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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第三章 黒死山の館
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五 後方支援

 翌日、エイナとシルヴィアは、久しぶりに二人仲良く出勤した。

 彼女たちが所属する参謀本部は、王宮の左側にそびえる南塔に入っていた。


 出退勤する場合は私服と決められている。

 出張時を除いて軍服の持ち出しは禁じられており、昨日のエイナのように、汚した場合にはきちんと洗濯をしてくれる部署がある。


 南塔の門前には近衛隊の衛兵が立っているが、その脇に出入りする者のチェックをする受付の職員がいる、小さな窓口がある。

 一応、身分証を提示して出入りするのが決まりだが、実際には受付職員が全員の顔と名前を覚えているから、挨拶をするだけで通してもらえる。

 エイナとシルヴィアも、もう配属されて四か月になるので、わざわざここで身分証を出す必要がなくなっていた。


 その日も、彼女たちは顔見知りの職員に「お早うございます」と挨拶をして、そのまま通り過ぎようとした。

 だが、どうしたことか、彼は二人の顔を見ると「ちょっと待ちなさい」と呼び止めたのだ。

 エイナたちがげんな顔をして立ち止まると、職員は小さな窓から顔を出した。


「グレンダモア准尉、フローリー准尉。君たちに出頭命令が出ているよ。

 『本日〇九〇〇時(まるきゅうまるまるじ)、参謀副総長の執務室に出頭せよ』だそうだ。

 あまり時間がないから、急いだほうがいいね」


 二人は顔を見合わせた。

 呼ばれるような心当たりが、まったくなかったからだ。

 ケネス大尉の護衛任務に関わる聴取はとっくに終わっていたし、その後は特に重要な任務を命じられていない。

 日常業務において、賞罰を受けるような覚えもなかった。


 参謀本部に所属する将校の業務開始は八時半である(日勤の場合)。

 出頭時間が九時ということは、実質的に朝一番で呼び出されたようなものである。

 彼女たちは首を捻りながら、取りあえずは女子更衣室で軍服に着替えた。


 いつもであれば、始業前に先輩の参謀将校や総務部に顔を出し、雑用がないか聞いて回る〝御用聞き〟をするのであるが、今日はそんな暇がない。

 二人は八時半きっかりに、マリウス参謀副総長の秘書官の部屋を訪ねた。

 出頭時間より三十分早いが、相手は参謀本部のトップである。少し早めに行くのは常識だったし、秘書官のエイミーからお茶をご馳走になりながら、事前に情報を仕入れねばならない。


 エイミーは三十代半ばのはずだが、二十代と言っても通りそうなほどの童顔で、愛嬌のある美人だった。

 ノックをして入ってきたエイナたちの顔を見た彼女は、にっこりと微笑んで歓迎してくれた。


「来たわね。朝からご苦労さま。

 今お茶を淹れるから、そこにかけてちょうだい」

 彼女は秘書官であるから、マリウスの来客予定者のすべてを把握している。

 二人が来ることを見越して、すでにお茶の支度を済ませていた。


 エイミーがポットからお茶を注ぐと、部屋の中にはバラのような紅茶の香りが漂った。

 二人の前に出されたカップの横には、小皿にのった菓子も添えられている。

 バターがたっぷりで、ほんのり塩味の効いたクッキーは、昨日この部屋を訪れていたロゼッタのお手製である。


「一体、何の用なんでしょうか?」

 お茶とお菓子を味わい、一息ついたところでエイナが秘書官に訊ねた。

 エイミーの方でも、当然それは予想している。


「ごめんなさい。私からそれは言えないの。直接マリウス様から聞いてちょうだい」

「あたしたち、何かやらかしちゃいました?」

 シルヴィアが少し心配そうな表情で、再び訊ねた。どうやら、黒城市への出張中に何かあったらしい。


「それはないから、安心してちょうだい」

 エイミーの言葉に、二人は目を合わせてうなずいた。


『これは新しい任務に違いない』


 初仕事だったケネスの護衛任務は、多くの失敗もあったが、それなりの評価も得られていた。

 エイナもシルヴィア(カー君も含む)も、旅の間に急成長を遂げ、参謀本部の戦力として見られ始めていることは、彼女たちも自覚していた。

 新たな任務でその期待に応え、評価をさらに上げたいと気負うのは当然であった。


 それからしばらくの間は、たわいのない雑談が続いた。

 エイミーは百戦錬磨の秘書である。『黒城市でシルヴィアに何かあったな』とピンときた。

 

 秘書官は言葉巧みに誘導し、あっさりとシルヴィアに白状させた。

 それは、彼女に言い寄った若い兵士を振ったという話だった。


 黒城市での研修を終えた日の夜、兵士たちによる私的な送別会が開かれた。

 その兵士はシルヴィアにつきまとったあげく、強引にダンスに誘って腰に手を回したため、彼女は思い切り平手打ちを喰らわせたのだ。


 シルヴィアが顔を真っ赤にし、エイナとエイミーが声を殺して笑い転げていると、隣室からわざとらしい咳払いが聞こえてきた。

 時刻は九時になろうとしていた。


 エイミーは目尻の涙を拭いながら、二人を執務室に続く扉へ誘った。

 彼女が軽く扉を叩くと「どうぞ」といういらえがあり、エイナたちはマリウスの執務室に入った。


      *       *


「ずいぶんと楽しそうじゃないか?」

 二人を迎えたマリウスは、少し拗ねたような声で訊ねた。


 エイナは澄ました顔で答える。

「閣下にお聞かせするほどのことではございません。

 グレンダモア准尉が黒城市での武勇伝を披露いたしましたので、感心して聞いておりました」


 シルヴィアがマリウスに気づかれないように、エイナのお尻に手を伸ばしてつねった。

 そして、エイナに反撃する暇を与えず、かつんと踵を合わせて見事な敬礼をする。


「グレンダモア准尉、お呼びにより出頭いたしました!」

 エイナも仕方なくそれに倣う。


 マリウスはにやにやしながら、そんな二人の娘を眺めていた。

 目が糸のように細められているのは、いつものことである。


「まぁ、いいだろう。

 君たちを呼んだのは、新しい任務に就いてもらうためだが、まずは状況を説明しよう」

 マリウスはそう前置きをすると、第四軍のプリシラ・ドリー大尉が休暇を願い出て、ノルド人の故郷に赴くことになった経緯を話し始めた。


「――というわけだ。事情は理解できたかね?」

 副総長から確認を求められた二人は、「はぁ」と言ってお互いの顔を見合わせた。


「気のない返事だな。言いたいことがあるなら、はっきりと言いたまえ」


 上司の少し機嫌を損ねたような物言いに、思い切ってエイナが発言した。

「おっしゃったことはよく理解できました。

 しかし、ドリー大尉の休暇と、私たちの任務がどう関係するのでしょうか?」


「それをこれから説明するんだよ」

 マリウスは「呆れたな」と言わんばかりに肩をすくめてみせた。

 エイナはいらっとしつつ、心の中で毒づく。

『この人、絶対わざとやっているわ!』


 マリウスは澄ました顔で、言葉を続けた。

「いま説明したように、我々はロック鳥を飛ばし、十日に一度プリシラと連絡を取ることにしている。

 彼女の出発は十月一日だから、十日と二十日の二回ということになるね。

 こちらへ来て、地図を見てみたまえ」


 彼の大きな執務机の上には、帝国の詳細な地図が広げられていた。

 シドとプリシラが見ていたものと、同じ写しである。

 二人は言われるままに机に近寄り、地図を覗き込んだ。


「これがカムイ山、プリシラの目的地だ」

 マリウスが長くきれいな指を伸ばし、地図上の一点を指し示した。


「そしてそのすぐ隣りが黒死山で、ロック鳥に乗ったアラン少佐は、ここでプリシラと落ち合う予定になっている」

「ロック鳥は夜間飛行も可能なのですか?」


「ああ、少佐の話だと夜目が利くから問題ないそうだ。

 危険はないはずだから、君たちも安心したまえ」

「なぜ私たちが安心するのですか?」


 エイナはきょとんとした顔で、反射的に訊き返したが、隣りのシルヴィアの方は、一瞬で顔が強張った。

「まさか……私たちに『そこへ行け』とおっしゃるつもりではないでしょうね?」


 マリウスは満足そうに拍手をする真似をした。

「さすがにシルヴィアは理解が早いね。

 君たちにはロック鳥で現地に飛んでもらい、十日から二十日までの間、現地で待機し不測の事態に備えてもらう。

 運搬用の籠をそのまま置いていくから、家代わりに利用できるはずだ。

 君たちが快適な環境で任務を遂行できるよう、配慮したのだよ」


 彼の言う運搬籠とは、ロック鳥が人間を運ぶために造られた構造物で、山小屋のようなものである。

 だが、それをロック鳥が足で掴んで飛ぶと、恐ろしく揺れる。

 エイナとシルヴィアもそうだったが、初めて経験する者のほとんどが、嘔吐に苦しめられるほど酷い乗り心地だった。


 その時は国内のごく短い距離であったが、今度は数百キロも離れた遥か北方、しかも敵国の真っただ中である。

 考えただけでも、酸っぱいものが胃から逆流しそうだった。


「ご配慮はありがたいのですが、もう少し具体的にお教え願いますか?」

「うん、割と単純な話だよ。

 プリシラは国家召喚士という、我が軍にとって重要な戦力だ。

 あまり考えたくはないが、万が一にも彼女がトラブルに巻き込まれ、窮地に陥った場合には、速やかに帰還させなければならない。

 君たちにはプリシラが撤退するための拠点を維持し、妨害する勢力があれば、これを排除してもらいたい。ひとことで言えば〝後方支援任務〟だね。

 祭りの期間が終了しても異変がなければ、君たちは二十日に帰還して構わない。

 国家召喚士は存在そのものが軍事機密なのだ。絶対に敵の手に陥ってはならない。

 こちらの取り越し苦労かもしれないが、用心に越したことはないだろう」


 エイナはマリウスの説明に、ふんふんとうなずいている。

 それを横目で見たシルヴィアは、その甘さに少し腹が立った。


「それだけでしょうか?」

「どういう意味かね?」


「話の辻褄が合いません。

 プリシラ先輩は、一軍に匹敵するとも言われる国家召喚士です。

 万の軍勢をもってしても、タケミカヅチに抗し得るとは思えません。

 後方支援とおっしゃいますが、私は二級召喚士、エイナも魔導士とはいえ新米に過ぎません。先輩にとっては、足手まといにしかならないでしょう。

 私たちが送り込まれるのには、もっと別の目的があるのではありませんか?」


 シルヴィアの鋭い追及に、マリウスはわざとらしく溜め息をついてみせた。

「はぁ、君はつまらない女だなぁ……。

 こうした会談には、もっとこう、ドラマチックな盛り上げとか、あっと驚く意外な展開とかがあってだね――」

「茶化さないでください!

 図星なのですね? 任務の目的を小出しにして、どういう得があるのか、私には理解できません!」


「ええっ、だってその方が面白いじゃないか」


 シルヴィアの握りしめた拳がぷるぷると震えているのを見たエイナは、慌てて彼女を押しのけて前に出た。

「そっ、それで! 隠された任務とは何なのでしょうか?

 わぁーっ、楽しみだなぁー!」


 その場に白けた空気が流れ、マリウスは力なく肩を落とした。

「う~ん、シルヴィアのお陰で盛り上がってきたのになぁ……。

 フローリー准尉、君はもう少し演劇を学んだ方がいいよ。何だね、今の大根な演技は?

 まぁいい、シルヴィアにはバレているようだから種明かしをしよう。

 ここを見たまえ」


 マリウスは再び机上の地図を指し示した。

 そこは、祭り会場のカムイ山、その西隣りの黒死山のさらに西側の地点だった。

「見てのとおり、君たちが送り込まれる場所の西側は、アフマド族の支配地域だ。

 アフマド族のことは知っているかね?」


 二人とも首を横に振り、シルヴィアが代表して答えた。

「帝国と対立している騎馬民族だと聞いていますが、それ以上は何も知りません」


「だろうね。僕は元帝国軍人だから、もう少し詳しいのだよ」

 マリウスは得意そうに威張ってみせた。


『どうも私たちの参謀副総長殿は威厳に欠けるわ……』

 シルヴィアは内心で呆れていた。


「アフマド族と帝国が敵対していることは、君たちも知っているところだ。

 彼らは大小の部族単位で生活しており、一つのまとまった国家ではない。

 したがって、全部族が結束して帝国と戦争状態に陥ったことはないんだよ」

「でしたら、専制国家である帝国の敵ではないように思えますが……」


「そう思うだろう?

 実際、帝国が彼らの支配地域に攻め込むと、かなり簡単に占領できるんだ。何もないただの原っぱだけどね。

 ところが、その占領地の維持が難しい。

 帝国が彼らから土地を奪ったとして、それをどう利用すると思う?」


 エイナが少し考えた後に、答えを出した。

「農民が入植して、占領地を耕作するのではありませんか?」

「そのとおりだ。

 アフマド族は遊牧民だから、畑を耕さない。

 広大な土地のほとんどは牧草地で、羊が草を喰いつくすと次の土地に移るという生活を続けている。

 簡単に占領を許すくせに、それが農地として固定化されると、彼らはしつこく襲ってきて入植者を殺し、畑を荒らして牧草地に戻そうとする。

 数十人単位の小規模な襲撃だが、神出鬼没で機動力が高いため、これを撃退するのは至難の業だ。

 結果的に占領地には多数の守備兵を張りつけざるを得ず、その面積が増えるほど膨大な兵力が必要となるわけだ。

 そうなると兵の維持費が、占領地から上がる税収を遥かに上回ることになる。

 いわゆる〝間尺に合わない〟状態に陥るのだよ」


「ええと、損得の問題で北を攻めないということですか?」

「そのとおりだ。アフマド族は広大な土地に分散しており、常に移動を繰り返している上に異様に強い。

 大軍で攻めればすぐに逃げるくせに、小規模な奇襲をしつこく繰り返すから、こちらの損害だけが積み上がっていくことになる。

 全滅させるのは不可能に近いし、北の大地は痩せていて、そもそも農耕に適した地ではない。

 だから、血を流してまで彼らの土地を侵略する理由がないということになる。

 彼らには国境という概念がないから、帝国側の領土が襲撃されることもあるが、追い散らせば簡単に諦める。

 そんなわけで、双方の均衡が保たてれているのだよ」


「そこでだ」

 マリウスの話はなおも続く。


「さっきも言ったとおり、アフマド族は国家ではない。

 そのため、王国はこれまで彼らと交渉を行うことはおろか、基本となる情報すら何ひとつ持っていない。

 今回、幸いにもアフマド族支配地に隣接した地域にプリシラが赴くのだ。

 君たちには彼女の後方支援を行う傍ら、アフマド族との接触を試みてほしい。

 別に何かの条約を結べと言っているわけではない。

 彼らがどんな民族であるか、その人情、社会、習慣といった、基礎的な情報を収集できればそれでいい。

 可能であれば、交渉の糸口となりうる人的なつながりを得られれば、言うことはない。

 我々が、彼らと同様に帝国と対立していると知れば、案外友好的に接してくれるかもしれないだろう?

 その辺をこう、君たちにうまくやって欲しいのだ」


 もっとらしい話だった。

 だが、エイナとシルヴィアは顔を見合わせた。

 言葉に出さなくとも、お互いの表情を見れば、言いたいことなど明白である。


『滅茶苦茶な話ね』

『ええ、滅茶苦茶だわ』

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[良い点] マリウスめんどくせぇ……(笑) ユニのブーツが足りないんじゃないかな
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