二十三 オーパーツ
「ちょっと待ってくれ、お前さん〝いわゆる〟って言ったが、俺はオーパーツなんて言葉は初めて聞いたぞ。
何なんだ、それは?」
ケネスの問いは、その場の全員の疑問を代表していた。
マリアは「あ~」と言いながら、ぼりぼりと頭を掻いた。
「そうか、あんたたちは業者じゃなかったもんね。
古代の遺物には、オーパーツって珍しくはないんだよ。
現代の技術では再現不可能な工芸品、要するに『わけは分からないけど、凄い物』ってことだ。
まぁ、そうは言ってもピンからキリまであってね、こいつはそういう意味では、下位のランクだね。
それでも値段を付けるなら、金貨三百枚はくだらないよ」
「何だそりゃ? 一生遊んで暮らせる金額じゃないか! あ、いや、今は値段のことは二の次だった。
それで、こいつの正体は何なんだい?」
「そうね、魔石を利用した呪術道具って言ったら、分かってもらえるかしら。
多分、南方――サラーム教国か黒人国家の古代遺跡から出たものでしょうね。
土台に嵌っている石は魔石って言って、魔力を溜めたり引き出したりできるの。術を封じ込めれば魔導士じゃなくても魔法が使えるっていう、便利なアイテムよ。
でも、これは割と小さいし、品質的にも上物とは言えないわ。
まぁ、魔石単体なら、金貨八十枚程度かしらね。
それよりも、土台の細工の方が貴重品。地金は純粋なミスリル銀だし、かなり摩耗しているけど、この彫刻が呪術の増幅装置みたいになっているの。
相当に高度な技術で作られていて、それこそ人間の技術では再現不可能だわ」
「これが魔石?」
ケネスの後ろに立っていたシルヴィアが、かがみ込むようにして覗き込んできた。
その軍服の懐から、カー君も顔を出して首を伸ばしている。
「その獣、あんたのペット?」
マリアは少し驚いたようだが、その目が笑っていた。撫でたくてうずうずしているようだった。
「これでも私の幻獣なんです。
ほら、カー君。これが魔石ですって」
カーバンクルは大きな目でじっと魔石を見詰めていたが、少し顔をしかめた。
『僕は魔石って、もっときれいなものだって思ってた。
少し期待外れだね』
「あたしも同意見ね」
「その子、あんまりお気に召さないみたいね。
何て言ってるの?」
「魔石にしてはきれいじゃないって、がっかりしています」
「ああ、それは土台のせいだよ」
マリアはそう言うと、テーブルの上に置かれていたトレイから、細い金属棒を取り上げた。
彼女は平たく潰された棒の先を、魔石を固定している爪に差し込んだ。
爪は可動式らしく、少し力を入れると上に上がった。
四つの爪を同じように動かして逆さにすると、マリアの手の平にぽろりと魔石が落ちた。
「ほら、見てごらん」
まるで魔法が解けたように、差し出された魔石は美しい宝石に変わっていた。
それは透き通った淡いオレンジ色で、まるで黄水晶のようだった。
「土台の細工が魔石の力を吸い取っているから、光を失っていたんだね。
元に戻すとこのとおりだ」
マリアが魔石を土台に嵌めて爪を折りたたむと、すぐに黒く濁った姿に戻った。
「で、どうするの? 売る気があるなら買い取るわよ」
「実を言うとな、こいつはある呪術師に狙われているんだ。
買い取ったりしたら、この店に迷惑がかかるぞ」
ケネスの忠告をマリアは鼻で笑い飛ばした。
「はっ! 呪術師ごとぎじゃ、この店に近寄ることすらできないよ」
「ずいぶんな自信だな。あんた、何者なんだ?
まだ若そうだが、どうしてこんな遺物の鑑定ができるんだ?」
「あたしはただの店番さ。
鑑定人は、あの扉の奥にいる。誰だと訊かれても、答えられないよ。商売上の秘密だからね。
それで、売るのか売らないのか、どっちなんだい?」
「それを決めるのは持ち主だ。サーラ、どうする?」
サーラは少しの間、考え込んだ。
そして、顔を上げるとマリアに一つの質問をした。
「ねえ、こういうことって……できるのかしら?」
* *
その十分後、ケネスとサーラは椅子から立ち上がった。
「世話になったな。人見知りの鑑定人に、よろしく伝えておいてくれ」
二人はマリアと握手を交わし、立ち去ろうとした。
「ああ、ちょいと待ってくれ。うっかり忘れるところだった。
そこの背の高い軍人さん、あんた蒼龍帝の副官だろう?
うちの鑑定人から伝言を預かっているんだ」
店番の女は、プリシラに向かって声をかけた。
「確かに、私は蒼龍帝閣下の副官だ。伝言があるなら聞こうではないか」
「うん。『無駄な詮索はよせ』だそうだよ」
「それだけか?」
マリアはうなずいた。
「そう言えば、あんたのご主人なら分かるそうだよ。
あたしには何のことだか、さっぱりだけどね」
プリシラは一瞬、言葉を呑み込んだようだったが、気を取り直したように答えた。
「確かに伝えよう」
店の外に出ると、プリシラはいち早く馬に跨った。
「私は報告のために城に戻る。
諸君らはこのまま南門から出て、ハイネの町に向かうことになる」
シルヴィアが少し意外な表情を見せて訊ねた。
「私たちは白城市を経由して、王都に向かうのではないですか?」
「第四軍が護衛をするのはハイネの町までだ。その先からは第一軍の管区になる。
第一軍には護衛を引き継いでもらえるよう、調整をしているところだ。
ハイネ国境にある町で、第一軍の迎えが待機しているはずだから、そこで馬車を乗り換えてもらう」
「縄張りの問題ですか……」
「そういうことだ」
プリシラはうなずくと、ふいに固かった表情を緩めた。
「シルヴィア、しっかりと任務を果たせ。
お前は自慢の後輩だ。国家召喚士になるだろうという話は聞こえていたし、私は当然そうなるだろうと思っていた。
二級召喚士になったのは意外だったが、お前がカーバンクルを召喚したことには、きっと何か意味があるはずだ。それを忘れるな!」
彼女はそう言うと、白い歯を見せて笑った。
それは蒼城で再会して以来、初めてみせてくれた笑顔だった。
プリシラは馬腹を蹴って、城の方へと向かった。
その後ろ姿を、直立不動で敬礼をしたシルヴィアが見送っていた。
* *
エイナたちが乗る馬車と護衛の騎馬隊は、いったん大通りに出てから南門へと向かった。
彼ら一行が立ち去ると、狭く陰気な鼠小路は、再び湿った静寂に包まれた。
ヴァンの家の中では、マリアがぐったりとした様子でテーブルに突っ伏していた。
久しぶりの客人の来訪で舞い上がった埃が、しばしの空中遊泳から元のねぐらに戻った頃、奥の扉が音もなく開いた。
そこから出てきたのは、マリアとそう変わらない、二十代後半と思しき女性だった。
ただ、派手な顔立ちながら町娘そのものといった恰好のマリアに対し、その女の姿はいかにも場違いであった。
彼女は全体に細かい螺鈿が縫い込まれ、きらきらと光る黒いイブニングドレスを着ていたのだ。
大胆に開いた背中、腕が剥き出しのノースリーブ、深い胸ぐりでくっきりと乳房の谷間まで覗いている。
下品一歩手前のところで、ぎりぎり踏みとどまったようなデザインである。
それは上流階級の令嬢ではなく、高級娼婦だと明かされたら、誰もが納得するような出で立ちであった。
黒く豊かな髪は結うこともなく剥き出しの背中を隠し、くっきりと化粧を施した顔は、驚くほどに美しかった。
女はカツカツというヒールの音を響かせながら、マリアがのびているテーブルに歩み寄った。
「あらまぁ、大丈夫?」
黒いドレスの女は、マリアの向かい側の椅子に腰をかけると、まったく心配していないのが丸わかりの口調で声をかけた。
「ん~、……気持ち悪い」
マリアは呻き声を上げながら、どうにか身を起こした。
いかにも気怠そうで、疲れが表情に出ている。
女はマリアの目の前に、七枚の銀貨を置いた。
「ご苦労さま。今日のお駄賃よ」
マリアはのろのろとした動作で銀貨を拾い上げ、スカートのポケットに突っ込んだ。
「自分の身体が乗っ取られるのが、こんなに気持ちが悪いとは思わなかったわ」
「半日も寝ていれば直るわよ。
たった一時間で、ひと月暮らせるだけのお金が稼げたのよ。贅沢を言ったら罰が当たるわ」
「違いないわ。ねえ、あれ貰えない?」
「しょうがないわねぇ……」
女はどこから取り出したのか、小さなガラスの薬瓶をマリアの前に差し出した。
その中には、赤い液体が半分ほど入っている。
マリアは瓶の栓を抜くと、一息で薬を飲み干した。
血の気が失せていた顔に赤みが戻り、表情が見る間に明るくなってきた。
彼女は空になった薬瓶をしげしげと眺めた。
「これって、買うとしたらいくらぐらいなの?」
「そうね、ひと瓶で銀貨二枚ってところかしら」
「高っ! もっと安かったら、まとめて買い込むのに」
「止めておきなさい。たまにならいいけど、この薬には中毒性があるのよ。
あんた、その歳で廃人になりたくないでしょ?」
「へいへい、分かりました。
あたしは家に帰って寝ることにするわ。
また身代わりが必要になったら、いつでも声をかけてちょうだい」
「ええ。その時はお願いするわ」
マリアは壁に掛けてあったショールと粗末なバックを手に取ると、店を出て行った。
一人残された女は、閉まった扉に太い閂をかけた。
それは樫でできたかなり大きな角材で、相当の重量があるように見えたが、女は片腕で軽々と持ち上げていた。
彼女は戸締りを確認すると、先ほど出てきた奥の部屋へと戻っていった。
小さな部屋の中は、がらんとした印象だった。
かつてこの部屋の主だったリッチーがいた頃は、壁面にはびっしりと書物の背表紙が並んでいた。
そこに入りきれなかった本や書類は、大きな机の上に積み重なり、さらには床の上にもいくつもの山を築いていた。
それが今は、一冊の本も残されていない。空っぽの棚板には、薄っすらと埃が積っている。
女は机の椅子を引いて、ぼすんと腰を落した。
広い机の上には、もちろん書籍の山などない。その代わり、紫色の絹の布が被さった、何らかの物体が置かれていた。
女がその布を取り去ると、現れたのは占い師が使いそうな水晶玉だった。
彼女は紫の布で、水晶の表面を軽く拭った。
「さぁて、お仕事お仕事」
女はそうつぶやくと、両手で水晶玉を包み、美しい顔を近づけた。
傷一つない水晶の表面には、球状に歪められた顔がくっきりと映り込んでいた。
ただ、それは妖艶な美女の顔ではなく、得体の知れない異形の怪物の姿だった。
* *
蒼城に戻ったプリシラは、蒼龍帝に事の次第を報告していた。
シドは彼女の話を興味深げに聞いていたが、特にマリアという店番の女に対して強い関心を示し、どんな受け答えをしていたか、詳しく話させた。
最後にマリアの印象を訊ね、特に不審な点はなかったという答えを得ると、「う~ん」という低い唸り声を発して腕を組んだ。
「あの女が、どうかしたのでしょうか?」
「いやはや、相手はとことん用心深い。
そのマリアという女、恐らくは臨時の身代わりだろうね」
「そうでしょうか? それにしては説明や仕草が、かなり馴れている感じでした。
昨日今日連れてこられた代役では、ああは上手く演じられないと思いますが……」
「それはそうだろう。すぐバレるような代役なら、始めからやらない方がましだからね。
私がこれまで集めた情報と、今聞いたプリシラの話とでは、微妙な差異があるのだ。
しかし、そこまでする必要があるのだろうか……?」
シドは思考の海に沈み込もうとする気配を見せた。
こうなると彼は、周囲の者たちの話が聞こえなくなってしまうことを、副官であるプリシラはよく知っていた。
そのため、慌ててマリアから預かった言葉――『無駄な詮索はよせ』を伝えると、蒼龍帝は苦笑いを浮かべた。
「くそっ、そこまで読むか」
シドはそう悪態をつくと、両手を組んで身体を椅子の背もたれに預けた。
「ご苦労だったね、プリシラ」
労いの言葉に、彼女は顔を上げた。
「いかがいたしますか?」
「何をだね?」
「ヴァンの家の監視です」
「そうだな、もうしばらく……。いや、やはり止めておこう。
向こうの言うとおりだ。続けても成果は得られないだろうし、心配するのはそれこそ余計なお世話だろう。
あの化け物に喧嘩を売るような馬鹿が現れたなら、ちょっと見てみたい気もするがね。
一応、マリアという女の身辺は洗っておけ。どうせ何も出ないだろうがな」
「承知しました。
第一軍との調整は、問題ありませんでしたか?」
「ああ。ついさっき承知した旨の返答があった。
予定どおり、国境で警備の引継ぎが行われるだろう。
君も下がりたまえ。面倒な仕事を押しつけ過ぎた。さすがに疲れただろう」
そう言うと、シドは執務机の上に残っていた書類に手を伸ばした。
だが、退室を命じられた副官は、まだその場に立ったままだった。
何か言い出しかねて、もじもじしているように見えた。
「どうした。まだ何かあるのかね?」
「いえ、その……昨日の夕食会のことなのですが……」
「昨夜の? ああ、あれは久しぶりに楽しかった。
サーラ嬢は実に魅力的な女性だったね」
「そのことです!
閣下は、その……あの遊女と、本当に遊ばれるおつもりなのでしょうか?」
シドは呆れたような声を出した。
「私はこんな見た目だが、成人した男子として健全な発育を遂げているつもりだ。
女性に対して興味がないと言えば嘘になる。
サーラ嬢と話をしてみて、彼女のような女性とならば、経験を積んでみるのも悪くないと思ったのは事実だ」
「そんな!」
「落ち着きたまえ。
彼女は南カシルの遊女だ。私が蒼城市を空けて、そこまで遊びに行けるわけがないだろう」
プリシラはほっとした表情を浮かべ、涙が滲んでいた目を慌ててこすった。
それを見たシドの心に、虐めてやりたいという衝動が襲ってきた。
彼女は敬意を忘れないものの、常に自分を年の離れた弟のような目で見ていることに、とっくに気づいていたからである。
「だが考えてみれば、蒼城市にだって色街はある。いや、さすがにこの身体では、すぐに噂になるか……。
ならば、白城市ならよいと思わぬか?
確かあそこにも、名高い高級娼館があったはずだ」
「いけません! 閣下がそのような場所に足を向けるなど、まだ早すぎますっ!
どうしても行きたいというのなら、わっ……私がっ、そうです! 私がお相手さしあげます」
とうとうシドは我慢できず、声を上げて笑い出した。
「よしてくれ、プリシラ!
副官が夜伽をするなど、聞いたことがないぞ。
第一、君は確かに私よりも年上だが、手ほどきができるほど経験があるようには見えないがね。
それとも、私の知らないうちに、どこぞで修行を積んでいたのかい?」
プリシラはからかわれていることに気づき、耳まで真っ赤になった。
「知りません!」
彼女はそう叫ぶと、執務室を飛び出していった。
扉が開いたままの執務室からは、シドの愉快そうな笑い声が聞こえていた。