、背中に馬上弓という短弓を背負っている。

 この野営地は、エイナが潜んでいる広葉樹林帯に近い。

 こうした林の中は、家畜を襲うような肉食獣の恰好の棲家になっていたから、そうした獣への用心に怠りないのだろう。


 そう考えると、そもそも家畜に危険が及びやすい場所に野営しているのが不自然だった。

 男たちは薄明の中、羊や馬たちを柵から出して追い立てていった。

 エイナはその様子を観察しながら、彼らの野営地をいつ訪れるべきか考えていた。


 慎重に事を運ばなければ、無用の争いを招くことになりかねなかった。

 たとえ相手が百人近い集団であっても、戦士と呼べるような者は三分の一もいないだろう。

 魔法を使えるエイナと、火炎や雷撃のブレスを操るカー君がいれば、彼らを退けるのは雑作もない。

 だが、それではアフマド族との交渉の可能性を探るという任務は失敗に終わる。


      *       *


 夜が明けると、女たちは共同の竈でパンを焼き、朝食の支度に取りかかった。

 その周囲には小さな子どもたちがまつわりつき、いかにも平和そうな雰囲気が漂っている。

 じっと観察していると、何人かの男の姿も確認できた。

 男たちが全員村を空けるわけではないらしく、それは外敵に備えるためにも当然のことであった。


 そうした警備役を任された者たちは、皆若い男で、弓や槍を持っていたからすぐにそれと知れた。

 だが、その他にも村の中には何人かの男たちが残っていた。

 エイナの興味は、自然にそうした者たちに集中する。


 じっと見守っていると、朝食が終わったらしく、それぞれのゲルから男たちが出てきて集まってきた。ゲルに囲まれた広場のような場所である。

 彼らはどこからか角材や板を運んできて、何かの作業を始めた。

 女たちも手伝いに加わり、何かを組み立てているようだった。

 これは前日の観察では見られなかった出来事である。


 数百メートル離れた茂みから、あまり倍率のよくない単眼鏡で見ているエイナには、彼らが何を作っているのかまでは分からない。

 始めはいかだかと思われたが、柱が立てられると小さな小屋にも見えてきた。

 だが、彼らの住居は移動に適したテントである。わざわざ小屋を建てるのもおかしな話だった。


 彼らは三時間ほどかけて、その奇妙な構造物の骨組みができあがった。

 筏のような床の四隅に柱が立ち、木の皮で簡素な屋根が葺かれている。壁はないから小屋ではない。

 形ができると、今度は女たちが造花や刺繡をほどこした布を持ち寄り、全体を飾り始めた。


 力仕事が終わった男たちは、談笑しながらその作業を眺めている。

 昼近くになって、それは完成したらしい。

 女たちが離れると、十人程の男たちが近寄って、完成させた構造物を持ち上げ、肩に担ぎ上げた。

 そのまま歩き回ったり、揺さぶったりして出来具合を確かめると、彼らは満足したように地面に降ろした。


輿こしかしら……」

 エイナがつぶやくと、退屈そうにしていたカー君が興味を示した。


『何それ? お尻がどうかしたの?』

「その腰じゃないわよ。偉い人を担いで運ぶための、台のようなものね。

 天蓋てんがいがついているし、きれいに飾り付けているから、お祭りで使うものじゃないかしら?」


『ああ、そうか。王国でも秋はお祭りの季節だもんね。

 でも、ノルド人たちは大勢集まってやるんだよね? こっちはあまり賑やかじゃないなぁ……』

「まだ準備中だからじゃない? これから人がやってくるかもよ」


『お祭りって、皆で騒いで楽しむものなんでしょう。

 エイナも見物に来たふりをして、行ってみればいいんじゃない?』

「そうね、私もそう思うわ。

 もうちょっと様子を見てから、近づいてみましょう」


 そう言ったものの、エイナが実際に動き出したのは、午後の二時過ぎだった。

「お昼ご飯の邪魔をしたら悪いもの」というのが、優柔不断な彼女の言い訳だった。


 午後になると出来上がった輿は放置され、人々は各人の日常作業に戻ったようで、ゲルの外には人気がなくなった。

 エイナは重い腰を上げ、ゆっくりとゲルが立ち並ぶ異民族の野営地へと近づいていった。


 だだっ広い草原であるから、外から近づく者は目立つ。

 人気がまばらとは言え、エイナの姿はすぐに見つけられ、たちまち各ゲルから人々が出てきた。


 その先頭に立つのは、警備役と思しき若者たちである。

 彼らはつがえた矢をきりりと引き絞り、狙いをエイナに定めていた。

 エイナは両手を上げて敵意のないことを示しながら、ゆっくりと歩いていく。


「止まれ!」

 彼我の距離が二十メートルほどになったところで、矢を向けている男の一人が大声で制止した。

「帝国軍……にしては制服が違うな。一体何者だ?」


 エイナは素直に立ち止まった。カー君もその傍らで歩みを止め、油断なく身構えている。

『ぎりぎりまで手を出さないでよ!

 カー君は私の番犬役に徹してちょうだい。言葉が分かることを気づかれないようにしてね!』

『任せて! お芝居なんだよね? こういうのやってみたかったんだ!』


 エイナたちは口を動かさずに脳内で会話をしている。

 カー君の応答が軽いのはいつものことだが、尻尾を振り回して妙に張り切っているのが不安だった。

 『いいえ、カー君はやるときはやる有能な子よ』、エイナは無理にでも自分を納得させるしかなかった。


 覚悟を決めた彼女は、すうと息を吸い込むと、大きな声を出した。

「私の名はエイナ・フローリー!

 帝国の南にある、リスト王国という国から来た旅人です。

 アフマド族は客人を歓待する情の篤い方々と聞き及んでおります。

 なにとぞ、一夜の宿をお貸しいただきたい!」


 アフマド人たちから、「おお~」というどよめきが起こった。

 警備の男たちは、一層顔をこわばらせた。

「リスト王国……そんな遠国から、女一人が旅をして来ただと?

 貴様の着ているのはどう見ても軍服、帝国軍でないにしても、容易く信用できるわけがないだろう!」


 エイナは少し腹が立ってきた。こうなると彼女は度胸が据わってくる。

「確かに私は王国の軍人です。

 ですが、矢を向けられながらこうして両手を挙げています。

 アフマド族は無抵抗の女一人に怯えるほど臆病だとは、聞いた話とは大違いです!

 それほど私が怖いのなら、この場を立ち去りましょう!」

 彼女はそう怒鳴ると、くるりと背を向けた。もちろんはったり(ブラフ)である。


「ま、待て! あまりに突然のことで、こちらも驚いただけだ。

 そなたに敵意がないのであれば、我らも客人として処遇しよう」

 慌てたように弁解したのは、警備の若者たちよりも年輩の男であった。

 恐らくそれなりの地位の人物なのだろう。


 エイナは再び彼らの方に向き直った。

 そしてゆっくりと歩み寄っていく。

 相変わらず複数の弓矢が彼女を狙っており、この近距離で射られたら、即死は免れない状況であった。

 だが、彼女は恐れずに声をかけた初老の男性の前まで近づいた。


 そして片膝を地面につくと、腰のベルトから鞘に収まったままの長剣を外し、それを両手で差し出した。

「滞在をお許しいただけるのであれば、出立までの間、我が剣を預けましょう」


 男はぐっと息を呑んだが、差し出された剣を掴むと、白い歯を見せて破顔した。

 そしてその剣を、エイナの胸元に押し戻した。


「立たれよ客人。そして剣を収めてくれ。

 若い娘と侮った我らに、これ以上の恥をかかせないでほしい。

 そなたの言うとおり、アフマドの民は〝客人まれびと〟をもてなすことを誇りとしている。

 我らの無礼を許してくれるのなら、族長のもとに案内しよう」


 エイナは剣を受け取ると立ち上がり、にこりと笑った。

「ご親切、痛み入ります」


「俺は部族の三十人長、バータルという者だ。

 エイナ殿が遥か南の国から来たというのなら、一族の者たちは話が聞きたくて仕方がないだろう。何しろ我らには娯楽が少ない。王国のことは噂程度にしか知らんのだ。

 そなたの連れている、その……生き物も初めて見る。犬とも狐とも違うようだが、何という名前なのだ?」


 エイナは曖昧な笑みを浮かべた。さすがにカー君を〝幻獣〟だと紹介するつもりなどなかったからだ。

「これはカーバンクルといって、こちらには棲んでいない種族です。まぁ、犬のようなものだと思ってください。

 女の一人旅では不用心なので、番犬として連れています。

 私に危害を加えない限り、噛むようなことはありませんから、ご安心ください」


 バータルは感心したようにうなずいた。

「なるほど、世間は広いと言うが、本当だな。

 まずは族長のゲルにご案内しよう。さ、参られよ」


 警備の若者たちも、すでに弓矢を収めていた。

 この頃には、どこから集まってきたのか、驚くほどの人々(ほとんどが女衆だった)が周りを取り囲んでいた。

 エイナがバータルに連れられて移動をすると、群衆もその後をぞろぞろとついてくる。

 彼らがエイナという異邦人に、強い興味を持っているのは明らかだった。

 先ほどバータルが言ったように、エイナは変わり映えのしない日常に突然出現した、娯楽そのものだったのである。


      *       *


 族長のゲルは、野営地の中ではひときわ目立って大きかった。

 エイナはバータルに指示され、入口で靴を脱いでからその中に入った。


 ゲルの中は採光が工夫されていて、それほど暗くはなかった。

 広々したテントの中央に囲炉裏が切られ、火が焚かれており十分に暖かい。くべられているのは、乾燥させた家畜の糞のようだった。

 まだ十月なので、暖房は必要なさそうに思えたが、夜が冷えることは、エイナもこの二日で嫌というほど思い知っていた。

 

 ゲルの中央に、小柄な老人が居心地のよさそうなクッションの中に埋もれていた。

 年輩の女性と若い娘が数人、その周囲にはべって世話をしている。

 その老人が、族長であることは誰の目にも明らかだった。


 エイナは族長の前に膝をついて座ると、腰の長剣を外して前に置き、額が床につくほど深々と頭を下げた。

 王国、帝国を問わず、中原の民族は椅子とテーブルの生活で、床の上でも土足が基本である。

 そのため、いくら絨毯が敷かれていても、こうして床に直に座るのには心理的な抵抗が大きい。


 だが、異文化との接触では、自分の常識を捨てることが肝要だった。

 こうした礼儀作法は、ある程度アフマド族の慣習に知識のあるマリウスから、出発前に伝授されたものである。


「帝国の東南、リスト王国から旅をしてまいりました、エイナ・フロリーと申します。

 気高きアフマドの民の情けにより、滞在をお許しいただいたことに感謝をお伝えいたく、願わくばご尊名を伺いたく存じます」

 ぴたりと平伏したエイナの姿を、老人は目を細めて眺めた。


「おうおうおう、よくぞまいられたお客人。

 遠国の者とも思えぬ礼儀を心得た挨拶、感じ入ったぞ。

 わしはこの部族のおさを務めておる、バヤルと申す。

 客人を歓待するは我らの喜びとするところ、さぞや珍しい話が聞けようぞ。

 ささ、頭を上げられよ」


 老人は笑顔で顔をくしゃくしゃにして、エイナに顔を上げるように促した。

 彼女の目に映った族長のバヤルは、いかにも好々爺といった表情を浮かべていたが、長く伸びた眉の隙間から除く眼光は鋭く、油断のならないものだった。


「わしは王国の事情に詳しくはないが、女子おなごだてらにそのような恰好をしているということは、エイナ殿は軍人であるのかな?」

「ご慧眼恐れ入りました。

 確かに私は王国軍の末席に連なっております。一応は士官ですが、まだ准尉という駆け出し者です」


「いやいや、女子で士官というのはそれだけで大したものじゃろう。

 王国と帝国の仲の悪さは、この老いぼれでも知っておる。

 何故、王国の女士官が、敵対する帝国領を通ってこのような辺鄙な土地まで来たのかのぉ?

 いやいや不思議なこともあるものじゃ。わしの老い先は短い。冥途の土産に、その理由わけを教えてもらえまいか」


 族長の口調は穏やかだが、その内容は尋問である。

 遥か遠方の国から軍人――しかも若い娘が、一人でやってきたのだから、この反応は当然であった。


 エイナもそれは覚悟していたことである。

 彼女は初めから覚悟を決めていた。


「族長様のおっしゃるとおり、我がリスト王国は、イゾルデル帝国の圧力に日々脅かされております。

 アフマド族の方々が、長年帝国と勇敢に戦い、父祖から受け継いだ地をお守りになっていることは、知らぬ者がおりません。

 ならば、敵の敵は味方という理屈が通りましょう。

 私はその可能性を探るべく、遣わされた者です」


 あまりにも率直な物言いに、族長の周囲に控えていた男たちは目を見開いた。

 だが、バヤルの態度だけは違っていた。

 この老人は、笑いをこらえるように腹を押さえると、顔を上げ、じろりとエイナを睨んだ。


 そして、低いしわがれ声の独り言を洩らした。

「これはまた、ずいぶんと馬鹿にされたものじゃのう……」

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