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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第三章 黒死山の館
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四 再教育

「これは……アミュレット(魔除け)ですか?」

 プリシラはアスカに手渡された銀色のメダルをしげしげと眺めた。


「そうだ。先代のフロイア様が世を去られる前に、形見分けとしていただいたものだ。持っていくがよい」

「そんな! 大切な物ではありませんか、とても受け取れません」


 アスカは少し困った顔をして、ぽりぽりと頬を掻いた。

「別にそなたにくれてやるとは言っていない。

 旅の間だけ貸すというだけだ。帰ってきたら、当然返してもらう。

 そなたに貸与するのは、故あってのことだ」


 プリシラは首をかしげた。

「ただのお守りではない……ということですか?」


「ああ。私の鎧と剣については知っているな?」

「はい。ミスリル銀の合金で、国宝級の代物だとか。

 もともとは蒼龍グァンダオ様の宝物だったと聞いております」


 女将軍は大きくうなずいた。

「ああ。この鎧は、あの帝国の魔女の火球攻撃にも耐えるほどの防御力を持っている。

 宝剣の方は、古代のドワーフが鍛え、エルフが祝福を与えたミスリルの短刀を鍛え直したものだ。

 かつて赤城市に出現した魔人をも討ち滅ぼし、帝国との戦いでは、敵の防御魔法すら切り裂くことができた。

 このアミュレットは、これらの装備と対になって造られたものだそうだ」


 十数年前、赤城市に得体の知れない化け物が出現し、市内が恐慌状態に陥ったことがあった。

 赤龍帝が率いる第三軍が、多大な犠牲を払ってこれを滅ぼしたということになっているが、その詳細は軍機として秘密にされていた。

 しかし世間では、その怪物を討ち果たしたのは、第四軍のアスカ大佐(当時)だったと噂しており、広く王国内に流布されていたのだ。


『あの噂は真実だったのか……』

 プリシラは驚きの目で、この巨大な女性の無表情な顔を見上げていた。


「そなたはただのノルド人として帝国に渡る予定であろう?

 さすがに金属鎧や大剣を身につけていたら、捕まって尋問されるだろう。

 だが、このアミュレットならば怪しまれまい。

 帝国とのいざこざは厳に禁じられているだろうが、何が起きるかは予想できん。

 プリシラにはタケミカヅチがついているとはいえ、かの幻獣を人目にさらすことは避けたいところだ。

 帝国軍でもっとも警戒すべきなのは、言うまでもなく魔導士の存在。このアミュレットを身につけておれば、よほどの大魔力でない限り、魔法を無効化できる。

 だから、そなたに預けるのだ」


 アスカの朴訥な説明に、プリシラは納得すると同時に、少し驚きも覚えた。

 彼女との付き合いは十数年になるが、無口なアスカがこれだけ喋るのは、めったにないことだ。


「そういうことでしたら、ありがたくお借りします。

 引き継ぎの文書は、三日もあれば提出できると思います」

「うん? 結構かかるのだな」


「それはもう! シド様の飲み物や食べ物の好みから、ありとあらゆる趣味嗜好を、すべて書き出さなくてはなりませんから」

「いや、そういうことではなく、仕事上の引き継ぎ事項をだな……」


「いえいえ、これは大事なことなんです!

 朝のコーヒーからして、好みの豆の配合を間違えれば、機嫌よくお仕事を始めてもらえませんもの。

 私が探り出した閣下の情報は逐一伝えねば、安心してこの城を離れられません」


「そっ、そうか……」

 アスカはげんなりとして、陶酔するプリシラを見詰めていた。


 何者にも動じないはずの女将軍は、内心でこう思っていた。

『プリシラは素直で性格のよい娘であったはずなのだが……。

 いつの間にこんな面倒臭い女になったのだろう?』


      *       *


「走れーっ! 走れ、走れ、走れーーー! 足を止めるとやられるぞ!」

 背中に怒号が浴びせかけられる。


 言われるまでもない、絶えず動いていなければ、たちまち矢の餌食となることなど、嫌と言うほど分かっていた。

 エイナは必死で走る。

 目の前には塹壕線が迫っており、積み上げられた土嚢の隙間から、敵兵が盛んに矢を放ってくる。


 ただ真っ直ぐ走っていては、あっという間にやられてしまうから、突然向きを変えたり、途中の立木や窪地を利用することを考えなければならない。

 敵兵の誰が自分を狙っているのか、どのタイミングで弦から指を離すのかに全神経を集中させる。


「いいか! 塹壕に飛び込むと同時に魔法を放つんだ!

 ぼーっとしてると、呪文の詠唱が間に合わないぞ!」

 後方から聞こえてくる怒鳴り声は容赦がないが、同時に理不尽極まりなかった。


 走りながら攻撃魔法の呪文を詠唱するなど、あまりに無茶な注文だった。

 そもそも呪文詠唱には、精神の集中が不可欠である。

 飛び出した自分の陣地から、敵の塹壕までは約二百メートル。

 この距離を全力疾走し、なおかつ敵の矢をかわすために神経をすり減らしているのだ。


 とても呪文に集中できるわけはなく、呪文の一節を唱えるだけでも息が続かなくなる。

 だが、敵の塹壕にたどりついた瞬間に魔法を放たなければ、なぶり殺しにされるだけである。

 エイナの目からは、ぼろぼろと涙が零れていたが、自分ではまったく気づいていなない。


 意識の切り分け――それは、ケルトニアの魔導士ケネス・フォレスター大尉から、何度も求められていた技術だった。

 大尉を護衛する旅の間、呪術師の攻撃という実戦を経験する中で、それはある程度できるようになってはいた。

 現在の極限状態は、その時とあまり変わらないはずだが、言うほど簡単なものではなかった。


 エイナはちらりと横目で戦友の姿を探した。

 陣地を飛び出した仲間は六人、それがもう大半は脱落して、いまだに走っているのは自分ともう一人の魔導士だけだった。

『ミハイルだ!』


 エイナはすぐに気づく。

 彼は魔導院の同級生で、エイナとは魔導科の首席を争った仲だ。

 今は黒城市の第二軍に配属されていたはずだ。


っ!」

 いきなり左腕に激痛が走った。

 彼女がよそ見をした一瞬を、敵兵は見逃さなかったのだ。

 矢を受けたのが左腕だったのは、せめてもの幸運だった。

 すかさず背中に罵声を浴びたが、もうエイナには何と怒鳴られたのか分からない。


 頭に血が上り、視界に赤いもやがかかる。

 あと十数メートルに迫った塹壕から顔を出している敵兵の顔が、その視界一杯に広がった。

 まだ若い兵士は目を大きく見開き、恐怖に強張った表情で何かを喚いている。


「今っ!」

 敵兵の腕がわずかに動いたのを見た瞬間、エイナは横っ飛びに転がった。

 ひゅんっ! という擦過音が耳をかすめる。

 彼女は泥まみれになって一回転し、素早く跳ね起きると、姿勢を低くしたまま最後の数メートルを駆け抜けた。


 積まれていた土嚢を飛び越し、黒く口を開いた塹壕の穴へと頭から飛び込む。

 矢を受けた左腕はだらんと垂れさがっていたが、無傷の右腕は真っ直ぐに伸ばされ、その手の先には明るい光球が浮かび上がっていた。

 エイナは二メートルほども掘り下げられた塹壕に、真っ逆さまに落ちながら魔力を解放した。


 薄暗い塹壕が、真っ白な閃光と凄まじい轟音で塗りつぶされた。

 エイナはくるりと身体をかがめ、背中から塹壕の底に落ちると同時に、右手で濡れた地面を叩く。

 一瞬息が詰まったが、どうにか受身が取れたようだった。


 彼女は跳ね起きると、腰のベルトから短刀を抜いて身構えた。

 魔法による閃光はすでに消え去っており、塹壕の中には耳や目を手で覆った数人の兵士がうずくまっていた。

 少し遅れて、二十メートルほど先でも強烈な閃光が発生した。

 恐らくミハイルも塹壕に飛び込んで、エイナと同じ閃光魔法(訓練で使用される模擬攻撃魔法)を放ったのだろう。


 敵の塹壕を制圧した。そう判断した途端、足から力が抜け、エイナはじめじめと水が溜まった地面にへたり込んだ。

 軍服のズボンが黒く濡れ、下着にまで水が染み込んできたが、しばらく立ち上がることができなかった。


      *       *


「そこまでーっ!

 全員、塹壕から出てこい!」


 頭の上から野太い声で命令が降ってきた。

 聞き慣れたケネス大尉の声だった。


 エイナはのろのろと立ち上がった。

 塹壕に据えられた梯子に手をかけたが、左腕が使えずうまく上れない。

 さっきまで敵兵だった若い男性兵士が、上から手を差し伸べ、引っ張り上げてくれた。


 泥まみれの顔で這い上がると、塹壕のすぐ脇にケネス大尉が仁王立ちとなり、その周囲に兵士たちが集合していた。

 味方の兵士、敵役の兵士、そして魔導士たち、全部で三十人余りであった。

 エイナもぐしょぐしょに濡れた尻を気にしながら、その輪に加わった。


 左腕を押さえているエイナをちらりと見たミハイルが、小声でささやいた。

「腕、やられたのか?」

「うん、もろに喰らったわ。絶対青痣になってる。しばらく腕が上がらないかも」


 ミハイルは少しおかしそうに笑った。

「ほかのだったら同情するけどさ。

 君は特別だからね、どうせ明日には治っているんだろう?」


 エイナはぷうと頬を膨らませた。

「確かに私は傷の治りが早いけど、痛いのは皆と一緒なのよ。

 もう少しいたわってくれてもいいでしょう?」


 訓練や演習で使用される矢の先には、鋭いやじりの代わりに、小さな鉛の球がつけられている。

 そのため矢が身体に刺さることはないが、当たると恐ろしく痛い。

 兜や鎧で保護されている以外の場所に受けると、痣が一週間は消えないし、不幸にして顔に当たったりすると、歯や鼻が折れたり、失明することもあった。

 それだけに、訓練とはいえ、兵士たちは真剣にならざるを得ないのだ。


「全員、気をつけーーっ!」

 二人の私語を叱るように、監督将校の号令がかかった。

 その場の全員が背筋を伸ばし、直立不動の姿勢を取る。


「これよりフォレスター大尉殿から講評をいただく。全員、傾注!」


 気合をかけられた兵士たちの視線を浴びたケネスが、ゆっくりと全員を見回した。

「俺は魔導士だから、一般兵の諸君に対してはくどくど言うつもりはない。

 だが、今回の訓練は守備側塹壕の全滅という結果だ。

 魔導士の突撃は攻撃側の最終手段だが、一人でも魔導士の侵入を許せば、塹壕の全員が一掃される。

 とにかく敵を近づけないためには、足を止めることに専念すべきである。

 諸君らは相手の上半身を狙い過ぎだ。

 足は当てづらいから、的の大きな腰を狙え。股間に当たれば一発で悶絶させられるぞ。

 魔導士も上級者になれば、マジックシールドという自動防御魔法をまとっているから弓矢が効かない。帝国の魔導士官クラスなら、当たり前に使ってくる術だ。

 それを考えれば、今回はひよっこが相手だから、楽に撃退できたはずだ。全滅の憂き目をみたことを猛省してほしい。

 その他、細かい戦術については、担当教官からじっくり話があるだろう」


 彼はそう言うと、魔導士たちの方に顔を向けた。

「貴様らはまったくなっておらん!

 ただでさえ魔導士の数は少ない。六人もの魔導士が突撃するなど、現実にはあり得ない有利な状況だ。

 それなのに、塹壕に到達できたのが二人だけだとは、どういうことだ?

 もっと敵に注意を払え、馬鹿野郎!」


 一般兵相手とは違い、魔導士たちに対する言葉は厳しかった。


「座学でも説明したように、塹壕に対する魔導士の単独突撃は、もともと帝国で開発された戦術だ。

 だが、奴らは意外に保守的で、部隊付きの魔導士を指揮官の護衛に当てがちで、攻撃に投入するのを嫌がる。

 この方法を使っているのは、開発者であるマグス大佐の部隊くらいのものだ。

 今では魔導士の質量ともに劣勢な、ケルトニアの方が多用している。

 つまりは、この魔導士突撃は持たざる者、即ち貴様ら王国魔導士に合った戦法だと言える。

 必ず身につけろ! そうでなければ、貴様らは全員戦死すると保証してやる!」


「ミハイルとエイナは塹壕には突入できたが、両人とも魔力の蓄積が不十分だ。

 訓練用の短い塹壕だというのに、二人がかりでやっと制圧とは、あまりに情けない。

 状況把握と呪文詠唱、それぞれの集中を同時にこなさなければ、実戦では役に立たないぞ。

 魔導士は一人で大隊規模を無力化してこそ、その存在意義が果たされるのだと肝に命じろ!

 来月の訓練日まで、各自修練に励むこと!

 できてねえ奴らは、殴った後でじっくりと補習をしてやるから覚悟しておけ!

 以上だ!」


 ケネスの辛辣な講評が終わると、監督将校が解散を命じた。

 へとへとになっていた兵士たちは、全員がその場に座り込んだ。

 エイナたち魔導士も同様である。


 彼ら六人は全員が魔導院の同期、すなわち入隊一年目という十八歳の新人ばかりである。

 それぞれが各軍に分かれて配属され、こうして顔を合わせるのは、訓練学校以来だった。

 魔導院の教官となったケネスの発案で、彼ら卒業生にも再訓練が行われることとなり、こうして再会できたのである。


「きっついなぁ~。

 俺たちは呪文の詠唱だけで精一杯なのに、走れだの矢を避けろだのって言われても、無理な話だよ」

 トッドという男が溜め息をついた。


 ミハイルがその肩を叩いて慰めた。

「次の訓練まで一か月あるんだから、頑張って練習するしかないさ。

 あの大尉殿に一対一でしごかれるよりはましだろう?」

「ミハイルとエイナはいいよ。

 二人とも、よくあんな器用なことができるね」


 羨ましそうなトッドの言葉に、エイナは肩をすくめた。

「でも、結局怒られたってことでは、私たちもトッドと同じよ。

 意識の切り分けはどうにかできても、やっぱり魔力の集中が十分できないのよね。

 確かに、自分が思い描いた威力の半分も出ていなかった。私も当分、自主練の毎日だわ。

 さ、そろそろ引き上げましょう。早くシャワーを浴びて着替えたいの」


      *       *


 この日は訓練終了次第、帰ってもよいことになっていたが、魔導士たちが解放された時にはもう陽が傾いていた。

 洗濯物の山を抱えたエイナが下宿に戻ったのは、結局いつもの帰宅時間とそう変わらなかった。

 彼女の下宿先であるファン・パッセル家の使用人に洗濯を頼み、自室に戻ったエイナはそのままベッドに突っ伏して、眠りこけてしまった。


      *       *


「エイナ、起きなさいよ」

 肩を揺すぶられて目を覚ますと、シルヴィアが覗き込んでいた。


「ああ、シルヴィア。やっと戻ってきたのね」

「そうよ。もう夕食の時間を過ぎているわ。早く行きましょう」


 どうやら眠っていたのは、三十分足らずだったようだ。

 シルヴィアと会うのは半月ぶりで、彼女は黒城市に出張していたのだ。


 ケネスとの旅で魔石を摂取したカー君が、かなり〝使える〟ことを知った参謀本部は、シルヴィアとカー君を戦力として育てることを決意した。

 そのため、対帝国の最前線である黒城市へ派遣され、実地研修を受けていたのである。


 この日のファン・パッセル家の食堂は、久しぶりにシルヴィアが戻ったことで賑やかだった。

 がつがつと料理を詰め込んだ二人の下宿人は、食後のお茶に口をつける時間も惜しんで、家主であるロゼッタを交えてお喋りを始めた。

 カー君は食事が必要ないので、大人しく床で寝そべっていた。


「見てくださいよぉ、ロゼッタさん!」

 エイナは情けない声を出して、腕をまくって見せた。

 肘のすぐ上のあたりに、大きく内出血した痣ができていた。


「訓練用の矢を当てられたんです、ものすごぉ~く、痛かったんですよ!

 ケネス大尉殿は鬼です! 信じられません!」

「あらあら。でも、魔導士って飛び道具が効かないんじゃなかったっけ?」


「それ、マジックシールドって言うんですけど、同期で使えるのは私とミハイルだけなんですよ。それで不公平になるからって、大尉殿から使用を禁止されたんです。

 乙女の柔肌にこんな青タンつけるなんて、酷いと思いません?」

「あら、そんなの可愛いもんだわ。どうせエイナはすぐに治っちゃうじゃない。

 あたしのを見なさいよ!」


 シルヴィアはそう言うと、ブラウスのボタンをはずし、はしたなくも片肌を脱いで見せた。

 真っ白な肌の首筋から胸元、二の腕にかけて、赤い虫刺されが無数に広がっていた。

「ボルゾ川沿いでの哨戒任務で、十日以上も野宿の毎日だったの。

 もうアブとブユとヤブ蚊だらけで、息をしただけで口の中にまで入ってくるんですよ!

 先輩兵に教わった虫除けの軟膏を、顔や手に塗ってたんですけど、虫が襟元から侵入して刺されまくるんです!

 用足しも野外ですから、お尻なんかお猿みたいに腫れ上がってるんですよ!」


 二人は競うように自らの不幸を訴え続け、ロゼッタはにこにこしながら二人の愚痴を聞いていた。


 実を言うと、今日ロゼッタは軍との取引に関わる用で、参謀本部を訪れていたのである。

 その際、後輩であるエイミー(マリウスの秘書官)と昼食を共にし、いろいろと情報を持ち帰っていたのだ。

 その中には、この二人の下宿人に関する最新のニュースもあった。

 もちろん、当事者に(もちろん部外者にも)洩らしてよい情報ではないから、ロゼッタは素知らぬ顔をしていた。


 だが、彼女の下宿人たちを待ち受けている運命を思うと、気の毒で仕方がなかったのである。

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