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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第二章 ケルトニアの魔導士
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二十九 呪術師の最期

 エイナが目覚めた時、視界に映ったのは天井ではなく、間近で覗き込んでいるサーラの心配そうな顔だった。


「目を覚ましたわ!」

 サーラは小さくそう叫ぶと、いきなりエイナに抱きつき、唇を重ねてきた。

 声の調子から、嬉しさのあまりに取った行動だということは分かったが、その口づけは予想外に濃厚なものだった。


 サーラのような職業の女性からすれば、口を吸い舌を絡ませるのは、挨拶程度の軽い前戯に過ぎないのだろう。

 だが、恋愛経験のないエイナにとっては、とんでもなく行き過ぎた行為であった。

 彼女は慌ててサーラの肩に手を当て、どうにか覆い被さる身体を押しのけた。


「よかったぁ~! もう目を覚まさないんじゃないかって、ホントに心配したんだからぁ!」

 サーラは拒絶されたことを全く気にしない様子で、目に涙すら浮かべていた。


「痛っ!」

 エイナの方は、突然の刺激に顔をしかめた。

 サーラの身体を押しのけた時に、両手に違和感とともに、強い痛みを感じたのだ。

 寝起きで混乱している頭に、麦畑での戦闘の記憶がふいに甦ってきた。


「呪術師は? あの呪術師はどうなったの!」

 エイナはがばっと上体を起こして叫んだ。

 だが、それに答える人間は誰もいない。

 どこかの宿屋らしい、簡素で小さな部屋の中にいるのは、ベッドに寝かされていたエイナと、その脇に置いた椅子に腰かけているサーラだけだった。


 きょろきょろと部屋の中を見回して、自分が置かれている状況を把握すると、彼女はじんじんと痛む自分の両手に目を落とした。

 両手には白い包帯が手首まで巻かれ、まるで白いミトンをしているようだった。


 エイナは思い出した。彼女は魔法を阻害している呪符を引き裂くために素手で触り、仕掛けられていた呪いを受けたのである。


 手に巻かれた包帯からは、少し刺激のある生薬の香りが漂っている。

 きっと医者が呼ばれ、治療をしてくれたに違いない。

 戦闘中には興奮していて、自分の両手がぼろぼろになったことを気にもしていなかったが、今は手を少し動かすだけでも激痛が走った。


「落ち着いて。そして安心してちょうだい、エイナちゃん。

 悪い呪術師は滅んだわ」

 サーラはエイナの手首をそっと握ると、ゆっくりと下におろさせた。

 そして、彼女は椅子から立ち上がった。


「あなたが目を覚ましたことを報せてくるわ。

 みんな、とっても心配していたのよ」

「みんな……?

 じゃあ、全員無事なのね!」


 サーラは笑顔を浮かべ、こくりとうなずいた。

「当たり前じゃない。呪術師はやっつけたって言ったでしょ?

 あなたのお陰よ」


 彼女はそう言うと、そっと部屋から出ていった。


      *       *


 サーラは一分も経たないうちに戻ってきた。

 そして、彼女の後ろには、シルヴィアとカー君、ケネスだけではなく、第一軍の護衛隊長であるフレッチャー少尉の姿もあった。

 彼らは部屋に入るなり、サーラの身体を押しのけて、ベッドの周囲に集まった。

 ただ、なぜかカー君だけは部屋の隅っこに座り込み、半眼になってエイナの方を見ていた。


 半身を起こしていたエイナは、自分が下着姿であることに気づき、慌てて薄い毛布を掴んで胸元に引き上げた。


「痛《いった》ぁ~!」

 再び手に痛みが走り、彼女は顔をしかめた。

 シルヴィアが苦笑を浮かべ、男性陣に後ろを向くよう命令し、毛布の上に置かれていたガウンを取って、着せてくれた。

 エイナの手では、ボタンをとめることができないのだ。


「お前、馬鹿だろう?」

 シルヴィアが「回れ右」を解除し、最初に声をかけたのは、ケネスだった。

 怪我人に対する第一声としては、優し過ぎる言葉である。


「ば、馬鹿とは何ですか!」

 大人しい性格のエイナも、さすがにむっとして言い返した。


「馬鹿じゃなきゃ、間抜けだ。阿呆と言ってもいい。

 お前、魔導士にとって〝魔力切れ〟ほど恥ずかしいものはないと、養成機関で習わなかったのか?

 どんな状況であれ、自力で撤退できる程度の魔力は残しておくもんだ。

 お前がぶっ倒れちまったら、周囲の将兵は戦場から退避させるために、余計な人員を割かなくてはならなくなる。

 その重たいケツを運ぶのに、最低でも二人、無防備なお前と運搬兵を護衛するのに、さらに二人は必要だ。

 考えなしに魔力を使い切った馬鹿のお陰で、それだけの人数が戦場を離脱することになる。

 少しは自覚しろ、この大馬鹿者!」


 大声でがなり立てるケネスの叱責に、エイナはぐうの音も出なかった。

 確かに彼女は、魔導院でケイト先生から、全く同じことを口が酸っぱくなるほど言い聞かされていたのだ。


「申し訳ありません、大尉殿。自分の考えが足りませんでした」

「考えだと?

 俺は魔法を放つ瞬間を見ていたが、お前はあの時、魔法に没頭し過ぎて何も考えていなかった……違うか?

 そのことは前にも注意したはずだし、お前自身も気をつけていたはずだ。

 それなのに、肝心なところで同じ失敗を繰り返したら、意味がないだろう!」


「……そのとおりです。返す言葉もありません」


 険しい顔をしたケネスは、大きく手を振り上げた。

 エイナは平手打ちを喰うものだと思って身をすくめ、ぎゅっと目をつぶった。

 それは、軍隊ではごく普通に行われる罰であり、女だからだといって逃れられるものではなかった。


 だが、ケネスは振り上げた手を、エイナの頬の寸前でぴたりと止めた。

 そして、その手を彼女の頭に乗せると、ぐりぐりと撫で回してみせた。


「だがまぁ、お前の全力攻撃のお陰で、俺たちが助かったのも事実だ。

 あんな非常識な規模のファイア・ボールなんざ、滅多にお目にかかれるもんじゃねえぞ?

 俺の経験でも、あれに匹敵する攻撃魔法を出せるのは、マグス大佐の部下くらいのもんだ」

「はぁ……部下ということは、マグス大佐本人はもっと凄いのですか?」


「あれは人間じゃねえ。完全に化け物だから、張り合おうなんて考えるな」

「では、私の魔法で呪術師が倒せたのですね? ……よかった!」


 ほっとするエイナだったが、何故かケネスは困ったように、ぼりぼりと頭を掻いた。

 そして、彼は助けを求めるように、横にいたシルヴィアの顔を見た。

 エイナの親友は大きな目を閉じると、ふうっと息を吐いた。


「分かりました、大尉殿。私が説明すればいいのですね」

 シルヴィアの観念したような言葉に、エイナはきょとんとした。


「え、何? どういうこと?」

「あんたは気絶していたから、あの後どうなったか、何も知らないのよね。

 いいわ、あたしが説明してあげるわ。

 結論から言えば、あなたの全力魔法も、あの呪術師には効かなかったのよ」


 シルヴィアはそう前置きするとすると、麦畑で起きたことを話し始めた。


      *       *


 呪術師の防御結界は、あんたが予想していたように、対物理障壁と同じようなものだったの。


 つまり、力による一切の干渉を撥ね退ける代わりに、結界の中にいる呪術師も、外への攻撃はできない。その一方で、魔法は無抵抗で通してしまう。

 ――それが、魔導士の常識なんでしょう?


 でもあの呪術師は、自分の身体から発生させた無数の黒い蛇を放って、あたしたちを攻撃してきた。

 その蛇は、呪術師の言葉を借りれば、純粋な呪いそのものだったみたい。

 実際の肉体を持っているわけじゃなくて、邪悪な思念の塊りってことね。

 まぁ、広い意味では魔法みたいなものだから、結界をすり抜けられたんだと思うわ。


 そんな顔をしないで。

 物理防御を展開している魔導士は、同時に他の魔法を使えないってことぐらい、あたしだって知っているわよ。

 どうして敵にそれが可能だったのかなんて、あたしに分かるわけないでしょ。

 きっと、その辺が呪術と魔法の違うとこなんじゃないかしら?


 とにかく、あんたが放った馬鹿でかい火球は、防御結界をすり抜け、呪術師にもろに激突して、大爆発を起こしたわ。

 さっき大尉殿があんたを叱責されたけど、それにはもっと大きな理由があるのよ。


 あれだけの規模の爆発だと、呪術師から十メートルも離れていなかったあたしは、確実に巻き添えを喰らって黒焦げになっていたわ。

 もっと離れていた大尉殿とサーラだって、多分無事じゃ済まなかったはずよ。


 あんたが馬鹿みたいな魔力を持っているのはいいけれど、それを全部つぎ込んだらどんなことになるか、把握しておくべきね。

 味方の被害を考えたら、あんな恐ろしいことはできないはずよ。


 ええと、話を元に戻すわ。

 あたしたちが無事だったのは、皮肉なことに、あんたの魔法が呪術師に効かなかったお陰なの。


 大尉殿のお話だと、結界は魔法の通過は妨げないけど、爆発的な魔法反応で生じた炎については、質量を持った物体だと見做《みな》すそうなの。


 だから、呪術師の張った結界の中は、地獄のような状態になったのよ。

 半球状の結界の中を、炎が激しい渦となってぐるぐる対流したの。

 それに加えて、発生した爆風を、結界が外部に逃がさずに溜め込んだために、とんでもない高圧状態になったのね。


 とても人間が生存できるような有様ではなかったわ。普通なら、骨も残さずに一瞬で燃え尽きたはずよ。

 あたしたちは、直径五メートルほどの炎のドームを、呆然として眺めているしかなかったわ。


 そのうちに、突然気がついたの。

 普通だったら、呪術師は炎に包まれて即死していたはず。そうなったら防御結界は消え失せ、一気に爆炎が周囲に拡散して、あたしたちは全滅していた――という事実。

 だけど結界がいまだに存続しているということは、呪術師がまだ生きている証拠だ――それが二つ目の事実ね。


 どちらも背筋が凍るほどの恐ろしい事実だったわ。あたしなんか、膝ががくがく震えて立っていられなくなったもの。


 ドームの中の炎が収まるまで、そうね……たっぷり十秒以上はかかったと思うわ。

 あんた、本当にどんだけ魔力を注ぎ込んだのよ、まったく!

 ああ、分かっているわ。それで結局、呪術師がどうなったのか、知りたいのね?


 当然だけど、炎がおさまっても呪術師はまだ立っていたわ。

 結界の健在で予想できたとはいえ、実際にその姿を目の当たりすると、とても信じられなかったわ。


 呪術師は無傷だったけど、完全に無事ってわけじゃなかったの。

 あいつが着ていた白い衣装、被っていた布や履いていた革靴も、何もかも燃え尽きていたわ。

 でも、不思議なことに髪の毛や髭なんかは、一筋も焦げていなかったわ。


 とにかく、呪術師は素っ裸になって突っ立っていたわけ。

 ただ、全身のいたるところに、お馴染みの〝呪符〟が貼られていたの。

 大尉殿は、その呪符(この場合は護符と言うべきなのかしら)の効果で、炎熱を無効化したんだろうって推測されていたわ。


 あたしたちは絶望したわ。

 エイナの放った最大規模の攻撃魔法でも、呪術師を倒せなかったのよ。

 魔力切れでぶっ倒れたあんたは、もう死体と変わらない役立たずになったけど、大尉殿は魔法が使えたわ。

 だけど、どんな魔法を使ったら、呪術師の護符の効果を打ち破ることができるのか、見当もつかなかった。


 例え逃げ出したとしても、あの無数に這い出してくる蛇のような呪いに追いつかれてしまう……。

 そう思った時、あたしは気がついたの。あれだけしつこく襲ってきた蛇が、全然現れなくなったことにね。


 よくよく呪術師の方を見たら、奴の身体からぼとぼとと落ち続けていた呪いの塊りは、すっかり止まっていたの。

 それだけじゃないわ。呪術師の足元には、大量の黒い蛇が苦しそうにのたうち回っていたのよ。

 あの蛇も、エイナの炎魔法を耐えきったのね。まったく呆れた話だわ。


 だけど、なぜあたしたちの方に向かってこないで、ビチビチのたうっているのか、わけが分からなかった。

 苦しそうに見えるのは、炎で弱っているせいかと思ったけど、むしろ動きは攻撃を受ける前より激しかったわ。


 そのうち黒い蛇は、どんどん呪術師の足元に集まっていったの。

 そして、何匹かが飛び跳ねて、呪術師の身体にくっつくと、ずるりと中に潜り込んでいった。


 それが何かの合図だったように、残りの蛇たちが一斉に後に続いたわ。

 呪術師は明らかに慌てていたわ。

 必死で手で振り払おうとしていたけど、数百匹の蛇が相手では無理な相談よね。

 無数の蛇が次々と男の身体に呑まれていって、とうとう一匹もいなくなったわ。


 呪術師は自分の身体を見下ろして、呆然としていたわ。

 気持ちは分かるわ。彼の身体は、真っ黒に変色していたんだもの。


 その後は…………。


      *       *


 シルヴィアの話は、そこで唐突に途切れた。

 その顔色は真っ白で、口元は歪んでいた。彼女はこみ上げる吐き気を、必死で堪《こら》えていたのだ。

 やがて、シルヴィアは手で口を押さえ、手洗いの方へと駆けていった。


 その姿を見送ったケネスが、肩をすくめて溜め息をついた。

「あの程度のことを思い出しただけで吐くとは、ひ弱すぎるぞ。

 本物の戦場は、もっと悲惨なんだがな……」


 ぶつぶつとつぶやいた彼は、エイナの方に向き直った。

「あー、簡単に言うとだな……。

 呪術師の身体は、腐り落ちたんだよ。

 肉がどろどろになって、それこそ吐瀉物のように流れ出したんだ。

 骨もぐずぐずになって崩れ、白い泡を吹いて溶けていった。

 呪術師は悲鳴を上げることも許されずに、自分が放出した呪いに喰い殺されたんだよ。

 多分、お前の魔法によって生じた超高熱と高圧力が、術式に狂い(バグ)を発生させたんだろうな」


 エイナはゆっくりとうなずいた。

 彼女は呪術師の凄絶な最期を、目の当たりにせずに済んだことを、心の底から感謝していた。


「それ、呪術に関する授業で習ったことがあります。

 強力な呪いであればあるほど、その制御は難しいそうです。少しでも間違えると、敵に向けていた呪いが自分に撥ね返るのだとか……。

 それを『呪詛返し』と言うのだそうです」


「そうか……。まぁ、呪術師には相応しい最期だったとは言えるな」

 ケネスがつぶやき、その後は全員が無言となった。


「うげぇ~っ!」

 部屋の奥の手洗いの方から、シルヴィアの嘔吐する呻《うめ》き声が聞こえ、しんとした部屋に響き渡っていた。

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