二十七 呪術師
エイナは軍服の袖で、目をごしごしとこすった。
強烈な閃光で視界が奪われたためである。
他の者たちも、目元を押さえて揉んだりして、視力を回復しようと努めていた。
十秒以上も経って、どうにかぼんやりと視界が戻ってきた。
刈り取りされたばかりの荒涼とした麦畑に、点々と第一軍の騎兵と軍馬が横たわっていた。
畑の黒土の表面には白い煙が揺蕩っており、つんとするきな臭い匂いが鼻を刺した。
そして、エイナの目の前には、得意気な顔で尻尾を振っているカーバンクルが立っていた。
「これって……雷撃魔法の跡みたいだけど、カー君がやったの?」
我ながら間抜けな質問だと思いながらも、エイナは確認しないわけにはいかなった。
『他に誰がやったって言うの?
ただ、これも魔法じゃないよ。炎と同じ、ブレスみたいなもんだね』
「でも、カー君は炎しか吐けないんじゃなかったの?」
『ふふん』
ますます嬉しそうになって、カー君は鼻を鳴らした。
『男子、三日会わざれば刮目して見よ』
「何、その呪文?」
『違うよぉ、僕は以前のカー君じゃないってことだよ。
運よく魔石を得られたからね。カーバンクルとしてのレベルが何段階も上昇したってことだよ。
魔石には種類があってね、魔法と同じように固有の属性を持っているんだ。
サーラが持っていた魔石は、雷属性だったんだね。
僕は雷撃を出せるようになったから、エイナがやった魔法の真似をしてみたんだ』
「じゃあ、第一軍の人たちは、無事なのね?」
『多分……ね。
正直に言うと、僕も初めて雷撃を使ったから、あんまり自信はないんだ。
ちょっと確かめてくるよ』
カー君はそう言うと、周囲で倒れている人馬の方へと走っていった。
エイナはその場にしゃがみ込み、盛大な溜め息をついた。
「ねえ、シルヴィア。あんたこうなることが分かっていたの?」
訊ねられたシルヴィアも、同じように溜め息をついてエイナの隣りに腰を下ろした。
「そんなわけないわよ。
サーラが持っていた石が魔石だって分かった後で、あたしはカー君をいろいろ問い質したのよ。カーバンクルが魔石で成長するっていうことは、召喚した時から知っていたからね。
でも、カー君自身がよく知らなかったの。幻獣界ではめったに魔石が見つからなくて、ほとんどのカーバンクルは魔石を一度も取り込まないまま、一生を終えるんですって。
成長するとは聞いていたけど、まさかここまで激変するとは思わなかったわ」
「それにしたって、いくら何でも大きくなり過ぎじゃない?
カー君、可愛くなくなったわよ」
「それには同意するわ。
何か喋り方までいきなり流暢になったし、カー君のくせに言葉遣いがちょっと生意気じゃない?」
『もっと褒めてもいいんだよ』
いつの間にか戻ってきていたカー君が、得意気に胸を張った。
『大丈夫。兵隊さんも馬さんも、気絶しているだけだったよ。
それで君たちのしていた話だけど、僕自身はそんなに変わったっていう自覚はないんだ。
まぁ、見た目とか能力の底上げはそうだよね。でも本質的な部分では、あまり変化はないんだ。
喋り方もそうだよ。単に僕の考えていることを、この世界の言葉に言語化する技術が上がっただけで、僕自身の知能が向上したっていうわけではないんだよ』
「はぁ、そうなんだ……。
とにかく、召喚主であるあたしが驚くくらいに変わったんだってことは、自覚してちょうだい。
それと、あんたを服の中に入れて抱っこできなくなった、あたしの寂しさを理解してくれたら嬉しいわ」
『ああ、それは同感だね。
シルヴィアの胸の柔らかさと、しっかりした腹筋の居心地のよさは、僕としても懐かしいと思うよ』
「俺たちにお前の言葉が聞こえるようになったのも、魔石で成長した効果なのか?」
ケネスが興味深げに訊ねてきた。
サーラもうなずきながら、カー君の顔を覗き込んだ。
ある程度王国の召喚システムに対する知識があるケネスと違って、彼女にしてみれば、飼い犬がいきなり喋り出したようなものである。
その驚きは、この場の四人の中で最も大きかったのだ。
『そうだね。
ただ、これはシルヴィアが近くにいる時だけだと思うよ。
それに、シルヴィアが相手だったら、ある程度離れていても話ができるけど、君たちに同じことはできない感じだね』
「了解だ。とにかく、召喚士の幻獣が化け物だっていう噂は、あながち嘘ではないってことが分かってほっとしたよ。
俺は、初めてこいつを見た時から、幻獣っていうのは役立たずのペットなんじゃないかと疑っていたからな」
『言ってくれるじゃないか、ケネス君。
僕は少なくとも君の三倍は長く生きているんだ。もう少し敬意を持って接してくれると嬉しいな』
「へいへい」
ケネスは肩をすくめてみせた。
* *
「それで、どうする?
気絶している第一軍の人たちを起こしてみる?」
エイナが現実的な話を持ち出した。
「そうだな。気絶したことで呪いが解けていればの話だが……。
その辺、賢いカーバンクル様はどうお考えですかね?」
このケネスの皮肉を称賛だと受け取ったらしく、カー君は顔を上げて鼻をひくつかせてみせた。
『呪いが解けているかどうかは、ちょっと自信がないな。何しろここは呪術師の強い結界の中にあるからね。
彼らを起こすんだったら、結界を壊してからの方が賢明だと思うな』
「結界を壊すって、どうすればいいの?」
カー君は顔をしかめてみせた。
『とにかくここは、もの凄く強力な呪いが発動していて、僕は気分が悪いんだ。
ちょうど僕たちを中心とした四方に、その発生源があるみたい。
それを全部壊せば、騎兵たちにかかっている幻術も解けるし、エイナたちの魔法も使えるようになるはずだよ』
「その位置が分かるの?」
エイナの表情が明るくなった。彼女の力の拠り所である魔法が使えるかどうかは、重大な問題だったからだ。
『もちろんだよ。邪悪な気配だからね。
ついてきて』
カー君は大柄な体で、のっそりと歩き出した。
毛並みがふさふさしている点では以前と変わりないが、短い脚でちょこまかと走り回っていた頃とは大違いだ。
エイナはその後をついていきながら、シルヴィアにこっそりとささやいた。
「やっぱり、前の方が可愛かったわね」
「そう? あたしはもう慣れたわ。
カー君であることに変わりないもの」
「別に私だって、嫌いだなんて言ってないわよ。
でも、シルヴィアは今夜からカー君を抱っこして眠れないのよ。
またぬいぐるみと一緒に寝るの?」
(カーバンクルを召喚するまで、シルヴィアはクマのぬいぐるみを抱いて寝ていたのだ。)
「あ、あたしはもう大人なのよ!
別にカー君が一緒じゃなくても、一人で眠れるわ」
「あらそう?
じゃあ、寂しくなっても、私のベッドには入れてあげないわよ」
「エイナがそんな意地悪だとは思わなかったわ!」
シルヴィアは膨れてみせたが、この様子だと、当分は窮屈な夜が続くだろう――エイナはそう覚悟したのだった。
『ここだよ』
百メートルほど歩いたところで、カー君がぴたりと足を止めた。
そこは街道脇の、何の変哲もない麦畑の中だった。
カー君はいかにも嫌そうな表情で前脚を上げ、ある一点を指し示した。
『あそこに掘り返した跡があるでしょ? その下に埋まっているはず。
僕は生理的に受けつけないから、近づくのもご免だね』
彼はそう言って、もう先へ進もうとはしなかった。
「ここか?」
ケネスが言われた場所に歩いていき、畑の土に長剣を無造作に突き立てた。
ざくざくと何度か刺すうちに、何かに当たったらしい。
手を伸ばそうとしたケネスに、カー君が鋭く声を上げる。
『直接触っちゃ駄目だ!』
ケネスの手がぴたりと止まった。
「罠か?」
『うん、多分だけど、呪いが仕掛けてあると思う。
指の肉が腐るとか、爪がはがれるとか、手が一生臭くなるとか……そんな奴だね』
「怖いことを言うなよ。俺は三番目が一番嫌だな」
ケネスはそう笑って、慎重に剣で土をほじくり返した。
やがて柔らかい黒土の中から、二十センチほど細長い木の板が出てきた。
剣先で板についた土を払うと、そこには札のようなものが貼り付けられている。
「暗殺奴隷の目に貼られていた〝呪符〟に似ているな」
ケネスがつぶやいたとおり、どことなく見覚えのある札であった。
紙ではなく、何か動物の薄皮に茶褐色の文字と模様が描かれていた。
『人間の皮に血文字で呪文を書いたものだね。
意味は分からないけど、邪悪な呪いが込められていることだけは、はっきりと感じるな』
カー君が顔をしかめ、言葉を吐き捨てた。
「これが魔封じの結界なのか?」
『同じものが四つ埋まってる。これはその一つだね。
全部壊さないと結界は消滅しないけど、一つでもかなり弱まるはずだよ』
「だが、触ったら駄目なんでだろう。
剣を突き刺して、真っ二つにするってのはどうだ?」
『ケネス君は乱暴だなぁ。そんなことをしたら、もっと強力な呪いが発動するよ。
炎で焼ければいいんだけど、今の僕では無理かなぁ』
「あんなに強烈な火球を吐けるのにか?」
『僕らの種族は特別呪いと相性が悪いんだよ。
僕は耐性があるから呪術が平気だけど、こうした呪物の方でも僕の炎を撥ね返す力を持っているんだ。
でもまぁ、試してみようか。君たちは危ないから、少し離れていて』
「呪符を焼くつもりなら、無駄だから止めておいた方がいいぞ」
ふいに男の声が響いた。
エイナたちは一斉に振り返ったが、その方向には誰もいない。
ただ、妙に視界がぼやけているような感じで、エイナは眉根を寄せて目をこらした。
すぐに気がついた。彼女の視力に異常が起きたわけではなく、まるで蜃気楼のように、空間そのものが歪んでいるのだ。
ケネスがものも言わずに短剣を投げた。どこから取り出したのか分からない、素早い動きだった。
だが、短剣は歪んだ空気に弾かれ、畑に落ちて突き刺さった。
「いきなりかよ。剣呑な奴だな」
また、同じ男の声がした。
「どこだ! 出てきやがれ!」
ケネスがドスの利いた声で怒鳴った瞬間、空間の歪みがふいに消え失せ、そこに男が立っていた。
白くゆったりとした長袖の衣服に、やはり白い布をベールのようにして、目深に被っていた(ガトラと呼ばれるものだ)。
典型的なサラーム教徒の衣装である。
「モグラみてえに潜っていたにしちゃ、汚れてねえな」
ケネスの言葉に、男は笑ってみせた。
「そりゃそうだ。俺は最初からここに立って見ていたからな」
「お得意の目くらましか」
「呪術と言ってほしいな。
それにしても、そこの獣は何だ?
魔封じの結界の中で、あれだけの炎や雷撃を放つとは……非常識な奴だ。
それに、さっきまでは小さかったはずだ。どうして急に大きくなった?」
「育ち盛りなんだよ」
「ふん、まぁいい。
まずは〝ガトラの秘石〟を返してもらおうか」
「何だそりゃ?」
男の口元が歪んだ。
「とぼけるな、調べはついている。
そこの汚らわしい売女。貴様、サルマーンという男から石を受け取ったはずだ。
あれはサルマーンが師匠の元から盗み出したものだ。返せ。
大人しく返せば、命だけは助けてやろう」
サーラはケネスの後ろに身を隠しながら、小声でささやいた。
「あの石をくれたお客さん、確かにサルマーンって名前だったわ」
ケネスは微かにうなずくと、さらに声を張り上げた。
「命を助けるだと?
今まで散々俺たちを殺そうとしていたくせに、誰が信じると思う!
お前の言う秘石とやらは、この幻獣が喰っちまったよ。残念だったな」
「馬鹿な! あれを喰っただと?」
男は初めて狼狽えた様子を見せた。
「ああそうだ。お前、さっきこいつがどうして急に大きくなったか訊いたよな。
あの魔石は、この幻獣にとっちゃ餌みたいなもんなんだとさ。
シルヴィアがこいつに喰わせたところを、見ていなかったのか?」
「あああ、あの時の動きがそうだったのか?
ばかな! バカな! 馬鹿な!
あの秘石は古代の大呪術師が造りあげた、伝説の呪術具だぞ!
ケダモノの餌などでは断じてない!」
「慌てるなよ、三下。
こいつが喰ったのは、嵌っていた魔石の方だ。
大事なのは土台の方なんだろう? それだったら、とっくに売り払った。
残念だったな」
「何だと? あの店でか!」
「ああ、欲しけりゃ買い戻しに行けばいいじゃねえか。
金貨を千枚も積めば、売ってくれるぜ。
もっとも、あの店に入れたらの話だがな。
お前程度の二流呪術師じゃ、近づくこともできなかったんだろう?」
「おのれ、どこまでも愚弄する気か!」
* *
ケネスが呪術師と言い合いをしていたのは、別に相手を嘲弄するためではなかった。
彼は時間を稼いでいたのだ。
エイナとシルヴィアに、魔法を使えないこの状況で、策を練るための時間である。
当然、彼女たちにもその意図が伝わっていた。
幸いなことに、エイナたちは声を出すことなく、頭の中だけでカー君と会話することができた。
つまり彼を経由することで、エイナとシルヴィアも間接的に意志を伝えられたのだ。
そしてケネスが作り出してくれたわずかな時間の中で、彼女たちは一つの作戦を決意していたのだった。




