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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第三章 黒死山の館
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一 正夢

 彼女は薄暗い部屋の中で誰かに抱かれ、うとうとと微睡まどろんでいた。

 眠い目を開けて見上げると、そこには祖父の顔があった。

 祖父は彼女の小さな身体を毛布にくるみ、手でぽんぽんとゆっくり叩いていた。

 その目は部屋の壁に据えられた暖炉の方に向けられていたが、何か別のものを見ているようだった。


 部屋の中には刺激のある燻製臭が漂っており、空気も少し煙っていた。

 もう馴れっこであまり気にならないが、せっかく祖母が仕立ててくれた可愛い服まで、煙臭くなってしまうのは嫌だった。

 彼女が身じろぎをすると、祖父が髭だらけの顔を下に向けた。


「おや、シーラ。起きてしまったのかい?

 そろそろベッドに運ぼうと思っていたんだがな」

 細めた目には、溢れんばかりの愛情が浮かんでいる。

 祖父は背が高くがっちりとした体型で、六十歳を超えた今でも、村人から畏敬の目で見られていた。

 だが、たった一人の孫娘には優しく、彼女も祖父が大好きだった。


「何かお話して」

 彼女は祖父が着ている革のベストを引っ張って、そうねだった。


「そうだな、ふむ……」

 祖父は白い髭をしごきながら、少し考え込んだ。


「それじゃあ、ニライカムイの祭りの話をしてあげよう。

 これはまだ、一度も話したことがなかったはずだ」

「うん、初めて聞くお祭り。この村ではやっていないわよね?」


「そうだ。これは遠い北のお山で、三十年に一度だけ行われる、わしらの一族にとっては、とても大切なお祭りなんだ。

 数年前のことだが、わしも村の代表として参加して、この目で見てきたんだ。

 それはもう素晴らしい、血肉が湧きたつような祭りだったよ。

 コルドラ山脈沿いに住む、六十に余る部族の代表者が集まって、霊峰カムイ山に生贄と踊りを捧げるのだがな……」


 祖父はどこか遠くを見つめるような目で、華やかな祭りの様子を語り始めた。

 香油を全身に塗り、全裸となった若者たちの勇壮な踊り。

 美しい民族衣装で着飾った娘たちのあでやかなダンス。

 生贄として山の神に捧げられる巨大な灰色熊。

 ずらりと並ぶ、各部族が持ち寄った捧げものの数々。

 次々に運ばれてくる酒と料理の数々……。


 楽しそうに語る祖父の優しい声が子守唄となって、彼女はいつしか眠りに落ちてしまった。

 祖父は孫娘の顔を覗き込み、熟睡していることを確かめると、座っていた肘掛椅子からそっと立ち上がり、後ろを振り返った。

 いつ入ってきていたのか、そこには見知らぬ大人たちがずらりと並んでいた。


 みな、厚い毛皮の上着をまとい、顔には恐ろしい形相の仮面を被っている。

 振り向いた祖父も、いつの間にか同じ仮面を被っている。

 仮面から見えている、髭だらけの口元に歪んだ笑みが浮かんだ。


「待たせたな。では、このを山の神に生贄として捧げよう」


      *       *


 誰かが肩を揺さぶっていた。とても大きな手の感じがする。

 国家召喚士にして、蒼龍帝の副官であるプリシラ・ドリー大尉は、がばりと身を起こした。

 いつの間にか、机に突っ伏して眠っていたらしい。


 彼女を起こしたのは、幻獣タケミカヅチだった。

 分厚く古風な革鎧を身につけた、身長三メートルを超すいかめしい大男である。

 タケミカヅチは、東の海を越えた大陸に住む人々が崇める神々の一族であり、この王国では邪神とされているが、決して悪しき存在ではない。

 東洋の邪神が召喚されることは極めて珍しく、強大な力を所持する希少な存在であった。


「少しうなされていたな」

 タケミカヅチは地響きのような低い声を発した。

 彼は人間型の幻獣なので、召喚主のプリシラに限らず、誰とでも普通に会話をすることができた。


「ああ。懐かしい人が出てきたんだが、最後に怖い夢になった」

「そうか。きっと疲れているせいだろう。少し根を詰め過ぎではないのか?」

 大男の幻獣はそう言うと、大きな手をプリシラの頬に伸ばした。

 ぺりっという微かな音がして、彼女の頬から書類が剥がされた。


よだれでくっついたんだな。頬にインクがついているぞ。

 顔を洗ってこい」


「タケの馬鹿!」

 彼女は立ち上がってくるりと振り返ると、思いっきり舌を出してから手洗いに向かった。


      *       *


 タケミカヅチという強力な異邦の神を召喚したプリシラは、問答無用で国家召喚士に採用された。

 十八歳だった彼女は、三か月の促成教育を経て、第四軍に配属された。

 先代の蒼龍帝であるフロイア・メイナードの副官となったのだ。


 王国を四分して支配する四帝には、国家召喚士の副官が二人つくのが普通であった。

 フロイアにも二人の副官がいたが、帝国とのいざこざがきっかけで、タブ大森林の東部にやや規模の大きい駐屯所が創設された。

 二人の副官が交替で赴任して、その責任者を務めることとなり、フロイアの側に仕える副官は一人になった。


 さらに、東の重要な貿易港である自治区・南カシルからの要請で、一人の副官が防衛顧問として引き抜かれることになり、とうとうフロイアの副官が不在という事態に陥った。

 当然、第四軍は参謀本部に対し補充の人員を要求したが、国家召喚士はそう簡単に生まれるものではなかった。


 そのため、第四軍では女将軍であるアスカが副官のような役目を果たし、足りない部分は秘書官が補っていた。

 ところが、そのアスカが出産することになって、またしても副官が空席となる見込みとなった。

 プリシラが国家召喚士になったのは、そんなタイミングだったため、彼女の副官就任は、大いに歓迎されたのである。


 蒼龍帝の副官という重要な職務を、学校を出たばかりの娘が任されたのだから、それは苦労も失敗も多かった。

 だが、大変なことは事実なのだが、プリシラはこの環境に満足を感じていた。


 彼女の身長は百七十八センチあり、女性としてはかなり背が高い。肩幅も広くて骨太のがっちりとした体型だった。

 それは彼女にとって、長年のコンプレックスであった。

 ところが、あるじであるフロイアの身長はプリシラより十センチも高く、指導をしてくれたアスカ将軍に至っては、二メートル近い大女である。

 常につき従うタケミカヅチも三メートルの巨躯であるから、彼女は自分が憧れていた〝か弱い少女〟になったような気分だった。


 副官としての経験を積み、すっかり職務にも馴れたころ、蒼龍帝フロイアはこの世界を去った。

 肉体が崩壊して、その精神は蒼龍グァンダオに吸収されたのである。

 それは、四帝となった者の逃れられない運命だったから、ある程度覚悟はしていたが、姉のように慕っていたフロイアを喪った虚無感から立ち直るのは、容易なことではなかった。


 その心の隙間を埋めてくれたのは、皮肉にも次の蒼龍帝となったシド・ミュランであった。

 シドのことは、魔導院の後輩としてよく知っていた。

 武闘派であるフロイアとは真逆のタイプで、異常なまでに頭が切れるものの、彼は背が極端に低く非力であった。


 フロイアは副官として、引き続きシドに仕えることになった。

 これまでの先輩・後輩の間柄から、逆転した主従の契りを結ぶべく、初めて相まみえた時、プリシラは自分の胸に湧き上がった感情に困惑した。


 彼を庇護し、甘やかしたいという強い母性愛。

 姉として指導し、その成長を見守り、独占したいという支配欲。

 それらはプリシラの理性を吞み込むほどの激情で、そんな感情が存在することが、自分でも信じられなかった。


 シドはあくまで上司であるから、極めて女性的で身勝手な欲望を持ったまま仕えるのは、褒められたことではない。

 プリシラはできるだけ自分の感情を隠し、冷徹な態度を保って職務に当たるように努めた。

 それは苦しかったし、反動も大きかった。


 そして勘の鋭いシドは、そんなプリシラの煩悶を、早い段階であっさりと見抜いていたのである。

 異常に小柄で幼い体型をした彼に、そうした母性愛を剝き出しにして迫ってくる女性は多かった。彼はそれを嫌悪していたから、よけいに敏感だったのだろう。


      *       *


 プリシラが自分の執務机に戻ってきたのは、十分ほど経ったころだった。

 意識は完全に覚醒しており、顔を洗ったせいで表情はさっぱりとしていた。

 彼女は簡素な椅子に座ると、机の上に残っていた書類の束をてきぱきと片付けていった。


 それらの書類は、明日シドの決裁を受けるために、夕刻に事務方から回ってきたものだった。

 プリシラの役割は、事前に書類を読み込み、重要・緊急のものと、そうでないものとに仕分けすることである。


 書類には多くの注釈、事情説明、根拠となる法令などの関連資料が添付されている。

 それは決裁文書の数倍の分量であり、無駄なものも相当含まれているから、シドに読ませる必要はない。

 彼女が頭に叩き込み、シドから説明を求められた部分だけを答えればよいのだ。


 すべての書類の仕訳を終えると、もう時刻は夜の十時を回っていた。

 明日の朝一番に、シドの机の上に置かれた二つの未決文書箱に、重要度別に分けた書類を入れる。

 それが、彼女の仕事の始まりと決まっていたのだ。


 書類の束を取り上げ、とんとんと机で叩いて揃えると、ふと机に置かれた封筒が目に入った。

『はて、これは何だったっけ?』

 彼女は分厚い封筒を手に取って、しげしげと眺めた。

 そう言えば、書類を運んできた事務方が、「大尉殿へお手紙が届いていました」と付け加えていたような気がする。


 仕事に没頭していた上に、途中で疲れて眠ってしまったため、すっかり忘れていたのだ。

 彼女が手にした封筒は、あまり上等の紙質ではなく、宛先を記した無骨な筆跡には見覚えがあった。


 プリシラは封筒を見詰めたまま、しばらく固まっていた。

「どうかしたのか?」

 執務机の横に立っていたタケミカヅチが、不審な表情を浮かべて訊ねた。

 彼は疲れを知らないのか、めったに座ることがなく、いつも立ったままだった。


「お爺さまからだわ。

 夢に出てくるなんて、偶然にしても出来過ぎだわ」


 手紙の差出人、そして先ほどの夢に出てきたのは、母方の祖父である。

 彼女の母は、プリシラが幼いころに病死していた。

 父親は某侯爵で、彼女は顔も知らなかった。


 父は王国の西北部、国境に接する一帯に領地を持っていたが、現女王レテイシアが政変を起こした際に、帝国にそそのかされて謀反の動きを見せた。

 そのため、事件後に転封を命じられ、現在は国の南部でひっそりと暮らしているはずだった。


 プリシラの母は、侯爵の屋敷にメイドとして仕えていたが、〝お手付き〟で身ごもったのである。

 妊娠が発覚すると、母は暇を出されて屋敷を追われた。

 母は仕方なく故郷の村の両親のもとに帰り、半年ほど経ってプリシラを産み落とした。


 生まれた子が女児であると知ると、父親である侯爵は、我が子に対する興味を失った。

 男児であれば養子として引き取り、跡継ぎ候補にするつもりであったが、女の子ではそれも叶わない。

 今のご時世では、娘を政略結婚の道具として使うのは流行らない。


『だが、まぁ……美しい女に育てば話は別で、何かと利用価値はあるだろう』

 侯爵はそう考え、取りあえずプリシラの母へ、何がしかの資金援助は行ったようだった。


 ところが、プリシラが生まれた次の年明けの召喚士適合検査で、彼女は有資格者の鐘を鳴らしてしまったのである(この検査は全国民の義務で、毎年実施されていた)。

 プリシラは、六歳になれば国に取り上げられ、王立魔導院に入学することになる。

 そして十八歳の卒業時には、召喚士となる運命が決定づけられたのだ。

 召喚士は四十歳前後でこの世界から消滅し、幻獣界に転生する定めである。子を産むなどはもってのほかで、普通は結婚することも許されなかった。


 プリシラに利用価値がなくなったと知った途端、侯爵は一切の援助を打ち切り、母親からの連絡を拒絶するようになった。

 母は失意のうちに体調を崩し、プリシラが一歳半の時に亡くなってしまった。

 それからは祖父母が親代わりとなって彼女を育て、六歳の歳に王立魔導院へと引き取られたのであった。


      *       *


「困ったことになったわ……」

 プリシラは長い手紙を読み終わると、便箋を封筒に戻しながら溜め息をついた。


「何かやっかいなことでも起きたのか?」

 タケが心配そうに訊ねる。


「う~ん、そうね。

 お爺さまからの頼まれごと……って言うより、他の村も含めた一族全体を巻き込んだ話になっていてね。

 叶えてあげたいのは山々なんだけど、どう考えても無理な頼みなのよ。でも、断ったりしたら、お爺さまの顔を潰すことになるわ。

 うわぁ! どうしよう?」


 プリシラは机に突っ伏してしまった。

 彼女がこんな姿を見せるのは、心を許したタケミカヅチの前だけである。


「何か俺が手伝えることはないのか?」

 タケが大きな体を縮めて、おずおずと訊いてくる。


 プリシラは机のひんやりとした感触を頬に受け、目を閉じたままつぶやいた。

「ありがとう。でも、これは私の問題なのよ。

 取りあえず、明日シド閣下に相談してみるわ。却下されるのは目に見えているけど……。

 お爺さまへの言い訳を考えるのは、それからにするわ」


 彼女はそう言うと、椅子から立ち上がった。

 そして蒼城内に与えられている自分の私室へ向け、肩を落としながら歩き出した。

 その後を、絵物語に出てくるような武人の巨躯が、のしのしとついていく。


 吟遊詩人に歌われる、〝麗しの蒼城〟の夜は更けていった。

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