二十四 引き継ぎ
蒼城市の南大門を出たエイナたち一行は、南西に位置する白城市に向かって街道を進んでいった。
両市間の距離は、およそ二百キロある。四古都間を結ぶ主要街道は、簡易舗装が進んでいて移動条件がよい。
そのため、一般の馬車なら四日、軍の馬車だと三日で到達する。
軍の馬車の方が早いのは、途中で〝馬替え〟のできる場所が、何か所か設けられているためである。
リスト王国は農業国で、中央平野と呼ばれる主要部分には、広大な小麦畑が広がっている。
今は八月の下旬であるから、秋撒きより収穫時期の遅い春撒き小麦の刈り取りも、大方終わっている時期だった。
そのため、街道並木の切れ間から覗ける風景は、短い麦の切株が果てしなく続く、きわめて退屈なものだった。
エイナたちの乗る馬車は二頭立てで、御者は第四軍の兵士が務めている。
その前後を挟むように、六騎ずつの護衛が二列縦隊で進んでいた。
土を盛り上げて表面に平石を埋め込み、しっかりと叩き締めた路面は、馬匹の重量にも耐え、からからと軽快な音を立てて進んでいた。
「呪術師の監視は続いているのか?」
ケネスが向かい合って座るシルヴィアに訊ねた。
彼女の胸に抱かれているカーバンクルは、見るからに不機嫌そうな表情で身じろぎをした。
「はい。ずっと変わらないようです。
カー君が『不快だ』って文句を言っています。
空だけでなく、何かの動物が街道を並走しているのも同じですね」
「そいつらが襲ってくるという感じではないのか?」
「かなり距離を取っているので、今のところ大丈夫でしょう。
もし接近してきたら、すぐにこの子が気づくと思います」
「そうか……」
ケネスは一応は納得したようだったが、完全にというわけでもなさそうだった。
「俺たちは昨日、蒼城に泊ったから、その間は上空からの監視ができなかったはずだ。
遠巻きにして追跡しているという動物も、城の中までは入り込めないだろう。
城を出てからの移動は馬車だから、俺たちの姿を確認するのは難しい。
それなのに、奴らがずっとつけ回していられるのは、少し変じゃないか?」
「私もそのことを考えていました」
エイナが考え深げに、ゆっくりとした口調で答えた。
「もしかすると、私たちには何らかの目印が付いているのではないでしょうか?」
「魔石のことか?」
「マリアさんの話では、魔石は魔力の発生器であると同時に、貯蔵庫でもあるということでした。
私たちにはできなくても、感知できる方法があるのかもしれません」
「やっぱり〝ヴァンの家〟に、丸ごと売り払ってしまえばよかったのかもな。
あの店は強力な結界で守られているそうじゃないか。感知魔法くらいは苦もなく撥ね返すだろう。
あの店番の女は、呪術師と聞いても鼻で笑っていたぞ」
「そうしていたら、尚のことサーラさんを捕らえて情報を聞き出そうとするでしょう」
「だったら、そこの窓から魔石を捨てるか?
もったいない気もするが、安全を買えるなら安いもんだろう」
「確かに、それならこの場を引き上げる可能性が高いですね。
ですが、大尉殿が王都に着いたら、サーラさんは黒船屋に帰らなければなりません。
あの呪術師が、余計な情報を知った女を黙って帰すとは思えません。
邪魔な護衛がいないのなら、サーラさんを捻り殺すなど、赤子の手を捻るよりも容易いでしょう」
「それは……まぁ、そうだろうな」
「相手は私たちが王都に着く前に、必ず襲ってきます。
今まで失敗を重ねてきたのです。今度は直接手を下してくる可能性が高いと思います。
それこそ好機です。私たちの手で叩き潰し、後顧の憂いを断ちましょう」
エイナの目は決意に満ちており、隣に座るシルヴィアも黙ってうなずいた。
「お前ら、案外勇ましいんだな……」
ケネスは呆れたような声で溜め息をついた。
一方のサーラは胸の前で両手を組み、目を潤ませていた。
「あたしなんかのために……ありがとう!
そうだ、今夜一緒に寝てあげましょうか? あたし、二人同時も大丈夫よ」
「結構です!」
エイナとシルヴィアが声を揃えた。
* *
その日は街道沿いの小さな町で宿を取った。
こうした町には軍のために替え馬を用意したり、厩舎や飼葉の備蓄が用意されている。
軍から報酬が出るわけではなく、租税の一部として町が共同管理をしているのだ。
街道沿いの町や村には、旅人相手の宿が最低でも一軒はある。
ただし、四古都のような立派なものではなく、あくまで簡易宿泊所といった趣である。
そのため部屋は狭く、ベッドは固かった。簡単な食事も頼めるが、値段の割には味はお粗末であるため自炊する者が多く、それ用の炊事場が用意されている。
この日はサーラがスープを作り、パンにバターと塩蔵肉の薄切りを挟んだ、ごく簡単な食事で済ませた。
警備の騎兵たちが、三交替で不寝番を務めてくれたので、エイナたちは蒼城に泊った昨晩に続いて、ぐっすりと眠ることができた。
馬車はかなり振動して、乗り心地はいいとは言えない。身体に蓄積した疲労は思った以上に大きく、彼女たちは泥のように眠った。
サーラがお礼の夜這いをかけてくることもなく、エイナとシルヴィアの貞操が守られたことは幸いであった。
* *
二日目の旅も、順調に経過した。
呪術師による監視の気配は変わらずに続いていたが、襲撃に移るようなことはなかった。
一行は昼前にハイネの町についた。
ここは第四軍の担当地域と、白城市に本拠を置く第一軍が管理する地域の、境界線上にある町だった。
境界といっても、別に境界線が引かれているわけではなく、関所のようなものもない。
ただし、軍の人間にとってはこの境界が重要で、無断で入り込むと相手の縄張りを荒したことになる。実害ではなく、面子の問題なのだ。
エイナたちの到着から十分ほど遅れて、第一軍の護衛隊が町に到着した。
第四軍と同じく、十二人編成の騎馬小隊で、やはり六人乗りの軍用馬車を引き連れていた。
騎兵たちは同じ王国軍なので、装備にほとんど差異はない。
革製の鎧と鉄兜で身を固め、馬上槍と弓矢を鞍に装着している。
違うのは胸に付けられた金属プレートである。
第四軍の騎士たちは、コバルトブルーにメッキされた金属板、第一軍は釉薬が輝く白磁が嵌め込まれている。
両軍の隊長は互いに敬礼し、引き継ぎの文書を交わすとともに、エイナたちの状況に関する詳しい説明がなされた。
十五分ほどの引き継ぎが終わると、エイナたちは第一軍の隊長に引き合わされた。
「第一軍のフレッチャー少尉です。
ケルトニアの客人を護衛できる任務は、我々の名誉とするところ、命に代えてもお護りいたしますので、どうかご安心ください」
相手の小隊長は馬から降りると、ケネスに対して敬礼をした。
革鎧に接続された鉄兜は、背中の方に撥ね上げているが、分厚い革鎧を着こんでいるせいだろう、額には玉のような汗が浮かび、前髪がべっとりと貼りついている。
陽に焼けた顔はまだ若く、三十歳前のように見えた。部下たちも皆、逞しい若者たちで、頼りがいがありそうだった。
ケネスが答礼とともに常識的な感謝の言葉を返すと、続いてエイナとシルヴィアがフレチャー少尉に敬礼し、自己紹介を済ませた。
「敵と思われる呪術師は、私たちの動きを監視下に置いています。
正直いつ襲撃を仕掛けてくるか分かりませんが、少なくともその兆候は、こちらの幻獣が感知できます。
異変があればすぐにお知らせしますので、どうかよろしくお願いいたします」
「その呪術師とやらは、やはり魔法を使うのですか?」
エイナたちは准尉であり、フレチャー少尉よりも階級も年齢も下だったが、彼の言葉遣いはていねいなものだった。
彼女たちを同じ護衛という立場ではなく、客人であるケネスに準じた保護対象と見ているようだった。
気の強いシルヴィアは、すぐにそれと気づいて少しむっとして答えた。
「これまでの襲撃は、すべて私たちが退けました。
呪術師の手口は動物を操るというもので、不完全ではありますが、人間ですら道具にできるようです。
私たちはフォレスター大尉殿の直衛を務める以上、魔法による範囲攻撃を使用する可能性があります。
魔法を気にするのであれば、突出して巻き込まれないようご助言いたします」
「忠言に感謝しよう、准尉」
小隊長は白い歯を見せ、にかっと笑ってみせた。
新米のシルヴィアとは、場数の違いを感じさせる、余裕のある態度であった。
第一軍の馬車に荷物を移し、乗り替えを済ますと、一行は何事もなく出発した。
護衛の騎兵の所属以外に何らの変化もなく、ハイネの町を出ると周囲の景色もお馴染みのものとなった。
馬車も同じ型のものなので、内装から座席の座り心地までまったく同じであった。
出発して三十分も経つと、代り映えのしない景色にも飽き、馬車内の会話も途切れがちとなった。
「何か気に障ることでもあったの?」
サーラがケネスの顔を覗き込み、心配そうに訊ねた。
大尉の眉根に皺が寄り、不機嫌そうな表情を浮かべていたためである。
「我が軍の対応に、ご不満がありましたか?」
エイナも少し気にしたように質問を重ねる。
ケネスは少し居心地が悪そうに身じろぎをした。
「いや、大したことではないんだが……。
蒼龍帝の副官の話では、第一軍は俺たちを出迎えるため、ハイネの町で待機しているはずだったよな?」
「そう……だったかもしれませんが、待ち合わせの刻限は正午です。
彼らはそれより前には到着しましたし、特に問題はないと思います。
何しろ、白城市からここまで百キロ近くありますから、到着時刻が多少ずれるのはあり得ることでしょう。
私たちが刻限より早く着き過ぎたのですから、彼らを責めるのは酷ではないでしょうか」
「いや、もちろんそうなんだが……。
お前の言うとおり、俺たちを送ってきた第四軍は、約束した正午の三十分前には着いていただろう?
何故だと思う?」
「それは……。第一軍を待たせては悪いと思ったからだと思います」
「そうだよな。所属の違う軍同士のことだ。気を遣うのは当然だ。
だったら尚のこと、迎える側の第一軍が遅れては、あいつらの体面に関わるだろう?
俺が指揮官だったら、待ち合わせの一時間以上前には到着するよう行動したはずだ」
「途中で想定外の事故があったのかもしれません」
「ああ。別に俺はあいつらの方が遅かったことを、どうこう言っているわけじゃないんだ。
あのフレッチャー少尉という男、年は若いがしっかりとした男だった。
それなのに、自分たちの到着が遅れたことを、まったく気にする様子がなかったのが、奇妙なんだよ。
あいつは一言も謝らなかった。違うか?」
「それは……確かにそうですが、少し気にし過ぎなのではありませんか?」
「それならいいんだが、もう一つ気になることが――」
ケネスが話を続けようとした時、シルヴィアの膝の上で丸まっていたカー君が、針で刺されたように飛び起きた。
全身の毛がぶわりと逆立ち、体積が倍近くに膨らんでいる。
鼻に皺が寄り、唸り声を上げる口元からは、鋭い犬歯が覗いていた。
カーバンクルから警告を受けたシルヴィアが、厳しい声音で通訳をした。
「呪いが発動したようです! それもごく近くで!」
馬車内に緊張が走った。エイナとケネスは目くばせをし、即座に呪文の詠唱に入った。
エイナは物理防御、ケネスは攻撃魔法という分担は、事前に打ち合わせ済みである。
シルヴィアは窓枠に手をかけ、上半身を外に突き出した。
そのまま落ちてしまうのではないかと心配したサーラが、慌ててシルヴィアの軍服を掴んだほどの勢いである。
「フレッチャー少尉!」
シルヴィアは後方に向かい、馬車の騒音に負けない大声で叫んだ。
後衛の先頭に立っていた少尉が、すぐに気づいて馬車の横に並びかけてきた。
「どうした!」
「敵が仕掛けてきたようです。呪術の発動を確認しました」
「分かった!」
少尉は短い言葉を残すと、即座に馬車の前に出る。
「全騎警戒!
馬車は止めるな!
ゲイツとヒースは斥候に出ろ!」
命じられた二騎は、馬腹を蹴って飛び出していく。
少尉は巧みに馬を操り、馬車を一回りしながらてきぱきと指示を出す。
一行は街道が大きくカーブした地点を進んでおり、前後の見通しが利かなかった。
道の両側には並木が整然と植えられ、大きく枝葉を伸ばしていた。夏の盛りとあって、樹間には背の高い下草が生い茂っていて、街道を下りて散開することも叶わなかった。
少尉は後衛からも一騎を斥候に出し、後方の安全を確認するように命じた。
自らは前衛に加わり、前五騎、後四騎に配置を変える。
欲をいえば馬車の両側面も守りたいところだったが、それでは道幅一杯となって馬の身動きが取れなくなる。
敵がこの地点を選んで仕掛けてきたのは明白だった。
少尉が馬車を止めさせなかったのも、不利な地形から脱したいがためであった。
恐らくはそれが狙いで、前方で待ち伏せがあると思ってよい。
じりじりするような時間が続くうちに、前後に派遣した斥候が戻ってきた。
後方には敵影なしという報告だった。
前方に出した斥候は、二騎のうち一騎だけが戻ってきた。
ヒースという男は荒い息を整えながら、小隊長に報告を上げた。
「今のところ前方に敵影はありません。
二百メートルほど先に三叉路がありました。ゲイツは残ってその地点を確保しています。
ケナ村に通じる道と思われ、道は細いですが周囲が開けた麦畑で、散開が可能です」
「よし、貴様はもう一騎連れてゲイツの応援に迎え!
フランツ! 馬車の速度を上げろ! 三叉路まで突っ走るぞ!」
御者を務める兵士の鞭が飛び、馬車は轟音を上げて走り出した。




