十六 歌う幻獣
「お客さんやうちの馬鹿どもが、あんたたちを襲ったことは分かった。
だったらなぜ突然、全員が正気をなくしたのか、納得のいく説明をしてもらおうじゃないか」
船頭は腕組みをしながら、厳しい表情を崩さなかった。
「さぁてなぁ……。俺たちは被害者だから、そこまでは分からねえよ」
「だが、あんたの話だと、あんたとお連れさんたちだけは、正気のままだったんだろう?
まぁそれはいいとして、あんたたちは一部始終を見ていたってことだ。
周りがおかしくなるきっかけとか、何か変わったことに気づかなかったのか?」
ケネスには分かっていた。恐らくは呪術師が幻術のような呪いをかけたのだろう。
それもこれが初めてではない。命を狙われたのは、すでに三度目である。
だが、そのことを明かしてしまっては、船がパニックになる。
一般乗客の中には不安が拡がり、疑心暗鬼に陥るのが目に見えていた。
エイナは乗客たちの輪の中に割り込んで、そのやり取りを黙って聞いていた。
今ここで部屋が荒されていたことを話すのは、どう考えても悪手である。
彼女はケネスがこの場面をどう切り抜けるのか、少なからず興味があった。
これは一種の交渉術だ。大尉ならそうした経験を積んでいるだろうから、その技術を学びたいと思ったのだ。
自分を見つめるエイナの視線に気づいたのだろう、ケネスが彼女の方に顔を向けた。
「おお、いいところに戻った。
俺はどうも口下手でな(嘘だ)、エイナが説明してくれ。
どうして皆、突然正気をなくしたんだと思う?」
『あ、押しつけてきた』
エイナは少し呆れながらも、なるほどこれも学ぶべき技術だと感心した。
巧い説明が浮かばないなら、立場が下の者にその責任を押しつけてしまえばいいのだ。
「さぁ、セイレーンの歌にでもやられたんじゃないですか?」
エイナはそっけなく答えた。彼女はケネスに球を打ち返したつもりだった。
「そうか、セイレーンか!」
船頭がぽんと手を打った。
輪の中に混じっていた船員たちも、『なるほど』という顔でうなずいている。
エイナは冗談で言ったのだが、迷信深い船乗りたちにとっては〝腑に落ちる〟説明だったのだ。
いや、迷信深いと言っては、彼らに失礼である。
セイレーンは実在していたからである。
セイレーンは幻獣界の住人であり、王国の召喚士によって呼び出された事例も多い。
南カシルにほど近いサクヤ山麓には〝穴〟と呼ばれる次元の断層があって、しばしば幻獣が迷い出してくる。
大抵はオークやゴブリンといった低級な怪物で、セイレーンのようなそれなりの霊格を持った幻獣が出てくることは珍しい。
とは言え、まったくないわけではない。
数十年に一度の割合でこうした怪物が排出され、帰ることのできない彼らは人間世界に定着することになる。
霊格の高い幻獣はおしなべて寿命が長く、少しずつ集まって繁殖し、彼らのコロニーを作るようになる。
セイレーンも岩礁の多い、人間が難所と呼ぶ海域に棲みついていた。
川に上ってくることは滅多にないが、ボルゾ川のような大河では目撃例があった。
彼らはオスもメスも、上半身は人間の若い女性に擬態しており、下半身は魚体である。
岩の上で日光浴をすることを好み、魅了や幻影、催眠などの効果を持った曲を歌う。
セイレーンが直接人間を襲うことはないが、彼らの歌によって正気をなくし、操船を誤った船が沈没すると、溺死した人間を回収して喰らうことが知られている。
船乗りにとって、彼らは恐ろしい存在だった。
「ちょっと待ってください!
いくら何でも、セイレーンがそう都合よく現れるはずがないじゃありませんか」
納得してしまいそうな船員たちに、慌てたエイナが反論した。
よく考えれば、そのまま信じ込ませた方が都合がよいのに、彼女はそこまで頭が回らなかったのだ。
「いいや、そうとも言えねえ」
船員の一人が声を上げた。
「俺たちは全員、サーラさんの歌を楽しんでいた。
生まれてこの方、あんな素晴らしい歌声は聴いたことがねえ。
何て言うか、あの女にこう……魂を鷲掴みにされて、好き放題に転がされているみたいだった。
俺たちは馬鹿みたいに笑ったかと思えば、次の曲では赤ん坊のように声を上げて泣いたんだ。
あれは、まるでセイレーンのようだった」
周りの船員たちも、うんうんとうなずいて同意を示している。
「馬鹿なことを言わないでください!
あなたたちは、サーラさんがセイレーンだと言うつもりですか」
エイナの声が一段高くなり、彼女は船員たちに詰め寄ろうとした。
「まぁ待て!」
エイナの目の前にケネスの太い腕がぬっと差し出され、彼女の行く手を阻んだ。
「こいつらはサーラがセイレーンと同じか、あるいはそれ以上だったと言いたいだけだ。なっ、そうだろう?」
「あ、ああ……まぁ、そういうことだ」
船員が口ごもる。
すかさずケネスが畳みかけた。
「それで納得がいった!
サーラは二時間以上も歌い続けていた。その歌声はこの船だけじゃねえ、周りの川にも響き渡っていたはずだ。
セイレーンはそれを聞きつけて、嫉妬に狂ったんだろう。
奴らは自分たちの歌声が、この世界で最も魅力的だという自負心を持っている。
サーラの歌声は、自分たち種族に対する挑戦だと受け取ったんだろう。
奴がこの船に引き寄せられ、魔力の籠った歌を聴かせたと考えたらどうだ?」
「なるほど!」
船頭や船員たちの表情が、ぱあっと明るくなった。
彼らとてサーラを悪者にはしたくない。ケネスの話は全てを見事に説明してくれたのだ。
「そっ、そういえば……」
今度は乗客の一人が、おずおずと前に進み出てきた。
「私は正気に戻るまでの間のことは覚えていないのですが、ただ、何となく不思議な歌を聴いたような気がするんです」
「不思議って、どんな歌なんだ?」
「それが、明らかに人間の言葉ではなかったのです。
気味が悪い、むしろ不快な音でした。それがずっと続いていた……ぼんやりとですが、記憶に残っています」
男がそう打ち明けると、何人もの乗客が、
「俺もそうだ」「私も確かに聴いたと思う」
と口々に言い出した。
実を言うと、それはエイナが唱えていた三重呪文のことだったのだが、ここでそれを言い出すわけにはいかない。
乗客たちが次々に同じ証言をするうちに、『セイレーンの姿を見たような気がする』と言い出す者まで現れる始末だった。
「決まりだな」
ケネスが満足そうにうなずき、船員も乗客たちも全員が納得して場は収まった。
後日談になるが、船が南カシルに戻った後、この「セイレーン事件」は船員や港湾労働者の間で、あっという間に広まった。
やがてそれは一般市民の間にも伝播するとともに、〝セイレーンを嫉妬させた歌声の持ち主〟であるサーラの名声は、いやが上にも高まったのである。
* *
船頭と船員たちは持ち場に戻り、乗客たちもこの不思議な話を、一刻も早く客室に残っていた者たちに伝えようと、船底へ下りていった。
事情聴取から解放されたケネスも、エイナとともに個室へ戻ることになった。
周囲に人がいなくなると、エイナは素早く部屋が荒されていたことを小声でささやいた。
ケネスは人目を気にしたのか、表情を変えなかったが、ただ一言「妙だな……」とつぶやいた。
だが、すぐに気を取り直し、エイナの背をバンと叩いた。
「エイナ、お前セイレーンを持ち出すとは、なかなか機転が利いているじゃねえか!
ちょっと見直したぞ」
「あれは冗談だったんですけど……。
ですが、大尉殿がすぐに乗ってきたのもお見事でした」
* *
二人が部屋に戻ると、荒されていた部屋はあらかた片付いていた。
「それで、何か盗られた物はあったのか?」
扉を後ろ手に閉め、ケネスが訊ねた。
「それが、何一つ無くなっていないの」
サーラが困惑した表情で応える。
「やっぱり妙だ。
敵は何かを探していて、それはサーラが持っていると踏んでいるようだ。
ってことは、最初から狙いは俺じゃなく、サーラだったってことにならねえか?」
「そうですね。私もそう思います」
シルヴィアも同意し、エイナも賛同するようにうなずいた。
「俺たちが甲板に出て、サーラの送別会で賑やかになっている隙に、敵は見張りを眠らせて部屋に入ったんだろう。
ところが探し物は見つからなかった。
それが何かは知らないが、部屋にないのならサーラが持っていると判断したんだろう。
それで船員たちにサーラを襲わせ、裸にひん剝いて身につけていないか確かめた。
俺やエイナたちが邪魔しないよう、乗客に幻影を見せて妨害させた。
――取りあえず、辻褄は合うな」
「サーラ、お前……何か心当たりはないのか?」
三人の目が、一斉に遊女に向けられた。だが、彼女はぶんぶんと首を横に振る。
「あたしの持ち物なんて、ほとんどが衣装よ。
お金も装飾品も少ししか持っていないし、それは盗られていなかったわ。
あたしは黒船屋に買われた奴隷だから、私有財産そのものがないのよ」
エイナは少し驚いた表情を浮かべた。サーラが奴隷身分であることを忘れたわけではないが、彼女の態度はそれをまったく感じさせなかったからだ。
「じゃあ、サーラさんが稼いだお金はどうなるの?」
「全部、黒船屋に入るわ。当然でしょ」
「お客さんから贈り物なんかも貰うんでしょう?」
「まぁ、贈り物って大抵が宝飾品だから、原則的には店の物になるわ。
もちろん、そのお客さんが次も通ってきた時には、ちゃんと身につけていないといけないから、あたしが管理することになるけどね。
お客さんが来なくなったら、女将さんに渡しちゃうわ。
でも、自分が気に入った物だったら、そのまま使っていてもいいのよ」
「お給料が出るわけじゃないんでしょう、衣装なんかはどうしているの?」
「何か欲しいものがあれば、黒船屋の〝付け〟で何でも買えるわ。
服でも化粧品でも宝石でもね。いくら高くても文句を言われたことがない……って言うか、下手に安物を買うとかえって叱られるのよ」
「何か、奴隷っていう気がしないわね」
「まぁ、その辺が曖昧なのは確かね。人気のあるうちは、とても大切にしてもらえるわ。
だから、あたしたちも努力をするわ。歌でも踊りでも、一流の先生について稽古を欠かさないし、本を読んで勉強もするの。
当然、そうしたお稽古ごとにかかる費用も、全部店の払いよ」
「……もし、稼げなくなったら?
「下の店に落ちていって、最後には夜鷹になる子もいるわ。
あたしなら〝遣手婆〟になれるかもしれないわね」
「何ですかそれ?」
「女の子の管理や教育、お客さんへの手配をする中間管理職って言えばいいかしら?
今の女将さんも、元は売れっ子の遊女で遣手婆上がりだと聞いているわ」
「おいおい、話が脇へ逸れているぞ」
ケネスがエイナとサーラの会話に割って入った。
「つまりサーラには、肌身から離さないような大切な物がないってことでいいのか?」
「あら、そんなことはないわよ。
あたしにだって、大事にしている物くらいあるわよ。
黒船屋は高級店だけど、店の女の子同士で盗った盗られたって話はなくならないもの。
大切なものはいつも身につけているわ」
「それは船員に見つからなかったのか?」
ケネスの問いに、サーラはふふんと鼻を鳴らした。
「女にはね、隠す所がいっぱいあるのよ」
「それはつまり何だ、股の中ってことか?」
「馬鹿ね!
それだったら下着を剥ぎ取られた時に、まっ先に指を入れられたわよ。次がお尻の穴。
濡れてないのに指を入れられると、痛いのよね」
サーラは顔をしかめてみせたが、その割に大したことだとは思っていないようだった。
横で聞いているエイナとシルヴィアの方が、顔を赤くしてうつむいてしまった。
サーラは両腕を上げると、頭の後ろに手を回した。
きれいに処理されたわきの下が丸見えになり、娘二人は再び下を向いた。
彼女は結い上げた髪の中に手をさし入れ、縛っている紐を解いた。
長く豊かな黒髪がふわりと肩にかかり、背中の中ほどまで垂れ下がった。
エイナもきれいな黒髪だったが、それほど長くは伸ばしていない。
サーラの手には、髪留めと結い紐が残されたが、その紐の先に小さな革袋が結びつけられていた。
「髪を触ってくる男は多いけど、結っていると中まで手を突っ込んでこないでしょう?
こうしていれば、まず盗まれることはないの」
彼女は少し得意気だった。
「それで、その袋の中には何が入っているだ?」
ケネスが被せ気味に訊ねた。
エイナとシルヴィアも、好奇心丸出しでサーラの手を覗き込んでいる。
「慌てなくても見せてあげるわ。
言っておくけど、別に大したものじゃないのよ?」
彼女はそう断って革袋を摘まみ上げ、口紐を緩めて逆さにした。
サーラのきれいな手の平の上に、二つの小さな物体がころんと転がり落ちる。
「こっ、こいつは……!」
ケネスの目が、驚きに大きく見開かれた。
予想外の結果に、エイナとシルヴィアも思わず顔を見合わせたのだった。




