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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第三章 黒死山の館
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六 旅立ち

 かつ、かつ、かつ……。


 石畳が敷き詰められた通りに、革靴の低いヒールの音が鳴り響く。

 それがふいに止み、女は立ち止まった。

 見上げた視線の先には、古びた木の看板が下がっており、そこには優雅な書体で〝梟亭〟と書かれている。

 重厚な石造りの壁には、青々とした蔦が這っており、いかにも老舗の宿屋という雰囲気を醸し出していた。


「……ここか」


 手にしたメモを確認すると、その女性は分厚い扉を押し開けた。

 上部に取り付けられた小さな鐘がチリンと鳴り、振り向いた若い従業員が愛想のよい表情を浮かべて近寄ってきた。


「いらっしゃいませ。お泊りですか?」

「あ、いや。そうではない。

 ここにノルドのベルゲン村から来た、ヨルドという老人が泊っているはずなのだが、その者を訪ねてきたのだ」


 男性従業員は笑顔を崩さずに、「少々お待ちください」と言って、受付カウンターに立っていた年輩の女性に、小声で話しかけた。

 短いやり取りがあって、男は女性のもとに戻ってきた。


「お待たせしました。お訪ねのお客様は階段を上がって右側、二〇二号室です。

 どうぞお上がりください」

 女性は礼を言って、従業員の手に銅貨を一枚握らせた。


 彼女は螺旋階段を上がり、右側を向いた。

 宿屋らしく廊下の両側に扉があり、右の扉に〝二〇二〟という札がかかっている。

 扉をノックすると、すぐに「お入り」という声が返ってきた。

 懐かしい祖父の声である。


 扉を開けると、背が高く肩幅の広い逞しい男性が待ち受けていた。

 そして、彼女をいきなり抱き寄せると、その頬にキスを浴びせた。


「久しぶりだね、プリシラ。元気そうで何よりだ!」

「お爺さまこそ。お変わりなさそうで安心しました」


 プリシラも祖父の身体に手を回し、分厚い胸に顔を埋めた。

 彼女は百八十に近い長身だが、祖父はさらに十数センチも背が高かった。

 頭こそ真っ白だったが、鼻が高く彫の深い顔、青い瞳、大柄な身体と、いかにもノルド人らしい特徴を備えている。

 年齢はもう七十をとっくに越えていたはずだったが、その精気に満ちた風貌は、せいぜい六十代にしか見えなかった。


 プリシラの祖父ヨルドは、ベルゲン村の肝煎きもいりである。

 ノルド地方には四つの村がある。

 東のヘムル、西のモラン、南のトロント、そして北のベルゲン村が最も古く大きな村で、王国風に言うと親郷に当たる。


 ヨルドは抱きしめていた腕を緩めると、プリシラの引き締まった胴を壊れ物のように優しく扱い、椅子に座らせた。

 小さな丸テーブルを挟んだ向かい側に、自分の椅子を引き寄せて座ると、彼は目を細めて孫娘に語りかけた。


「思ったよりも早かったじゃないか。

 出発は一日ではなかったのか? わしはてっきり明日来るものだと思っていたぞ」

晦日みそかの夜に蒼城市を発ったのです。

 朝いちの船に乗れましたし、風の具合もよかったので……」


 ヨルドは大きな手でプリシラの頭をぐりぐりと撫で、愉快そうに笑った。

「そうかそうか。何にせよ、順調なのはよいことじゃ。

 今回はお前に無理を言ったからのぉ、まさか軍から許可がおりるとは思わなんだ」

「その点は私も同じです。

 でも、本当に私でよかったのでしょうか?」


「何を言う! プリシラは我らの出世頭だ。誰に遠慮することがある?

 タケもそう思うだろう……というか、いい加減姿を現せ!」

「やれやれ、ご老体には敵わぬな」


 遠雷のような低い声が響き、いきなり部屋の中にタケミカヅチが出現した。

 ずっと隠形おんぎょうの術(彼に言わせれば神通力)を使って、姿を消していたのだ。

 ヨルドはその三メートルを越す異形の武神を、満足そうな表情で見上げた。


「ほかの部族の奴らが、タケを見て腰を抜かすのを、この目で見られないのが残念でならぬわい。

 クレアに渡るのは明日なのじゃろう? どうせならここに泊っていけばよい」

「すみません、もう宿は決めてあるのです。

 ゆっくりお話ししたいのは私も同じですが、あまり遅くなるわけにはまいりません」


「そうか、それは残念じゃの」

 ヨルドの言葉に嘘がないことは、その落胆した表情からも明らかだった。

 だが、この快活な老人は、気を取り直したように顔を上げた。


「それでは、さっそくじゃが荷物を渡すとしよう。

 ほれ、そこに積んであるのが神へのお供物じゃ。

 タケが背負えるよう、村の婆さんたちが特製の背負い籠を用意してくれたぞ」


 彼が視線をやった先の床には、アケビの蔓で編んだ大きな籠が置かれており、その中には油紙で包まれた荷物がぎっしりと詰まっている。

 それは祭りで神にささげる供物である。

 主には上等の毛皮と炭、そして保存のきく塩漬け肉や山菜・茸類の漬物である。


「ずいぶんと量が多いですね。いつもこうなのですか?」

 プリシラの素朴な問いに、祖父は首を横に振ってみせた。


「いやいや、これほどの供物を用意できたのは、村始まって以来のことだよ。

 それもこれも、ケルトニアへの泥炭輸出のお陰じゃ。

 いつもは肩身の狭い思いをしてきたが、今回ばかりは胸を張って参加できる。

 何しろ自慢の孫娘の晴れ舞台じゃ、恥をかかせるわけにはいかんだろう」


 ヨルドは上機嫌で白い髭をしごき、改めてプリシラを見詰めた。

 その瞳が少し曇り、彼は首を傾げた。


「ところで、プリシラ。

 つかぬことを訊くのだが……」

「はい。何でしょう、お爺さま?」


「お前、その恰好で行くつもりか?」

「ええ、そのつもりですが……どこか、変でしょうか?」


「今回プリシラは、故郷の祭りに参加するノルド人の娘という触れ込みで、帝国に渡るのであろう?

 お前が第四軍の将校で、国家召喚士だということは秘密にするという話だったな」

「当然です」


「ならば、それはないだろう」

「え?」


 プリシラは少し慌てたように、自分の姿を見回した。

 飾り気のない白いブラウスに、女性用のスーツ。膝下丈のタイトスカートという出で立ちである。

 多少地味だが、一分の隙もない職業女性といった感じだった。


「いやいやいや、それではノルドの田舎娘ではあるまい。

 どう見ても女軍人の私服ではないか」

「そっ、そうでしょうか?」


 ヨルドが異議を唱えたのも当然である。

 王国女性の一般的な服装は、庶民の場合、くるぶしまで隠れる長いスカートにエプロン、上半身は飾り気のないブラウスに半袖付きの編み上げベストで、長いショールを肩から羽織って身体を隠していた。


 女性がふくらはぎを見せるのは、はしたないと考えられており、それが許されているのは軍人か、意識の高い進歩的な女性――高等教育機関の教職や、ごく一部の職業女性だけである。


 軍においては動きやすさを重視するため、軍服自体が膝下丈のタイトスカートに定められている。

 ただし、それは事務職の場合であって、プリシラのような武官は男性と同じズボン姿である。

 プリシラがスカートを着用するのは礼装の場合に限られており、彼女は常日頃から事務職員のきびきびとした姿に、密かに憧れていたのだ。

 そのため今回の休暇では、買ったはいいものの着る機会がなかった一張羅に袖を通し、やや自慢げに出発したのである。


 魔導院から軍隊生活という特殊な環境に身を置いてきた、プリシラの感覚がずれているのは明らかで、この点では祖父の意見の方が常識的であった。


「やれやれ……まぁ、お前が帰ってくる時はいつもそうだったから、仕方がないのだろうがな。

 村の婆さんたちの心配が、見事に当たったということだ。

 安心しなさい。こんなこともあろうかと思って、ちゃんとお前の服は用意してある」


 ヨルドはそう言って立ち上がらると、衣装棚の扉を開けた。

 そして、中に吊るしてあった服を出すと、ベッドの上に広げ始めた。


「これが普段着じゃな。替えのスカートが一着と、ブラウスが三枚。

 こっちは祭り用の晴れ着じゃ。

 全部村の婆さんたちが、協力して仕立ててくれたものでな、生地も上等だし、刺繍も見事なもんじゃ。

 これなら、ほかの部族のどんな娘であろうと、引けをとることはあるまいて」


 祖父が所狭しと並べたのは、いずれもノルド人の民族衣装でブーナッドと呼ばれるものであった。

 長いスカートと華麗な刺繍を施した袖なしベスト、ふんわりと袖がふくらんだブラウスである。

 スカートとベストに関しては、各部族ごとに基調となる色が決まっていて、王国ノルド人の場合は黒がベースとなっている。


 王国の一般的な女性の服装に比べると、色遣いがはっきりしており刺繍も多く、それを誇るようにショールで身体を隠すということもなかった。

 それは彼女たちの大柄な体と彫の深い顔立ちによく似合い、ひと目でノルド人だと分かるものだった。


「サイズに問題はないと思うが、まずは着替えてみろ。

 爺ちゃんは外へ出ているからな」

 彼はそう言って部屋を出て行った。


 一人残された(タケもいるが)プリシラは、仕方なくベッドに広げられた衣服に手を伸ばした。

 ノルドの民族衣装のことはもちろん知っているし、村の女たちが着ているのも見たことがある。

 だが、彼女がそこで暮らしていたのは六歳までである。こうした伝統服を身につけるということは、女性が初潮を迎えたということを意味していた。


 魔導院を卒業して入隊してから、プリシラが帰郷するのは二年に一度くらいで、もうその頃には、男と同じようなズボン姿にすっかり馴れていた。

 だから、彼女はこんなに長いスカートを履くのが、初めてといってもよかった。


 数分後、宿の部屋の扉が開き、プリシラが顔を出した。

 廊下で煙草をふかしていた祖父を、恥ずかしそうに呼び入れる。


「おうおうおう、よく似合っとる!」

 ヨルドは嬉しそうに目を細めた。

 プリシラは勝手の違う装いにとまどい、しきりに後ろを振り返ったりした。


「本当に似合ってる? おかしくない?

 ねえ、タケはどう思う?」

 頬を赤らめた彼女は、何度も確認した。


「おお、どこから見ても、立派なノルドの娘じゃ」

「うむ、女子おなごの服のことはよく知らんが、悪くないと思うぞ」

 祖父もタケミカヅチも、プリシラが機嫌を損ねないように猫撫で声で褒めそやした。

 しかし、ふいにヨルドが「しまった!」と声を上げると、嬉しそうにしていたプリシラの顔が凍りついた。


「何、なに! どこかおかしいの?」

「そうじゃないんだ。

 何か足りないと思っていたら、首飾りを持ってくるのを忘れておった!

 わしとしたことが、すまん!」


 そう言われたプリシラは、村の女たちの晴れ着姿を思い浮かべた。

 確かに、記憶にある彼女たちは、いずれも首から大きなペンダントを下げていたような気がする。

 祖父は〝首飾り〟と言ったが、ネックレスよりずっと長く、胸元のあたりで煌めく装飾品である。


「ああ、それだったら大丈夫よ、お爺さま。

 これで代わりになると思うわ」

 プリシラは胸元に手を伸ばし、細い銀の鎖を握って引っ張り出した。

 下着の中からずるりと出てきたのは、アスカから与えられたアミュレットである。


 直径が五センチ以上もあるメダルで、中央に赤い宝玉が埋め込まれ、そこから放射状に銀の線が刻まれている。

 派手さはないが、上品な美しさがあり、三十歳になったばかりのプリシラにはよく似合っていた。


「これはまた、見事なものじゃのう……。

 この大きさということは、お守りかの?」

「ええ、お借りしたものなんだけど、とても貴重な魔除けなんですって」


      *       *


 祖父に礼を言って部屋を出たプリシラは、予約していた自分の宿へと向かった。

 大量の供物と新たに加わった着替えの荷物は、村が用意してくれた大きな籠に詰め込まれ、タケミカヅチが軽々と背負っている。

 ただ、彼は隠形という認識阻害の神通力を使っているため、道行く人は誰もその姿に気づかない。


 プリシラは足にまとわりつくスカートに苦労していたが、足取り自体は軽かった。

 身にまとっている真新しい民族衣装もそうだが、長期休暇も旅行も生まれて初めてなのだ。

 しかも一族の期待を一身に背負って、ノルド人発祥の故地へと向かうのである。

 彼女だってまだ三十歳と十分に若い。気分が高揚せずにはいられなかった。


 翌日、プリシラは朝一番の渡し船で、黒城市対岸の港町クレアに渡った。


 クレアは帝国の東方経営における一大拠点である。

 海洋国家ケルトニアによって、外洋への出口を封じられている帝国にとって、大陸東端の北カシルは唯一の貿易港である。

 カシルで輸出入される膨大な物資は、すべてがボルゾ川を利用して運ばれるので、必ずこのクレアで積み下ろしされるのだ。


 王国と帝国とは、敵対しつつも国交は保たれており、それなりに貿易も行われていた。

 農業生産力の低い帝国東部地域は、王国から輸入される食糧に頼っている。

 王国の方でも、科学技術の発展している帝国から、医薬品や工業製品を高値で買っていたのある。


 そのため、黒城市とクレアの間では、両国の商人の往来が盛んであった。

 プリシラの乗った渡し船の乗客も、そのほとんどが商人だった。

 ちなみに、タケミカヅチは同乗していない。

 いくら隠形術を使って姿を隠しても、三メートルを越す巨体で船に乗れば、船体が大きく沈み込んでたちまち怪しまれるからだ。

 そのため、彼は泳いでボルゾ川を渡ることになっていた。


 前夜の宿では、こんな会話があった。


「タケ、あんた泳げるの?」

「無礼なことを言うでない。神が泳げないでどうする」


「でも、荷物があるのよ。

 全部油紙でしっかり包んでいるから、少しくらい水を被っても平気でしょうけど。

 ボルゾ川は川幅もあるし、ここはまだ上流だから流れも早いわ。

 溺れて土左衛門になったら、シャレで済まないわよ」

「どこまでも失礼な娘だな。

 我が故国では、鎧を着たままでも泳げる古式泳法というものが伝わっておる。

 これしきの川など雑作もないわ」


 彼の言葉どおり、タケミカヅチはプリシラの乗る渡し船の数メートル先を、悠々と泳いでみせた。

 認識阻害が効いているので、彼女以外の乗客はまったく気づいていない。

 タケミカヅチは分厚い鎧を着用し、しかも荷物満載の籠を背負ったままだったが、まるで苦にしていなかった。

 

 むしろ十人の漕ぎ手がいる大型渡し船よりも速く泳げるのに、わざと船に速度を合わせて泳いでいるように見えた。

 プリシラは自分が召喚した幻獣が、化け物じみた能力を持っていることを自覚していたつもりだった。

 だが、こうして人間離れをした姿を見せつけられると、手に余る力を得た恐ろしさを、感ぜずにはいられなかったのである。

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― 新着の感想 ―
[良い点] いやタケミカヅチさんの時代に古式泳法ないでしょ…… 百歩譲ってもしあったとして、それ古式とかじゃなくて現役バリバリの技術だったでしょw
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