十七 大切なもの
「これは……子どもの玩具か?」
ケネスはサーラの手の平をまじまじと見詰め、少し呆れた声を出した。
「しっ、失礼ね! だから大したものじゃないっていったでしょ。
こんなのでも、あたしにとっては大切な思い出の品なのよ」
サーラは少し赤くなって頬を膨らませた。
ケネスは彼女の手の上から、指輪を摘まみ上げた。
それはどう見ても安物で、素材は錫か何で、石は濁ったガラス玉だった。
試しに嵌めてみようとしたが、武骨で太い男の指には小さ過ぎて入らなかった。
彼が〝子どもの玩具〟と言ったのは、言い得て妙であった。
サーラはケネスから指輪を奪い返すと、大事そうに袋の中に戻した。
そして、淡々と語り始めた。
「あたしが十四歳で母親に売られたことは、前にも話したでしょう?
その時の話だけど、家の隣りに住んでいた幼馴染のアリーって男の子が、家出して奴隷商人のキャンプまで追いかけてきたのよ。
あたしが閉じ込められていたテントに忍び込んだアリーは、縄を切ってあたしを連れて逃げようとしたのね。
奴隷商人たちは油断をしていたらしくて、アリーはまんまと救出に成功したわ。
あたしたちは岩砂漠の荒野を夜通し走り通して、もうこれ以上は一歩も動けなくなったというところで、偶然見つけた大きな岩の窪みに隠れたの。
二人で肩を寄せ合って座っていた時に、アリーはこの指輪をあたしに渡してくれた。
羊番をしながら拾い集めた薪を売ったお金で、行商人から買ったんですって。とても照れていたけど、真面目な顔で大人になったら結婚しようと言ってくれたわ」
「でもね、疲れ果てて眠り込んだあたしたちは、あっさりと追手に捕まったの。
犬を使って跡をつけられたのね。
あたしは連れ戻されて、酷い折檻を受けた。
アリーは半殺しの目に遭わされてね、顔がぼこぼこに腫れ上がり、目鼻の区別もつかないようになって砂漠に捨てられたわ。あたしはてっきり彼が死んだと思ったくらいよ。
でも商人たちは、実際には命まで奪わなかった。きっと相手がまだ子どもだったからでしょうね。
ずいぶん後になって、同じ村から奴隷に売られてきた女の子から聞いたんだけど、アリーはどうにか自力で村までたどり着いたらしいの。
でも、足が不自由になってしまったそうよ」
サーラはふっと寂しそうな溜め息をついた。
「この指輪だけは絶対に放さない。あたしはそう誓ったの。
奴隷のあたしが、これを見つからないよう持ち続けるのは大変だったわ。
女のあそこなんかは論外だった。毎日のように〝調教〟っていう名目で犯されていたからね。舌の裏に隠すことも考えたけど、口の中にも突っ込まれたからね。
結局、調教の間は寝床の藁の中に押し込んでいたわ。
髪の毛の中に隠すことを思いついたのは、その頃のことよ」
エイナもシルヴィアも、何と言ってよいか分からずに黙り込んだ。
サーラの凄絶な身の上話は、彼女たちに想像できるようなレベルではなかったのだ。
気まずさを隠すように、シルヴィアがもう一つの装飾品を手に取った。
それはペンダントヘッドに似ていたが、鎖を通すような穴がなかった。
青い石の周りを蛇が取り囲んでいるデザインだったが、蛇の細工はすり減っていて細部がよく分からなくなっていた。
石はガラスではないものの、サファイアやターコイズといった宝石には見えなかった。透明さや輝きがまるでなく、指輪のガラス玉の方がましに思えるほどだった。
実家が貴族であるシルヴィアは、ある程度宝石を見馴れていただけに、その辺はすぐに判断がついた。
裏返してみると、小さな紙片が貼り付けられていた。比較的新しそうな紙で、何かが書きつけてあった。
シルヴィアは顔を近づけて、その文字をどうにか読み取った。
「蒼城市鼠小路ヴァンの家……何なの、これ?」
「ああ、それは最近お客さんに貰った物よ。
そのお客さん、偶然なんだけど、あたしの故郷の隣村の出身だったの。昔話に話が咲いてね、とても楽しかったわ」
サーラはそう言うと、何かを思い出したように含み笑いをした。
「どうしたんですか?」
エイナが無邪気に訊ねた。
「いえね、そのお客さんったら、女を抱くのが初めてだったみたいなの。
どう見ても五十過ぎのおじさんなのよ。もの凄くがっついていたけど、仕方ないわよね、ふふっ。
その男、あまりお金がなかったみたいで、泊まらずに帰ったんだけど、よっぽど感激したんでしょうね。
帰り際に何度も何度もお礼を言って、それをくれたのよ。
『困ったことがあったら、これを売ればいい。俺にはもう必要のない物だ』ってね。
そういうのって大概が紛い物なのよね。
でも、いい人だったし、同郷だってこともあったから、気になって出入りの宝飾屋さんに見てもらったのよ」
「それで、どうだったんですか?」
好奇心に目を輝かすエイナに、サーラは肩をすくめてみせた。
「宝石じゃないから値段は付けられないって言われたわ。予想どおりね。
土台は銀らしいけど、摩耗し過ぎていて細工物としての価値はなし、溶かして地金にしても量が少ないから、手間賃にもならないそうよ」
「やっぱりね」
シルヴィアがうなずいた。
「それで、この〝ヴァンの家〟っていう張り紙は、一体何なの?」
「うん、その宝飾店のご主人がこんなことを言ったの。
『私も長年この商売をしているから、これがもの凄く古い物だっていうことは分かる。宝石じゃないが、ただのガラクタだとも思えない。何か別の価値があるかもしれませんよ』ってね。
だからもし機会があったら、そのヴァンの家っていう店に持ち込んでみたらいいって教えてくれたの。その店は、そういった古い遺物の鑑定に長けているらしいわ。
それであたしが忘れないように、店の名を書いて貼ってくれたってわけ。
今回、黒城市に行くことになったでしょう。ひょっとしたら、帰りに蒼城市に寄れるかもしれないと思って、たまたま持ってきただけよ」
ケネスはその話を聞いて、少し考え込んだ。
ややあって顔を上げ、再びサーラに訊ねた。
「お前の故郷って、サラーム教国のどこかだったよな?」
彼女はこくりとうなずいた。
「ナサル首長国連邦の――あ、今は分裂したんだっけ。
とにかく、その中のナフっていう国よ。あたしの村は何もない田舎ね。それがどうしたの?」
「サラーム教国と言えば、南方の黒人国家と並んで呪術師の本場だろう。
お前の村にもいたのか?」
「まさか。まじない婆さんはいたけど、ちゃんとした呪術師は山や砂漠に隠れ住んでいて、人前には決して出てこないわ。
呪術師を召し出せるのは、王族くらいのものよ」
「どうして隠れる必要がある? 力ある呪術師は、人を簡単に殺せるほど強いそうじゃないか」
「あたしも詳しいことは知らないわ。
でも本物の呪術師は、仲間同士で殺し合いをしているって噂を聞いたことがあるわ。
居場所が分かってしまうと、敵対する呪術師に邪悪な呪いをかけられるからじゃないかしら」
「俺も聞きかじった話だから本当かどうかは知らないが、呪術師は五欲を捨てる誓いを立てると聞いたことがある。
五欲っていうのは、酒、女、飽食、睡眠、名誉のことだな。
お前にその石をくれたっていう客は、同じナフ国の出身で、しかもいい年なのに童貞だったんだろう?
ひょっとしてそいつ、呪術師だったじゃねえか?」
「まさか!」
サーラはけらけらと笑い出した。
「そんな風には見えなかったわ。
普通にいい人だったし、酒も肴もたらふく飲み食いしていたわよ。
第一、遊女屋にあがる呪術師なんて、聞いたことがないわよ」
「だから『呪術師だった』と言っただろう?
まぁいい。どうせ明日は船を降りて蒼城市に向かうんだ。
そのヴァンの家とやらに行ってみようじゃねえか。そうすれば、はっきりするだろう。どうだ?」
「あたしは……別に構わないっていうか、ありがたい話だわ」
サーラが少し戸惑いながらもうなずいた。
「賛成します」
「異論はありません」
エイナとシルヴィアもケネスに従う意思を見せた。
もし敵がサーラの持ち物を狙っているのだとしたら、どう考えても幼馴染の少年に買えるような代物ではないだろう。
この不思議な遺物の正体が知れれば、その狙いが見えてくるかもしれない。
* *
ちょうど同じころ、蒼城の奥まった執務室では、蒼龍帝シドが机に向かっていた。
山のように積まれていた書類の山は、あらかた処理が終わっており、「既決」「却下」と書かれた二つの箱に分けられていた。
ほとんど乱れず、きれいに揃えられた書類から、シドの几帳面な性格が窺われた。
誰もいない静かな部屋に、羽ペンを走らせて署名をする軽い音だけが響いていた。
あと数枚で全てが片付くという段になって、扉を遠慮がちに叩く音がした。
「プリシラか? 入れ」
シドの低いがよく通る声がして、彼の副官であるプリシラが入ってきた。
「何か用か?」
蒼龍帝は顔を上げないまま訊ねた。
「ユニ殿が閣下に面会を求めております。待たせますか?」
シドは顔を上げた。
「ほう、思ったよりも早いな。よい、通せ」
プリシラはその答えを予想していたらしい。彼女は後ろを振り返った。
「お入りください」
背の高いプリシアの陰から、小柄な女が姿を現した。
その背後から、巨大なオオカミがのそのそと付いてくる。
二級召喚士ユニ・ドルイディアと、その幻獣ライガである。
ユニは狩人のような出で立ちで、くたびれた背嚢を背負い、ごつい革のブーツを履いていた。
旅の埃を存分に身にまとい、染みひとつない軍服姿のプリシラと並ぶと、いかにも不潔でみすぼらしい。
年齢はもう四十歳に近いはずだったが、その小柄な身体から発せられる精気は熱を帯び、若いプリシラにも決して劣っていない。
「お仕事のお邪魔をして申しわけありません、シド閣下」
ユニは軽く頭を下げた。彼女は軍人ではないので、敬礼はしない。
「いや、たった今終わったところだ。
それより久しいな、半年ぶりくらいか?」
「七か月と三週間です」
「もうそんなになるか。
だが、思ったよりは早い。調査は終わったのか?」
「残念ながら、まだ道半ばといったところです。予想はしていましたが、手強い案件ですね。
今日のところは中間報告だと思ってください」
「だろうな。
とにかく、そっちのソファに座ってくつろいでくれ。
腹は減っていないか?」
「夕食は摂りましたから大丈夫です。ただ、道を急いだせいか喉が乾いております」
「そうか。
プリシラ、聞いたとおりだ。酒保から冷えたエールを手に入れてこい。それと氷と水だ。
それが済んだら、許可を出すまで誰もこの部屋に入れるな」
「はっ!」
副官は見事な敬礼をして、退室していった。
蒼龍帝は大きく伸びをしてから椅子から立ち上がり、ユニが腰を下ろした応接セットの方へと向かった。
シドは成人した男性だったが、小柄なユニと比べても背が低かった。
彼は応接に向かう途中で戸棚を開け、白磁の瓶とグラスを取り出した。
ソファに腰を下ろすと、テーブルの上に瓶を置き、グラスをユニの前に滑らせた。
「閣下は話が早くて助かります」
ユニはにかっと笑った。埃にまみれ薄汚れた顔のお陰で、白い歯が眩しく目立つ。
「君がわざわざ途中経過を報告に来たのだ。
何か分かったということだろう? だったら、それなりの褒美を用意しなければなるまい。
レテイシア陛下からいただいたケルトニア酒だ。エールの後のお楽しみだな」
「グラスが一つしかありませんが、閣下は飲まれないのですか?」
「私は下戸なんだよ。この身体が酒を受けつけてくれないんだ」
蒼龍帝は自嘲気味に笑ってみせた。
「それはお気の毒です」
「心にもないことを……自分の取り分が増えるのが嬉しいんだろう。
それで、詳しい話はゆっくり聞くが、端的に言って何が分かった?」
「母親の方は、残念ながらまだ手がかりも掴めていません。
ですが、父親の方はかなりのところまで……」
「王国の人間ではないのだろう?」
ユニは一瞬息を呑んだが、すぐに苦笑いを浮かべた。
「ご存じでしたか? 閣下もお人が悪い」
「何、当てずっぽうだよ。可能性をいろいろと考えた結果で、別に証拠はないんだ。
どこだ? やはり帝国なのか?」
「はい。帝国の逃亡軍人――しかも、かなり名の知れた魔導士官だったようです」
「ほう、予想以上に面白いな……。これは君の話が楽しみになってきた」
シドの目が輝いたところで、ノックの音が聞こえてきた。
プリシラが戻ってきたのだ。やけに早かったのは、彼女が事前に飲み物の手配を済ませていたからだろう。
彼女が押してきたワゴンの上には、陶製の大きなジョッキとガラスの水差し、そして小さな桶に入った氷がのっていた。
「夜は長い。まずは喉を潤したまえ」
蒼龍帝は楽しそうに笑った。
プリシラはテーブルに運んできた酒類と簡単なつまみの皿を並べながら、驚いたようにシドの顔を見た。
彼が声を出して笑うなど、滅多にないことだったのだ。
シドは〝悪魔〟と呼ばれるほどに頭が切れるだけあって、あまり感情を表に出さない。
その彼をここまで上機嫌にさせるとは、ユニが持ってきた情報がそれほど重要だということである。
プリシラはユニの話を聞きたいと切実に願ったが、蒼龍帝の副官として命令は守らなければならない。
彼女は空になったワゴンを部屋の隅に片付けると、静かに扉を閉めて立哨を務めることになった。
蒼龍帝とユニの会談は深夜にまで及び、極上のケルトニア酒は一滴残らずユニの腹に収まることになった。




