二十二 ヴァンの家
「変ですね。
その召喚士とリッチーが幻獣界に去ったのが五年前だとすると、南カシルの宝石商がそれを知らないはずがない。
商人というものは情報に敏感だ。それが彼らの命運を分けるからな。
それほど有名な鑑定屋が消えたのに、サーラのような上得意に無駄足を踏ませる真似をするはずがない」
ケネスが疑問を呈すると、シドの笑みが二十歳の若者らしい、くったくのないものに変わった。
「何だ、もう少し騙されていてくれると思ったのに、つまらんな。
主人が消えたのは確かなことだが、実はヴァンの家はいまだに営業を続けているのだよ。
現在は若い女性が店番をしているらしいが、誰が鑑定をしているのかは謎だ。
ただ、実力が物を言う世界だから、鑑定の質が落ちれば噂はあっという間に広がる。
五年も経っているのに、相変わらず商売が繁盛しているということは、誰か腕のいい人物が、秘密裏に跡を継いでいるようだね」
「その人物とは、やはり召喚士なのではありませんか?」
シルヴィアがそう訊ねたのも無理はない。
初代のヴァンと三代目のヴィンセントはどちらも召喚士で、それぞれノームとリッチーという、幻獣の能力を利用して鑑定を行っていたのだ。
店の評判が落ちていないということは、現在の主人も幻獣の能力に頼っていると考えるのが自然である。
「それが、そうではないらしい」
シドの答えは、彼女の推測を否定した。
「もしそうなら、たとえ二級召喚士であっても、軍は干渉せずともその所在を把握している。
私も興味があったので、蒼城市に滞在している召喚士の情報を照会してみたが、該当するような者はいなかったのだ。
そういうわけで、私はヴァンの家で誰が鑑定を行っているのか、承知していない。
ただ、君たちがこの石の正体を確かめることはできる――とは言えるな」
話は終わったかに思えたが、シルヴィアはなおも食い下がった。
「閣下が蒼龍帝として、非常に多忙であることは存じております。
ですが、私の知っているシド先輩は、自分の知らない謎を放置したままでいられるはずがありません」
「グレンダモア准尉、閣下に対して無礼だぞ!」
鋭い叱責の声が響いた。
シドの傍らに控える副官、プリシアのものだ。
「プリシア、よいのだ。
君も含めて魔導院でともに暮らした、先輩後輩の仲ではないか。そう堅苦しいことを言うな」
「しかし閣下……」
「よいと言っている」
「……はい」
副官は渋々と従った。
「シルヴィア、君の言うとおりだ。
私も性分だから、いろいろと探りを入れてみたよ。だが、本当に分からなかったんだ。
これは私の勘で証拠は何一つないが、リッチーは幻獣界に帰還した後も、この世界と何らかの繋がりを維持している節がある。
もし私の推理が当たっているなら、私の調査がことごとく撥ね返されたことにも納得がいく。
私は周囲から〝悪魔〟と称賛を得ているが、あくまで人間に過ぎないからね。リッチーと知恵比べをしても、勝てる道理がない。
それに、私の興味はリッチーの存在にある。彼が幻獣界に帰還してしまったことは事実だ。
直接会えないのなら、ヴァンの家に執着する理由がない。
――この説明で納得してくれるかね?」
シルヴィアは姿勢を正して敬礼をした。
「はっ! 出過ぎたことを申しました。お許しください!」
シドはゆったりとうなずいて、ソファに背を預けた。
「君たちに付ける護衛の選抜と準備にも、多少の時間が必要となる。
当市の出発は、明日にしてもらう。
安全上の配慮から、このまま今夜は城内で泊まってもらうことになる。
お客人、それでよろしいな?」
「ご配慮、感謝いたします」
ケネスは軽く頭を下げた。
「ヴァンの家には、明日の出立前に寄ればいいだろう。門前払いを食わぬよう、店の方には使いを出しておく。
プリシア、鑑定屋へは君も同行したまえ」
「はっ!」
副官がすばやく敬礼をした。
露骨には言わないが、要するに一部始終を見届けて、細大洩らさず報告せよという監視命令である。
ああは言ったものの、シドはヴァンの店に対する興味を失っていないようだった。
* *
蒼龍帝との公式な会見は、これで終了となった。
すでに陽は落ち、夕食の時間である。
ケネスをはじめたとした一行には、蒼城内にある客用寝室があてがわれ、入浴と着替えを済ませた後に、遅い夕食を摂ることになった。
それは非公式な食事会だったが、シドも同席を希望することになった。
エイナ、シルヴィア、ケネスの三人は軍服姿であるが、サーラは民間人なので、イブニングドレスに着替えて出席した。
「よくそんなものまで持ってきましたね」
大胆に肌を露出したサーラに、エイナは呆れたような感想を洩らしたが、そこには女としての羨望の色が混じっていた。
サーラは微笑んでみせた。
「あら、身分の高い方からお食事に誘われるのは、よくあることなの。このくらい当然よ。
一流の遊女が着る物がなくて、人様からドレスを借りたなんていう評判が立ったら、恥ずかしくて顔を上げられなくなるわ」
「道理で、サーラさんの荷物が重いはずです」
夕食会は、蒼城内のこぢんまりとした食堂で行われた。
城の料理人が腕を振るった料理は、信じられないほどの美味であり、ケネスとサーラの二人は、高級ワインを堪能して上機嫌だった。
エイナとシルヴィアは、当然だが酒を口にすることなど許されない。
下戸であるシドも飲まなかったが、実に楽しそうであった。
彼は最初の内こそ客人であるケネスに気を遣い、ケルトニアのことや帝国との戦いについてあれこれ質問していた。
ただ、それらの答えは総じて血生臭いものであったので、食事の場にはあまり相応しくなかった。
そのため、シドの質問は次第にサーラへと向かうことになった。
色街を知らないシドは、明らかに強い興味を持っていたようだった。
それも食事時の話題としてはどうかと思われたが、サーラの応答は当意即妙、さすがに見事なものであった。
彼女はぎりぎりのところで下品にならず、思わず吹き出すような楽しい話題を披露し、その場を大いに盛り上げてくれた。
一同が笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を拭う中で、シドは感に堪えたようにつぶやいた。
「なるほど、一流の遊女の話術とは、実に大したものだな」
「私のような下賤な者には、もったいないお言葉でございます」
しおらしく頭を下げるサーラに対し、シドは眩しいものを見るかのように目を細めた。
彼は少しの間黙り込んだが、やがてゆっくりと話し出した。
「私たち召喚士は、壮年の段階でこの世界を去ることが運命づけられている。
私たちを教育する王立魔導院では、召喚士が家庭や子どもを持つのは無責任だと教え込むのだ。
私も妻を迎えるつもりはないし、当然ながら女というものを知らない。
だが、サーラ嬢であれば、女性の何たるかを教えてもらえるような気がする」
「それはよいお考えですな」
ケネスが大きくうなずいた。
彼の背後に立っていた副官のプリシラが、もの凄い目で睨んでいたことを知ったら、恐らく震え上がったことだろう。
「確かにな。
サーラ嬢に件の石を与えたという、男の気持ちが分かるような気がするよ」
そうつぶやいたシドに対し、サーラは聖母のような慈しみに満ちた眼差しを向けた。
「男と女が抱き合う時には、身分も年齢も一切の隔たりがなくなります。
私は性奴隷として、数えるのも馬鹿らしいほど、理不尽な暴力にさらされてきました。
ですが、どれだけ身体を汚され、踏みにじられようとも、愛をもって抱きしめてくださる殿方が、その傷を癒してくれるのだと知りました。
そして、あるお客様が、私にもその癒しの力があるのだと言って、涙を流して感謝してくれた時、この惨めな人生が救われたと思いました。
私は身体を売る汚らわしい女だと思われても、誇りを失わずに生きております。
もし閣下がお忍びで黒船屋にご登楼され、私をご指名してくださるのなら、決して失望させないことをお約束いたしますわ」
シドは手にしていたナイフとフォークを皿に置くと、ナプキンで口を拭ってから小さく溜め息をついた。
「なるほど、人を魅了するセイレーンをも嫉妬させた遊女とは、よく言ったものだな。
ケネス大尉、私は心底あなたが羨ましいよ」
* *
翌日、エイナたちが蒼城を出たのは午前十時過ぎのことだった。
六人乗りの軍用馬車は無骨ではあったが、四人が乗り込むにはゆったりとして、乗り心地も悪くなかった。
武装をした騎馬隊十二人が、馬車の前後を固めてくれるので、シルヴィアとカー君も警戒のため外に出る必要がなかった。
馬車列は街の大通りから細い路地に入り、下町へと向かった。
通称〝鼠小路〟と呼ばれる一帯は、正直に言って治安のよい所ではなく、怪しげな店が建ち並ぶ夜の街である。
したがって午前中の今は、狭い通りに人影はなく、ひっそりとしている。
彼らがたどり着いた家は、そんな小路の中でもとりわけ陰気な場所に、ひっそりと佇んでいた。
小さな石造りの建物の壁面には、びっしりと蔦が這い、鎧窓はすべて閉ざされたままだった。
殺風景な扉の上には、古びた木の看板が下げられており、この家が商家であることの唯一の証拠となっていた。
看板に書かれた古風な書体の文字は、すっかり色褪せて摩耗していたが、どうにか〝ヴァンの家〟と読み取れた。
馬車から降りたエイナたち四人、それに騎馬で随行していたプリシラが店に入り、護衛の騎兵たちは路上で待つことになった。
ちなみに、プリシラの幻獣である武神タケミカヅチは、人目に付き過ぎるため、城で留守番を命じられていた。
プリシラが先頭に立ち、分厚い木の扉に取り付けられたノッカーを叩いた。
ややあって、中から閂を外す重い音が聞こえ、扉が開いた。
エイナたちを迎えたのは、二十代後半と思しき若い女性だった。
店の売り子というには、場違いなほどに妖艶な雰囲気を漂わせていた。
服装こそ、ありふれた町娘のものだったが、しっかりと化粧をし紅をひいた派手な顔立ちは、夜の女の印象を与えた。
「お城から連絡があったお客さんだね? どうぞお入り」
彼女は愛想笑いのひとつも浮かべずに、そっけない態度で一行を招き入れた。
店の中には所狭しと引き出しのついた棚が並べられ、雑然としていた。
棚にはいくつもの宝飾品が並べられており、そのどれもが見事な細工で、埃を被ったぞんざいな扱いの割には、かなり高価そうに見える。
貴族の娘であるシルヴィアとプリシアには、その価値が否応なく感じられた。
貧乏貴族にはとても手が出せない、とんでもない代物揃いであった。
「あたしはマリア。ただの店番よ」
エイナたちを招き入れた女は、そう自己紹介をすると、店の奥の小さなテーブルに向かった。
「狭い店だからね。悪いけど依頼者だけ座ってちょうだい」
彼女はそう言って、客よりも先に木の椅子に腰をかけた。
勧められた対面には、二つの椅子しかない。
ケネスとサーラがそこに腰をおろし、残る三人の娘たちは後ろに立って見守る恰好となった。
「それで、何を鑑定して欲しいんだい?
鑑定料は銀貨三枚、鑑定書の発行を望むのなら、手数料として銀貨一枚が必要になるね」
女の言う鑑定料は、予想以上に高額だった。
銀貨三枚というのは、普通の家庭の一か月分の食費に匹敵する。
だが、女の口ぶりには「嫌なら帰れ」という言外の響きがあった。
サーラはケネスの目を見てうなずくと、事前に用意していた石をテーブルの上に置いた。
マリアは白い手袋をはめた手でそれを取り上げ、じっくりと観察した。
「うん、こいつは宝石じゃない……古代遺物の類だね。
鑑定のために一日預かることになるけど、それでいいかい?」
「それは困る」
サーラのすぐ後ろに立っていたプリシラが、遮るように答えた。
「使いの者が伝えているはずだ。
こちらは先を急いでいる。この場での鑑定をお願いしたい」
「なら追加で銀貨一枚だ」
「それで構いません」
怒気を顔に浮かべたプリシラを制し、シルヴィアが承諾を伝える。
「少し時間を貰うよ」
マリアはそう言うと、手袋をした手で石を摘まみ上げて立ち上がり、背後の扉へと向かった。
女が扉を開いて奥の部屋へと入ると、がちゃりと錠を下ろす金属音が響いてきた。
「ずいぶんと勿体ぶるではないか」
プリシアが不満の声を上げたが、ほかの者たちはあまり気にしていなかった。
彼女が苛立っているのは、シドに報告しなければならないのに、肝心の鑑定現場が見られないからだ、ということが明らかだった。
「それにしても、凄い宝飾品ばかりですね……」
シルヴィアがすぐ横の棚に陳列されているブローチを見て、深い溜め息をついた。
椅子に座っているサーラも、同意するようにうなずいた。
「あたしもそれなりの物を見てきたつもりだけど、この店に飾られているのは、何かこう、別格だって分かるわ」
「それだけじゃないのよ、サーラさん。
この店の品物のいくつかからは、何となく魔力を感じるの。大尉殿はどうですか?」
問われたケネスも同意した。
「ああ、お前の言うとおりだ。
魔導士でもないシルヴィアにも分かるほどの魔力っていうのは、とんでもないレベルだぞ。
市井の店なのに、よくもこんな物騒なものを扱っているもんだな」
「シド様のお話では、この店は強力な結界で守られているそうなのだ。
おそらくリッチーの仕業だろうということだったが、この世界から去ってなお、影響を及ぼし続けているというのが、私には理解できん」
プリシラが仏頂面で解説をしてくれたが、一同が納得せざるを得ないほど、このヴァンの家には怪しげな雰囲気が充満していたのである。
そして十五分くらい経った頃だろうか、がちゃりと錠の外れる音がして、奥の扉が開き、マリアが戻ってきた。
彼女は椅子に座ると、預かっていた石をテーブルの上に置いて、サーラの方に押しやった。
「待たせて悪かったね。
端的に言うよ。こいつは〝場違いな工芸品〟――いわゆるオーパーツ(out-of-place artifacts)っていう代物だよ」




