十 偵察
地面に降ろされた籠の中に入っていったアラン少佐は、程なくして再び姿を現した。
行きと違うのは、彼の後に二人の女性がとぼとぼとついてきていることだった。
彼女たちは軍服を着ており、一人は背の高い金髪の美少女、もう一人は黒髪で小柄な娘だった。
松明の近くまで来ると、彼女たちの顔がはっきりと見え、二人はプリシラが見知っている人物だと知れた。
「シルヴィア! それにエイナではないか。
なぜお前たちが来ているのだ?」
プリシラが驚いたのも無理はない。
アラン少佐は単に彼女の安否を確認するために、連絡をつけに来たに過ぎない。
少佐は二十人近く存在する国家召喚士の中でも、最も忙しい人物である。
その彼をわざわざ敵国の奥深くまで派遣するのは、プリシラが国家召喚士という、存在そのものが軍事機密だからだという理由は、何とか理解できる。
だが、さらに人員を追加してくるというのは、どう考えても過保護であった。
おまけに、それが学校を出たての新米二級召喚士と、魔導士であるとなれば、なおさらである。
「はぁ……まぁその、自分たちはマリウス閣下のご命令で、大尉殿の後方支援をするべく参りました」
シルヴィアが、何とも情けない表情でそう答えた。
二人は二度にわたり蒼城市でシドに謁見しており、当然副官であるプリシラとも面識があった。
特にシルヴィアにとっては、わずかな期間ではあるが、魔導院で共に学んだ先輩である。
「後方支援……お前たちがか?」
プリシラにそう問われると、シルヴィアは返す言葉がなかった。
国家召喚士は数千の兵に匹敵する、存在自体が人間のレベルを超越した暴力装置である。二級召喚士や半人前の魔導士とは、格が違い過ぎる。
もし本当に何かトラブルが起きたとすれば、二人はプリシラの助けどころか、足手まといにしかならないだろう。
プリシラは肩を落として溜め息をついた。
「まぁ、参謀本部としては何かしら名分が必要だろうからな。
それで、本当の目的は何だ?」
すべてお見通しであった。
シルヴィアは、この経験豊富な先輩に対して、抵抗する気を失っていた。
「実を言うと、西方のアフマド族との接触を命じられております。
将来的に手を結ぶことができるかどうか、その可能性を探る前段階として、可能な限り情報を集めるよう命じられています」
正直に打ち明けた後輩に対し、プリシラは〝ふん〟と鼻息を洩らした。
「マリウス殿の考えそうなことだな。
ただ、少し状況が変わった。シルヴィアはこの場所について、何かを感じていないか?」
シルヴィアはその言葉に勢い込んで喰いついた。
「実はさっきからそれが言いたかったのです!
ここって、召喚の間みたいな雰囲気がしませんか?
何だかこう、ぞくぞくして鳥肌が立つような……」
「え、そうなの?」
シルヴィアの隣りで大人しく立っていたエイナが、不思議そうな顔で訊ねる。
「えっ、エイナは何も感じないの?」
シルヴィアは驚いたが、プリシラの方は納得したようにうなずいた。
「ああ、この中でエイナだけが召喚士ではないからな。分からないのは当然だ。
私もアラン少佐殿も、シルヴィアと同じ感覚に襲われている。
それで、君たちにはアフマド族に対する任務と同時に、この周辺の調査もやってもらいたいのだ」
『う~ん、でもここが幻獣界とつながったのは、多分千年以上前の話だと思うよ』
ふいにカー君の声が頭の中に響いた。
それはシルヴィアやエイナだけではなく、プリシラやアランにも聞こえていた。
「この声はカーバンクルか! なぜシルヴィアの幻獣の声が私に聞こえる?
というか、いつの間にこんなに大きくなったんだ!」
驚くプリシラに、シルヴィアが慌てて説明をする。
「あー、いえ、この子、魔石を食べて能力が上がっているんです」
「だが、うちのタケのような人間型は別だが、動物型の幻獣で召喚主以外と意思疎通ができるのは、かなり珍しいぞ。
いや、それより! さっき言った『千年以上幻獣界とつながっていない』という話は、本当なのか?」
カー君は後ろ足でばりばりと首を掻きながらうなずいた。
『そんな感じだよ。無駄に歪みだけが溜まっているけど、もうここの機能は失われているんじゃないかな?
結界も相当弱っているし……。タケちゃんもそう思うだろ?』
急に話を振られたタケミカヅチは戸惑った。
「タケちゃんって……我のことか、小僧?
むうっ、だが言われてみれば、弱々しいが結界らしきものの存在は感じるな。
ただ、我にはここの機能がいつまで働いていたかなんぞ、まったく分からんぞ?」
『そりゃあ、タケちゃんの一族にとっては、幻獣界も異界だから仕方ないよ。
僕らは精霊に近い存在だから、そういう感覚は鋭いんだ』
「こら、カー君はタケミカヅチ殿をもう少し敬いなさい! 一応は神様なのよ」
シルヴィアはカーバンクルの後頭部を叩いた(身体が大きくなってからというもの、シルヴィアのカー君に対する扱いは、明らかにぞんざいになっていた)。
「プリシラ先輩、私とエイナは次の定時連絡までは、この場に留まることになっています。
その間にアフマド族と接触を図るつもりだったのですが、その役はエイナに任せて、私がこの周辺の調査に当たりたいと思います。
もし他にも同じような遺跡があるとすれば、召喚士である私の方が気づきやすいと思いますから」
プリシラは眉根に皺を寄せ、少し不安げな表情を見せた。
「別々に行動するというのか?
お前たちは二人で一人前だと思っていたが、大丈夫なのか?」
シルヴィアは胸を張って元気よく答える。
「もちろんです! 私たちも少しは成長しています。
ねえ、エイナ?」
「えっ? えとあの、はいっ。
もちろん大丈夫です、ドリー大尉殿」
エイナも慌てて同意する。
シルヴィアが魔導院の先輩で格上の国家召喚士に対し、いいところを見せようとしているのは、丸わかりだった。
「足の方はどうするのだ?
接触しようにも、アフマド族がどこにいるのかも分からないのだぞ?」
「ああ、それなら心配いりませんよ」
アラン少佐が笑顔を浮かべ、会話に加わってきた。
「この娘たちの任務のことは、マリウス閣下から聞いていますからね。
山の上空を旋回するついでに、大回りして西側の平原も偵察してみたんですよ。
都合がよさ過ぎる感じもしますが、黒死山の北東山麓、かなり近い所に多数のゲル(テントのような移動式住居)が見えました。
ここからだと山裾を迂回して二十数キロといったところですね」
「では、エイナはカー君に運んでもらいます。私は徒歩で十分ですから」
シルヴィアの申し出は、エイナを驚かせた。
「私がカー君に? 彼はあなたの幻獣でしょう、一緒にいなくてもいいの?」
「だって、さすがに二人は乗れないでしょう?
それに、私には特に危険はないはずよ。黒死山には人も動物もいないはずだもの。
アフマド族と接触するエイナの方が、危険度は遥かに高いわ。
カー君なら、それなりの戦力になるでしょう?」
「それはどうだけど……」
「だったら決まり!」
シルヴィアは決めつけると、プリシラの方に向き直った。
「そういうわけですから、先輩はゆっくり休暇を楽しんでください」
プリシラはまだ少し不安そうだったが、渋々とうなずいた。
「そこまで言うなら任せるが……くれぐれも無理はするなよ?
一日おきにタケをここに寄こそう。私に状況が伝わるよう段取りをつけてくれ」
「ふふっ、何だかプリシラがシルヴィアたちの援護をしているみたいだね」
アランが面白そうに感想を洩らした。
その他、細々とした打ち合わせをした後、プリシラは再びタケミカヅチに抱かれて帰っていった。
アランとエイナ、シルヴィアの三人は籠の中に戻り、簡単な夕食を済ませてから、すぐに眠ってしまった。全員くたくただったのだ。
翌朝、エイナとシルヴィアが目覚めた時には、すでにアランの姿は消えていた。
ロック鳥が飛び立つ姿を見られないよう、夜明け前に出発したのだろう。
小屋のテーブルの上には、きれいな筆跡で書かれたメモが一枚残されていた。
『十日後に迎えにくる。それまでに成果が挙げられるよう期待する。
くれぐれもプリシラの足を引っ張らないように』
* *
アランが上空から見つけたというアフマド族の野営地の位置は、前夜のうちに二人が持たされた地図に書き入れていた。
朝食を終えた後、エイナはカー君に跨り、その場所に向けて出発した。
彼女はユニが連れていた巨大オオカミに乗った経験があったが、カー君は大型犬並の体格で、それほど大きくはなかった。
だが、そこは幻獣である。この世界の動物とは基礎体力が異なるらしく、エイナが乗ってもさほど負担を感じていないようだった。
黒死山のゴツゴツとした岩場を、カー君は意外に軽快な足取りで進んでいった。
ユニのオオカミたちのように速くはないが、上下動が少なく乗り心地はかなりいい。このあたりは、彼に浮遊能力があることと関係しているらしい。
シルヴィアから離れても、お互いの意思疎通にはそれほど支障がなかった。
カー君の説明では、初めての相手と会話をする時には、やはり近くにシルヴィアがいないと駄目らしい。
エイナとはもう何か月も普通に話を交わしていたので、彼の中に通信回路のようなものが出来上がっていて、シルヴィアがいなくても平気なのだそうだ。
『ねえ、本当に重くないの?』
エイナがそう訊ねるのは、出発してからもう三度目だった。
声を出さずに脳内で会話をする方法は、エイナもすっかり馴れていた。
『エイナも心配性だな。平気だよ。これがシルヴィアだったら、ちょっと大変かもしれないけどね。
ほら、あの娘はエイナと違って大きいからね』
『それ、絶対シルヴィアに言っちゃ駄目よ。
彼女、密かに気にしているんだから』
『そうなの? 僕らは身体が大きいと尊敬されるんだけどなぁ』
『女の子って、そういうものなのよ。
カーバンクルにだって雌はいるんでしょう?』
『いないよ』
『はぁ? まさか雄ばっかりなの?』
『僕らに性別はないんだよ。だから僕も雌雄どっちなのか、自分でも分からないんだ』
『じゃあ、どうやって子どもが生まれるの?』
エイナの頭の中に、カーバンクルの困ったような、言葉にならない思考が流れ込んできた。
しばらくすると、それがやっと言語化されてきた。
『僕たちカーバンクルがどうやって生まれてくるのか、誰も知らないんだよ。
生まれたての幼生って、いつの間にかいるんだよね。
当たり前だけど親なんていないから、一族みんなで面倒を見るんだけど、一年くらいで一人立ちできるから、大して問題は起きないんだ』
『呆れた……。妖精は朝露から生まれるって聞いたことがあるけど、まんざら嘘でもないのね』
『いやぁ、さすがにそれはないんじゃない。
そう言えば、僕らの一族は歳を取って死ぬってこともないんだよね』
『不死ってこと?』
『違うよ。僕らは凄く丈夫だけど、稀には死ぬことがあるんだ。
でもね、ほかの生き物みたいに〝年寄り〟っていうのが存在しないんだ』
『不死じゃないけど、不老なのね』
『それも違うよ。う~ん、説明が難しいなぁ……。
僕らは魔石を食べることで成長するのは、エイナも知っているよね?』
『うん』
『何百年、何千年ってかかるけど、十分に魔石を摂取して成長したカーバンクルは、いつの間にか姿を消すんだよ』
『死んじゃう……わけじゃないのよね。どっかに行ってしまうってこと?』
『多分ね。それだけ成長したカーバンクルは、ほとんど無敵な存在になるからね。
それこそ、龍族や巨人族と同じような感じだね。
消えてしまった者が戻ってくることはないから、理由は誰にも分からないんだ』
『へえ……。じゃあ、カー君もいつかは龍並みに大きくて強くなるんだ?』
『ふっふっふ、そうなんだよ。
まぁ、そうなるにはあと数千年かかるだろうけどね。楽しみにしててよ』
『お生憎さま。その頃には私はとっくに死んでいるわ』
エイナとカー君は、延々と続く不毛の大地を駆け抜けながら、そんな会話を交わしていた。
彼女にとって、それは新鮮な体験であった。
普段は常にシルヴィアが側にいて、カー君の個人的な話を聞く機会がない。
逆に言えば、シルヴィアはいつもカー君と、こうした話をしているのだろう。
シルヴィアは自分の親友だと思っていたが、エイナの知らない所でカー君という、互いの秘密を打ち明け合う分身のような存在がいる。
それが何だか羨ましくて、少し妬ましく思えるのであった。
* *
エイナとカー君が黒死山の西側に回ってから、麓に降りたのは午後の二時を回った頃だった。
途中、簡単な昼食休憩を取ったのを差し引いても、一時間に五キロ程度の進み方であった。
道のない岩石だらけの荒れた岩場なので、平地と同じような速度を出すのは望むべくもない。
ユニのオオカミたちに比べると物足りないが、歩くのに比べれば倍近い。贅沢は言えなかった。
不毛の地である黒死山と言えども、麓まで来ると旺盛な繁殖意欲を持つ植物たちが、じわじわと進出の手を伸ばしている。
大木はないものの、陽光を好むブナ、ナラ類の広葉樹が、それなりの面積の林を形成していた。
隠れ家としては絶好の地であり、エイナは林の中の小さな湧き水のほとりに野営地を定めた。
立木の間にロープを張り、防水布でツェルト(簡易テント)を設える。その下に乾いた枯れ草を集めて寝床を作り、傍らに石を組んで小さな竈も作った。
エイナは自分が設営した前進基地の出来栄えを、満足した様子で眺めた。
大まかな地図ではあるが、ここからアフマド族の野営地までは五キロもないはずである。
シルヴィアならば、いきなり乗り込んでいただろうが、エイナはまず偵察から始めることにしていた。
もう午後になっていたから、無理に出発することはせず、まずは食事を作ってゆっくり身体を休める、偵察は明日から開始するつもりである。
翌朝、日の出とともに起きると、エイナはすぐに出発した。
広葉樹林をしばらく進むと、次第に木々はまばらになり、周囲の景色が背の低い灌木混じりの草原に変わってきた。
アフマド族の住む大陸北部は、広大な草原地帯である。降雨量が少なく土地も痩せているため、あまり木が生えないのだ。
エイナが野営地を定めた地帯は、山麓という立地から伏流水が豊富なので、例外的に林が形成されているのだろう。
林を抜けてしばらく進むと、遠くの草原にいくつものテントが見えてきた。
エイナは灌木の茂みをたどりながら、できる限り見つからないように野営地へと近づいていった。
およそ七、八百メートル離れた大きめな茂みが、接近の限界のようだった。
彼女はそこを偵察ポイントに定め、木の枝や葉っぱを絡めた網をまとい、草の上に腹這いになった。
後は支給品の単眼鏡を目に当て、じっくりと相手の様子を観察するのである。
それは地味で退屈な作業であったが、エイナは苦にしなかった。
まだ早朝なので、あまり人影は見えない。
この日は夕方までじっくりと観察を続け、周囲が暗くなってから林の中の前進基地へ帰った。
一日かけただけあって、それなりに情報は得られた。
アフマド族がゲルと呼ぶテントは十五基で、出入りしている人間の様子から、推定で百人余りの集団のようだ。
男たちは日中、馬や羊を連れて放牧をしているらしく、夕方近くに家畜とともに戻ってきた。
女たちは炊事や洗濯といった家事をこなしながら、革を鞣したり、糸を紡いだりしているらしい。
騎馬民族らしく、男たちはみな巧みに馬を操っていたが、女たちも当たり前に馬を乗りこなしていた。
王国では軍人を除けば、馬に乗れる女は珍しい。
とにかく、至って普通の放牧生活のように見え、戦闘に備えているような様子は見られない。
初日の観察結果としては、まず上々の結果であった。
エイナは焦らずに翌日も偵察を続け、接触の機会を窺うつもりであった。