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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第二章 ケルトニアの魔導士
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二十五 窮地

 疾走する馬車は激しく揺れ、原始的な衝撃吸収装置ダンパーの能力を超えていた。

 内部にいるエイナたちは、天井から下がる革紐に掴まり、舌を噛まないようにするだけで必死だった。

 馬車を牽く馬は軍馬で耐久力に優れていたが、全力疾走できる時間は限られている。

 三叉路までの二百メートルは、そのぎりぎりの距離である。


 当然、その間に敵が襲ってくると誰もが覚悟していた。

 だが、どういう幸運なのか、馬車は襲撃されることなく街道のカーブを抜け、先行した斥候が確保している三叉路まで到達することができた。


 その意味を考慮している暇はなかった。フレッチャー少尉は、ただちに狭い横道へと入ることを指示した。

 二頭立て六人乗りの馬車が通るには、ぎりぎりの道幅である。

 しかもその脇道は、それまで通ってきた主街道と、道の造りがまったく違っていた。


 それは人馬の往来によって自然にできあがった、いわゆる生活道路で、盛土をして突き固めたり、舗装をしたような道ではない。

 そのためわだちができやすく、雨が降れば水溜まりだらけになる。


 だが、今の騎馬隊にとっては都合のよい道であった。

 街道と違って風雪を防ぐ並木がないので、見通しがよい。

 道を逸れればすぐに麦畑で、道路との高低差がないので展開がしやすい。


 脇道に入って百メートルほど進んだところで一隊は停止し、騎兵は馬車を中心にして円周状に展開した。

 周囲は刈り取りが終わった麦畑が果てしなく続き、視界を遮るものなど何一つない。

 どの方向から敵が襲ってきても、即座に発見して十分な対応ができそうだった。

 しかし、その敵の姿は一向に見当たらない。


 馬車が停止したことで、乗り込んでいたエイナたちも外に出た。

 サーラを守るようにして、全員が背中合わせになって周囲を警戒する。

 すでに二人の魔導士の呪文詠唱は終わっており、何かあってもすぐに対応できる態勢が整っていた。


「おい、どういうことだシルヴィア! 本当に呪術が発動しているのか?

 敵の姿なんかどこにもないぞ!」

 ケネスが確認するように訊ねた瞬間だった。


『来た!』

 カー君が鋭い声で叫んだ。

 シルヴィアが通訳するまでもない。彼が牙を剥き出して吼えたことで、意味することが全員に伝わっていた。


 彼女たちが後にしてきた主街道の方面から、多数の黒い影が出現し、こちらへ猛然と向かってきた。

 数は三十頭弱といったところだろうか、それほど大きな動物ではないが、かなりのスピードがあった。

 百メートルあった彼我ひがの距離は、あっという間に詰められてくる。


 それとともに敵の正体も明らかとなった。

 初めはオオカミかと疑われたが、よくよく見れば野犬の群れだった。


 周囲を警戒していた騎馬隊も当然敵の出現に気づき、即座に隊形を変化させた。

 騎馬たちは楔型に馬を並べ、一斉に突撃に移った。

 小隊長はあれこれ命令しないのに、それは流れるような動きで、いかに彼らが訓練を積んできたのか、一目瞭然であった。


 騎兵の力とは、即ち馬が持つ圧倒的な破壊力である。

 軍馬はスマートな競走馬ではなく、身体が大きく足が太い農耕馬が元になっている。

 競走馬の体重は五百キロ以下が普通だが、軍馬はその倍の一トン近くある。

 そして、馬は人や動物を踏むのを本能的に嫌がって避けるのだが、軍馬はそれを躊躇ためらわないように訓練されている。


 完全武装の兵士であろうと、突進してくる巨大な軍馬には対抗できない。踏み潰されるか、運がよくて撥ね飛ばされるのが落ちである。

 騎馬隊はその強みを活かし、密集して突撃を敢行する。相手が野犬の群れであれば、蹴散らすのみであった。


 野犬と騎馬隊が交差したのは一瞬のことだった。

 犬たちの甲高い悲鳴は、大地を揺るがす重い蹄の響きによって掻き消された。


 野犬たちは呪術で操られているためなのか、逃げることなく向かってきた。

 数の有利を活かして広範囲に散開すればよいのに、集団のまま突っ込んできたのだ。

 もちろん、彼らだってまともに馬とぶつかる気はなく、そのわずかな隙間を駆け抜ける算段だったのだろう。

 しかし、それを騎兵たちが許すはずがなかった。

 彼らは馬上から槍を突き出し、脇をすり抜けようとする野犬を真上から串刺しにした。


 三十頭近くいた野犬の大半は、軍馬の太い脚と蹄で無残に踏み潰された。

 うまく馬と馬の隙間に飛び込めた野犬も、騎兵の槍で突き殺された。

 それでも、わずかに三頭だけだったが、この死地の突破に成功した者がいた。


 だが、彼らが馬列を抜けた途端、もう後詰の三騎が肉薄していた。

 生き残りの野犬は逃げる間もなく軍馬の蹄にかかり、破裂した内臓を麦畑にぶち撒けて即死した。

 騎馬隊の圧勝であった。


 後方で身構えていたエイナたちには、何が起きたのか、ほとんど分からなかった。

 それでも、騎馬隊が野犬の群れを一蹴したということだけは、どうにか理解できた。


「まさか、これで終わりなのか?」

 呆気ない結果に、ケネスが疑わし気な声を上げた。

 呪術師は狡猾であった。こんな単純な攻撃で済むはずがない――その思いは、エイナもシルヴィアも同じように抱いていた。


 その疑念に答えるように、シルヴィアの足元で四肢を踏ん張っていたカーバンクルが〝ぎゃあっ!〟と叫んだ。

『また新しい術が発動した! それもすぐ近く!

 ここにいちゃ駄目だ! 強い呪いに囲まれている!』


 周囲をすばやく見回しながら、シルヴィアがその警告を通訳した。

 しかし彼女の目では、具体的な危険が確認できない。


「カー君、あたしには何も見えない!

 本当に敵は間近にいるの?」

『いる!

 とにかくここから逃げて! ここにいちゃ危険なんだ!』


 彼女たちのただならぬ様子に気づいたのか、フレッチャー少尉が馬を駆って近づいてきた。

「見たか! 野犬どもはすべて始末したぞ」


「また近くで呪術が発動したようです!

 それと、私の幻獣がこの場所は危険だから移動するように求めています」

 シルヴィアは馬上の将校を見上げて叫んだ。

 少尉は兜を被り、面頬を下ろしているので表情は窺えない。


「何を言っているのか分からんな。

 貴様らはここで大人しくしていろ!」

 興奮しているのか、彼の口調はかなり居丈高であった。


 護衛の指揮官からしてみれば、ここは守るのに都合のよい場所である。

 安全が確認できるまで、おいそれと移動できるはずがない。


「おい、何だか様子がおかしいぞ!」

 ケネスがシルヴィアの肩を掴んで揺すぶった。

 エイナも厳しい顔つきで辺りを見回している。


 野犬を屠った騎兵たちが、再びエイナたちを取り囲むような、円周防御の隊形に戻っていた。

 それだけなら何も問題はなかったが、軍馬の円が最初のものよりかなり小さく狭まっていたのだ。


 そして、彼らは馬首を円の内側に向けていた。

 外からの脅威に向けた態勢ではない。それは、エイナたち四人の逃亡を許さないための円陣であった。


      *       *


「フレッチャー少尉殿、これは何の冗談ですか!」

 シルヴィアが美しい顎を上げ、馬上の隊長に向けて昂然と言い放った。


「もう一度申し上げますが、私の幻獣は、新たな呪術の発動を感じ取っています。

 この場所は何らかの呪いに影響されていて、危険だと幻獣は警告しております!

 あの野犬は小手調べに過ぎません。必ず次の攻撃が――」


「黙れ!」

 少尉の荒々しい怒鳴り声が、シルヴィアの抗議を遮った。

 それだけではない。彼女の目の前に、抜身の槍が突きつけられたのだ。

 鋭く尖った穂先からは、野犬の血がゆっくりと滴っていた。


「貴様ら汚らわしい亜人間デミヒューマンの言葉でわめかれても、分かるわけがなかろう!

 仲間を救出しようという姑息な襲撃は、見たとおり撃退した。

 恐らくこの先でも、同様の事態が起こり得るだろう。よって、これから貴様らの処刑を行う!」


「お前、一体何を言っているんだ……気でも狂ったのか?」

 呆れたような声を出すケネスの軍服を、エイナがそっと引っ張った。


「大尉殿、これは船の上と同じ――おそらく護衛の騎馬隊は、幻術に囚われています。

 彼らの目には、私たちがオークかゴブリンのような亜人間デミヒューマンに見えているのでしょう。

 私たちの言葉も、獣の唸り声としか聞こえないようです」


 エイナのささやきに、ケネスもうなずいて小声で返す。

「どうやらそのようだな。

 よし、少尉が離れたらすぐに防御魔法を展開しろ。

 俺も雷撃系の魔法は使える。船の時と同じように、連中を気絶させて正気に戻してやろう」

「了解です」


 対物理防御の呪文詠唱は、とっくに終わっている。

 防御範囲から少尉が出たら、即座に術を発動することができる。

 エイナたちが対処を決めているのをよそに、馬上のフレッチャー少尉は、嘲笑あざわらうような大声で話を続けた。


「何をごちゃごちゃ相談している!

 今すぐ殺してやりたいところだが、あいにく我が国には法というものがある。

 貴様らのような下等な怪物どもに聞かせても、無駄だということは承知の上だが、手続きは済ませなくてはならん。

 どうせ人の言葉など理解はできんだろうが、大人しく聞くがよい!」


 少尉はそう言うと、鞍に付けている鞄の中から紙片を取り出した。

 そして、それを目の前で広げると、朗々と読み上げた。


「姓名・住所不詳の亜人間四頭に告ぐ。

 貴様たちが白虎帝閣下の暗殺を企図して、我が王国中央部に侵入したことは、取り調べにより明らかである。

 我々は貴様らを捕縛した第四軍よりその身柄を引き渡され、白城市に連行することを命じられていた。

 貴様らは白城市民の面前で、公開処刑される予定であった。

 しかし、たびの襲撃によって、護送に重大な支障をきたす懸念が生じたことは、誠に遺憾である。

 よって、我ら特命部隊は、あらかじめ得た白虎帝閣下の裁可をもって、今この場で処刑を行うものである!」


 少尉は自分の発言に、完全に酔っているようだった。

 エイナとケネスは、呆れ顔のまま小声でささやきあった。


「めちゃくちゃな妄想だな。

 ゴブリンが四帝の暗殺を計画するって、設定からしておかしいと思わねえのか?」

「賭けてもいいですけど、あの紙って白紙ですよ」


 宣告文を読み上げた少尉は、満足したように紙片を畳んで鞄に戻した。

「命乞いの相談か? 無駄なことはよすがいい。

 これで手続きは終わりだ。心配するな、我々は慈悲深い。苦しまずに殺してやるから安心しろ」

 彼はそう言うと、馬首を返して円陣へと戻っていった。


 ケネスに命じられるまでもない。少尉が防御範囲を離れた瞬間に、エイナは右手を突き出し、溜め込んでいた魔力を一気に放出した。

 例え軍馬の突進であろうと、難なく弾き返す無敵の盾、対物理防御魔法が発動する――はずであった。


 だが、いくら待っても魔法は展開されない。

 呪文詠唱は完璧だった。必要な魔力が放出された証拠に、エイナの右手にはわずかな魔力も残留していない。


「おい、どうした? 何を遊んでいる!」

 ケネスが苛立った声で詰問する。


「それが、大尉殿。魔法が発動しないのです!」

「んな馬鹿なことがあるか!

 もういい、先に奴らを気絶させればいいだけの話だ」


 ケネスが右手を前に出して、雷撃魔法を放った。

 相手は幻影に囚われているとはいえ味方である。殺してしまってはまずい。

 放出する魔力量を調整して、気絶させる程度のレベルに抑えるのは、それなりに技術が必要である。


 だが、ケネスの魔法もエイナ同様、まったく発動しなかった。

「どういうことだ、糞ったれ!」

 ケネスが悪態をついた。


「もしかしてカー君が警告したのは、このことなのかも!」

 シルヴィアが青ざめた顔でささやいた。


「どういうことだ?」

「呪術師はあらかじめ、ここに魔封じの結界を仕掛けていて、それが発動したのではないでしょうか?

 私たちは、その罠にまんまと誘い込まれたのだとしたら……」


「ありそうな話だな。つまりあの野犬はただの囮か! 糞ったれ!」

 彼らがようやく事態を把握したその間にも、騎馬隊は処刑の準備を着々と進めていた。


 エイナたちを包囲していた円陣は、両側から挟み込むような二列縦隊に変わっていた。

 そして、通路状になった一方の端に、二頭の騎馬が進み出た。

 その片方はフレッチャー少尉である。


 どうやら、エイナたちが逃げられないように左右を塞いだ上で、騎馬突撃を行うつもりのようだった。

 巨大な軍馬の蹄で踏み潰す。最初の二頭が通過した後でも、まだ囚人に息があれば、左右の端に位置する騎馬が次の突撃を行う……といった手順なのだろう。


「おい、まずいぞ。どうする?」

 ケネスが腰の長剣を抜き払いながら、掠れた声で怒鳴った。

 エイナとシルヴィアもそれに倣って剣を抜いたが、ケネスの問いには答えられなかった。


 そもそも騎兵たちが、彼らを囚人だと思い込んでいるなら、帯剣を許していることが矛盾である。

 剣で騎馬に対抗することは不可能であるから、気にしていないということなのだろうか。

 エイナたちもケネスも槍を持っており、それならば馬上の騎兵に届くだろう。

 だが、その槍は荷物と一緒に馬車に積んだままであり、その馬車はとっくに姿を消していた。


 為すすべがないエイナたちの耳に、突撃を命じるフレッチャー少尉の鋭い号令が聞こえてきた。

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[良い点] カー君てもしかして物理的にも魔術的にも戦闘力は皆無……?
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